ある日、祖母が死んだ。
 特に持病はなかったが、年ではあったのだろう。
 自然な老衰で、朝目が覚めると息をしていなかったのだ。
 両親はため息をついた。
 農繁期でなかったのは幸いだが、それでも通夜に葬式、墓の手配と忙しい数日間になるのは目に見えている。
 僕もできるだけ手伝いをして、親に負担をかけないようにしようと心に決めたほどだ。
 まず両親は、寺と親戚へ知らせに行くことにした。
 両親が二人とも出かける必要があり、棺おけをはじめ、葬式の道具類もそろえなければならない。
 その間、僕は家の中に一人になった。
 祖母は布団に入り、頭を北に向けた形で寝かされていた。
 娘時代には大変な美少女で、映画会社がスカウトに来たとか、年頃になると縁談を求める釣書が何十も届いたという話は聞いていたが、年を取ってからの姿しか知らない僕には、あまり関係のないことだった。
 時ならぬ羽音が部屋の中に聞こえることに気が付いたのは、この時だった。
 顔を向けると、一匹の蜂が祖母の口元に止まるところだった。
 だが、その時にはもう遅かった。
 追い払おうと僕が手を伸ばしかけた時には、蜂は祖母の口の中へと姿を消していたんだ。
 あまりの出来事にどうすることもできず、恐る恐る近寄って、口をそっと閉じてやることしかできなかった。
 僕が住んでいた地方には、変わった風習があった。
 死体は焼かず、そのまま土に埋めるんだ。
 何のためなのか、節を抜いた竹筒を棺に刺して、風抜き穴を作ってやるという習慣もあった。
 僕の家の墓は裏山にあって、勝手口を出て、山道を登って数分かからないところだった。
 祖母の葬式以降、母に言われ、新しい花や線香を持って、僕は毎日のようにそこへ行くようになった。
 だから自然と、墓に起こる変化には最初に気が付くことになる。
 さっきの風抜き穴さ。
 この穴を通って、蜂がさかんに出入りしていたんだ。
 事件が起こったのは、数週間後のことだった。
 いつものように墓へやってきたのだが、地面に大きな穴が開いているのを見つけ、僕はひどく驚いた。
 穴ができていたのは、ちょうど棺が埋まっていたあたりで、人が一人通り抜けられるほどの直径があったが、どんな道具を使って掘ったのかはよくわからなかった。
 家に飛んで戻り、僕は両親に知らせた。
 両親も驚き、僕をそのまま駐在所へと走らせたのだ。
 犯人の正体はもちろん、何が目的かもわからず、やってきた警察官も首をかしげるばかりだった。
 すぐに本署へ連絡が入れられ、刑事たち数人が姿を見せたが、やはり何もわからなかった。
 僕は見せてもらえなかったが、話に聞いたところでは棺の内部は空っぽで、祖母の死体は影もなかったそうだ。
 警察は捜査を続けたが、山中のことゆえ目撃者もなく、成果のないまま、村人の噂からも少しずつ忘れられていった。
 そんなころ、村でちょっとした出来事があった。
 といっても悪いことじゃない。新しい店ができたんだ。
 いやいや、笑ってはいけない。
 一日に2本しかバスの来ない停留所があったが、その真ん前に新築されたんだ。
 なんでも、どこかの家の次男坊が都会へ出て就職していたのが、結婚してどう気が変わったのか、Uターンしてきたということだ。
 だけど感心するような店ではないよ。
 間口も小さくて、普通の家とあまり変わらないんだから。
 商品はパンとかお菓子とかインスタント食品とか。コーラとかビン入りのジュースとか。
 亭主は農作業をするということで、都会から来た若い奥さんが店番をした。
 こんなに小さな店でも、やっと田舎の子も買い食いの楽しみを味わうことができるようになったという意味がある。
 こづかいにもらった10円玉を握りしめ、もちろん僕も学校帰り、その店の常連になった。
 この店で、僕はちょっとした発見をした。
 映画館なんて、僕は町へ連れて行ってもらった時に運が良ければ立ち寄ることができるぐらいで、1年に一度楽しめるかどうかだった。
 それだけに映画とは都会の匂いを感じさせるものだったが、その宣伝ポスターが、この店にも張られるようになったんだ。
 店があるのはバス停の真ん前だ。
 それに目をつけ、映画会社がいくばくかの掲出料を支払ったのだろう。
 その1枚が僕の目を引いた。
 ある映画の主演女優。といってもデビュー間もない若手なのだが…。
「あれっ、これはおばあちゃんじゃないか」
 まったくその通りだったのだよ。
 祖母は本当に美人だったから、古いアルバムに残されている写真も多かった。
 娘時代、何のかんの理由をつけて家を訪れ、写真を撮ってゆく親戚や縁者が多かったからね。
 祖母の古い写真をよく知っている僕が、見間違えるはずはない。
 あの女優は祖母だよ。埋葬された時よりも、ずいぶんと若返っているけれど。
 だけど僕は、映画ポスターの話など両親にはしなかった。教えてやっても混乱するばかりで、なんの役にも立つまい。
「おばあちゃんはおばあちゃんで、新しい人生を始めたんだ」
 そう思って、僕は納得することにしたんだ。
 あの時代のことだから、映画なんて年間に何十本も作られる。
 ポスターもどんどん張り替えられてゆく。
 いつもいつも祖母の出演作ではなかったけれど、何ヶ月かおきには元気な顔を見ることができた。
 祖母は、スターへの階段を着実に登っていった。僕も遠くから応援していたのだよ。
 僕が風邪をひいてしまったのは、ちょうどこのころだ。
 特に寒い日々だったのでもなく、冷たい思いをしたのでもない。
 だけど数日の間、僕は咳が止まらなくなった。
 両親は心配し、僕に風邪薬を飲ませた。
 とはいえ病院へ行くほどの症状ではなかったし、学校を休むこともなかった。
 だからあの時も、僕はランドセルを背負って下校中だった。
 小学校のあるあたりを過ぎると、家は途端に少なくなり、友人たちとも別れ、僕は一人きりになる。
 道も、田んぼの間の細い道に変わる。例の店なんて、もうはるか後ろだ。
 突然、僕は咳がしたくなった。
「あれれ、もう直ったのかと思ってたのに…」
 立ち止まり、僕は口に手を当てた。
 咳はいったん収まったかに見え、出る気配が消えた。
「あれ?」
 そこでまた咳の気配。
「?」
 喉の奥に、なんだかむずかゆいような奇妙な感覚がある。
「面倒だから出してしまおう」
 僕は少し力を込めた。
 ゴホン。
 咳が出た。
 だけど変なんだ。
 咳だけじゃなく、何か別の物も一緒に喉を通り抜けた感じがある。
 うん、確かに何かが僕の喉の内側に触れていった。
 僕は手のひらを見た。
 そして、自分の喉の奥から何が現れたのか、はっきりと知ることができた。
「死ぬ前に、おばあちゃんもこんな咳をしてたのかなあ」
 もう一度咳が出た。
 ゴホン。
 また同じような感覚があり、再び何かが僕の喉を通り抜けていった。
 それは、さっきの1回目と同じように手のひらに乗っている。
 もちろんどちらも生きていて、足を動かし、羽も小刻みに震わせている。
 2匹の蜂…。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-24

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