初めましてお父さん
妹の婚約者が家にやって来る!愉快なお父さんの奮闘。
「初めましてお父さんん」
わが父、栗原亮一は亭主関白とは無縁の性格だ。
酒が入っていなくても腰が低いし、酒が入ればなおさら低くなる。自分の優位を見せつけた意欲などさらさらなく、むしろ妻の尻に敷かれる恐妻家を気取りたがる。
それがいつも母の癇に障るのだが、それは父の目論見通りにというものだろう。小言を食らたび肩をすくめ、唇を尖らせて、「はい」とだけ小さく言って黙り込む。
父は中背で、立派な太鼓腹を持っている。若いころはがりがりで、変身ベルトでヒーローに変身しそうな青年だったが、今細いのは手と脚だけで、なんだか卵に手足がついているような体型である。そうして頭の方までもゆで卵のようになってゆく途中にある。
妹が部活動を共にしていた仲間たちは、溜まり場だった家に泊まりに来るたびに、「お父さん可愛い」と大騒ぎだった。
三人ずつ風呂に入り、仏間で雑魚寝する彼女らの中でも、妹は飛びぬけて跳ねっ返りだった。機関銃のようにしゃべり倒し、言葉の銃弾で周りを圧倒する。怖いものなんてないような妹を、父はとりわけ可愛がっていたように思う。
そんな妹にも結婚話が持ち上がった。妹は神奈川に職を得て住んでいるが、相手の彼が横浜から挨拶に来るという。もちろん両親とも初対面だ。
「どんな人だろうねえ。公務員だってさ」
「それも霞が関の人らしいよ」
私たちは色めき立った。弟だけが彼に会ったことがある。
「自由な感じの人だったよ」
「新幹線で来るんだよね。どうやって駅から家まで来てもらおうか」
「バスっていうのもちょっと悪いわね。奮発してタクシー呼ぼうかしら? 」
弟が言った。
「ここは俺が行くべきでしょう」
「そうだね」
「そうしてくれればありがたいわ」
母と私はうなずいた。だが太鼓腹の出っ張りにに、リモコンを引っかけてテレビを見ていた父が言いだした。
「いや、俺行ってもいいぞ。家で待ってるのもなんだし」
私と母と弟はぽかんと父を見た。
「いや、お父さん、お父さんの事だから車の中で、いやいやいい天気ですな、所でお仕事の方はどうですか? ゴルフなんてされますか? なんて世間話するでしょう」
「するよ。それの何がいけない? 」
「いざ家についてから、相手の方、お父さんの前に座って手をついて、『お嬢さんをください』って頭を下げるの? 」
「うん。だから? いいべ! 」
私たちは開いた口が塞がらなかった。
「いい、いい、お父さん、俺が迎えに行くから、余計なことはしないで家で大人しくしててくれよ! 」
そう言って弟が、半ば強引に話を決めた。父は、シャツをまくって腹を出した姿勢できょとんとしていた。
五月の連休の少しだけ暑い日に、弟の運転するワゴンに乗って、義弟となるべき五歳上の彼がやって来た。私たちは玄関で出迎えた。
洋治さんは背の低い痩せた人だった。四十近いことが信じられないほど若い。彼もまた柔軟で腰の低い人に見えた。妹が彼の後ろに立って、誇らしげに、その気になればよく動く口をすぼめている。
我が父はといえば威厳のかけらもなく、
「いいや、どうもどうも、遠くから来てくださって」
と、ゆで卵みたいな頭をかきながら言った。
「お仕事の方は忙しくはないんですか?」
「ええ、公務員ですから暦通りですよ」
「それなら結婚後も盆暮れ正月には来ていただけますな」
母の頬がひきつった。父はもう結婚することを前提として話している。
「釣りがお好きだとか。ところでゴルフとかはされますか? 」
「ゴルフですか? 道具をそろえるのが面倒で」
「アイは地元にいるときは私とよく回りましたよ。しっかし、こんなじゃじゃ馬娘、押し付けるみたいで申し訳ないですね、こいつももう三十路ですから、はははははは、ところで、これの方はどうです? いける口ですか? 」
そう言いながら盃をグイっとする仕草を作る。私と母と弟は、微妙な顔でこのやり取りを眺めていた。妹も苦笑している。
父はとうとう彼に、「お嬢さんをください」とは言わせなかった。
了
初めましてお父さん