多摩川線短編集「おもひたま」

多摩川線短編集「おもひたま」

SW06 花火

SW06 花火


改札を出れば、きっと彼女(アイツ)がいる。

「…」

それは僕が昨日見た夢の内容で、でもそれが今日現実になるはずで。何でアイツごときに胸がドキドキしてるんだと、僕は変に気に障った。たかがアイツだ。昔から知ってる、ドキドキなんてする訳がないアイツだ。アイツなんかよりも、アイドルのさくちゃんの方が何十万倍も可愛い。

「ねさ、府中の花火行かない?」

「…え?」

でもお前は、僕を誘ってきた。誘ったのはお前なんだ。真夏のプールサイド、先輩たちが帰って二人で重いデッキブラシを担いでいた時。小さい頃からずっと続けてきた水泳を中学に入っても続けたいと僕は思ってた。なのに、体験入部の日に教室に居たのはアイツで、「おい、何で居るんだよ」と聞いたら、アイツは素知らぬ顔で「中学に上がったら運動部入ろうって思ってたの。まぐれだねー」と僕に言い返した。ニカっと笑いながら、相変わらず両方の頬に大きなえくぼを作って。

「府中の花火って、あの競馬場の?」

「うん。それ以外ある?」

「いや、別に。」

「もしかして、もう誰かと行くとか…決まってた?」

「は?」

アイツはスクール水着の上に白いラッシュガードを羽織って、濡れた髪を微かに触りながら立っていた。ただ、僕はそれを直視できた訳じゃなかった。だって、なぜなら。その、何というか言いづらいけれど、つい、行ってしまう。目が。視線が。今まではこんなんじゃなかったのに、自分の身体の中もどこか熱くなって、少し固くなってしまっていた。ああもう、どこがとは言いたくない。けれど、今までずっと一緒に遊んできたアイツのカラダは僕よりも先に大人になりかけていた。それが目で見て分かる。見たくないのについ見てしまう。その、膨らんだ輪郭を。

「ん?」

「いや」

「?」

「て、ていうかその日、新人大会直前だろ。もっと集中した方が良いんじゃねーの。」

「うん、まあそうだねー。」

「は」

「でも集中できてないの、どっちかなーって思って。」

「!」

アイツは僕の目がちらちらと揺れているのにきっと気づいていた。別に、別に僕だって見たくて見ている訳じゃない。目線が勝手に動いてしまうだけだ。

「もう、どこ見てんの。案外男の子なんだね。」

それから僕はアイツに勝てなかった。虚勢を張って少し背伸びして、男らしく構えていようと思ったけれど、アイツの言葉はずかずかと僕の心を刺激してくる。挙句の果てに「で、女の子の誘い、断るの?」と半ば無理に迫られて、僕は「ううん」とゆっくりと首を振った。



府中の競馬場には親父に一度連れてこられたことがある。小学生にもならない頃に僕は「お母さんには内緒な」と言われて、野球のアルプススタンドみたいな席のてっぺんから芝のコースを見渡した。周りにはおじさんばかりで、口に何かを咥えながら新聞紙を丸めてじっと馬たちを見つめている。その景色を変だな、と何となく思ったのを覚えていた。それを見た親父は「ここは、大人の世界だからな」と一枚の券を握りしめて笑っていた。

 

「本日は花火大会開催により、是政駅も混雑しております。順番に、焦らず改札をお通りください。」

いつもワンマンがらがらの電車はその日お客さんで溢れていて、予想外の混み具合だった。終点に到着してドアから出ようとしても、前にはたくさんのお客さんがいる。浴衣を着た大人はわいわいとしながら、「今日、花火楽しみだね」「うん、ビール美味いだろうなー」と話してホームへ降りていった。

「改札機がひとつしか無いので、押さずにゆっくりお進みください!」

アイツとは、この駅の外にあるファミリーマートの前で待ち合わせた。向こうはどんな格好で来るか分からないけれど、僕はいつも通りのTシャツに短パンだ。別にいいだろう。うちに浴衣なんかあるわけないし、お母さんに「浴衣、買って欲しいんだけど」なんて言ったもんなら「どうしたの?彼女できた?」って言われて馬鹿にされる。まして妹がそれを聞いたら、もっと面倒だ。

「はーい、順番に。残額が無いと表示されたら窓口に行ってくださーい。」

僕の前を阻む大人たちの群れはゆっくりと進んでいって、改札にパスモをピッとかざせばようやく外に出れた。既に空はうっすらとグレーになりかけていて、左腕の時計を見れば十八時を回っている。もう、夜だ。そしてファミリーマートの前にたむろする人たちの中からアイツを見つけ出すことは案外簡単だった。似合わないおしとやかな朝顔の柄の浴衣を身に着けていたから。

「よ」

「あ、やっと来た。」

声をかけた時、アイツは後ろを振り向いて笑いながらこちらを見た。浴衣だ。分かりきっていることなのに、頭の中でもう一度繰り返してしまうほど僕はドキドキしていたのだと思う。「似合わないな」。そんな言葉が照れ隠しに出てしまいそうになったのをしゅっと口をすぼめた。こういう冗談もハレの日には命取りになりかねない。女子は相当気にするはずで、だから多分、これで合っているんだと僕は思った。

「ごめん、遅れた。」

「ドタキャンされたと思ったんだけど」

「いや、電車、混んでてさ。」

「みたいだね、駅すごい人だもんね。」

「え、そっちは何で来たの?」

「お姉ちゃんが車で送ってくれた。」

「?」

「それで、『デート楽しみな』だってさ。」

「デート?」

「え、違うの。」

「違うだろ」

じゃ行こ、と言ってアイツが先に歩き出した幹線道路は、皆競馬場に向かう人が並んで騒がしかった。ただその歩みはゆっくりで、というのもアイツは花下駄を履いていたから、いつもの何倍も動きが緩かった。カタコトとアスファルトを叩く音は胸の鼓動よりも大きくて、段々と競馬場の屋根が見えてくるとその高鳴りがピリピリして感じられる。鈍いアイツはどうせそんな僕の内側に気づいていなかった。

「ねえ、クラスの子とか来てるかな」

「え」

「だってそうでしょ?小学校の時も、お母さんたちと来たらほとんど皆に会ったもん。」

「最悪」

「なんでよ」

「だって、見られたら変な噂立つだろ!」

「変な?」

「そう。変な。」

「あーもう!」

「?」

アイツは途端、一層コツコツと足を鳴らしながら跳ねるように先を進んでいった。道端に立つお巡りさんから「走らないでくださーい」と言われても、なぜかアイツは意地になって駆けていった。たくさん他の人がいる中でアイツの名前を呼ぶのはまだ気恥ずかしくて、僕は「おい、待てよ」としか叫べなかった。

 


アイツから勝手にいなくなったのだから、別にもう探す義理も無い。そう思って適当な場所を見つけようとスタンドを一人歩いた。ただ、駅前よりも酷く混んだ場内を行き交うのは簡単じゃない。もう真正面から発射台を見れる位置はしっかりと取られて、この時間に着いた人間はスタンドの上の方まで登らなければ一人分のスペースも見つかりそうになかった。

「皆様、お待たせ致しました。もう間もなく府中花火20XXがスタートです。まずはカウントダウンから!」

そう場内にアナウンスが響いた時、ナイターの照明もガンと一気に落ちて辺りは暗闇に包まれた。その中でそれぞれの肩が小刻みに揺れて、会場の沸き立つ様子も見て取れる。

「では20秒前からです。20,19,18…」

何のために来たのだろうと自分を嘲笑った。いつもどこか高い所から見下すようにして、冷めた距離感を取ろうとする。心の中はまだ大人になんか成り切れてもいないのに、僕はそんな態度を取ろうとした。

「ちょっと!」

「?」

「こっち!」

でも。アイツは、振り返って見上げた先にいた。スタンドの一番上で自分の名を恥ずかしげもなく呼んでいた。

「5,4,3,2…」

背に花火。尾を引いて空まで立ち昇ったかと思うと、銀色のスパークが雪崩れるように流れて地上に降り注いだ。片目の隅を流れる灼熱の星は、先ほどまでの暗闇を真昼の明るさに変えていく。そしてカウントダウンが僕を急かした。このまま始まってしまったら、負けな気がした。最初に上がる一発の花火の驚きや綺麗さを一人でぼうっと見つめるのはなぜか癪だった。

「早く!」

その声を掻き消すほどに、花火は地面を鳴らして空に咲いた。赤、橙、白、緑、そして紫も。この数分で一夏の全てを奪い去っていくように狡かった。それで全てを帳消しにしてしまう。

「よかった、また会えて。」

「お前な!」

「怒ってる?」

「そりゃちょっとくらい怒るだろ!勝手に呼びつけて、勝手に居なくなって。」

「ごめん。でも、いっちばん綺麗に見えるとこ、早く取っておきたかったから。」

「?」

夜明かりに照らされる横顔にはっとする、というのはこの事かと思った。ニカっと笑うえくぼも全て自分勝手なアイツの証で。もう何もかも弾けるようにして、爆発するように。これが、夏か。そうだ、夏だった。

多摩川線短編集「おもひたま」

多摩川線短編集「おもひたま」

東京の西多摩を走る、西武多摩川線をモチーフに綴った短編集です。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-16

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