最終意見陳述
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」(憲一一条)。受刑者にも憲法があり、人権がある。
受刑者は、刑罰として自由を制限される以外の点においては、一般市民と同様でなければならず、これを超えて基本的人権の享受を妨げられることはない。すなわち受刑者も自由刑の執行の目的に矛盾しない限り、一般国民と同様に基本的人権を有していること、そして拘禁中の被疑者・被告人については罪証隠滅・逃亡の防止のために拘禁されているのであって、この目的以外の市民的自由の制約は受けないことが広く国民共通の認識とならなければならない。
このことが監獄の中の人権を考え、監獄法の全面改正を考える出発点であり、前提である。その上で、自由刑の内容として、いかなる拘禁が人に値するものとして許容されるのか、あるいは受刑者の社会復帰のために国・施設はどのような処遇を用意するべきなのかが、再検討されなければならない。(『監獄と人権』)
「『こんな奴は死刑にすればいい』それがあの人の口癖でした。私はそれを聞いていつも『黙れ』と思いました。アルベール・カミュの『ギロチン』を読んでも同じことが言えるのか問いたかったです、が、『異邦人』もどうせ理解できないだろうと思い何も言いませんでした。あの人曰く私は正義感が強かったようですが、私にそんな自覚はありませんでした。正義感が強いと言われて嬉しいと思ったことは一度もありませんでした。むしろ嫌な気持ちになりました。得てして正義感が強い人間は自殺という行為に否定的です。彼等は自殺イコール悪だと端から決めつけているんです。過程や背景も無視します。結果しか見ないんです。自殺したという結果しか。情状酌量という言葉も理解できないでしょう。そんな感情的な人間が法律や刑を語るのは犯罪的です。己の正義感で他人を淘汰することを是とする人間が、自他境界が曖昧な人間が司法に携わる?笑わせるなよ、おまえの正義感で、〈善の発作〉で、人が死ぬかもしれないんだぞ、そう言いたい、言っても分からないでしょうが。正義感を拗らせた人間ほど面倒なものはありません、全く救いようがない。彼等は暇さえあれば他人を淘汰することばかり考えていますが、自分たちが淘汰されることは微塵も考えていない、哀れで傲慢な人種です。拗れた正義はより拗れた正義に淘汰される、それをあの連中は分かっていない。次に裁かれるのは自分かもしれないのに!次に裁かれるのは自分かもしれない、そう思って慎ましく生きている人間のほうが、拗れた正義を無差別に振り翳す偽善者よりよっぽど価値があります。彼等は結局、その生涯において、誰をも救うことはできないでしょう、己の虚栄心と自尊心を満たすことしか頭にありませんから。彼等は総じて自分さえよければいいと思っている、眼の前の全てが自分の思い通りになるべきだと思っている、どうしようもない精神未熟者です。どうすれば相手が自分に従うか、どうすれば相手に自分の優位性を示すことができるか、どうすれば相手を不快がらせることができるか、そんなことしか考えていない、そんなことしか考えられない人間は他者と関係するべきではない、他者との無理強いした関係においてしか自己の存在を、自己の幸福を感じることができない独善者は社会にも出るべきではない、私はそう思っていますが決して口には出しませんでした、何をされるか分かったものではないからです、彼等は死んでも自分たちの非を認めないでしょう、彼等に慈善精神はない、慈善事業に憧れ、実際に慈善活動をしてもみるが、肚の底では見返りを求めている下衆連中だ、こういう莫迦のせいで正義という言葉の価値は暴落したんだ、もはや正義に憧れる人間など殆どいやしない!おまえらの慈善は誰とも関わらずに生きることなんだよ、社会から爪弾きにされるべきはおまえらなんだよ、罰当たりな下衆どもが。なあ、なぜおまえが生きていて、おまえがその歪んだ正義で殺した人は死ななければならなかったんだ?なぜこんな非道が許されるんだ?おまえら偽善者が世界を生きる価値のないものにしてしまった、おまえらが社会の、世界の癌なんだよ、二度と生まれてくるな、おまえらのような糞溜めは二度と生まれてくるな、頼むから二度と生まれてくるなよ。ああ、思い出しました、私はもともと希死念慮、自殺願望があったんです。でもいろいろ考えているうちにある結論に辿り着いたんです、自殺するより殺人のほうが簡単だと。逆の人が多いかもしれませんが、私はそのようになってしまいました、そのような化け物になってしまいました、それからはもう、自分の足が自分の足でないような気がして、自分の手が自分の手でないような気がして、自分の目が自分の目でないような気がして、とにかく自分が自分でないような気がしてきたんです。今だ、あの人をやるなら今だ、そう思うや否や私は本当に私ではなくなってしまいました。気づくと、私はあの人の背後にいました。あの人が言いました、『こんな奴は死刑にすればいい』。自惚れるなよ偽善者が。偶然犯罪をせずにいられていただけの人間が。人殺しが。あの人は倒れていました。外傷や血痕などは見当たりませんでしたが脈はなく既に死んでいるようでした。『おまえがな』、と私ははじめてあの人に言いました。『おまえがいなければ死ななくて済んだ人間がどれほどいたと思う?』返事はありませんでした。私は外に出ました。何時間も歩いて、歩いて、よくわからない山の麓まで来ました。前に進みました、前に、前に進みました。ずっと昔に『自殺者のための天国』という詩を書いたことを思い出しました。自殺者のための天国はあっても、殺人者のための天国はないだろうな、と思いました。殺人者であり、これから自殺者にもなる私はどこへ行くのだろう、と思いましたが、どうでもいいと思いその考えを頭から打ち消しました。どうでもいい、もう、何もかもどうでもいい。思い返せば矛盾だらけだ、私は。そして何らかの方法で私は死にました。自殺は必ずしも悪ではない、と書き続けてきた私は一人でも人を救うことができたでしょうか、誰かに寄り添うことができたでしょうか、今となっては知る由もないことですが、そのような詩を書いていたことに悔いはありません。以上です。」
最終意見陳述