羊の瞞し 第2章 NOSTALGICな羊
(1)はじまりのノクターン
築七年の、小さな店舗付き住宅。
豪華でも機能的でもなく、ましてやお洒落でもない平凡な中古物件だが、松本宗佑にとっては生活と仕事の拠点であり、誇らしい城だった。音楽教師でもある妻の美和と共に、コツコツと貯めた貯金を頭金にして、ようやく組めた住宅ローンで「城」を手に入れたのだ。
一般的に、自営の調律師が自宅ローンを組もうと考えても、審査を通るのはかなり厳しいと言われている。しかも、この時の宗佑は自営での実績はない。勤めていた楽器店を辞め、これから開業するという状況だったのだから尚更だ。
では、何故ローンが組めたのか? それは、まとまった額の頭金が用意出来たことと、公務員の妻の存在……いや、その安定した収入による賜だろう。つまり、妻の名義で購入したのだ。
一階の店舗部は、入居に先立ち、工房へと改築した。天井にはI形鋼を渡し、ローラー付きのチェーンブロックを取り付けた。90kg以上、最大では200kg近くにも及ぶピアノのフレームも、これがあれば一人で取り外せるのだ。
また、200ボルトの動力電源を通し、ボール盤、ベルトグラインダー、バフ機など、ピアノの修理や整備に必要な機材も揃えた。2馬力のコンプレッサーも購入したので、簡易的な塗装にも対応出来る。個人経営の工房としては、十分過ぎる設備と言えよう。
狭いながらも充実した工房を見渡し、宗佑は満足していた。愛する妻と息子の三人で、慎ましく、明るい未来を思い描き、幸せの絶頂にいたのだ。まさか、そこから僅か数年で転げ落ちるとは、当時は思いもしなかっただろう。
※
松本宗佑は、生真面目でストイックな職人だった。調律師に必須な営業マンとしての資質は皆無ながら、それでも長年職を継続出来たのは、技術の評価が高いからに他ならない。特に、音やタッチに強い拘りのあるピアニストに重宝された。そして、この度の引越しを機に、まさにこの技術力を看板に専用の工房を開設し、独立開業を果たしたのだ。
実際、宗佑の創る音は変幻自在で独創的だった。平均律とは思えない済んだハーモニー、特殊な細工を施したかのような音の伸び、キラキラと煌めく高次倍音、太く大地を這う低音。ピアノのポテンシャルを瞬時に見抜き、最大限に発揮させる術を心得ていた。
また、ピアノのセットアップ能力も卓越していた。指に吸い付くようなタッチ感、過不足のないレスポンス。ピアニストの個性や癖を理解し、そこから好みを高い精度で推測する。そして、音と見事にコーディネートさせた。
「弾き易い」の一言で解決出来るオーダーも、実に奥が深く多様な解釈が必要だ。しかし、この要望に、宗佑はシンプルに応えることが出来た。そう、宗佑のセットアップは、実に弾き易かった。
カーテンで仕切られた工房の片隅には、顧客から買い取った小型グランドピアノを設置した。これは、妻の美和の為に用意したのだ。かつてはピアニストを夢見た美和にとって、ピアノ演奏は幼少期から生活の一部となっており、もはや美和にとっては、生きていく上で本能に近い行動なのだ。
公務員の美和は、規定により副業は禁止されている。なので、「お手伝い」の範疇で宗佑の仕事をサポートしていた。いつしか事務処理だけでなく、簡易な工房作業もこなせる様になっており、宗佑にとって貴重な戦力でもあった。
美和のもう一つの「副業」が、息子、響へのピアノレッスンだ。調律師と音楽教師の息子だけあり、響はピアノの才能に溢れていた。父親譲りの音の捉え方やメカニックの動かし方、そして、母親譲りの感性と表現力。響は、幼少期より数々のコンクールで優勝し、その気になればピアニストにもなれただろう。
ところが、響は演奏家の道を歩む気はなかった。音楽で食べていくことの困難さを、知っていたのだろう。だからといって、ピアノは生涯の趣味として続けるのかと思いきや、どうやら、それも少し違ったようだ。
「俺、調律師になりたいんだ」
引越してから十二年後のこと。響が両親に決意を語った時、宗佑は複雑な心境だった。
本来なら、息子が家業を継ぐことほど嬉しいことはない。しかし、調律業界は、決して楽な世界ではない。それに、宗佑自身、順風満帆に思えた経営が、その頃には衰退に転じており、策を講じないまま歯止めが効かなくなっていた。いつしか、事業存続の危機に直面していたのだ。
※
大きな意気込みと計画の元、満を持して開設した松本宗佑のピアノ工房だが、調子よく稼働したのは僅か数年だった。
そもそも、ピアノの修理なんて、一度行えば数年は同じ修理の必要がない。オーバーホールになると、早くても二十年、大抵はそれ以上のスパンに一度の頻度で行う仕事だ。
実際のところ、それだけ長く同じピアノを使い続ける家庭は少ないだろう。多くの家庭では、ピアノの稼働期間は十年前後で、それ以降は使わずに眠っているだけなのだ。或いは、近年では業者に買い取ってもらう家庭も多い。その中で、稀に継続して使い続けている家庭があったとして、そろそろ大修復の必要が生じていると分かった時、買い換えを選択する人も多いのだ。
当然ながら、オーバーホールはそう滅多に取れる仕事ではない上、一度行うと最低三十年は行う必要がない為、オーダーは直ぐに枯渇した。
開業当初こそ、コンスタントに入ってきた修理の仕事も、僅か五年後に激減したのも当然の帰結だろう。元より、それほど需要がないのだ。同業者、同業他店からの外注を取るような営業活動も行っておらず、宗佑の顧客だけという絶対的な分母の小さい世界では、修理の仕事は何度も発生する筈もない。
しかし、幸か不幸か、宗佑の仕事は修理だけではない。むしろ、平均的な調律師同様に、家庭訪問調律がメイン事業なのだ。
一般的に、年間300台の調律需要があれば、フリーの調律師は最低限の生活は確保出来ると言われている。これは、イコール顧客数ではない。複数台のピアノを所有するユーザーもいれば、ホールや喫茶店など年に数回調律するピアノもある。逆に、数年に一度しか依頼してくれない客もいるし、何年も実施出来ないでいる顧客もいる。
その中から、年間300台程度の実施が、最低限ギリギリの収入を得るのに必要な台数なのだ。いや、実際のところは、300台の調律を実施出来る規模、と言い換えるべきだろう。
つまり、300台の調律の売上げだけでは全くダメだ。ただ、年間に300台程度手掛けていると、細々とした修理や紹介による販売、移動の手配、小物販売店、買い替えなど、調律から派生した売り上げも見込まれる。それらを全て含めて、300台を熟す規模が最低限のラインとなるだろう。
また、調律業界には、調律師の人気を客観的に示す「継続率(またはリピート率)」という大切な指標がある。これは、要は今年調律したピアノを、来年も調律出来るか否かを示す割合のことだ。
自営調律師の場合、大抵80%以上の高い数値を維持しているが、逆に言えば、顧客の新規開拓がなければ、年間二割ぐらいずつ台数が減ることになる。平たく言えば、今年十人いた客も、様々な事情で来年は二人ぐらいに断られるのだ。
具体的な数字を提示してみよう。例えば、年間500台、継続率85%の言わば「売れっ子調律師」がいたとする。しかし、新規の依頼がないと、翌年は425台、その翌年には約360台に減っているのだ。
更にその翌年には、自営調律師のギリギリラインである300台にまで減少する。継続率85%という高い数値を保っても、統計上は僅か三年で約40%も失うのだ。
この非継続分(流出分)は、数年実施していない客を掘り起こすなり、新規顧客を開拓するなりして埋め合わす必要がある。毎年75台減るなら、新規を75台獲得すれば良い。逆に言えば、それが出来ない限り、稼働台数は維持出来ないシビアな世界なのだ。
宗佑は、そんなことは深く考えに、自身の理想を追求することを最優先に、技術力だけを頼りに独立開業をしたのだった。
(2)家族のノクターン
職人肌の宗佑には、新規顧客を開拓する営業スキルが致命的に欠けていた。しかしながら、高度な技術力は確固たる評価に繋がり、調律の継続率は90%以上という驚異的な数値を記録していた。
独立した時の年間調律台数は、自営のボーダーとされる300台を少し割っていたのだが、宗佑の場合は継続的に修理の仕事が入っていた為、収入は十分に確保出来ていた。
また、実施した修理の出来映えの良さは紹介や口コミに直結し、労せずに販売や顧客確保に繋がっていた。特段に新規開拓の努力をしなくても非継続分ぐらいは十分に補填され、台数を維持出来ていたのだ。いや、それどころか調律台数は年々増え続け、開業五年目には400台に迫ろうとしていた。懸命な営業努力の結果、それでも顧客を減らしてしまう調律師が多い中、宗佑は例外的な拡大を成していたと言えるだろう。
しかし、その年がピークだった。
翌年からは、次第に修理の仕事が減り始め、比例するように調律の新規依頼も減少に転じた。90%を超える継続率も、裏を返せば、年間一割近く減り続けるのだ。宗佑は、高い継続率こそキープしているものの、新規が激減した為、毎年5%前後の割合で調律台数を減らし続けたのだ。
年間5%の減少は、僅か五年で開業当初と同じ水準の300台にまで落ち込ませた。
同じ300台とは言え、修理の副収入も多く見込め、登り坂の入り口だった開業時とは雲泥の差がある。今度は、修理の収入がほぼなくなった中での300台だ。しかも、そこは底ではない。終着の見えない下り坂を、転がり落ちている通過点に過ぎない。果たして、何処まで落ちるのか、何時になったら落下は収まるのか、宗佑には全く想像も付かなかった。
それでも破産しなかったのは、偏に美和のおかげだろう。公務員の美和には、安定した収入があった。しかも、宗佑の逆で、給与は僅かながらも増え続けるのだ。
家や二台の車のローン、年金、保険、光熱費、食費、養育費、交際費……宗佑一人の収入ではとても賄えず、美和の収入のほとんど全てが一家の生活費に消えた。いや、宗佑の事業に掛かる経費を負担することさえあった。
当の美和による夫宗佑の評価は、急降下した。ピアノ愛好家として、宗佑の調律師としての技量は全面的に信頼している。しかし、夫として、親として、家族として、そして社会人として、宗佑は失格だろう。
結局のところ、宗佑は、ピアノ技術しかない男なのだ。技術を活かす場があってこそ魅力的なのだが、それを自らの手で獲得する術を知らなかったし、その為の努力もしなかった。
少しずつ、売上げが落ちていく中でも、宗佑には危機感も対応策もなく、成すがままの無抵抗だ。美和の収入への甘えがあったのかもしれないし、根拠もなしに「何とかなる」と思っていたのかもしれない。
社会的、経済的な観念に乏しい宗佑は、事業主には全く向いていなかったのだ。理想論は語っても実行は出来ず、wantとmustの優先順位を常に見失った。
美和が愛想を尽かすのも、当然と言えるだろう。美和は、次第に自身の存在意義に疑問を持つようになってきた。子育ても生活費も丸投げし、殆んど利益のない趣味のような仕事しかしない夫に対し、朝から晩まで働き、ローンを返済し、家事のほとんどをこなす自身の存在が、奴隷のように思えてきた。
天賦の才能を活かす術を知らず、仕事もせず毎日工房に引きこもる夫を、やがて疎ましく思うようになるのも必然だったのだろう。
※
松本一家が中古住宅に越した時、響は小学生になったばかりだった。それまでは、2LDKのマンション暮らしだった。しかも、一部屋は宗佑の簡易的な修理工房を兼ねた事務所として使われていた為、幼い響には新居が豪邸のように感じたものだ。
また、新居には、響にとってはワクワクするような楽しい場所があった。一階の工房だ。三人の居住スペースは二階だったが、響は用事もないのに工房に降りてきては、父親の修理作業を見学した。
ドライバーやペンチのみならず、専門の特殊な工具を手に、時にはドリルやサンダーなどの機械も使いピアノを直す父のことを、響は純粋に憧れ、尊敬し、カッコイイと思ったものだ。そう、響にとって、父は身近なヒーローだったのだ。
夜になると、今度は美和と一階へ降りた。ピアノの練習だ。静かで暗くなった工房は、シンナーや木屑の臭いが充満していることもあったが、響は夜の工房も好きだった。また、電子ピアノではなく、本物のグランドピアノが弾けることも嬉しかった。
ここでの練習は心地良く音が響く上、ピアノも常に最良のコンディションに整えられていたので、理想的だったと言えるだろう。美和のレッスンも優れており、響は瞬く間に上達した。
時々、美和もピアノを演奏した。響は、美和がピアノを弾く姿が大好きだった。細長い指がしなやかに動き、優雅で芳醇な音が立ち上がる。ピアノが歌ってる……いつも、そう感じていた。うっとりと母の奏でる音楽に耳を傾けると、懐かしさにも似た安穏と、とても和やかな時間に浸ることが出来た。
中でも、響は美和の奏でるショパンのノクターン20番が好きだった。「遺作」の名で有名な、嬰ハ短調の名曲だ。毎日のように演奏をせがまれた美和は、いつも最後にこの曲を弾いた。
浮き沈みする感情の波に揺蕩う左手のアルペジオに乗せて、右手が悲痛にも近いロングトーンのメロディを、トリルを交えて歌い上げる。高みに登り詰めた歌は、三連符の下降音形で悲劇的に乱れ落ちる。時折現れる長調の幸福な符点リズムのメロディも、やがて満足げに鎮まると、より感情的になった主題が再度現れる。より激しく、より大きく上下動する不規則な動きを経ると、最後は静かな長調に転じ、穏やかに消え入るように音楽は終わる。
響は、何よりこの曲を通して耳に飛んでくる、ピアノの「音」に魅せられていた。この音は、宗佑が創り、美和によって鳴らされる、楽器の可能性を超越した響きなのだ。ピアノと奏者と技術者による、神秘的な合作として完成した「音」は、ショパンのノクターンにとてもよく似合ったのだ。
(3)崩れゆくノクターン
家族三人で暮らす古い店舗付き住宅は、小学生の響にとっては楽園のようだった。学校から帰ると、毎日のように工房へ降りていき、父の作業を見学した。三年生になる頃には、念願の工具を手にし、簡単なお手伝いもやらせて貰えるようになった。
中でも、響はフレームを取り外す作業が好きだった。弦やボルトを外したグランドピアノのフレームの三ヶ所にロープを結び、チェーンブロックで引き上げるのだ。
不安定な形状のフレームの重量は100kg以上もあり、バランスよく持ち上げないと危険なのだが、宗佑は三本のロープの長さを絶妙に調整し、いつも一発で水平に持ち上げたのだ。ループチェーンの片方を引き下げると、ガガガッと音を立てながらジリジリとフレームが持ち上がるのだが、いつも響は力持ちになった気分になれた。
一定の高さまで上がると、ほとんど全ての金属を除去され木箱のように変貌したピアノ本体を脇へ除け、そこに、「馬」と呼ばれる専用の台をセットする。馬の上にフレームを下ろすのだ。
下ろす時は、上げる時とは反対側のチェーンを引くのだが、下ろし始めはガツンと大きな抵抗が掛かり、そのまま一気に落下しそうな錯覚に襲われ、何度やっても緊張したものだ。しかし、一度動き出すと、あとはスムーズにスルスルと下りるので恐怖心は消え去った。
響は、宗佑の仕事を手伝いながら、少しずつピアノの構造や部品の名前も覚えていった。もっとも、意欲的に学んだわけではなく、自然と身に付いたのだ。更に、高学年になる頃には、発音の原理も理解出来るようになった。中でも、ハンマーと呼ばれる部品が大切な役割を果たしていることも知った。
宗佑は、ハンマーに触れただけで音を予測出来たようだ。バラしたハンマーを手にしては、「これじゃダメだ、こいつは酷い」などと呟く宗佑に、よく「何が違うの?」と聞いたものだ。響には、どれも大した違いはないように見えたからだ。
ハンマーは、木材に羊毛を硬く巻き付けた部品で、弦を叩く役割を担う重要なパーツだ。ハンマーに叩かれた弦の振動は、駒を伝って響板全体に広がり増幅され、ピアノの音になる。つまり、ハンマーは直接音を出す部品ではなく、音を出させる部品なのだ。
しかし、ピアノの音となる弦の振動は、ハンマーの質により多大な影響を受けている。重量や形状、フェルトの質、弾力性、硬さ、弦との接触時間と接触面積など、様々な要素が複雑に絡み合って作用し、振動を微妙に変えるのだ。響には同じように見えるハンマーも、宗佑は微かな差異を敏感に掴み取っていたのだろう。
実際に、宗佑はハンマーに様々な細工を施し、ピアノの音色を変化させた。ヤスリで削ったり針を刺したり、焼きゴテを当てたり、薬品を注入したり。響には、何がどう変わったのかよく分からなかったが、いつも音色が劇的に変化することに驚かされた。
そして、音が変わると、何故か弾き心地も良くなった。不思議な現象だ。そんな父の作業が魔法のように思え尊敬もしたし、理解の範疇を超えた技術を不気味にすら思った。
「見た目じゃ分かんないのに、何でこんなに変わるの?」って聞くと、「見た目で分かろうとしたらダメだよ。音もタッチも、目に見えないだろ? 人間もピアノも羊もハンマーも、見た目だけなら何とでも誤魔化せるんだ」と軽くいなすように諭された。
ただ、外見で判断してはダメなんだってことだけが、響の心にいつまでも残った。
※
数年が経ち、響が中学生になると、工房に降りていくことはほとんどなくなっていた。急に親離れを始めるナイーブな思春期ということもあるが、宗佑の仕事も減っており、見るものもなかったのだ。
美和によるピアノのレッスンは、継続していた。音楽系の部活に入り、アンサンブルの喜びを知り、ピアノ演奏の楽しさも再確認したようだ。
実は、この頃の松本家では、響の知らぬ所で様々な綻びや亀裂が入り始めていたのだ。宗佑の仕事が激減し、生活費の殆どを美和の収入に依存するようになっていた。響の前では上手く取り繕っていたものの、夫婦仲は完全に冷え切っており、特に美和は夫を毛嫌いし始めていた。
響が高校生になると、宗佑の工房は開店休業状態になっていた。工房作業に限らず、週に数件の外周り調律を行う以外、宗佑には仕事のオファーがなかった。
一方で、公務員の美和は学年主任となり、多忙を極め、連日帰宅が遅くなった。時間的に響のレッスンは出来なくなり、日常の家事も追いつかなくなっていた。必然的に、家事は宗佑が担当しないといけないのだが、宗佑は自分に仕事がないことを、家事をやらせるからだと美和に八つ当たりすることもあった。
その頃には、響も流石に両親の不仲を察知していた。仕事をしない父の不甲斐なさを嫌悪し、高収入を盾に傲慢に振舞う母を拒絶するようになった。
居場所がない家の中で、かつて感じた楽園の面影を失くした家の中で、響にとっての唯一の慰めがピアノだった。
シンナーや木屑の匂いが消えた工房に降りていき、毎夜一人でピアノを弾いた。すると、ピアノの音が日常の雑音を掻き消してくれ、不思議と心が落ち着いたのだ。
ショパンのノクターンを弾きながら、毎日が楽しかった小学生時代を思い出した。父を尊敬し、母の温もりに安らいだ日々を懐かしみ、現実から束の間だけ逃避した。
(4)凋落のノクターン
響が高校三年生の夏のこと。ある日の夜、松本家は珍しく親子三人で食卓を囲んでいた。おそらく、数週間振りのこと。いや、夕食に限ると、下手すれば数ヶ月振りかもしれない珍事だ。家族団らんとは程遠い冷め切った空気の中、それでも張り詰めた緊張感にはならないところが一応家族である所以かもしれない。
余所余所しい雰囲気の中、宗佑は、何とか話題を探そうと模索しているようだった。反対に、美和はあからさまに会話から逃れようとしている素振りを見せる。居た堪れなくなった響は、場を取り持つために思い切って両親に告白した。
「ねぇ、二人共聞いてよ。俺さ……調律師になりたいんだ」
高校三年生の夏は、一般的には進路の希望がほぼ定まっており、受験や就職に向けて、最も大切な準備に充当すべき時期だろう。そんな中、態度を明確にせず、保留状態のままダラダラと過ごす響を、宗佑と美和は話し合うことはないにしろ、個々に心配はしていた。進学にせよ就職にせよ、反対する気はなかったが、どっち付かずで何の準備も活動もしない響を心配していたのだ。
だが、調律師を志望することに関しては、両親とも積極的な応援は躊躇してしまう。宗佑を嫌悪する美和は、息子には父の様になって欲しくなかったし、宗佑自身もまた、ピアノ業界の厳しさを身にしみて熟知している。
「調律師になるって……響、まさか本気で言ってるの? 大学はどうするのよ?」
美和は、宗佑の目の前なのに、調律師という職業への不快感を隠そうともせず、怪訝な表情で響に問い掛けた。
「別に、お父さんの後を継ごうなんて思ってないよ。普通に楽器店に入って、コンサートとか外回りの調律がしたいんだ」
響が、どうやら思い付きで語っているのではなく、その決意が固そうなことは、両親には確実に伝わったようだ。
「お前な、調律師になりたいって、はいそうですか、ってなれる仕事でもないぞ」
宗佑も、決して諸手を挙げて賛成しているわけではない。しかし、響の選択には、自身の職業が間違いなく影響していることは明らかだ。
それに、事業が順調に運べているなら、後を継いで欲しいのも本音ではある。当然ながら、開店休業状態の現状でそんな話を出すつもりもないが、同じ職業を目指すことには、満更反対でもないのだ。
宗佑にとっては、もう一つ大きなネックがあった。お金だ。
調律師になる為の、最も一般的で、最も確実な近道は、全国に数校存在する専門学校で学ぶことだろう。そこでは、合理的にシステム化されたカリキュラムと整った設備の中で、必要最低限の知識と技術を効率的に学べる環境が提供されている。昔ながらの丁稚奉公という手段もあるにはあるが、今の社会では理に適わないと言わざるを得ない。
しかし、専門学校は、経済的負担の大きいことが最大の欠点だ。授業料や工具代など、掛かる費用は年間100万円では収まらないだろう。それに、殆んどの調律専門学校は、二年制だ。おそらく、300万円程度は覚悟しないといけない。今の宗佑の売上では、とても払えない。この先も、向上する見込みが全くない。頼れるのは、美和の収入だけ……なのに、その美和が、調律師という選択を歓迎していない。
そこまで考えても、宗佑は「それなら自分が何とか頑張って……」という積極的な考えに至らないのだ。そう、事業が好転すれば全てが解決するのだが、宗佑は、いつしかそこから目を背ける癖が付いていた。
「大学には行かずに、専門学校に行くの?」
この美和の問い掛けに、響は待ってましたとばかりに説明を始めた。
「うん、学歴なんてほとんど関係ない世界だし、早く始める方が何かと有利かなって思ってる。調律の学校はね、メーカー運営の学校、っていうか養成所なんだけど、そこは販売店の推薦がないと入れないんだ。だから、普通の専門学校を調べたんだけど、全国に数校あるみたい。テストは、簡単な適性検査と筆記と小論文と面接だけで、平均的な学力があればまず受かるらしいんだ。ちょうど梅丘市にも一校あって、全国から学生が集まるぐらい評判も良くてね。それに、梅丘市なら電車で通えるし、専修学校だから学割定期も使えるって。一応、卒業したら短大卒扱いになるみたいだし、ここを受けてみたいんだけど……いい?」
美和は、数年前から決心を固めていた。響の教育が終わるまでは、責任を持って見届けようと。
家のローンはあと十数年残っているが、響が大学を卒業したら——大学に行くと思い込んでいただけだが——宗佑と離婚するつもりだった。家も財産も要らない代わり、残りのローンも払うつもりはない。それに、美和は、宗佑や響に言えない事情も抱えていた。その為にも、一刻も早く離婚したいというのが本音だった。
そもそも、この家一つとっても、頭金こそ折半したが、宗佑がローンを払ったのは最初の数年だけ。後は、美和が一人で返済してきた。
幸い、法的な名義は数年前に宗佑に移していた。その際、ローンの引き落とし口座も宗佑の口座に切り替えた。と言うのも、それを機に、本当は気持ちを入れ替えて仕事に精を出し、せめてローンぐらいは払えるようになって欲しかったからだ。残念ながら、そんな美和の思いなんて、宗介には全く伝わらず、仕事を立て直そうとする意識さえ見せることはなかった。
結局、毎月美和が振り込んでおかないと、宗佑の口座にローンのお金が残されていたことなどなかった。もしかすると、宗佑は、どうやってローンや光熱費などが支払われているのか、毎月幾らぐらい掛かるのかさえ、知らないのかもしれない。
そんな宗佑が、今後どうやってやりくりしていくのか不安ではあった。現実的には、響に皺寄せがいくとしか考えられない。そう思うと、響には申し訳ない気持ちで一杯だった。響には、幾らかまとまった貯金を残しておくつもりだが、数ヶ月凌げる程度だ。やはり、宗佑が奮起しないことには根本的な解決には至らず、いずれ破綻するだろう。
そこまで分かっていても、美和には既にここは息苦しい空間に成り下がっており、いつまでも居続ける意味は見出せなくなっていた。それに、響ももう子どもではない。どの道、独り立ちする時期でもある。
※
高校を卒業した響は、結局、隣市の梅丘市にある「全日本音楽院楽器技術部ピアノ調律科」に入学した。入学金、授業料、工具代、テキスト代、その他諸経費の全ては、美和が負担することになった。宗佑の稼ぎでは、響の学費どころか、通学定期代すら払えないのだ。
宗佑は、もはや美和の寄生虫だ。週に数件、訪問調律を行っているだけ。それも、年々減っている。かと言って、切羽詰まっている自覚もなく、仕事を広げる努力もせず、転職を考えることもなく、副業を探すこともせず、毎日ダラダラと過ごしている。
美和の収入なくして、家計は全く成り立たない。殆んど使われなくなった工房の機材も、ロクにメンテナンスをしていない。実質の稼働期間は、僅か数年のみという無駄な投資だったようだ。
天井から虚しくぶら下がったままじっと佇むチェーンブロックも、今では風景の一部でしかない。
(5)訣別のノクターン
調律学校での響は、ズバ抜けて成績が良かった。
もっとも、小学生の頃から父の工房で作業を手伝い、部品や工具の名称を覚え、アクションの構造を理解し、音やタッチの調整を目の当たりにしてきたのだ。更に言えば、高学年になる頃には、簡単な作業も熟すようになり、調律もユニゾンやオクターブを合わすぐらいは出来るようになっていた。つまり、同級生が二年間の学校生活で学ぶことの大半を、響は入学前に既に身に付けていたのだから当然の結果だろう。
もちろん、本人の持って生まれたセンスも卓越していたし、誰にも負けないぐらいの努力も重ねた。その上で、学校では、新たに身に付ける技術や知識に注力していたので、大した労力もなく、常に成績トップに君臨し続けることが出来たのだ。
しかし、学校生活の優越感とは裏腹に、家庭内不和による不穏なストレスは、響の精神的健康を疲弊させた。
両親の仲は、誰がどう楽観的に見ても、もう修復不可能だ。仕事のない父を露骨に軽蔑する母。家計を依存しながらも感謝の念のない父。家事を押し付け傲慢に振舞う母。その所為で仕事が出来ないと言い訳する父。
響にとっては、どちらも大切な親だ。父からは、ピアノの技術や知識を教わった。どんな授業よりも、実体験に敵うものはない。子どもの頃から様々な作業を手伝わせてくれたことは、調律師として歩んでいく上でかけがえのない財産となるだろう。
一方、母からはピアノ演奏を学んだ。スキルだけでなく、音楽の表現力や感性を磨き、演奏する喜びを知った。調律師として、物理的な視点だけでなく、表現者の感性を共有出来ることは、大きな武器になるだろう。
松本家の特殊な家庭環境だったからこそ、今の自分がある……その点は疑いがなかった。だからこそ、両親に感謝もしていた。と同時に、どれだけ拒絶しようとしても、否応にも両親の嫌な面が垣間見えるようになった。
時折、吐き気を催すぐらいに父を、母を、そして、彼らの子であることを嫌悪した。もう、ここに居場所はない。卒業して、仕事に慣れてきたら家を出よう……響がそう考えるようになったのも、自然な成り行きだろう。
自身の存在が、両親を無理矢理繋ぎとめていることぐらい、響には分かっていた。「子は鎹」とはよく言ったものだ。響という鎹を失うと、両親がどうなるかぐらいは想像出来た。
しかし、よく考えてみると、むしろその方が互いの幸福を見出せるのでは? と思える程に、両親は息苦しい関係に陥っていたのだ。そう、鎹で二人を繋ぎ止めているのではない。鎹に引っ掛かって身動き出来ないだけだ。
いっそのこと、足枷と呼ぶべきではないだろうか。「子は足枷」……言い得て妙だ。
※
調律学校二年生の三月、卒業式を間近に控えた時期のこと。
響は、夏には居住する笠木市から30kmほど離れた隣市にある、県内最大手楽器店への就職が決まっていた。自動車通勤を認められた為、辛うじて通える距離だ。三学期は学校の許可の元、殆んど出席することはなく、就職先での研修がメインとなる生活を送っていた。もっとも、その時は公共交通機関の利用を義務付けられていたのだが。
こういった卒業前から研修が始まることは、響に限った話ではない。内定先の企業の方針により、専門学校ではカリキュラムよりも社内研修に充てがわれるケースも珍しくない。
そんなある日のこと、ついに美和が家を出た。
厳密には、身の回りの荷物と共に家に帰って来なくなった。どうやら、響の卒業まで待てなかったのだ。美和にとって、宗佑との暮らしは限界だったのだろう。鎹の片側を無理矢理引き抜き、接続を解除したのだ。
この時期には、響の学費や卒業までの通学定期代等、必要な支払いは既に済んでいた。また、在学中に取得が推奨されていた運転免許も、美和の支払いにより済ませており、響の通勤の為に中古車も購入していた。これで、松本家への役割は全て果たしたと判断したようだ。
残された宗佑は、幼い子どものようにオロオロした。これは、響には予想外だった。響の存在の為に、渋々繋がってるだけの夫婦だと思っていたからだ。
ところが、その予想は美和だけにしか当てはまらなかったようだ。宗佑は頻繁に妻の携帯に電話し、メールを送った。しかし、何度試みても連絡は取れないようだ。勤務先の学校に電話すれば容易に連絡が取れそうなものを、それをする勇気はない。
そもそも、宗佑は事態をよく飲み込めてない上、理解も追いついていないのだ。父親として、夫として、一家の主人として、何も努めを果たさなかったクセに、妻はずっと傍にいてくれるものだと盲信していたのだ。険悪な関係になりつつも、夫婦の絆は固いと勘違いしていたのだ。
しかし、もう全て手遅れだ。美和の不満の蓄積は、既に除去不可能な高さにまで達していた。
響は、母が出て行ったことに対する悲しみよりも、母に先を越された悔しさが勝ったことに自分でも驚いた。自分が先に出て行きたかったのに……あと少しだけ待ってくれれば、と恨めしくさえ思えたのだ。深層心理の何処かで、こうなることは予感していたのだろう。なので、想像以上にその時期が早かっただけで、美和の行動そのものには驚きもなければ悔しさもないのだ。
現実問題として、残された響にとって、父を残して家を出難くなったことは事実だ。逆に、もし自分が先に家を出ていたとしたら、果たして美和は残ったのだろうか?
……確信にも似た直感で、響の導き出した回答はNOだ。美和は、どちらにしても出て行っただろう。
しかし、響の選択は違った。悩んだ末に、ずっと残ることにしたのだ。情緒不安定になった父が心配だったこともあるが、家のローンも払わないといけないという生々しい問題にも直面したのだ。そう、今までは当たり前のようにこの家に住み、暮らしてきたのだが、ローンや光熱費、生活費など、全てにおいて、美和の経済的な負担があってこそ成り立っていた生活なのだ。
何も言わずに出て行った母、電話にも出てくれず、今何処にいるのかも分からない母を恨めしく思う気持ちと、今までの苦労を気遣い感謝する思いが複雑に入り乱れ、平常心を保つのが精一杯だった。怒りに流されそうになり、泣き出しそうにもなった。
しかし、その複雑な感情の矛先は、誰に向けるべきなのか分からない。しっかりしなくては、と意思を固めても、次の瞬間には自暴自棄になる。
ややもすると壊れそうになる感情をギリギリの所でコントロールし、辛うじて「平穏」の範疇の淵に踏み留まっていた。
(6)最後のノクターン
美和と宗佑は、協議の末、正式に離婚した。美和が家を出て、僅か五日後のことだ。離婚届を手に、荷物整理を兼ね一時的に帰ってきた美和は、妙にサバサバしていた。
その晩、家族三人で淡々と話し合った。不思議と誰も感情的にならず、事務的な意見交換だけだ。
美和の決意は固かった。慰謝料も財産分与もなし。もちろん、二十歳になり、就職も決まった響への養育費はなし。もっとも、学費は全額美和が支払ったし、これから通勤に必須となる自動車も購入した。その上、万が一の為に、数ヶ月分の生活費は響の口座に振り込んである。
また、健康保険や光熱費、宗佑の車のローン、携帯電話の引落とし口座の切替など、面倒な事務手続きも全て美和が行い、あとはただ、美和が出て行くだけ。それが美和の望んだ条件だった。
宗佑は、受け入れるしか選択肢がない。調停になるともっと大変だし、財産分与のことを考えると宗佑には有り難い条件なのだ。いや、客観的に見ると、一方的に宗佑に有利な条件だ。もう、美和を翻意させることは厳しいだろう。それに、無理にそれを行なおうとすると、それこそ調停に持ち込まれるだけだ。
離婚は結婚よりエネルギーを消費する、とよく耳にするが、宗佑と美和の離婚は呆気ない程に簡潔だった。
結婚は運命の赤い糸が……なんて比喩もよく聞くが、次第にその糸がグチャグチャに縺れ、複雑に絡まった時、それを解く作業は困難だろう。縺れた糸は、なるべく切らないように、慎重に根気よく解かないといけないのだ。
しかし、どうしても綺麗に解くことが出来ず、次に進む為にも、やむを得ず切り落とす決断が必要なこともある。それが離婚なのかもしれない。なるほど、そう考えると、離婚はそこに至るまでに大変な労力と気力を消費させるだろう。
ところが、これは美和と宗佑には当てはまらなかったようだ。二人の赤い糸は、いきなり美和により断ち切られたのだ。
何とか解こうとする努力もなく……いや、違う。元よりグチャグチャに縺れた箇所は、美和にしか見えていなかったのだろう。しかも、切り取られた後の絡まった部分も、宗佑には見せずに捨てたのだ。
おそらく宗佑は、最後の最後まで、離婚に至るまでの美和の思考について、ほんの一欠片すら理解出来なかったのだろう。そして、美和の意図と感情の所在は何処であれ、結果的には響も巻き添えで捨てられたようなものだ。
その日の夜、美和は工房へ降りて行きピアノを弾いた。
「これが弾き納めね」と呟きながら選んだ曲は、ショパンのノクターン20番だ。小学生の頃の響が毎日のように演奏をせがみ、魅了された思い出の曲。
しかし、いつしか美和はほとんどピアノを弾かなくなり、響へのレッスンも自然と消滅した。響も、専門学校へ通うようになってから、ピアノを弾かなくなっていた。
この日のノクターンは、かつての演奏とは程遠い出来映えだった。ブランクの所為か、指が縺れ、所々音が抜けた。いや、美和は家でこそ弾かなくなったものの、仕事として、職場でピアノを弾く機会は日常的にあるはずだ。だから、ブランクではない。
しかし、内面から込み上げてくるような感情の投影が全く感じられず、ただ無機質に弾いているだけの演奏だ。ミスタッチも多く、コントロールの効かないフィンガリングは、演奏の技能的な問題ではなく、長年放置されているピアノの状態に起因するのかもしれない。
かつては、宗佑により、常に最善のコンディションを保っていたピアノも、奏者が寄り付かなくなり調整されなくなっていた。実際、音もかなり狂っていた。おそらく、タッチ感の均一性も失っているのだろう。
階下から聞こえる拙いピアノを聴きながら、「この音は宗佑の音でも美和の音でもない」と響は思った。同時に、響が大好きだった音も、夫婦の共同作業の象徴に感じていたノクターンも、もう二度と聴けないのだと悟った。
※
卒業式の日の夜、響の携帯に美和から着信があった。響は、躊躇った挙句、電話に出なかった。こちらからは、何度掛けても出てくれなかったのに、自分の都合で掛けてくる厚かましさに嫌悪した。
もう、法的に親子ではないのだし、未成年でもない。親の養育義務からも外れている。それに、美和自身が家族であることを放棄したのだ。ようやく響も現実を受け止め、過去を断ち切り、未来に目を向けていたところだ。今更何も聞きたくない。話すことなんてないのだ。
すると、数分後に今度はメールが届いた。当時の携帯メールには250文字までという制限があった為、長い文面は途中で分割されて送られた来た。
「響、卒業おめでとう。直接お祝いが出来なくて、ごめんなさい。でも、響の卒業はお母さんも本当に嬉しく思っています。お父さんとは別れることになったけど、響のことは何時までも大切な息子だと思っています。もう側には居てあげられなくなったけど、響も子どもじゃないんだし、お母さんは何も心配していません。それでも、もしこの先困難なことに出くわしたら、何時でもお母さんで良かったら気軽に相談してください。お父さんは、調律師としては天才です。今でも、とても尊敬しています。お父さんの作る音が大好きでした。(続)」
「響も、きっと素晴らしい調律師になれると信じています。お父さんと違い、響はピアノも弾けるんだし、小さい時からお父さんのお手伝いをしてきたもんね。いつか響の調整したピアノを弾いてみたいです。その日を夢見て、お母さんは一人で生きていきます。ダメな母親でごめんね。お父さんと響を置いて逃げるなんて、最低な母親だよね。でも、響にはいつか分かってもらえると思う。あ、別に分かってくれなんて言ってないよ。ごめんなさい、話逸れちゃったね。(続)」
響は、おそらく母が3通目を入力しているであろう間に、大急ぎでメールアドレスを変更した。
あと何通あるのか分からないし、知りたくもない。これ以上、読みたくなかったのだ。途中まで読んでしまったことを後悔した。美和の言い訳や泣き言なんて、今更どうでもいいのだ。怒りとやるせなさに打ち拉がれながら、響は勝手に溢れ出る涙をそっと拭った。
母が何故出て行ったのかは、響にも何となく分かる気がした。それならそれで母の人生を尊重しようと自分に言い聞かせ、何とか前を向いて行こうと思ってる時に、過去を振り返るのも、今後に向けての下手な期待や励ましなんてものも、一切聞きたくなかったのだ。全ての干渉は、最終的には母の自己弁護に収束するだろう。
響は、目を通したばかりの二通のメールを削除し、翌日には携帯電話のキャリアを変更し番号を変えた。
まもなく、社会人として調律師人生がスタートする。携帯電話も含め、何もかもリセットするには相応しいタイミングだ……響は、そう自分に言い聞かせながら、母との関係もリセットすることにした。
羊の瞞し 第2章 NOSTALGICな羊