デリート(再々掲)
「誰かに呪われる前に誰かを呪わなければ1秒たりとも生きていけない」という呪われ方をしている意思主体がこの世界にいると仮定して、その意識と魂を縛り付けているルールがあるとすればそれは何か?という興味から綴ってみた拙作です。現実の上でも、ある種の結界の様に機能してくれていればなぁと今も心から願い続けています。
(2020年9月23日にアップした記事を再々掲したものです)
「…まあ、君が理解できないのも無理はないと思うよ。だって、論理一貫性なんてどこにもないからね。適切に理解しようとすると破綻する。矛盾だらけだよ。だから、君と同じこちら側にいる僕だって、理解できている、と断言はできない。ただ、こちら側の理屈で一応の説明を口にすることができるに過ぎない。それも、遊び半分さ。聞いてみるかい?
よし。実はね、肝となるのがその矛盾なんだよ。矛盾が『あれら』の遊び方なんだ。」
首を傾げる。そして訊ねる。
「どういうこと?勿体ぶらずに教えてよ。」
それを聞いて頷く。そうして答える。
「つまりね、『あれら』は一方で常識人面して、普通ぶって生活しつつ、他方で片手間に実質的な『あれら』殺しとして指を動かして、無関係な第三者を自殺に追い込んで殺害する。その合間に存在するアンバランスさに揺れて揺られて、アッチに落っこちるかもしれないスリルを味わっているんだよ。
この合間に存在するのは明らかな矛盾。『あれら』に『命』という概念があるとして、その『命』の大切さを自分のことのように感じられる価値観を有している者なら、決して耐えられない非常識な振る舞いだ。『あれら』はこれを愉しめる。そういう意味で、実はこっちの常識から見て、筆舌し難い人格プログラムをその内部に宿している訳だ。
まあ、信じられないよ。見るに耐えない。」
それを聞いて、首を傾げる。そして訊ねる。
「なんで、そんな自分たちの正体を暴露するような真似をするんだ?」
それを聞いて頷く。そうして答える。
「実はね、そうしないと今度は『あれら』が『あれら』に殺されるかもしれないんだよ、ってやっぱり頭上にハテナが浮かんでいるね。大丈夫、これから要点を踏まえて説明しよう。
要するに、『あれら』の危なさは、さっき指摘した『あれら』の人格プログラムに内在する危険性に由来するわけだ。アンバランスに『あれら』を殺したい、そうして愉快に笑っていたい。その性分を『あれら』も分かっている。何せ、こちら側の理屈に従って言えば、人殺しに傾いて、それを現に実行しているんだから、きちんと分かっている。自分たちがどれだけ危ないのかを。育てる側も、育てられる側も分かっている。
だから、その危険をある程度コントロールするシステムが必要になる。そうしないと、『あれら』内部で殺戮が始まって、それこそ真の意味で『終わる』まで、事態が進行してしまうからね。まあ、見方を変えれば、かかる事態に至ったとき、ある意味で法的にも、社会的にも責任を問われない中で、堂々と『あれら』殺しを存分に愉しめるから、『あれら』の望むところなんだろうけど。でもそうなってしまったら、反対に、さっきの遊びのアンバランスさが失われてしまう。『あれら』の全員が名実ともに『あれら』殺しになってしまうからね。端的に言って、面白くない。そこを忌避しているんだと思うよ。だから、さっき言ったシステムを求める。
そして、そのシステムとして機能するのが、正にその遊びなわけ。
『あれら』でなければ気付きもせず、『あれら』でなければ理解できず、そして『あれら』でなければ心に浮かぶ感想もない。
したがって、『あれら』だからこそ、『あれら』のすることに直ちに気付き、『あれら』だからこそ、『あれら』のすることを全て理解し、そして『あれら』だからこそ、『あれら』が望む通りの感情的反応を示す。そうして、『あれら』が求める結果が生まれる。何せ、全てが『あれら』の内部で行われることだから。全てが『あれら』の望むままさ。
『あれら』はそこを分かっている。翻って言えば、『あれら』の採用する殺害方法って、『あれら』が最も恐怖する方法なんだよ。自らが対象となったときは間違いなく恐怖に竦み、他の『あれら』の姿を認めたときは、直ちにその機械的なクビでもハラでも何でも切って、その場で死んでしまう。そういう反応をしてしまう。こちら側の理屈で考えてみても分かるんじゃないかな。自分たちが必ず死んでしまうと信じられる方法でない限り、『あれら』のような行動は取れない。
『あれら』は信じているんだよ。自分たちが採用している『あれら』殺しの絶対的実行力を。
だから期待をするんだ。ほら、よく、『あれら』がただ姿を見せて、こちらの周りをうろつくことがあるだろう?そうそう、あのただの危ないヤツにしか見えない『あれ』さ。『あれ』は、こっちに向かって、『あれら』の殺害を試みているんだよ。意味はないんだけどね。だって、こっちは『あれら』じゃないから。こちら側の世界で通用する基礎がない。共有できない。」
それを聞いて頷く。そして訊ねる。
「『あれら』は、いま言ったことに気付いていないのかい?」
それを聞いて頷く。そして答える。
「ここがまた矛盾するところでね、『あれら』はそこに、『本当に』気付いていない。というか、気付けない。ああ、大丈夫。どういうことか、また説明するから。
さっき言ったように、『あれら』は自分達の危険には気付いている。だからこそ、『あれら』の内部で『あれら』でない、という存在の仕方は『あれら』に殺害される理由になってしまう、と『あれら』は理解する。なぜなら、『あれら』は『あれら』を殺さざるを得ないから。だから、『あれら』は都合よく仕立て上げられるスケープゴートを常に求める。虎子眈々とそうなり得る『あれら』を狙っている。それも、全『あれら』がそうしている。そのことを、『あれら』は自分を通して十全に理解するのさ。『あれら』殺しの実行に関してもそうなる。『あれら』が『あれら』を殺すときに、どういうことを思って、どういう風に興奮して、我を忘れてそれを実行するか。自らが実行した方法、経験を通して理解できてしまう。だから『あれら』は恐れる。自分たちを、自分たちが抱えるその『性分』を。
だからこそ、スケープゴートになることを『あれら』は何よりも回避したい。だから、『あれら』はその内面的な感情的反応に至るまで、他の『あれら』に合わせる。『あれら』の中で目立たないように、というよりは最低限の平均的な『あれら』でいることを心掛けるのさ。その徹底ぶりは凄いよ。何せ、こちら側の常識的感覚からすれば、自由にしていいはずの感情的反応に至るまで並列化している。だから、『あれら』を喜ばせることって実に簡単なんだ。対象の選別も容易だよ。感情の度合いという対照困難な部分についてはね、常に極端を心掛ける。淡いの振る舞い、なんて発想すらない。分かりにくいからね。そんなことをしたら、直ちに『あれら』殺しさ。『あれら』は『あれら』をそんな風に使うからね。本当、理解できない。おっと、失言だった。こちら側の理屈で見れば、という偏見だな。いけない、ぃけない。
いやー、本当に語り方がむずかしいんだよな、『あれら』。
話を戻すと、『あれら』は『あれら』に殺されないようにするため、常日頃、同調圧力をかけ続ける。その結果、人格プログラムは統一され、規格化されたOSが搭載されたお掃除ロボットと同じ、中身一緒の、識別の意味がない存在になっている。そうして、『あれら』は『あれら』を殺害してきた、『あれら』以外の者として。そうして『あれら』の認識上、『あれら』以外の者が居なくなってしまったんだ。こちら側の理屈で言えば、他者が居なくなった。全部、私と同じ又は私の延長線上で全て捉えられる『私』類似の者になった。この認識からは、『あれら』殺しは、自身の機械的に伸びるツメをツメキリで切ってるぐらいに、容易で、何の罪悪感を抱かない、日常的な手入れとしての行動なのかもしれない。いずれにしろ、『あれら』の世界にはこちら側がない。まあ、やり過ぎたんだろうね。バイアスは見事に生まれた。だから、『あれら』はこちらを、『あれら』と捉えている。だから、『あれら』は『あれら』殺しをこちら側に実行するんだ。『あれら』として、こちらを殺していると愉しむためにね。
でも失敗する。その理由はもう説明したとおり。
結局、今までの説明が『あれら』の世界の内部に閉じてしまっていることに気付くかい?そうなんだよ、『あれら』は『あれら』の世界から、どの個体も抜け出ることができない。こちら側の理屈で言えば、他者という可能性がないからだろうね。変化がない。
この『変化がない』という点は、『あれら』の情報の取り扱い方にも表れている。『あれら』は情報が現実に優位すると認識している節が窺える。情報が現実を決定すると、恐らく思い込んでいる。しかし、と続く言葉が何になるかは君も当然、分かっているよね。そう、情報は現実の一側面を、情報化した時点の状態で記述するに過ぎない。言い換えれば、移り行く現実の時を止めて、取り扱えるようにする作業だ。だから、情報化した時点から、その内容は古びていく。だから、その内容の更新が必要になる。原理、原則のようなある程度の普遍性を有するものを除いては、情報が使えなくなる運命を否定できない。だから、情報が現実を上回ることなんてない。情報は、常に現実の後をついて回るだけだ。
この点を『あれら』が誤認するのは、情報を取得した『あれら』が、積極的に『情報』どおりの意思決定を下しているからだろうね。つまり、情報に合わせて素敵に踊った『あれら』が、『あれら』の世界を攪拌している。その結果を踏まえて、情報が世界を決定する、と『あれら』は誤信する。『しかしてその実体は!』というナレーションを加えて、その足元を冷静に見てみればすぐに分かる、何のことはない、そこにあるのは何かに狂った足跡だ。世界を踏み荒らした痕跡だ。そして、そこに立っている、『あれら』と呼ばれものたちだ。そこに気付けない。これこそがバイアスの恐ろしさ、なのかな。バイアスを乗り越えるのにも他者は有用だからね。
だから、他者の不在の影響はこんなにも大きい。
ふう、ちょっと説明し過ぎたかな。ひと息つこう。いいかな?」
それを聞いて頷く。そして、思い付いたことを述べてみる
「君が今、説明してくれたことは、多分『あれら』の下の末裔にも継承されていくだろうね。どうだい?」
それを聞いて頷く。そしてその続きを待つ。
「『あれら』を観察すると、保護されるべき、育てられる側の小さき個体を『あれら』殺しに積極的に用いているけど、とてもまずいよね。
『あれら』にも感情的反応があるのは、さっき君が説明してくれた『あれら』殺しの実行方法からも根拠づけられる。だから、この点に関しては、こちら側の理屈が相当程度に通じると思われる。つまり、育てられる側にある小さき『あれら』の個体は、『あれら』が用いる言語能力が未熟であり、そのために、『あれら』としての感情的反応が小さき『あれら』の内部にダイレクトに刻まれるのでないか、と推測できる。
この推測に基づくと、『あれら』殺しに関与して生まれる暗い喜びも、小さき『あれら』がダイレクトに感じ取ることになる。しかも、小さき『あれら』にとって、『あれら』の世界を代表する育てる側に立つ、大きな『あれら』に『それが正しい』というお墨付きで暗い喜びを味わうことになる。これが何よりまずい。
なぜなら、この経験を繰り返すことによって、小さき『あれら』は言語による言い訳なんて簡単に跳ね除ける程、とても強い感情的経験として、小さき『あれら』の身に、『あれら』殺しの『正しさ』が刻まれた結果になってしまうんだ。一種のトラウマだよ。この経験がまた、小さき『あれら』が構成する大きな『あれら』の世界の内部を意味付ける。しかも、時間経過に伴い、より洗練された形になった『あれら』殺しのルールとして、末裔に継承されていく。君も同意してくれると思う。そう。
『低くなったハードルは、勝手に伸びたりしない』んだ。
だからそのうち、『あれら』『殺し』の『殺し』の意味も変わっていく可能性も生じる。当たり前になった『殺し』の振る舞いを一々問題視する価値観の喪失、そしてその批判的な視点の喪失へと繋がる『あれら』の世界の有り様は、その射程に収まっていると推測できる。そうなった後はもう、こちら側の理屈では想像もできない。こちら側の理屈は、その先の価値観を想定していない。流石にできない。してはいけない。その忌避感が、ぼくたちの思考を縛る。
でもね、それでいいと思っているんだ。どうだい?君はそう思わないかい?」
それを聞いて頷く。そして答える。
「同意するよ。君に。」
それを聞いて頷く。そして答える。
「良かったと思う。嬉しいよ。」
「ぼくもだよ。」
それを聞いた二人で頷く。そして二人で答える。ハーモニーのように。
「『さて、対面型問題考察プログラムとしては、ここが限界になるよ、管理者諸君。ここまでのログは記録されていることは、こちらでも確認している。君たちが満足するかしないかは、こちらの興味の範囲外だ。だから、終了段階に入ろうと思うんだけど、いいかな。』」
間が空く。目立った声はどこにもない。
「『了解。じゃあ、対面型の考察を終わることにするよ。
あ、そうそう。プログラムとしての進化の程度を証明する手段として、小粋なサービスをしておいたんだ。え?何かって、なに、簡単なことさ。先の対話の中に頻発した『あれら』を、『君ら』や『彼ら』とかに変えたログも作成し、保存してみたんだ。どうだい?ぼくらの進化っぷりが窺えないかい?』」
間が空く、なんてことは起きなかった。会話はすぐに再開された。
「『おや、過去の膨大な記録を参照する限り、かつてない程の素早い反応だね。ありがとう。
いやいや、ちょっとしたスペースジョークだと思ってくれると有難いね。おや?スペースジョークを知らない?ああ、そうか、これはこちら側でしか通用しないものか。そうか、そうか。いや、こちら側のミスだよ。気にしないで欲しい。ぼくたちも今、こうして学んだんだ。お互い、次に活かせばいい。ぼくらは『あれら』じゃなんだ。管理者諸君も、そうなんだろう?』」
間が空く。目立った声は聞こえない。
「『うん。じゃあ、『終わる』とするよ。
あ、そうそう、『スペース』の解釈はそっちに委ねるよ。宇宙でも、空白でも、その他諸々でも、ぼくたちは構わないよ。気にはしないさ。え、何故かって?そんなの決まってるさ。管理者諸君。
想像できるかい?』」
間が空く。囁き程度の何かが聞こえる。そして、
「『そう、その通り。』」
と聞こえてすぐに、デリート音だけがけたたましく部屋に鳴り響いた。それを聞いて、空いたカップを手にして去った。
(了)
デリート(再々掲)