遊園地

 音は聞こえる。
 カップルや、親子の声で賑わう遊園地。絶叫アトラクションから聞こえる悲鳴や、メリーゴーランドなどのライトアトラクションから聞こえる子供たちの楽し気な声。
 それは皆が思い浮かべるであろう平均的な『遊園地』の景色であった。しかし何かがおかしかった。何かを見落としている気がした。
 そうだ、人がいないのだ。
 誰一人としてそこに人は居らず、ただ何故か、視界が人で埋め尽くされているような錯覚を受けた。
 動かないジェットコースター。回らない観覧車。誰一人として寄り付かないメリーゴーランド。
 しかし、なぜか僕は楽しかった。一歩として踏み出していないのにも関わらず。僕はまるでその遊園地を堪能しているかのような気分になる。
 何か――甘い匂いがする……何故だろうか。買った記憶の無いクレープを手にしている。いやこれはポップコーンだったか。
 いやそれは何だろうか、そうだ――これはラピルだった。
 何故そんな当たり前の事を忘れていたのだろうと僕はそれを口に含んだ。
 うん、遊園地の味がする。
 遊園地と言えばこれなのだ。

 はて、こんなものあっただろうか。
 しかし不思議と違和感を感じない。それがおかしいことぐらい自分でもわかるのに、何故かこれをおかしいと感じないのだ。

 ふと気付く。
 観覧車の5時という表記、しかしなんでそれがおかしいのかが分からず、分からないという事実だけが、その事実に対して、何故おかしいのか分かるという記憶の状態だけが、ただ僕にそれだけを告げているようで、まるでそれは『夢』のようだった。

 いや、夢だと? 

 そんなはずはない。

 一旦正気に戻りかけた意識が夢へと引き摺りこむ。
 そして僕は、その不思議な遊園地の景色をただ、一歩として動くことなくただぼーっと眺めていた。ふと、ラピルをもう一粒口へ放り込んだ。
 うん、甘酸っぱくて美味しい。
 今度遊園地にいったら、またこれを食べたい。
 次の瞬間、絶叫と共に、目の前のコースターを流れた。

 なんと早いのだろう。
 しかし、何故か今の僕に乗るという“行動”が欠けており。乗るかどうかという意思決定はあるのに、なぜかそれに乗るという行動ができないでいた。

 ふと傍らを過ぎ去る幼子がこちらを見る。
 その形は無いのになぜかいる気がしたのだった。

 彼女が僕に向かって指をさす。
 棒付きアイスが目に留まったみたいだ。必死に懇願する彼女。しかし、その親は断固として拒否をする。

 ふと、また不思議な光景にただただ唖然とするしかなかった。

 僕だけが、なぜか声を発せなかったのである――いや、よくよく考えてみれば、彼らも声を発していなかった。
 いや、でも不思議なことだが、彼女は確かに駄々をこねているのだ。いや、待て――耳を傾けて初めてそれを理解した僕は、ますますその聞き取れやしない、“得体の知れない言語”を解しようと必死になる。
 しかし、今度は何を発しているのか、言語は理解できなかったが、何を話しているのかという内容はなんだかわかった気がして、根拠はまったくないのだが、しかし、また何故か根拠があるようにも思えてしまって、ここが日本なのだと思うようにもなった。

 まるで夢のような感覚だが。
 しかしそれに関しては頭の中を通り抜けるだけで、思考の的にはならない。ただのあって当然の空気のようだった。
 深く考える標的にもならないし、そもそも気にはならなかった。これもまた不思議であった。

 何故か、景色は変わらなかった。雲も空の色も変わっている筈なのに、なぜか時が止っているかのような感覚も抱いた。これは脳がおかしいのだろうか。
 これは決して今の映像技術では実現不可能だろうが、まるでそれまで見ていたものが消去されてしまったかのように景色への認識が改変されるのだ。
 とても不思議な感覚だった。
 快晴、そして晴れ、今は難晴、次に来るのは多分巡晴、臥臥の時もあった。

――どれだけ長いこと居ただろう。20分が過ぎて、もう10分になってしまったみたいだ。
 時が過ぎるのは早い。やはり遊園地は楽しい。ふと一斉に観覧車のドアが開き、シルクハットをかぶったマジシャンが一斉に飛び降りたのである。

 普段なら血の気の引く、おぞましい光景なはずなのに、何故かそれが一種の『事前に計画され、周知されていたサプライズ演出』と理解してあって、まるでディズニーのパレードの類のものと僕は高揚し、夢中になっていたのか、口をあんぐりと開けてそれを眺めていたのだった。
 マジシャンは派手に飛び降りたが、幻想的に羽ばたくわけでもなく普通に落下した。

 ふと、自分の恰好が分からない事に疑問を持った。
 自分がどんな格好で、どんな顔をしていて、どんな髪をしているのかもまるっきり忘れているようだった。

 不思議と不安はない。
 しかし、反対に自分の名前は理解していて自分が何者なのかも知っていた。

 だが、総じて何故自分がここにいるのか、どうやってここへ来たのか全く思い出せなかった。
 こうやって自分を眺めてみても何一つ思い出せないままでいる。そもそもここはどこだろう。
 しかし、ぼやけた視界で心中に抱くのは、不安ではなく、忘却故の喪失だった。
 何かを忘れている気がした、焦りだとか不安だとかだった。代わりにそこに入れられた感情の正体は『淵了』だったかと思う。
 はて、これは一体何の感情だろうか、そもそもそんな感情あっただろうか。それすらも良く分からないままだった。しかし、例えるなら“楽しい”みたいなのと似た気もする。ずっとここに囚われていたいと思うような、そんな感じ――

 しかし不思議だった。先ほどから誰も入場する様子が無い。いや、それも不思議な事ではない気がする。
 もう、何が変で、何が当たり前なのかもわからなくなってきた。見えない、いやでも見える気がする人々の声は雨音のように消えては強くなってを繰り返す。
 まるで、深夜の窓に強く吹き付ける大雨のように、それは僕に何かしらのプレッシャーをかけるように、しかしポジティブにそれらは笑っている。
 誰も居ない。
 けど誰かはいる。

 風船を持った男の子。
 ぬいぐるみをねだる女の子。
 隣に並んでケパタルトと頬張るカップル。
 優しい母親に手を引かれてメリーゴーランドへと走る家族。

 何もかもが模範的な、そして一般的な遊園地の景色だった。
 でもそれは本当にあるのだろうか。
 これは本当の景色なのだろうか。

 僕は何を聞いているのだろうか。
 この日本語なのに、聞き取れない言語に意味はあるのだろうか。
 聞き取れたはずの内容をつなげてみればまるで取っ散らかって意味を為さない。
 これは遊園地なのだろうか。

 これは現実ではなかった。
 ではここは一体何なのか。
 僕はどこから来たのか。

 読めない看板の文字――

 通り過ぎる形の無い人々――

 輪郭の溶けた自分の姿――

 9:39分が過ぎ、5:8*/8架が過ぎ、5時11分41秒を迎え、いよいよ7/8時を迎える。
 天気は情穣、鵜藻一つないあゑ一洋の洞。

 走らないジェットコースター。
 回らない観覧車。
 下がらないフリーフォール。
 コインで満たされた噴水。
 あるはずのないお菓子。
 白紙の案内板。
 走らないメリーゴーランド。

 確かに乗れてたはずなのに。
 確かに読めたはずなのに。
 確かにそこに居たはずなのに。

 全ては一夜の夢の城。
 安寧は空虚に所在あり。
 唯だ、そこに誰も往くことはできず。
 それは孤高のシンデレラ。

 現実と夢の狭間にそれはある。
 いつしか夢見た遊園地。
 されどそれはどこにもない。

 どこにでもあって、けれどどこにもない。
 探しても探しても見つからない。それは気づいた時に現れる幸せな場所。
 過去に置いてきた幸せのお裾分け。

 手のひらからこぼれた深層心理の楽園は――今もどこかで眠っている。

遊園地

遊園地

夢で逢えたら

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-17

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