サメの夢
あるところに、心の優しいサメがいました。
サメは、鋭い歯がたくさんあって、目もぎょろぎょろとしてましたが、他のサメと違って、本当に心の優しいサメでした。
あるとき、サメは、浅いところを泳いでいると、溺れている海鳥を見つけました。
普通のサメなら、がぶりと食べてしまうところを、この優しいサメは、海鳥を頭の上に乗せて、水面まで運んで助けてあげたのです。
海鳥は水面にたどり着くと、バサバサと飛んで行き、サメは心があったかくなりました。
ずっとそんなサメだったら、怖い見た目でも友達の多いサメになっていたでしょう。
しかし、この優しいサメにも、怖い面があるのでした。
あるとき、サメはお腹がすいてたまりませんでした。
そこにマグロの群れが通りかかったので、サメは、衝動的に泳ぎだして、マグロの一匹をがぶりと食べてしまいました。
周りを泳いでいたほかのマグロたちは、サメに驚いて一目散に逃げていきました。
それでもサメは、夢中にマグロの一匹を、食べられるところがなくなるまで食べ尽くしてしまいました。
その夜、サメは、深い自己嫌悪に陥りました。
「なぜ僕は、他の生き物を食べないと生きていけないのだろう。僕には鋭い歯とざらざらの肌しかないから、奪うことしかできないんだ。
誰かを助けたこともあったけど、それより奪ってきた命の数のほうが多いんだ。
なぜ僕は、ひとりぼっちなのだろう」
その答えは、明らかでしたが、サメは何度も自問自答しました。
普通のサメは、縄張りがありますから、友達を欲しがりません。でも、この優しいサメは、ずっと、友達がほしいと思っておりました。
あるとき、深い海で、サメはマンボウと出会いました。
マンボウはすいすい泳いでましたが、サメを見ても特に逃げることはありませんでした。
「君は逃げないの」
サメがマンボウに言うと、マンボウは物怖じせずに答えました。
「当たり前さ。逃げる意味がない。出会ったサメが、空腹だったら死ぬ。そうでなかったら生きる。
俺たちマンボウにはたくさんの兄弟がいるけど、運がいいやつしか生き残らない。
見てのとおり、俺は強運なのさ」
サメにはその考えがよくわかりませんでしたが、久々に他の魚と話せたので、嬉しくなりました。
「マンボウさん、友達になろうよ。僕は君を襲わないと約束するよ」
サメははりきりましたが、マンボウはそっけない態度で答えました。
「君は運が悪いだろう。一緒にいられないね。俺は運がいいから、俺に近づくやつは全員身代わりになって死んだんだ。
次はだいたい君が死ぬか、まぐれで俺が死ぬ。だから無理だ」
そう言ってマンボウは去って行きました。
サメはとっても寂しくなり、わあっと叫びながら泳ぎまわりました。
そうしていたら、サメはとてもお腹がへったので、小さな魚をぱくぱくと食べてまわりました。
お腹いっぱい食べたあと、サメは正気にもどり、水面ごしに月を見ていました。
「今なら、あのお月さまも食べれるかな。けれども、僕は、もう何も食べたくないんだ」
サメがぼっとしていると、つんつんと小魚がつついてきているのを見つけました。
サメが小魚をぎょろっと見ると、小魚はびくっとして、それでも話だしました。
「わっ、ごめんなさい。じゃなかった、父さん母さんを殺したかたきうちだ。くらえ、くらえ」
小魚がつんつんとしてくるので、サメはくすぐったくなって、ハクションと大きなくしゃみをしました。
すると小魚は「ごめんなさい」と叫びながら、一目散に逃げていきました。
その日は、サメは自分の凶暴さが恐ろしくなって、あまり眠れませんでした。
次の朝になっても、サメの気分は最悪でした。
「もう友達も何もいらない。ずっと一人で、誰も傷つけず暮らしたい」
そう思って力なく海を漂っていると、突然お腹の方から声が聞こえました。
「なんでご飯を探さないんだい」
サメは、キョロキョロしてましたが、声の正体が見つかりませんでした。
「僕はコバンザメ、君のお腹にくっついているんだ。お腹すいたよ。君がご飯を分けてくれるのを待っているんだ」
サメはこのコバンザメが嫌でした。
「僕はもう食べたくない。一人にしてほしい」
コバンザメはそれでも、話し続けました。
「君に特別教えてあげるよ。
この海にはね、プランクトンというすごい小さい生き物がいるんだ。それを小さい魚とかが食べ、その魚を中くらいの魚が食べ、その中くらいの魚を大きな魚たちが食べるんだ。
大きい魚たちは死んだらプランクトンの餌になる。そうやって僕たちは自然を作っているんだよ。
皆が食べるのをやめてごらん。この海はどうなるさ。その時、海が死ぬんだよ。一緒に海を生かさないかい」
サメの目には、涙が浮かんでました。
「僕も、何の罪悪感も感じずに、お腹いっぱい食べたい」
それからサメとコバンザメは、あらゆる海の生き物を食い尽くしました。
「おいしい、おいしい」
サメが気がつくと、コバンザメはいませんでした。
「コバンザメくん、コバンザメくん、お腹いっぱいで苦しいよ。助けて、助けて」
返事がないので、サメはぐったりと海底に寝転んでいました。
その夜、サメはまた月を見ておりました。
「お月さま、いっぱい食べると苦しいよ。コバンザメくんもいなくなってしまった」
そこに、あのマンボウがやってきてサメに言いました。
「ほら見ろ、やっぱり君は怪物じゃないか。友達がほしいとか言ったくせに、せっかくできた友達まで食い殺す怪物だ。
覚えてないかい、君がコバンザメを殺したんだ」
サメはかっとなりました。
「違う、お前に僕の何が分かるんだ」
気がつくと、サメはマンボウを噛み殺してました。
サメは震えが止まりませんでした。
サメは人生で初めて、食べるためでなく、殺意のために生き物を殺したのです。
サメは、わあっと叫びながら泳ぎ続けました。
サメは、どんどん浅い海へと泳ぎ続けました。
「僕は、もう生きていたくない。死んで詫びたい。神様、僕を裁いてください」
海はどんどん浅くなっていき、とうとう、砂浜へとサメは打ち上げられました。
しばらくすると、サメは、味わったことのない窒息の苦しみを味わい、口をパクパクさせながらエラから泡を吐きました。
「苦しい、苦しい、助けて、助けて」
サメは泡の涙を出しながらしばらく悶えたあと、意識を失いました。
気がつくと、サメは海の中にいました。
「サメさん、サメさん」
目の前には、一匹のイルカがいました。
「サメさん、大丈夫かい。陸に打ち上がってたかから、僕が助けたんだ」
サメは泣いていましたが、イルカはサメの頬を撫でました。
「サメさん、一緒においで」
サメはイルカについていくと、不思議な泡がポコポコと湧いているところがありました。
「サメさん、この泡って食べられるんだよ」
イルカが泡を食べて、サメに見本を見せました。
サメが泡を食べると、お腹がいっぱいになって、体もみるみる元気になりました。
「サメさん、サメさん。僕だけの秘密だったけど、サメさんも今日からこの泡を食べて暮らそう」
サメは、もう命を奪わないで生きられることが嬉しくて、イルカに感謝しました。
「イルカさん、ありがとう」
「どういたしまして。サメさん、僕、友達が欲しかったんだ。友達になってよ」
「でも……」
「どうしても、だめかい」
そしてサメは、イルカの友達になりました。
それからサメとイルカは、色々な所に行きました。
ある時は珊瑚の海に、ある時は沈没船に、ある時は流氷も見ました。
どれも、見たことのない素敵なものでしたが、サメが一番好きだったのは、イルカとのおしゃべりでした。
ある夜、サメとイルカは、月を見ながら、朝が来るまで語り合いました。
「イルカさん、この星々の向こうにこの月があるのだろうか、それとも、この星々の手前にこの月があるのだろうか」
「サメさん、月が一番近いお星さまなんだよ」
「月は、お星さまのひとつなのだろうか。とても近いお星さまなんだね。頑張ってジャンプしても届かないかなあ」
「僕らにも行けない場所はあるかなあ」
夜が明けた頃に、サメとイルカは眠くなって眠ってしまいました。
サメは、夢を見ました。
サメは、夢の中で、イルカとの会話の続きをしていました。
「サメさん、不思議な浮き輪があるよ。一緒に乗ろう」
サメとイルカが浮き輪に乗ると、浮き輪は月に向かってゆっくりと飛び始めました。
サメとイルカは、月に着いたのです。
月は、金色の海に覆われていて、キラキラとした海藻が、たくさん生えていました。
イルカとサメは、金色の海を泳ぎ回りました。
「イルカさん、楽しかったね」
「サメさん、僕、月から来たんだ。サメさんは、海へと帰っちゃうかもだけど、僕ここに残るよ」
「イルカさん、僕も月に住みたい」
イルカは、悲しそうな顔をして、ヒレを振りました。
サメが目を覚ますと、イルカはまだ隣で寝ていました。
サメが悲しい気持ちでいると、イルカは慌てて起きました。
「サメさん、早く行こう。こっち、こっち」
イルカがサメを水面に呼び、サメとイルカは空を見上げました。
すると、空には見たこともないアーチがかかっていました。
「イルカさん、これはなに。すごくきれい」
「サメさん、あれは虹だよ。光のアーチなの」
サメとイルカは、虹が消えてなくなるまで、ずっと見ていました。
サメとイルカが、いつもの食べられる泡のところに行くと、泡はもう出てきませんでした。
「イルカさん、泡が出なくなっちゃったよ」
「サメさん、もう泡はいらないんだ」
「イルカさん、どういうこと」
「サメさん、時間が来たんだ」
「時間って、何の時間かい」
「サメさん、君はね、何日も経ったように感じているけど、君はまだ、陸の上で、最期を待っているんだ」
サメは、とても悲しい気持ちになりました。
「サメさん、君は、生まれ変わったら、何になりたい」
サメは、答えられませんでした。
サメは、イルカと会うまでのつらい人生と、イルカに会ったあとの楽しかった人生を思い出していました。
「イルカさん、君はいったい、イルカさんなの」
イルカは首を横に振りました。
「僕は月の神なんだ。君が月を見ていたとき、僕も君を見ていたんだ」
サメは、自ら死を選んだことが、悔しくて悔しくて泣き出してしまいました。
「サメさん、悲しまないで。僕ら、出会えたんだ。こうやって、一緒にいられたんだ」
「イルカさん、これって、僕が死を選んでなかったら、あったかもしれない未来なんだね」
イルカは首を横に振りました。
「そっか、ありがとう」
イルカに化けていた月の神様は、月へと帰り、サメは静かに息を引き取りました。
サメの夢