週明けの心情

「う、うわあああああっ!!??」

もう40代にもなるのに、私は驚いて情けない声を上げた。
私は一家の大黒柱だ。
社会の荒波にもまれつつも妻と娘を養ってきた。
決して給料は高くないが、これは私の能力不足ゆえに仕方がない。

それでも、妻は毎朝出社する私を笑顔で送り出してくれる。
高校生の娘だって、年頃の娘にしては珍しく私を邪険になど扱わずに育ってくれた自慢の子だ。
私は妻と娘に感謝したい。
私の幸せは、家族あってのものだと断言できるからだ。

なのに、何故だろうか。
土日の休みを終えて起床し、2人に挨拶をした。
3人で一緒に朝食を口にした。
そして、スーツに着替えた。

あとは、玄関に向かうだけなのだ。
なのに、何故だ。
私の両手は、なぜずっと玄関前の階段手すりにしがみついているのだ。
離れてくれと念じても、私の両手は聞きやしない。

「あなた…?」
「お父さん…?」
私の情けない声を聞いた妻と娘が様子を見に来る。
私の姿を見た2人は声を揃えて「どうしたの?」と聞いた。

私は、なぜ両手が階段手すりにしがみついて離さないのか分かっていた。
だからこそ、2人に話すのが情けなくてためらった。
振り返ることすらできなかった。
妻と娘の心配そうな顔を見ると、私の心は今よりもずっと傷ついてしまうことを知っていたからだ。

気が付くと私は肩を震わせていた。
涙も出ていた。
これから私は2人に真実を話すだろう。
先のことを思うと、情けなくて体が反応していたのだ。

「か、会社に…行きたくない…」
言った。
言ってしまった。
私の言葉を聞いて、一瞬空気が固まったのを肌で感じた。

そうだ、私は会社に行きたくなくなったのだ。
週末を家族で過ごした。
河川敷を散歩して、近場の温泉に入った。
心が満たされていた。

私の幸せは、労働の外でこそ得られるものなのだろう。
だからこそ、思ってしまったのだ。
また、明日から会社か…と。
そうして翌日の今、階段手すりにしがみつく私が出来上がったのだ。

分かっている。
これは私のわがままだ。
家族を支える者として、決められた日に出社して働くのは義務と言ってもいい。
まだ遅刻にはならない時刻なのだから、すぐにでも手を離せばいいのだ。

だけども、離れなかった。
どうしても会社に行きたくなかった。
このままゆっくり過ごしたいと思ってしまう。
私の両手は、そんな私の気持ちを体の中で唯一汲んでしまったのだ。

「あなた、もしかして具合が悪いの?」
妻が私の体を気遣ってくれている。
「お父さん、無理をしたら駄目だよ」
娘も情けない私に優しい言葉をかけてくれる。

いまだに私は振り向いて2人の顔を見ることすらできないままだ。
背中にかけられた言葉を背中で返そうとしている。
私は、もう背中だけで生きていけばいいんじゃないかとすら思ってしまった。
家族にすら見せられない体の表なんて必要ないんじゃないかとすら思ってしまった。

だけども、頭に浮かんだことがある。
私はいい、背中だけでもきっと生きていける。
問題は、妻と娘だ。
私の背面生活を目にした2人は、きっと悲しむはずだ。

私はそんなことなど望んではいない。
妻と娘が悲しんでもいいなんて思う男なんて、父や夫なんて言葉を使ってはいけない。
私は勇気を振り絞った。
情けないながらに、後ろをチラ見してから話し出した。

「違うんだ。2人に頼みたいことがある」
私は、妻と娘の力を借りる判断をした。
私の両足をそれぞれ持ってくれと頼んだ。
そのまま私の体を引っ張って、手すりから引き離してくれと頼んだのだ。

私の体がふわりと持ち上がった。
床と身体が並行になった私の姿は、さぞ奇抜なものに見えることだろう。
だけども、私は決心したのだ。
私の意思を最も汲んでくれた両手に立ち向かうことを決めたのだ。

きっと、私1人では自身の体に立ち向かう決心はできなかっただろう。
だけども、私には家族がいる。
愛すべき妻と娘がいるのだ。
自信の体に甘えて立ち向かわないなんて、許されるはずがないだろう。

水平になった私は、引っ張ってくれと2人に頼んだ。
「うぅ~んっ!!」
「お、重いよぉっ!」
私も両手に手すりを離すんだ、と念じ続ける。

変化は徐々に訪れた。
家族の団結力に屈したのだろうか。
私の両手の力が、少しずつ緩み始めた。
もう少し、もう少しだ。

不思議なもので、私は今になり両手に対して感謝の気持ちが湧いてきた。
私の両手は、休みたいという私のわがままな気持ちを汲んでくれただけなのだ。
優しさゆえに、必死になって階段手すりにしがみついただけなのだ。
そんな味方だからこそ、私は両手に対して敬意を表した。

ありがとう、だけどもういいんだ。
私はこれからも家族のために働き続ける決心ができたのだから。
階段手摺から両手が離れた。
これで2人に向き合うことができると思った。
気持ちの面でもだ。
私はスローモーションで空を飛びながら、改めて決意をあらわにする。


さぁ、今日も会社に行こう。


※危険ですので、真似しないでください。

週明けの心情

週明けの心情

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-15

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