帰還兵コーディ・タナーの生涯

帰還兵コーディ・タナーの生涯

 私の生涯を語るならば「平凡として生まれ、罪人になり果て、償うために生きた」
 これだけで終わってしまいます。
 しかし、神様、あなたがどうしても語ってほしいと真剣にお願いするものですから、私も覚悟を決めましょう。人として生きる苦しみを吐き出す覚悟で、醜態をさらす覚悟で語りましょう。

 私は農民の家で育ちました。当時はまだ内戦が終わったばかりで、皆が貧しく、苦労しながらも助け合って生きていました。
 しかし、私の父は孤独な男でした。一生を共にすると誓った女性に先立たれ、その女性が生んだ子供を育てるために、男手ひとつで努力したそうです。それはもう多くの苦労をしたことだと思います。
 私は、その事を初めて父から教えてもらった時、彼を尊敬しました。
 ところが、その瞬間に彼は私の顔を殴りました。私は痛みを覚えるよりも先に、何か自分に落ち度があったのかもしれないと、自らの言動を必死に思い返しました。
 当時、まだ八つの歳を数えた頃でした。

 父は私の血縁者ではなかったのです。
 では、彼が話した、自分一人で育てていたという子供はどうしたのか。あの時、あの貧しい家で暮らしていたのは私と父だけです。
「俺の子は八つの歳を数える前に、流行り病で亡くなった。お前は後に俺が引き取った赤の他人だ」
 私は一度に知った物事を上手く呑み込めず、混乱しつつ泣き喚きました。あの日のことは忘れられません。
 今まで何度も何度もパパと呼び、愛していた人が私のことを赤の他人呼ばわりしたことが、あまりにも痛かった。胸が痛み悲しかった。

 神様、想像がつきますか。
 人として生きる上で、家庭と言うものは社会を構成する最小単位なのです。
 最も重んじられるべき環境なのです。
 家庭の調和をとれない者が、どうして学校や職場や社会の中で調和に生きることができましょう。
 そして、十歳に満たぬ私が背負った不調和がどれほどの重荷であったか。想像できますか。
 しかし、それでも私は父を愛していました。アンガス・タナーという一人の男を尊敬していました。
 私にコーディ・タナーの名を授けてくれた親を愛していました。
 我が子を亡くし、胸が張り裂けんばかりの悲しみに沈む。その最中にも、他者を思いやる心を持っていたからこそ、私を引き取ったのでしょう。
 そうでなくてはおかしいではありませんか。
 赤ん坊を引き取るという事は、一人前になるまで育て上げるという事。
 長い時間をかける労苦と責任を負うということです。

 成長した私は、高等学校に通わせてもらいました。
 父が懸命に働き、一生懸命に生活費を削り、私の将来を広げてくださったのです。
 私はいつの間にか「あの日のこと」を覚えていながらも、苦には思わなくなっていました。
 きっと、あの時の父は疲れていたのだろう。独りで何もかもを背負い、気の迷いもあったのだろう。
 私に対して「赤の他人」と言い放ったあの夜も、きっと何かの間違いだったのだろう。
 ──少なくとも、私にとっては世界でたった一人の親だから。

 神様。私が真の罪人になるのは、ここから先なのです。どうか、最後まで聴いてください。
 私にはもう、覚悟しかないのです。

 私があと半年で学校を卒業できるという時期に、恐ろしい世の中になってしまいました。
 戦争が始まったのです。
 若者達は皆、戦いに行かなくてはならなかった。
 勉学の道具を捨て、銃器を手に取ることを善とされ、それ以外は認められませんでした。
 もちろん、私も例外ではありませんでした。軍隊に入る直前に、父と話した言葉の全てを記憶しています。
 その中でも、心の中の傷跡が癒える様な一言が、父の謝罪でした。
「お前がまだ小さかった時、殴ってしまったことをずっと後悔していた。痛かったろう。すまなかった」
 きっとあの一言が、私にとっての救いでした。私は嬉し涙が止まらなかった。
 やはり親から愛されているという、安堵からくる喜びでした。
 私はこれで、出征前の心残りが無くなりました。

 軍隊での日々は、それは酷いものです。
 地獄と化した環境で生き残り、任務を遂行するための訓練を行う訳ですから。
 一般的な社会で味わう苦痛や感覚の常識とは、その比ではないのです。
 ですが、大食いだった私にとって、基地では腹いっぱいに食事をとれることは、ひとつの思い出でもあります。
 実家では空腹でいる時間の方が多かったですから。いえ、肯定的か、否定的かというものではないのです。
 ただ、思い出としか呼べないのです。

 軍の中にいても、やはり人間ということもあり、仲の良い同期に恵まれることもありました。
 私が軍隊生活の中で一番の親友として心に刻んだのは、ハーマンでした。
 彼は学を得られない環境で育ちましたが、生来ユーモアの才に長けていたようで、隊の中でも皆から親しまれていました。
 ……何故か、彼とはとても気が合いました。
 戦地へ向かう輸送船の甲板上で、二人で地元の歌を唄いました。ぬるい麦酒も飲み交わしました。
 私が高等学校にて学んでいたことを知った彼は、よくこう言いました。
「なあコーディ、今日の授業をしてくれないか」とね。
 私にとっては学校で学んだ何気ない知識が、彼にとってはまるで、雲の上にある楽園の英知に触れるような感覚だったのでしょう。彼自身が次の様に話したことを覚えています。
「俺は沢山勉強をして、人助けがしたかった」
 ハーマンはその穏やかな性格、優しい表情からは想像もできないほどに、多くの苦労をしてきました。彼はスラム街の出身だったのです。
 彼にとって学問を得るという事は「人助けをするためのスタートラインに立つという事」だったのでしょう。
 彼は、医療従事者になりたかったそうです。

 戦場で兵隊が行うことは、何も銃を撃つことだけではありません。
 ひたすら歩き、そして塹壕を掘ること。それも、兵士達にとっては当たり前の仕事でした。
 ある日のことです。私とハーマンが所属している中隊に、基地から北へ十三キロ先への移動が命ぜられました。そこは基地の者達からラインと呼ばれていた場所です。現地には塹壕が広がっているだけでなく、無数の特火点が睨んでいるのです。そこから先へ進むと「死ぬか、負傷するか」の二択と言われるほどに、猛烈な応戦が行われている区域でした。
 今までに他の森林等で偵察の任に就いた時にも、戦闘は経験しました。
 ですが、その時とは比べられないほどに、酷い、惨たらしい戦いが続きました。
 私は生涯において人に話したくない経験の多くを、この戦線で経験しました。
 あなたが神様でなければ、言葉にしようとは思わなかったでしょう。結論から言います。
 私は、見捨ててしまったのです。撃たれて、倒れたハーマンを。
 私の名を呼び、助けを求めている彼を置いてけぼりにしました──。
 何故、あの時に一緒に死ぬ決心をしてでも助けに行かなかったのか。
 背中を預け合った唯一無二の親友を孤独に死なせてしまったのか。
 自らの命を優先した卑怯な私は、この日を境に邪道を進む事になりました。

 軍の命令で、敵の村を焼き払うことは日常茶飯事でした。また、表向きでは民間人を殺してはならないことになっていましたが、実際には違います。戦いで精神を限界まで追い詰められた、明日の命も分からない者達が人道を踏み外す姿も、ありふれていました。それが戦争という日々の連続です。
 私はハーマンを見捨てたという自責の念から逃れるためか、報復の想念に囚われていました。つまり、現実逃避です。
 少しでも怪しいと思われた民間人は、村の外れまで連行して銃殺されます。私はその「役目」をよく担当していました。
 無抵抗な人間が倒れていく姿に、神経が異常な興奮を覚えるのです。
 残酷なことに、人は環境さえ狂えば、言葉も行動も狂います。
 敵を倒すこと、引き金を引くこと、スパイ容疑をかけられた民間人を始末すること。
 それらが何をもたらすのか。故郷の人々にも理解はされない。
 神様、あなたには解りますか。

 不思議というよりも、唖然としていました。私は生きたまま終戦を迎えたのです。
 まるで、この終わることのない地獄の中で、かの親友の後を追うのかとばかり思っていましたから……。
 帰国した私は、もう学生の頃のような「善い人」ではありませんでした。
 一人の修羅になり果てていたのです。
 実家のある町に到着しても、なかなかに帰路が苦しかった。
 この鬼と化した私を、父がどう受け止めるか。不安でした。
 しかし、腹は減ります。夜も寒くなります。孤独にもなります。
 家族に会いたいと願うのは当然でした。
 私が家の扉を叩くと、ドアの向こうから、弱弱しい声が聞こえてきたのを覚えています。
「コーディ、お前なのか、帰ってきたのか」と、父の声でした。
 私は、その扉の向こうにいる父の姿を想うと、私が生きて帰ってくることを願っていたであろう父の毎日を想うと、涙が溢れました。
「そうだよ、お父さん、帰ってきたよ」
 扉がゆっくり開くと、父は私の姿を認めるや否や、抱きしめてくれました。
 そこから先は、お互いに言葉になりませんでした。しばらくの間、泣き続けていました。

 父は随分と老けたように思えました。心労が続いたからでしょう。
 久しぶりに食べる親の手料理、その喜びが小さな救いでした。
 その日は多くを話すことなく、私が疲れ切っていたこともあり、早めに就寝しました。
 翌朝、私は父に何ひとつ隠すことなく、自ら背負った罪業を打ち明けました。
 この男に、隠し事などしたくなかった。それだけの人間性は私に残っていたから。
 父は静かに耳を傾けてくれました。全てを話し終えた私に、彼は次の様に答えました。
「俺も、お前だったんだよ」
 私はその言葉の意味をすぐに理解できず、言葉の続きを待ちました。

「俺の子は、本当は流行り病で亡くなったんじゃない。この国で起きた、かつての内戦で死んだんだ。
 砲弾が市街地に飛んでくることも珍しくはなかった。
 妻の実家に息子を預けていたが、面倒を見てくれていた義理母と一緒に、即死だったそうだ。
 そのことを手紙で知らされた。政府軍側の兵隊だった俺は、報復の鬼になった。
 敵地にある家は、片っ端から仲間達と燃やした。逃げ惑う民間人に向かって発砲することも、何度も何度もあったんだ。
 だが、そんな地獄のような日々に、天から償いのきっかけを与えてもらった。それが、お前だ」

「俺達の隊が襲撃した町から、反政府軍を追い出した。
 その後はいつもの様に、民間人達を広場に集めて、銃殺隊が仕事をした。
 敵勢力に加担すると思われた者達も、そうでない者達も皆、始末された。
 いざ町が焼き払われようとした時、同期の誰かが言った。赤ん坊の泣き声が聞こえないかと。
 思わず俺も、どこから聞こえるのか辺りを見回した。
 ……俺達に殺された親が、捕まる直前に隠したんだろう。赤ん坊は道路を挟んだ向かい側の路地裏に置かれていた。その子こそ、コーディ、お前なんだよ」

 そこまで一気に打ち明け、語ってくれた父は沈黙しました。
 私には、彼が背負ってきたものがどれほど重いか、痛かったか、それこそまさに「痛い程に共感できた」のです。
 父も私も、同じ罪を背負った人間だった。
 ですが、父と私の明確な違いがあります。彼は、人を殺めた罪を背負い、その罪を長年かけて償いました。
 神様、これがどういうことか、分かりますか。
 人を殺めた罪、人を傷つけた罪は、人を救うことで、人を助けることでしか償えないのです。
 それこそが、人間が人間足り得る善心の証明ではありませんか。
 罪を背負い、その攻撃や、敵意や、悪意の自覚が有るにも関わらず、息をするかのように、その後も人を傷つけ続けたら、それこそ本物の悪魔です。私はこの生涯を通してその様に考えました。
 父が抱えてきた過去を初めて教えてもらい、ようやく、私がこの人の家族として生きてきた因果を学びました。
 彼は既に、人として生きることの意味を私に示していたのです。
 次は私がその恩に報い、そして罪を償うべきなのだと、魂が熱意を取り戻しました。

 しかし、現実には暮らしもままならない状態です。
 帰還兵達は皆が働き先を求めていましたが、どこでも厄介者扱いです。
 戦争で何が起きていたのか、その一部は本国でも報じられていました。
 そのため、私達は当然ながら畜生呼ばわりされていたのです。
 今でも覚えていることがあります。ある警備会社に働き口を求めた際に、先方が私に吐き捨てた言葉です。
「人のためなどおこがましい」
「善意は誰も得しない自己投資」
 私は無力でした。いいえ、正確には努力の方向が間違っていたのでしょう。
 今でも私は、当時の意志が人から馬鹿にされるべきものではないと信念を持っています。
 ですが、手元にはもう小銭も無いままに町を放浪していました。
 通り過ぎる人々は、私の服装や目つきで「ああ、帰還兵か」と察して足早に去っていきます。
 私は、まだ何か使えるものや食べられるものが無いか、とゴミを漁ることもありました。
 偶然にも、煙草が二本だけ残っているパックを見つけ、腹は膨れないけれどもポケットに押し込みました。
 やがて日も暮れて、また今日も震えながら野宿するのかと考えていたところでした。
 独りの年老いたホームレスが、路上に座り込んでこちらをぼんやりと眺めていたのです。
 その姿があまりにも悲しげで、彼は私に似ていると思いました。
 社会から見捨てられ、拒まれ、善意の届かぬ世界にて独り生きてきたのだと。
 その痛みはもう報われても良い筈だと。とても他人とは思えませんでした。
 私は無一文でしたが、何か渡すべきだ、思いやりを行動に移したいと考えました。
 ご老人の手を取り、先ほどの煙草のパックを渡しました。
 すると、そのご老人は目を大きく見開いて、私の手を握りしめて言いました。
「俺に物を直接手渡してくれた人は、あんたが初めてだ」
 彼はそれだけを言い切ると、急に魂が抜けたかのように横たわり、動かなくなりました。
 それが、彼の最期だったのです。

 私は、思わず考え込みました。
 あのご老人は亡くなられた。私は彼を救えなかった。だが、彼の言葉が頭から離れない。
『手渡してくれた』
 私にとっては何気ないことでも、彼にとっては人の温もりを象徴する何か、良心が伝わる何かだったのかもしれない。
 彼の命は救えなかった。だが、人生の最期に、彼の魂は救えたのだろうか。
 その自問自答が続き、気が付くと夜が明けていました。
 東の空が明るく、風に流れる雲が光に照らされ、陽光の眩しさに私の迷いは断ち切れました。
 私にできることを全力でやれば良いのだ。力の限りを尽くして、最後は天命に任せよう。そう決意しました。
 その後の私は、地元の町や村で見かけた帰還兵達に「私の畑を手伝ってくれないか」と声をかけました。
 私だけが苦しいわけではない。今は皆が疲れ果て、優しさを受けられず、自らに迷い、飢えている時なのだ。
 だからこそ、善意を直接伝え、共に行動し、やり直すチャンスを自分達で作らねばならないと考えたのです。
 父も喜んで力を貸してくれました。
 始めのうちはとても給料が出せませんでしたが、少なくとも毎日の食べ物と寝る場所を、戦友達に提供できたのです。
 すると、どういう事でしょうか。
 亡霊のような顔をしていた男達が、段々と活力のある眼差しを取り戻し、日々の会話が前向きなものに変わり始め、少しずつではありますが、良い方向へと動く流れを掴み始めました。
 父の農業も順調になり、そのおかげで皆に給料を払えるようにもなりました。
 帰還兵達が感じていたのはきっと「誰かに必要としてもらえる喜び」だったのでしょう。
 それは、自らを否定し続けていたであろう元兵士達の心にとって良薬だったに違いありません。
 また、彼らは普段は言葉にしないものの、胸の内では感謝していることがハッキリと伝わってきました。
 人生を共にやり直すことで、希望が見えてきたからです。
 独りぼっちではないぞ、という私の想いが皆に伝わったのかも知れません。
 やがて土地を購入し、畑を増やし、他の帰還兵達にも声をかけ、いつの間にか仲間が増えていました。
 神様、あの当時の私が実感していたことが分かりますか。
 人間の絆は壊れるものであるならば、再び繋ぐこともできるのだ、という事実です。
 それは、父が亡くなる前日に教えてくれた事がきっかけでした。

「コーディ、俺はお前を誇りに想う。
 これから皆を食わしていくことが続けられるなら、次は帰還兵以外の人達も救いなさい。
 この国に大勢いる、困っている人達を助けなさい。人を助ける行動は、自分の損得ではない。誰の損得でもない。
 それはもう分かるな。人を助けることで、お前自身の魂も救われなさい。
 その姿勢を貫き通しなさい。らしくないことを言うかも知れないが、神様は見てくれているからな。
 そしていつか、帰還兵達の行動が、この国で認められるようになったならば、かつて戦禍に遭った国へ赴き、人を助けなさい。
 迷うことなく、例え罵倒されようとも、報復されようとも、助けなさい。
 暴力の罪を償いなさい。かつての俺に、天が赤ん坊のお前を託してくださった時の様に。
 人が生きることをやり直せるように、手助けしなさい。努力しなさい。そして、生き様に誇りを持ちなさい」
 父の教えは人の心でした。

 父亡き後、私達は故郷での活動の幅を広げる一歩として、車椅子や義手に義足といった、身体に難を抱えた方々の役に立つ物を作る事業を始めました。この動きは、当時の社会に大きな反響を呼びました。元兵士達が、農業の次は福祉の仕事を始めたと。
 ですが、人の行いとはそういうものではありませんか。まずは食う物を作り腹を満たす。次にできる範囲で助ける。
 単純明快です。
 強くならねば人を助けられないかも知れません。
 それでも、弱いからと言って人をわざと傷つける様な恥知らずには、なりたくありません。
 例え、その恥知らずになっていたとしても、気づいた時点で自らを改めるべきでしょう。
 そして、私達の会社は物作りの技法を学び続けた結果、一定の信頼を得るに至りました。
 皆の意志はひとつでした。
 当時の私達は残虐の限りを尽くしてきた。戦地になった国では、体に障害を持った方も大勢います。
 ならば、償いの誠意を実行に移すだけです。
 すると、私は長らく心の中に閉ざしていた記憶と向き合う時が来ました。
 そうです。かつて戦場にて見殺しにしてしまった、ハーマンとの思い出です。
 彼は何度も私に夢を語りました。
『困っている人を助けたいんだ』
 あの言葉がフラッシュバックして、頬に熱いものが伝いました。
 私は、私たち帰還兵は、あの心優しいハーマンの夢を背負っていたのですから。
 死してなお、彼の志は受け継がれていました。
 私は彼を見捨てた業を清算するためにも、この道を進む決意を新たにしたのです。


 ──これで、私の生涯のお話は終わりです。
 ええ、神様。
 確かに私は、己がかつての敵国に赴き、それからどの様な日々を過ごし、どの様な最期を迎えたか語っていません。
 ですが、もう良いではありませんか。
 私はこうして肉体が滅び、魂だけの存在となり、今こうして天への緩やかな坂道を歩んでいました。
 その途中から、今、修行中の神であるというあなたと出会い、できる限りの事を伝えました。
 一人の人間の生涯とは、その個人、独りぼっちの存在で完結するものではありません。
 生きている間に、無数の人々と出会い、同胞と力を合わせ、時に争い、決別や裏切りもあることでしょう。
 ですが、罪を背負った私にもやり直すことは出来た。いや、それ以上のことが出来たと、確信しています。
 同じ罪業を持った父との出会い。育てて頂いた御恩。最期の直前に語ってくれた教え。
 損得の感情を越えて、他者に手を差し伸べることの意味を、死に様で証言したホームレスのご老人。
 命を懸けて共に生き延びた戦友達。生涯を通して協力してくれた仲間や家族達。
 そして何より、私に同じ夢を持たせてくれたハーマンにも。
 神様、あなたにも分かりますか。私の人生は愛に満ちていました。
 私は幸せ者です。

帰還兵コーディ・タナーの生涯

帰還兵コーディ・タナーの生涯

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-01-14

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