メロンソーダと細胞分裂
「俺この時間が一番嫌いかも。なんかさ、夕方って死にたくならない?」
そう、唐突に話し出す水月。
「家に居てさ、外から下校途中の小学生の声が聞こえてきたら、もうだめ。なんでだろうね。夜になれば平気なんだけど」
形のない水月の声に紡がれた透明な言葉たちは、斜陽にあかく染められたこの町に次々溶けて消えていく。
思い出せない時間。
僕が歩く道はそういう時間で埋め尽くされて通行止めになっている。この停滞の先に待つもの。分かり切っているから、余計何もできなくなる。早く焦りも怯えも感じることができない状態になりたい。
メロンソーダを買った。唐揚げ屋の隣の自販機にあるのを不意に見つけた。
「スーパーとかには売ってないんだよ、これ」
テンションが上がった僕は迷わず千円札をくずした。160円。水月の分も買ったので合わせて320円。真緑色に、輝くボトル。僕の財布にはもう小銭しかない。
「うわー、絶対体に悪い」
水月はそう言いつつも、すぐさまキャップをぷしゅっと開け、大げさなくらい顔を上げてごくごく飲んだ。夕陽に照らされ、なんだか召されるみたいだった。
「ちょっとうすい気するね」
「でもそれがいいんだよな」
僕たちはまた歩き出す。水月がボトルを持っている方の手も遠慮なく振りながら歩くのではらはらした。
(でも既に中身が半分以下だったので、開けてもふきだすことはなかった)
いつもの場所で僕たちは休憩する。茂みに隠れるように存在している謎の場所。輪切りした大木みたいなテーブルと地面からただの凸が伸びてるみたいな椅子がある。いつ行っても同じコーヒーの缶と煙草の吸い殻と空き箱が落ちているから、来る度、ここは本当はそいつの頭の中にある空間で、僕はそこに内緒で忍び込んでいるんだと夢想している。
真緑色の宝石は夕陽を受けてますます輝いている。ボトルで目を覆って光の方を仰いでみると、そこには海が広がった。
無限に繰り返される世界。
この緑色の海の中で、泡たちは細胞分裂を繰り返し、一つの世界をつくる。ここがその世界としたら。そこに僕がいるとしたら。
溺れていた。耳鳴りがする。
早々に飲み終えてしまった水月は、空のボトルで素振りして遊んでいる。野球?ゴルフ?どちらにも見える…
ピリリ、と古くさい音が鳴った。
「 あ、諸岡だ」携帯の画面を見ながら水月が呟く。
「キナコがいなくなった、ってさ」
キナコは諸岡が飼っているネコだ。時々逃げ出しては、諸岡を心配で発狂させて、僕たちを駆り立てる。
「あのこが今外にいるって考えただけでやばい」
前に諸岡がそう言っていた。そのうち勝手に戻ってくるよー、と楽観的な水月に切れてもいた。
キナコがいないと諸岡はしんでしまうのだ、と僕は思った。
「今すぐ来いだって」
17時過ぎ。帰りは、なんだかんだして、22時ぐらいになるのだろう。
「キナコ見つけて、諸岡に飯奢ってもらおうぜ」
水月が走り出した。沈んで沈んで浮き上がってこない何かを、すくってもらえそうな気がした。
メロンソーダと細胞分裂