改めて「ブロック機能」を考える

 先に謝っておきますと、まだそんなことグダグダと続いているの? というネガティヴ路線のお話になります。

 明日の夜、いよいよ宴が始まるというのに……いや、だからこそなのか……改めて、SNSのブロック機能について考えてみよう、と思う出来事がありました。
 考えがまとまらないままに、思うことを綴ってみます。あくまで私見ですので、その前提でご興味ございます方は目を通してくださると嬉しいです。でも、ご興味のない方は、スルーして欲しいです。

 基本的にどんなSNSでも、ブロック機能はユーザーの権利として、アカウントの登録と同時にデフォルトとして備わっていることがほとんどです。Xがブロックの廃止を検討しているなんて話も聞きますが(それでもミュート機能とDMのブロック機能は存続の方針)、mixi以降、ほぼ全てのSNSで実装されているのは、運営する側にとっても、ブロック機能はユーザーが自分を守るために必要だと考えているからでしょう。
 実際に、先述のXがブロック機能の廃止を宣言しながらも、なかなか踏み切れていない背景には、iOSとAndroidのアプリストアが、SNSアプリの審査基準として「ブロック機能」の標準装備を求めているとの話もあります。
 この話の信憑性はともあれ、こういう話が出てくるという事実だけでも、「ユーザーが自分を守る手段としてブロック機能は有効と認知されている」と言えるのではないでしょうか。

 では、何から守るのでしょうか?
 極端なぐらいに簡素化してしまうと、「嫌な人」です。つまり、広義な意味での「嫌な人」との関わりを断つ手段として、ブロック機能は有効なのです。

 では、嫌な人とは?
 これは、人それぞれでしょう。意見が合わない人、直ぐに否定する人、威圧的な人、主義主張にズレがある人、(様々な)勧誘目的の人、リアルな世界でトラブった人、議論が噛み合わない人……色んなパターンがあります。
 大抵の場合は、スルーしていれば関わりが消えるのですけど、中には上手く関係性を断つことが出来ず、ストレスしかない関係を継続せざるを得ない状況に陥ることもあります。そうなると、精神的な負担も大きくなり、SNSでの活動に疲弊するでしょう。
 そして、もしそうなってしまった時は、SNS自体を退会するか、ブロック機能を行使するか……実質的な対応法は限られてくるのです。つまり、運営側からしても、退会者を少しでも減らす効力があるのです。

 ブロックは、強制的に関係を断つだけでなく、相手に対しての「意思表示」としても重要な役割があります。要は、「アンタなんか嫌い!」と間接的に告げることと変わりませんので。
 ただ、ブロックの効能はサイトによって様々です。インスタのように、投稿の閲覧すら出来なくなるものもあれば、noteのようにコメントが書き込めない程度(実際はもう少し制限がありますけど)のものもあります。そう思うと、関係を断つこと以上に、意思表示の方が大きなウェイトを占めているのかもしれません。

 と言いながら、ブロックを推奨するつもりはありません。むしろ、ブロックは、作業的にはとても容易に設定出来る反面、安易にすべきでないと思っています。
 もし、スルー対応で解決するなら、そちらを選択する方が無難です。つまり、ブロックの行使には弊害もあるのです……が、ここでは本題ではありませんので、取り上げません。

 私もSNSで、ユーザーをブロックしたことはあります。でも、SNS歴は長いのですけど、初めてブロック機能を使ったのは比較的最近のこと。「クンカブル」というペット専門のSNSです。沢山のユーザーを巻き込んだトラブルが発生して、その流れから数人をブロックしました。(クンカブルは2019年9月にサービスが終了しました)
 その後、インスタでも数人ブロックしたことがあります。それぞれに個別の事情があってのことで、当時はやむを得ないと思っていましたし、今でも正しい判断だったと思っています。
 某小説投稿サイトでも、結果的には行使しませんでしたが、真剣にブロックを検討した人はいました。記事をアップする度にコメントをくださる人でした。しかし、内容と関係の無い自分語りがメインで、どこか粘着質に感じることも多く、また、そのサイトでは一切明かしていなかった過去の私のハンネのことに触れてきたこともあり、あまりにも気持ち悪くて、それこそ活動自体がストレスになり……これは、いよいよブロックしかないかな、と考えるようになりました。
 そんな矢先、幸い(?)なことにその人が運営からアカBANされたので、ことなきを得たのです。

 そして、noteでも一人……言わずもがな。

 大切なことは、ブロックはあくまでも最終手段であること。つまり、理由もなくブロックするなんてことはありません。そこに至るまで、相当悩み、苦しみ、嫌な思いに耐え、我慢の限界点を突破した時に、やむを得ずに、それなりの覚悟を持ってブロックを行使しているのです。
 逆に言えば、もし誰かにブロックされたなら、自覚の有無に関わらず、原因は間違いなく自分にあることを認めないといけないのです。
「そういうつもりじゃなかった」とか「人の気持ちを理解しろ」とか「何も心当たりがない」とか「理由を知りたい」「勘違いだ」「単なる噂だ」など、ブロックされた側の言い分なんて、ブロックした人には何の意味も価値もありません。客観性、建設性、論理性を欠いた単なる独断的な自己主張にしかなりませんし、早い話が『独りよがり』なのです。正当性の担保にはなりません。

 どうであれ、結果として嫌われたからブロックされたのです。それだけなのです。
 そんな単純なことにも目を向けられず、また、いつまでも自分の非を認められず、自分には何の落ち度もないと思い込み、向き合うことも出来ず、逆にブロックされたことをいつまでネチネチと逆恨みする人もいます。

 最後に、実際に起きている話をしますと、一ヶ月以上も前より、記事と全く関係のないタグ(54字の宴、主催者、愚かな人、など)を使い、私に対する発言だと特定出来る条件下で、とても稚拙な文章で誹謗中傷や挑発を繰り返している寂しい人がいます。
「人の気持ちも理解せず、理由もなくブロックした」という話を混じえ、そんなことをする人(私のこと)への批判や攻撃を繰り返しているのです。
 何とも陰湿で、悪質で、気持ちの悪いやり口です。人間として軽蔑しますし、とても残念な人だと思います。
 裏を返せば、そういう思考の展開こそ、「人の気持ちを全く考えていない」証明なのですけど、戻ってきたブーメランさえ受け取れない人なのです。

 余談ですが、この数日は、「落ち葉」や「ハロウィン」を題材にした幼稚な54文字の作文を投稿しています。法や規約には何も反していませんが、マナーやリテラシーの観点からは客観的に見ても疑問符が付くでしょう。私が主催しているイベントに対する、妨害行為に他なりませんから。
 要は、今わざわざそれをやるか? って話です。

 話を戻しますが、「何故ブロックされたのか?」ってことぐらい、自身を振り返り、よく考え、分からないことは調べ、結果を分析すれば、容易に理解出来ることなのです。なのに、思考力、調査力、分析力、理解力が、いずれも著しく欠如しているだけでなく、何よりも自身を省みることが出来ない人なのでしょう。
 だからこそ、「理由もないのにブロックされた」という自己本位な解釈に固執し、思考が硬直し、客観性を排除し、不都合な事実には蓋をして、論理は破綻し、認知は歪み、根拠は欠落し、ただ自己防衛本能からくる感情だけで自分は正しいと主張しているだけなのです。あまり好きな言葉ではありませんが「老害」そのもの。
 そんな人間にはなりたくないな、と思います。そして、そんな人間とは関わりたくありません。

改めて「ブロック機能」を考える

改めて「ブロック機能」を考える

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-11

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