小説の構成とは?

「オモロイ話とオモロイ話し方って別ものやねん。オモロイ話でも、話の進め方が悪いと全然つまらん話になるやん? なんでそれ先言うねん! みたいな。逆はないな。つまらん話はどうやってもつまらん。でもな、つまらん話の中にちょっとでもオモロイ部分があると、話し方次第でめっちゃオモロイ話に出来るねん。それが芸人の話芸やないかな。それが上手いか下手かってことが、話芸の実力の違いやと思うねん」

 これは、大昔のこと、まだ私が日常的にテレビを観ていた頃なので、少なくとも十五年以上、おそらく二十年近くも前の話ですが、当時ファンだったダウンタウンの松本人志さんが、何かのトーク番組で話していたことです。
 もちろん、記録も何も無いのでそっくりそのままの言葉ではないのですが、大筋で内容は再現出来ていると思います。そして、この話は、今でも強く印象に残っているのです。
 当時の私は、小説みたいなものを書くようになったばかりの時期でした。清水義範さんのパスティーシュ小説に感化され、厚かましくもこういうものを書いてみたい! なんて考えるようになってしまい、パスティーシュもどきのショートショートを書き始めていました。
 今思うと、稚拙極まりない作品ですけど、中には自分でも、(単なる自惚れでしょうけど)「このアイデアはイケるんじゃない?」と思うものも時々ありました。しかし、当時入り浸っていたSNSで投稿してみても、大して読んでもらえず、好意的な評価も得られず、「何がいけないのだろう?」と文才の無さを棚に上げ、一人悩む毎日でした。

 そんな時に、たまたま松本さんの話を耳にしたのです。
「オモロイ話とオモロイ話し方って別もの……」そう、私の中で幾ら面白いと思っていても、読んでくださる方にその「面白さ」が効果的に伝わらないと、面白さは半減どころか、下手すれば消滅してしまうこともあるのです。そのことに気付かせてもらい、改めて自作を客観的に読んでみると……メッチャつまんないやん! え? 何コレ? と思うぐらい、話の進め方が下手だったのです。
 改めて、清水義範さんのパスティーシュを読んでみると(比べるのも烏滸がましい話ですが)、至る所に緻密な計算が見られ、種明かしのタイミングや明かし方も色んなパターンがあり、何もかもが読者に効果的に伝わるような絶妙な構成になっているのです。
 もちろん、文章力や表現力は、足元にも及びません。そんなことは当然として、話の運び方や展開のさせ方ぐらいは参考に出来る部分もあるはずです。
 当たり前なのでしょうけど、それまで一読者として楽しんでいただけでは見えてこなかったことが、教材として読むと、本当に色んな発見に繋がったのです。
 それは、同時に絶望的なぐらいの落ち込みも伴いました。自身の才能の無さを突き付けられた感じでもありますし、こんなつまらない作品を堂々と公開していたんだという恥ずかしさもありますし、この先も続けるべきなのかという迷いでもありました。でも、幸か不幸か、当時の私はネタのアイデアだけは次々と舞い降りてくる状態だったのです。

「オモロイ話とオモロイ話し方って別もの……」

 では、オモロイ話し方(書き方)って何でしょう?
 どうすれば、私の小説は面白くなるのでしょう?

 思えば、文芸創作との付き合いは、この問題の解答を模索し続けることと同じだったのかなと思います。もちろん、「オモロイ話」だけではなく「怖い話」も「泣ける話」も「驚く話」も「悲しい話」も……全て一緒です。読者の感情をどう揺さぶりたいか考えた時、その最も効果的な手順の構築が、いわゆる「構成」ではないでしょうか?
 noteで色んな作品を読んでいても、(辛口批評みたいで恐縮ですが)時々発想は斬新で面白いのに、すごくつまらない仕上がりになっている作品を見掛けることがあります。そういう作家様の作品は、ほぼ全て同じ傾向が見られます。つまり「オモロイ話なのに、オモロイ書き方になっていない」のです。
 構成が全てとは言いませんが、短絡的にネタやアイデアを披露するだけのような物語進行ではなく、もう少し順序立てて、丁寧に物語を運び、「面白味」をどのタイミングでどうやって見せるのか、そういう計算もしてみて欲しいなぁ、なんて偉そうなことを思ってしまうのです。何様と言われようが、そう思うのです。
 もちろん、それは創作の一つの側面でしかありません。
 そもそも、構成だけでは物語は成立しません。大雑把にまとめてしまうと、話を進める文章力は、語彙力や文法力などに委ねられますし、話を彩る表現力は、感性や比喩力などで個性が出ます。前者は学習で身に付きます。後者は持って生まれたもの、そして経験や環境で築かれた「個性」の差なので、自分らしさを磨けば良いと思います。
 この二つがないと、構成力なんて語る以前に、物語を生み出すことさえ出来ないでしょう。また、構成力をどうこうするよりも、何よりこの二つをブラッシュアップし続けることは絶対に欠かしてはいけないのです。
 その上で、という前提ですが、構成力はセンスや学習だけでは解決しないのではないでしょうか? ある程度、理知的なアプローチで考え、他作品を研究し、実験と考察を重ねた経験も大切だと思うのです。松本人志さんのように、それらをほぼセンスだけで賄える人はごく稀な存在で、ほとんどの表現者は、色んな思いを逡巡させ、自分なりのやり方で築いていくものだと思うのです。

 偉そうなことを書いていますが、決して自分がクリア出来たという話ではなく、今も昔も、きっとこれからもずっと、模索し続けていくだろう、という、要は、自分には全く出来ていない話なのです。
 その証拠に、このエッセイの構成も、大したことないですからね。

(了)

小説の構成とは?

小説の構成とは?

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-11

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