後景
あくまで私の
個人的な話。
誰のものにもならない
大切なこと。
あの日、
一番悲しい時に
最も孤独になれたら
死にたいって、
ちっとも思わなくなった。
多分、
自分が生きる
この「世界」の
端っこを知って、
その向こう側で
誰ひとり、
流していなかった
悲しみを想って、
心の底から
決別できた。
嘘や
誤魔化しとか、
そういうものを憎まずに
その結果として
現れる、
歪な「人」の形。
その動きが奏でた
まともらしい
和音。
母の無念や
その憎しみや遺志を
何一つ顧みない
道の均し方が
悍ましく、
やっぱりと思うか
結局は、と続けるべきか、
嘆息混じりで
放り投げる全て。
そうすべきなのだと、
やっと決意して
実行できた。
そうして至る状態。
隙間風が冷ややかで
清々しく、
トントン、と
叩く度にガタつく
胸のあちこちが
正直で、
深く、
熱く信用できた。
勿論、
あの場にいた者の
それぞれの悲しみは
きっと、あったんだろう。
でもそれは
本当に別種のもので
別種のものとして重ね合える、
そういう類のものに、
一瞬たりとも、
なりはしなかった。
少なくとも
私の中では。
そこで起こる、
すれ違いは
やっぱり大きい。
記憶が喚起する
心情のあれこれが
所詮は独りよがり。
私の「世界」でしか
起きやしない、
思い込みに近しいって
聖人みたいな、誰かに
説かれるまでもなく、理解できた。
その時からの
あの、
言葉の温度の失われ方。
私自身も含めて、
誰がどう言おうと
全く同じ質感を伝える、
あの手の離れ方は
今もって
忘れられない。
極めて機械的に働く
その説得力は
とても不気味で、
その内容が
私という者の判断を
執拗に求める。
私と「世界」。
その命脈を保つため、
やらなきゃいけない事。
それは
本当にしんどくて、
とても難儀だ。
どうでもいいって
何度心に思い、口にしたことか。
けれど、
もう知ってしまった
当たり前が
当たり前とならない「世界」。
そこで生きる、
この私。
それを否定する動機は
何故か、今も、
生まれてこない。
余りにも辛くて
その痛みに蓋をしたか、
あるいは
ただ、感情を鈍麻にしただけ。
それもまた事実だろう、
けれど私は
そんなに複雑じゃない。
残酷なほどに快を欲するから、
そこに楽しさを覚えている。
神のように裁断する
そんな営為とは程遠い、
ぎこちないその「世界」。
そこに認められる
かつての私の死と、
今現在の私の臭み。
それらをトントン、
と紙のように整えては
バラバラと捲り進む。
その、
現在進行形の事象。
そこに
何某かの面白さを見ている。
きっと。
だから、
これはあくまで私の
個人的な話。
誰のものにもならない
大切なこと。
感情的になる前に
頭から冷水を被った
そんな所からしか
もう、
何一つ、
発せられない。
この言葉と、私の人生。
その絡まり方。
この、
固有の重みと責任は
石ころみたいに
捨てる気になれない。
執着するならここ、と決めた私。
そう記して、
あとは
都合よく見ないふり。
どうせまた思い出すから、
あの時の痛みを
私は死んでも忘れない。
こう思える限り。
それ以上、言えることがないままに
生きていく。
これはあくまで
個人的な話。
誰のものにもならない
大切なこと。
好きに読まれても
何をされても、
言葉は死なない。
ただ、死なない。
だから、
だから。
ここから、
と胸をトントンと叩く。
とてもガタついた、
心細い顔をした、
心象風景のさらに先に
ある実際。
その声を聴いてみたく、
思うから。
飽きもせず、
消えもせずに
紡いでみよう。
壊してみよう。
振るう槌で。火花を散らして。
後景