令和6年1月の雑談
・信じられるようになっては来た。あとのどうしようもない不安感は引き籠ってきた過去の歴史の傷跡と思って見て見ぬフリするしかない。もしかして何かを始めるよりも何も始めなかった場合の自分がどうなってるか不安なのかも知れない。
・12歳から27歳まで同じ家の同じ場所で過ごし続けた弊害は、ふとした時に表れる。20年近く前の流行りの曲とかを目に耳にする度に「あ~懐かしい~だいぶ前やな~もう20年近く経つんか」思うた次の瞬間、あれから20年近く経ってんのに思い出される景色が全く一緒で全然時間を感じられない自分のもう変えられない現実に寒気を覚える。ずっと、このマンションからの同じ眺めを毎日同じ食卓から眺め続けてここで寝てきた。とても20年前が20年前に思えない。今更ながらに底抜けにツライ。
・「あっという間」が自分と誰かとでは全然違う。あらゆる哀楽があって色んな場所にたくさん行って様々な良い悪い出会いがあっての「あっという間」は、俺から見たら「人生」そのものやった。
・俺は殆ど「人生」を知らない。そしてもう過ぎ去った年齢での人生はもう二度と経験できない。それでも年は重なっていく。ふとした時にその現実に追いつけなくて虚しかった。
・でもふとした時には、自分が価値のある人間である限りそんな事なんて気にならない気がしてくる気もする。それもこれもやっぱりまだ本当の人生を生きたことない「満たされなさ」が裏にあるんやろうな。満たされてたら、そんな事いちいち気にせぇへんねや屹度。
・そんだけのことやから他の人からすればどんな理由で不登校になったんですか?ってなるわなそら。そんで、理由なんか特に無かった。強いて言うなら「朝起きるのが只々イヤ」だっただけ。あの時あの布団から出なかった只それだけのことで人生の中で大事な序盤の十数年間をムダにした。
・自殺するほど過酷なイジメを受けた子のことを「不登校」って呼ぶんやろう。学業とか人間関係とか仕事での挫折とかで引き籠った人を「ひきこもり」っていうんやろう。大した理由もなくその人達以上に長い間ひきこもってた人間は社会でいう「不登校」とか「ひきこもり」には数えられない。然ういう人はたぶん実際少なくない。
・ただどの道、勉強ができないので普通の道をそのまま歩めてた気もしない。本も読めない。覚えられない。国語も数理も家庭科も苦手。走るのは良い。マラソンは嫌。球技とかも地獄やった。
・そんな事よりゲームをして居た。そんな事より、動画の嗅ぎ分け方を日々学んでは昂ぶって居た。
・創造を齎すのは勉学ではなく快感ですから。快感さえ得れば、あとは勝手に何かが創り出される。それでこれまでやって来たので今のところ、自分の人生はひとり寂しい生殺しの快楽を巡る旅。この全くおんなじ場所で十数年間。それにしては壮大でしたわ。それにしては、呆気なかった。
・役所での講習会的な日常を一年ほどで卒業した後、さあ次に進もうということで町の公民館みたいな所での話し合いみたいな場に連れてってもらったものの。丸でそこの議論に興味が持てない自分には驚きましたわ。
・役所で色んな理由で無職だったり社会からあぶれたりした人達と言葉を交わすのと違ってそこには普通の大人たちがその市の事とかその公民館のことを話し合おうと集まってたのに、全く違うものに思えなかった。地方のごくごく一部のどうでも良い地元とか公民館についての話題とかでしかない。
・そしてこの界隈をどう盛り上げようかとか公民館の1階をどう楽しく改装するかとかの議論も詰るところは、結局「お金が足りない」ってとこに無事に落ち着く。
・お金を創り出すこともできない限られた小さな枠の中で一体何しとんねやろ。全く本当に、何の意味もない。全くその輪に加わろうとする意慾が湧かない。そこらへんを草の根から支えていくことに本当に心の底から興味ないやな俺は。世界を変えるとしたらその世界に地元も当然含まれる。世界の方を変えたらええやないかい。
・だからそれを機に完全に役所からは卒業した。最後に県議会議員選挙の選挙事務員の募集を紹介してくれてそれが役所の人との最後だった。それにしても自分でそこから役所本庁に行って面接受けて選挙事務をやってる自分がそこに居ることに当然やけど感心したわな。そんでめちゃめちゃ簡単なことやし、ほんまに社会なんてこんなもんか思た。
・只単に俺より社会での常識を知ってて作法を知ってて簡単な仕事をこなすそれ以上でも以下でもない人達。もしその常識とか作法を知らんで挙動おかしくて簡単な計算もでけへん奴をみかけたら公然と見下しにくる社会人たち。本当に普通のことしか口にしないし恐らくそのまま数十年したら只々死んでいくだけの人達。こんな中で暮らして死んでいくとか絶対無理やし絶対イヤや。あんたらは勝手に生きて勝手に天寿を全うしとけ。勝手に幸せになっとけ。すんごい幸せになってええから。
・人に興味がないのなら徹底的に興味をなくせば良い。興味があったとしても、世界が移ろいゆく中での重要な要素の一つとしか思えない。然うじゃないようになろうとしたら、只々自分を否定するだけ。世の中をどうにかするか自分が楽しむかって事にしか興味がない奴が結果的に世の中に貢献すれば、人の為になる。
・その魂胆で居たことで役所の人を怒らせたこともあったし、特に一番最初に窓口で話をした女性の人は最後、生理的に無理な感じの雰囲気でニコニコしながら送り出してくれた。ゴメンナサイでしかない。一度謝ってからも、何回もたぶん然ういう言葉を発してたんやと思う。その人に向けてのものではないものの。でも仕方ない。寧ろ俺はこのままでええんやいう確信を得たまである。
・通勤途中の小学校の前で小1くらいの男の子が泣き喚いとった。「行きたくない」そうやった。母親と先生が説得しようにも大通りに響きわたるくらい叫ぶもんやから打つ手もない。仕方ない。然う。仕方ない。その子が嫌なのも仕方ないし、親とか先生が学校に行かせようとするのも仕方ない。そこには仕方のない事しかなかった。俺も斯うやったんか。小1の頃からはじめは何回もズル休みして、小3からは偶に一週間丸ごと休んだりするようになる。その子のこれからの20年はどんな風になんねやろか。でもそんなんを見ても悲しい感じにはならんかった思う。今の俺もその日のその子も、これからこの先どうなろうとも、惜しむことなんて何もあらへん。
・人生で一度も峠を越えたことがない。人生を始めたことがない。早く自分の価値を思い知らせてやりたい気しかしてこない。でももし一線を越えたら人目の無い楽な生活とはお別れしないとならなくなる。毎日が日曜日みたいに引き籠ってると逆に休みの有難みがわからなくて全然心も体も休まらないのと同じで、きっと人前に出てから今日のこの毎日を惜しむ時が来るかも知れない。
・所が、やはり惜しむものなんて一つもなかった。それにもうここにこれ以上、楽しいことはない気がしてきて早く次へ進みたくなって、それでも夜にはふと不安になる。もうすぐそこに夜明けが迫ってる。或時には朝映えする自分が見えて、或時には姿が見えない。
・進まなくても、時間が追いつく。追い抜いていく。然うなったとき、じっとはしてない。きっと自分は然うだと思う。自分のことは自分に任せて、あとは月日を指折り数える。最後のほんの、平穏な日々。
令和6年1月の雑談