古典調律

 3月に某所で、ピリオド楽器を使ったミニコンサートの調律を担当することになりました。

 ちなみに、ピリオド楽器とは、楽曲が作られた当時に使われていた楽器という意味で、例えばモーツァルトの曲を弾くなら、モーツァルトが生きていた時代に製作された楽器を意味します。
 とは言え、コンサートの場合は色んな時代の作曲家の作品を取り上げることも多い(と言うか、ほとんどがそうです)ので、厳密な意味ではなく、大雑把に「アンティーク楽器」という意味合いで使うこともあります。

 さて、私が担当するミニコンサートは、バロック時代の作曲家の作品がメインで、一番新しくてハイドンという、ピアノが誕生してから楽器として完成するまでの、進化していく途上の時代に作られた作品がほとんどなのですが、使う楽器はその時期を象徴する、1790年製スクエアピアノ(修復済み)なのだそうです。ハイドンは1809年没なので、堂々とピリオド楽器と呼んでも大丈夫でしょう。
 余談ですが、バッハ(1685〜1750)の生きている時代にもピアノは既にありましたが、地理的な問題で、バッハは生涯にほとんどピアノに触れる機会はなかったと言われております。なので、バッハの「ピアノ曲」は、厳密には「クラヴィーアの為の曲」となっています。これは、鍵盤楽器の為の曲、という意味になります。

 このコンサートでの調律は、ピアニスト(主催者でもあります)のご要望で、古典調律で実施することになりました。
 といっても、私は古典調律には詳しくありません。唯一「ミーントーン調律(中全音律)」なら対応出来るのですが、ピアニストに「ヤングの2番じゃないと!」と言われました。どうやら、今は古典調律(たくさんの種類があります!)の主流がヤングの2番(ヤングⅡ)なのだそうです。恥ずかしながら、そんなことさえも知りませんでしたが。
 ということで、ヤングⅡ調律を学ばないといけなくなりました。と言っても、幸か不幸か、理論は然程難しくないようです。

 音階は、どの音からスタートしても完全五度を12回重ねると元の音に戻ります。

例(Cから)
C→G→D→A→E→H→Fis→Cis→Gis→Dis→B→F→C

 しかし、実は1オクターブは12で割り切れない為、純正の五度を重ねると、元に戻った時には24centのズレが生じます。半音が100centなので、約1/4半音もズレるのです。
 この24centを均等に振り分け、すべての完全五度を2centずつ、意図的に狂わせた調律が、平均律なのです。つまり、平均律はオクターブ以外に純正和音はなく、全てが満遍なく濁っているのです。

 古典調律は、ざっくり言ってしまうと、(五度に限らず)完璧な純正和音(ゼロビート)を音律の中に含ませる調律のことです。
 何処に、何個の純正和音を作るか、つまり、考え方や求める響きにより調律法が変わりますので、古典調律には沢山の種類が存在するのです。
 ただ、どう足掻いたところで、音階は物理的に絶対に純正和音だけでは成立しません。なので、純正な和音を作れば作るほど、皺寄せとして濁った和音も増えていくことになるのです。
 また、平均律と違い、同じ音程の和音でも一つの音階の中で色んな響きが生まれてしまいます。曲の調性によっては、とても美しく澄んだ和音だけで構成されますが、別の調性だととんでもなく濁ってしまいますので、転調の自由度も小さな範囲に限定されるのです。

 今回のヤングⅡ調律は、12個ある完全五度のうち、半分にあたる6個の完全五度をゼロビートに合わせます。そして、残りの6個の完全五度で、余りの24centを振り分けるのです。つまり、6個の五度は澄んでいるけど、6個の五度は平均律の倍、音が濁るのです。
 五度の裏返しが四度なので、四度にも全く同じことが起きます。そして、問題なのが三度と六度。これは長短共に、オクターブの中で数種類の違う響きが生まれてしまいます。

 それでも、古典調律で行うメリットは大きいのでしょうか?

 私は否定派ではありません。むしろ、当時の雰囲気を可能な限り再現するという意味で、ピリオド楽器も古典調律も推奨すべきだとは思います。
 しかし、逆に考えると、何故古典調律は廃れたのか? という点にも目を向けてしまいます。

 当時の音楽家は、本当に当時の調律に満足していたのでしょうか?
 選択肢がなかっただけで、不満があったのではないでしょうか?
 だからこそ、後に平均律が一世を風靡したのではないでしょうか?

 確かに、平均律にも欠点はたくさんあります。批判する人も、今も昔も沢山います。前述した通り、本当の意味での綺麗な和音はありませんから。
 ただ、それと引き換えに、どの調性でも、常に同じ響きが得られるというメリットは、決定的に大きいと思うのです。同じ音程の和音が、全部同じ響きになるのは平均律だけです。しかも、どの調性になっても、その基本法則は不変なのです。
 全て微妙に狂っているとは言え、微々たる狂いです。それに気付く人は少ないし、もしいたとしても、古典調律の純正じゃない和音の方が何倍も気になる狂いなのです。

 と言い訳したところで、主催者はどうしても古典調律でやりたいそうで、どうやら逃げられません。つまり、必死に勉強せざるを得ないようです。

古典調律

古典調律

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-05

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