お召し列車の名をかたるとは、ふてえ連中だと思わないかい?
かつて作造の家は、踏切番を職業としていた。
現代では想像もつかないが、列車が近づく踏切で車や歩行者を通せんぼする遮断機。
あれを手で動かす仕事だ。
ちょうど腰ほどの高さに丸いハンドルがあり、それをくるくる回すと遮断機が上下する。
列車の接近は、けたたましいブザーが事前に教えてくれる。
ブザーが鳴ると遮断機を下ろし、列車が通り過ぎると遮断機を上げる。
これを日に何度も繰り返すのだ。
そんな生活だから、作造のあだ名は自然に遮断機となった。
「おい遮断機、そこで立ち止まれ。特急ツバメが通るぞ」
とガキ大将が言う。
殴られたくはないので、小学校の廊下であろうが運動場であろうが、作造は従うしかない。
すると意地悪げに笑い、特急ツバメことガキ大将は、作造の目の前をわざとゆっくり通り過ぎるのだ。
作造の日々はそんな風だったが、あるときニュースが村を駆け抜けた。
近々、お召し列車がこの村を通るというのだ。
お召し列車とは天皇陛下が乗車される列車のことで、なんでも陛下は、陸軍の大演習を見てのお帰りらしい。
村としても大変名誉なことである。
噂が真実であることは、すぐに校長の手で証明された。朝礼の場で訓示したのだ。
初夏の日差しの下、タワシのような白いひげを震わせたかと思うと、やおら校長は背筋をピンと伸ばした。
「かしこくも…」
児童は児童で反応が早い。
さっそく全員が気をつけの姿勢をとる。
打てば響くというやつで、『かしこくも』と聞いてボヤッとしていては拳骨が飛んでくる。
『かしこくも』とは、天皇陛下へと続く枕詞なのだ。
「かしこくも天皇陛下にあらせられましては、今週の金曜に、わが村をお召し列車で通過されると決まりました」
お召し列車が到着ではなく、ただの通過だ。
それでも大事件なのだ。
騒ぎは小学校だけではない。村議会も同様だった。さっそく正式な歓迎委員会が組織された。
その大騒ぎをよそに、作造は作造で思うことがあった。
『天皇陛下のお顔を、ぜひ一度拝見したい』
という欲望が、9歳児の胸にもくもくと湧き上がったのだ。
作造はもちろん、陛下のお姿などまだ一度も拝見したことがなかった。
お写真は校長が持っていたが、校内の奉安殿という建物の中に安置され、子供が見ることは許されなかった。
であれば、作造の望みも当然だろう。
お召し列車の正確な通過時刻がわかったのは、校長が発表したからだ。
そのちょうど1時間前に全校児童が校庭に集合し、線路端へ向けて歩いてゆく(授業は中止になる)。
線路際に到着するのは、通過の30分前。
全員がその場で待つ。
線路際の家であってもお召し列車を上から見下ろすことは許されず、2階のある家には警察官が現れ、2階より上の窓はすべて雨戸を閉めるよう命じるのだ。
当日は踏切で両親の手伝いをするということで、作造は学校を早退する許可を得ていた。
手伝いをしつつ、作造は踏切の掃除をし、窓ガラスを磨いた。線路から見える範囲はドブの中のゴミまで拾った。
遮断機はきちんと下ろしてあり、そろそろ時間である。
一張羅を身につけ、作造も両親も最敬礼の準備をした。
「お母ちゃん、おしっこ」
両親は顔色を変えた。
しかし出物腫れ物ナントヤラ。許可を出すしかない。
作造は脱兎のごとくその場を離れた。
踏切係の官舎には小さな庭があり、不釣合いに大きなクヌギの木が植えられていた。
子供なら平気で登れるほど大きく、夏の日は樹皮に傷をつけておけば、翌朝にはあふれる樹液を求めてカブトムシやクワガタが集まる。虫取りにはありがたい木だった。
両親の元を離れ、人目を気にしつつ、作造はさっそく樹上の人になった。
葉の間からこっそり見回すと、線路際もそこらの路地も、人々でいっぱいだ。例外なく村の全員がここにいるのだ。
手に手に日の丸を持ち、時々警察官がいて、警戒の目を光らせている。作造は絶対に見つかるわけにはいかない。
樹上は見晴らしがよい。やがて時間が来たようだ。
ブザーに遅れて遠くに汽笛が聞こえ、少したつと真っ黒な蒸気機関車が姿を見せ始める。
あの機関車がお召し列車を引いているのだ。
「…」
声こそ出さないが、人々は大人も子供も老人も全員が立ったまま、頭を深く前に下げる。
最敬礼というやつだから、警備の警察官たちまでが同じポーズをとる。
つまり線路のまわりの人々の中に、お召し列車に目を向けている者など一人もいないということだ。
ただ一人、クヌギの木の上にいる作造を除いては。
木のてっぺん近く、安定のいい枝の一本にまたがったまま、作造は目を見張っていた。
「あの列車は何じゃ? お召し列車とはあんな形か?」
子供の眼から見ても、どう見ても奇妙だったのだ。
列車であることは間違いない。
お召し列車と言えば普通、豪華な客車を連ねたものだが、作造の目に映るのは、ただの貨車でしかなかった。
しかも、屋根も壁もない平たい貨車なのだ。
それが機関車の後ろに10両ばかり続き、その1両1両が材木を満載しているのだ。
鉛筆のようにまっすぐに長く、切り倒されたばかりなのか、木の匂いがまだ立ち込めていそうな新しい材ばかりなのだ。
作造の住む村よりも少し上流だが、20キロばかり行ったところに深奥山という山地があり、大変に質の良い木材を産出することで知られていた。
地質が良いのか、日当たりが適切なのか、ここでとれる杉は「深奥山の神杉」と呼ばれることまである。
それゆえに、深奥山の杉は通常の杉よりもはるかに高い値段で取引されるのだということぐらいは、作造の耳にも届いていた。
「あの貨車に積んであるのは、神杉ではないのけ?」
作造のいる踏切のあたりから線路は山の中へ入り、トンネルを2つ越えた先には、大きな川を渡る鉄橋がある。
この地方の一級河川で、深く大量の水をたたえ、ゆったりとカーブしながら流れてゆく。
「やれやれ、お召し列車を大過なく見送ることができた」
と人々がホッとした半日後、この鉄橋の上に貨物列車が停車しているのが発見された。
機関手も車掌もおらず、まったくの無人で放置されていたのだ。
半日後というのが、ずいぶんとのんびりしているが、あの時代にお召し列車が走るといえば、通常の列車は運休になるのが当たり前だったから、犯罪の露見に時間がかかったのだ。
例の高価な杉材を満載した貨物列車があったのだが、お召し列車に道を譲るため、駅に留め置かれたまま一日待機する手はずになっていた。
貨車が10両に、積荷はすべて神材だったというから、総額がいくらになるかは見当もつかない。
もちろん、お召し列車が通るというのは真っ赤なウソだった。
宮内省から来たという身なりの良い紳士が数週間前に姿を見せ、村役場、警察署、駅をまわって指示を残していったのだ。
高価そうな洋服といかめしいヒゲ、自信に満ちた話しぶりに、誰一人として疑わなかったそうだ。
そうやって当日、村の全員を線路端へ集めておき、賊は神材の貨物列車を奪った。
そして、村人たちの最敬礼を受けつつ貨物列車は快走し、停車したのが鉄橋の上だ。
ここで賊たちはロープをほどき、積荷の神材を、ありったけ全部川に流してしまった。
発見された時、貨物列車は完全に空っぽだったのだ。
もちろん別の一班が待機していたのだろうが、いったん川へ流してしまえば、下流で待ち受けて材木を回収するのは難しくはない。
事実、鉄橋から河口まで、後に徹底的な捜索が行われたが、杉材はただの一本も発見することができなかった。
お召し列車の名をかたるとは、ふてえ連中だと思わないかい?