残る、灯り

残る、灯り


  残る、灯り

「ため息ばっかだ、なんか嫌なことでもあったか?」
 適当に続けているスーパーのバイト。そこの先輩の小言。
「嫌なこと、それ以外に世の中あるんですか?」
「まあ、一つや二つくらいはあるだろう?」
「例えば?」
 先輩はコーラーを並べながら無表情を貫く。
「例えば…彼女の誕生日とか、両親の結婚祝い日だとか。」
「良心的ですね。」
「なんだ、それ。けど、小さい幸せを見逃す者に本当の幸せはやってこない。って東大の誰かが言ってたぞ。」
 今度はスプライトを握っていた。僕はといえばただ段ボールを開けて、畳むだけ。
「そうなんですね。」
「つめた。」
「ジュースの話ですか?」
「さ?」
 スプライトはもう棚いっぱいだ。
「もっと身近なものを大切にしろよ。お前みたいな孤独よがりな奴は意外と小さな積み重ねが見えてないときがある。」
「人生何周目なんですか?」
「今並べているファンタの数と同じ。」
 僕は段ボールを破くのをやめた。
「あと、愛情が一つじゃないってこと。」
「もう寒いです。」
「そ。」
 ファンタを並べ終えた先輩は手を振ってお酒コーナーへと消えていく。
 取り残された僕は適当に防犯カメラを眺めた。黒い瞳を睨んでいた。
 今日書く小説はさっきの話を題材にしよう。今の展開ならヒロインは殺すべきかな。じゃないと先輩の今の言葉が生かせない。ならここからヒロインを殺すのなら、やっぱり事故か隠し病かな。
「なんか、怠いわ。」
 ため息になる。
「ため息は厳禁だぞ。」
 戻ってきた先輩が呟く言葉に隠れる情は「愛」ですか。

「「愛」とやらがわからない。」
思春期の迷走か、それともそういう人種なのか。何一つわからないのだ。恋人を装う人たちに羨ましがる心、宇宙を見つめるほど具体性のない遠い世界。
「好き」な人はいたことある。失恋もした。でも、その「好き」は後悔と劣等感を補うための「好き」だった。それが昇華したときに現れるのが「愛」な気がする。
「まあ、今更どうでもいいことだ。」
 屑にも、まともな奴にもなれないろくでなしの21歳。
 ただひたすらにこの世の何処かにありそうな思い出を、金にもならないし、時間の無駄なのに綴るだけ。それでも言葉を物語にしている時だけは「愛」も「好き」も「思い出」も殺せていた。
「ひとまず…」
 タイピングを止める。その代りに珈琲カップを手に握る。唇に珈琲から伝わったカップの熱を感じる。温かいと熱いとの狭間だ。啜る。コクと苦みがただ広がる。安いインスタントの味と高い豆を焙煎したものの違いが僕にはわからない。だからただ、苦みとコクが広がる。
 頭に過る次のワンシーン。そのフレーズも切り取りたい。否、浮かんでいたい。
「リンカーネーション」
これも違う。
「宝石泥棒の名前を忘れたい」
 これも軽い。
「私の左手首のバングルを外してください。」
 ずれている。
「私も殺してください。」
 もうどうでもいいや。
 また諦めるような内心。思い出は何度も花咲く。
 止まるフレーズ。もう描かれることのない小説。安い珈琲にもなれない小説。コクも苦みも価値すらもない小説。
「今の僕に必要なのは愛だろうな。」
 止まった手が動き出す。バックスペースが入力される。入力を永遠に繰り返す。酒に酔ったみたいに頭を垂れる。
「愛がわからない。」
 涎のように垂れる言葉。
「性欲だけ、相手もいない無駄な。一人虚しい生命だな。」
 重心の全てである頭を持ち上げる。光る白い画面に棒線一本が点滅を繰り返す。早く言葉を紡げと言わんばかりの急かし方。数秒見つめあった。でも、イラッとしたから電源ボタンを無理やり押し切った。
「あの恋はよかったな。きれいだった。なんて惨めで綺麗な。」
 バスケットボールみたいに落ちた頭が記憶を漂わせる。
ただ現実を語ってくれればいい物の、比喩表現なんて似つかないだろうに。

   ・

 人肌恋しい、12月19日のこと。たしか彼女はケーキ屋さんでバイトをしているからクリスマスは会えない。むしろ稼ぎ時だし、僕が我慢する以外の選択肢はない。
そう、会えないからデートへ向かった。駅前の買い物。お互いに服を買おうって。
 確か…17歳。高校二年生の冬だ。
「今日から雪だね。恋人らしいな。」
 バス停で一人ぼやいた。一粒の雪を手袋の上で躍らせながら。
 バスが来るまで君のことを思っていた。見つけたらなんて声をかけようか。いつまでに可愛いって言えるだろうか。帰り際には言いたいな。それと、今日は手をつなぎたい。君からの貰った愛の言葉を今でも噛み締めて、君を好きになれているんだ。だから、今日くらい僕から手をつなぎたい。あとネガティブなことは無しだ。君に弱いところを見せたくない。あとは、あわよくばキスもしたい。駅前のクリスマスツリーを背にSNSに映えそうなキスをしたい。なんて、気持ち悪いか。ああ、こう思えるのも今のだけなのかな。
 バスが停車する。チェーンもつけずに雪の中を走ってきたらしい。
 白銀世界。車の背にはまだ雪が積もっている。ライトの薄明かりも雪化粧にかけられている。山はもう遠くに、白くなって。
「会いたいな。」
 駅前のターミナルを降りた。暴風雨に加えて大雪。もう今日は帰れない。

「ね、だからさ。嘘なんだ、恋。わからないんだ、恋。」
 ただその声一つを置かれて僕は一人になった。冷えた雪に晒されるだけだ。

「長く続いた恋文もここで終わり。これからは、なんて言えばいいのだろうか。友情とか、愛情とか。間違いないのは恋ではないこと。それ以外は言葉にない。言葉で表せないから不安なんだろう。友達でも良いから傍に居たい。君に幸せになって欲しい。
きっと君も小さな嘘をついているだろうし、僕も小さな嘘をついている。それなのに君は「良い人を見つけてね。」なんて言うのだ。どうしても心に上手く収まり切らない。まるで余命宣告をされたみたいに煮える未来。分からないけれど、未来は楽しまないと損だろうが。そうと知って望んでいた未来を悔やむのだ。もう手に入らない事。誰も安心させれない事。
これから僕は君に恋を教えて上げたいのだ。それが僕じゃなくてもいい。でも期待はしたい。それでも君は理解してくれないだろうな。なら友達として思い出を君と僕に与えよう。友達の定義とかも知らないままだし、何をしたらいいかも理解していない。もう散々、僕等は傷つけ合った。
どうしようもないくらい胸が痛いんだ。鏡に映る僕の顔に生気がないんだ。ね、欲しかったのは未来だ。でもそんな物、一生手に入る訳無かった。
これからどうすればいい。僕は君とまだいたい。ならいればいい。でも、それはいつまで。いつまで会えるの。怖いんだ。終わってしまう事が。それは前と何も変わらないのに。
ねえ、始めから恋の障壁は未来への不安だっただろう。なら、変わらないままだな。きっと違うのは前に進んで君を知ってしまった事くらいだ。くよくよしないで前を見ろよ。ちゃんと真っすぐ歩いて行けよ。
君が全てじゃない。世界はまだ広い。まだきっとこれから何十年もある。だからいつか君も僕も違う恋に出会っているかも知れない。でも、何十年も生きられる保証はない。
分かんないよ。それでも不安を肩に乗せながら生きるしかないのか。せめても君の事をもっと心の中で軽くしたいな。
何て言うのだろうか。君の事を思って買い物をするような。それでちょっと会いたくなるような。それくらいでいい。重すぎるのだ。将来なんて考えるよりもっと目先の事をしっかり見てあげないと勿体無いよな。」

 結局、この恋は他人に紐を結ばれただけだと知った。恋だと信じていたものは、愛を知らない人間の恋だった。そうしてこの恋もコンプレックスと劣等感とか妄想とか、その程度の愛だったと後で気が付いた。
 木を見れば枝に目が向かう。枝からロープが生えている。
 ビルを見れば屋上に目が向かう。ぐちゃぐちゃな誰かが地上で寝ている。
 そんなことばかりを思って生活を繰り返していた。もう4年か。

 筆はとまる。思い出を蒸し返せば、蒸し返すほど。行きつきのない物語をどこで区切るのだろうか。まるで日常みたいにのんべんだらりと繰り返すだけ。最終回が早く見たいのだ。どう笑っているのだろうか。どう涙を流しているのだろうか。そんな表情ばかりに気を取られている。そうして今日もバイトの時間が近づく。

 腫れた目に乾いた唇。冬と孤独の混色に似合う僕だ。終点も熱も見えないままの惰性が好きなんだ。
「クリスマスは好きか?」
 夢のない言葉をいつもの飲料コーナーでくみ取る。
「あんまり縁はないですね。」
「好きなん?」
 段ボールを破る音が耳のうちで響く。
「嫌いです。」
「なら、今日がバイトでよかったな。」
「何でですか?」
 視線を挙げた。きっとそれは期待のような淡い物じゃない。救いのような苦いものだ。
「俺さ。一昨日振られたばっかだからさ、夜が寂しいんだよ。」
「彼女さんですか?」
「そう。他の男にとられた。」
 冷えるジュースにアルミ缶の冷たさ。空間の全てを冷やしていた、そんな気がしていた。
「それは、面白い話ですね…。」
 気が付く、言葉選びすら間違える。面白い話というのは自分以外の人間に降りかかる困難だろうに。それを面白いなんて稚拙な言葉で指さして、愛も変わらず最低だな。
 長い間の沈黙。何度もお客さんが後方を通り、コーラーの2Lを手に取り消えていく。
「スプライトよりもコーラーが冬は映えるらしいな。そう、酒よりもホットチョコ。それよりもコーラー。夢見てたものが壊れるとき、何もかもが日常にあったんだって、なあ。ごめん。お前に話してもわからねえよな。」
「はい。」
 冷たいな。自分でも理解している。他人を拒んでばかりで、傷つくことばかりを恐れて。どんな物語でもそうだ。捨てることができなければ、変えることは到底叶わないこと。
 その感情を伝えられていたら、この直感を言葉に出来ていれば、傷は癒えるだろうに。
「かえっていい?」
 先輩の弱音は隠されたものだと、いま知った。この温度差を誰かにわかってもらいたいわけじゃない。共感なんていらない。ただ、ただ、言葉にしたかった。
「いいんじゃないでしょうか。」
 何もないのだから仕方がない。過去は過去だ。今は今だ。思い出なんてごみだろう。だから、何なんだ。
 もう、それだけで大事な誰かの一日を凍らせた。

 ・

 何を描いたらいいのかわからない。
何も考えずに指を動かせていた、あの頃の無意識が好きだった。一度、止まることを知れば何度も止まる。不安ばかりが群れる。常夜灯の足元に転がる魚の死体みたいに。
「物語を終わらせる意味はあるのだろうか?」
 SNSに群がる有象無象の言葉たちを眺めていた、年末。
「あるに決まってんだろう」
 誰かの代弁者が何も考えずに言葉を連ねる。それを不快な目で眺めていた。だって言葉が止まるから。ストーリーラインが死んだから。
「終わりとは何処までのことなのだろうか?」
 誰の言葉なのだろうか。つまらない哲学みたいで気持ち悪い、言葉使い。
「主人公が死ぬまでなのだろうか。でも、世の中にある作品は主人公が死ぬ前に完結するものばかりだ。」
「伏線を回収するまで。」
「否、伏線は回収されないものばかりだろう。なら?」
 右上の隅、×を押した。回答は待たなかった。
「どうせ詰まらない。人生だってどこで終わっても終わりなんだ。いつ、どこで終わりにしたっていい。それが物語の醍醐味だ。」
 なんて、口ずさんでみる。誰もいない部屋がどこか寂しい。誰もいないからむしろ口に
した。誰もいない。
「もう、ここで終わりにしたっていいか。」
 指が止まる。何も解決しないまま。ただ諦めの感情ばかりが残されている。次こそは人生計画みたいなストーリーラインを綴ろう。

残る、灯り

残る、灯り

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-01

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