ジュディが先生に成るまで
ジュディが先生に成るまで
「私はジュディです。私は、本当に頭が悪いです」
マイティ先生に自己紹介をした時、こんな一言で始めたことを、今でも覚えている。
「そうかい、じゃあ、そこにある葡萄と檸檬の違いが、何か解かるかい」
私は、葡萄を一粒食べた。次に、檸檬を皮ごと齧った。
「うん、先生、葡萄は甘いです。檸檬は、すごく酸っぱいです」
これには、先生も驚いていた。けれど、学校の先生と違うところは、マイティ先生は、私を殴らなかった。うんうん、と頷いて、私の事を、よく考えて理解しようと、頑張ってくれた。
私は、馬鹿だ馬鹿だと、皆に言われ続けてきた。
葡萄と檸檬の違いを、一目見るだけでは、理解できないほどに、頭が悪い。
私が全く勉強に追いつけない事を理由に、中学校からも入学を拒否されていた。
お母さんは、どうにかして、私が一人で生きていけるように、最低限の学を得てほしいと、想っていたらしい。そこまで悩ませてしまって、なんだか申し訳ない。
けれどね、私はわざと馬鹿に産まれたわけじゃない。
私だって、叶う事ならば、皆と同じように「さんすう」とか「ぽえむ」とか、そういった知らないことを沢山学んで、毎日の暮らしを、ワクワクさせていきたいと、願っていた。
でも、皆は理解できて、皆は次々と前に進んでいく
私は、本当に、独りぼっちなんだなあ、と悲しくなる。
そこで、母はマイティ先生を、私に紹介してくれた。
先生は、髪やおひげが真っ白になるぐらいの、おじいさん。
とても長い時間を、中学校の教師として、生きてきたらしい。
もう、お仕事できる歳を超えちゃって、のんびり本を読んだりして、過ごしていたとか。
先生も、私に対して、できる限りの努力と工夫をして、頭を良くしてあげようと、頑張るつもりらしい。
それは、私にとって、新しい楽しみになった。
だって、学校の皆は、私と遊んでくれない。
学校の先生は、私と話をしてくれない。
いつも、家でお母さんや、お父さんとお話するばかり。
他の人ともお喋りしたいと、思っていたから。
先生は、机の上にある食べかけの葡萄と檸檬を指さして言った。
「良いかい、ジュディ。確かに、葡萄は甘い。檸檬はすごく酸っぱい。
でもね、甘いフルーツがふたつあったら、違いは分かるかな。
酸っぱいフルーツがふたつあったら、違いは分かるかな。
何が違うのか、もっといろんな特徴に気づいて、大発見をしてみようじゃないか」
「わあ、先生、それって素敵ね。大発見ということは、私は探検家みたいになるのね。
あっ、それとも、頭の良い『はつめいか』になるのかしら」
先生は、私の返事に笑ってくれた。そんなに、面白いことを、言っただろうか。
「ああ、そうさ。ジュディは探検家にもなれるし、発明家にもなれるんだ。
わかる事が増えていけば、君にもいろいろなことができるのさ」
早速、私は葡萄と檸檬を何度も繰り返し、見つめた。
「ううん、先生、葡萄は、丸い実が沢山ついているわ。
でも、檸檬は、なんだかフットボールみたいな形で、一個だけだわ」
こうして、私は毎日新しい発見がしたくて、勉強を始めた。
マイティ先生が私の先生になってくれてから、早くも四か月が過ぎた。
「なつ」になって、家の外は、とっても暑くなる。
蝉という虫も、大勢で合唱している。
あれほど長い時間、大声で歌って、疲れないのかな、と不思議に思う。
「先生、川の中にいる魚は、川の中でも、ちゃんと眼が見えているのかしら。
私、洗面器にお水をためて顔を入れたことがあるわ。
そうしたら、なんだかぼんやりしてしまって、眼も沁みるし、よく見えないの。
魚たちが暮らしてる川だけは、中に顔を入れても、物が見えるのかな」
すると、先生は「じゃあ、勉強のために、一緒に川に行ってみるかい」と言ってくれた。
学校の皆は、狭い教室で大勢がぎゅうぎゅう詰め。
私は、近所の広い川を、ほとんど独り占め。
どっちが楽しいかなんて、私でも簡単にわかるわ。
「じゃあ、川に入って、水の中で眼を開くわ」
冷たくて、水の流れる感じが、とても心地よかった。
けれど、私の予想は、外れた。
川の水でも、洗面器の水と同じように、何もかもがぼんやり映っている。
「ぷはぁ、先生、先生。おかしいわ、川の中でも、ものはちゃんと見えないのね」
先生は、私に答えを教えてくれた。
「魚たちはね、特別な目を持っているんだ。水の中で暮らすために、都合がいい眼をもっているんだ」
「なぁんだ、先生は初めから、テストの答えを知っているのね。意地悪です、先生。私にも教えてくれたら、すぐに分かったのよ」
だが、マイティ先生は面白おかしそうに笑いながら、話してくれた。
「自分で体験して、答えを知ったほうが、たくさん勉強になるんだよ」
この時の私は、まだ『実学』という言葉を知らなかった。
思い返せば、マイティ先生は、とっても素晴らしい先生だ。
このようにして、私は次から次へと実学を得た。
木の上から見える景色を知るために、木に登ることもあった。
先生との授業が始まってから、早くも最初の春を迎えた。
私の頭の柔軟な物の見かた、考え方は、中学三年生と、同じかそれ以上のものへと、成長することができたのだ。
その後、マイティ先生の紹介もあり、私は美術に関する塾の補助講師になれた。
以前の私では、信じられなかった。ただの馬鹿と呼ばれる人生で終わっていたと思う。
人生は、良き恩師に恵まれる事で、輝き方を変化させられる。
私は、そのような、実学を得たのだ。
ジュディが先生に成るまで