隊の最も悲しい日
隊の最も悲しい日
塹壕が何処までも続く戦線。夜中には時折、敵陣から照明弾が打ち上げられる。無人地帯を煌煌と照らす姿は美しくて、同時に残酷だ。
いつも活気がないのは、そりゃ当然だ。この戦争を楽しんでいる人間は、前線には一人もいない。
だが、いつにも増してここが暗くて重い空気に包まれているのには訳があった。
先日、同じ小隊から軍規に反するものが現れた。
そいつの名前は……仮にAとしておこう。当時、俺らを含む二十三人が、敵の捕虜四名を拘束していた。彼らは武器を持っていない状態で、怯えた目で命乞いをしていた。
俺や他の隊員は、自分の水筒を手渡して水を分け与えた。それぐらいは、赦されるはずだ。
捕虜達は、こちらの母国語を真似して「ありがとう、ありがとう」と言ってくれていた。
……なぜ、戦争なのだろう。
そのような疑問を持つことも赦さないかの様に、後方から視察に来た少将が、捕虜の手にある水筒を蹴飛ばした。
隊の全員が、胸の内に言い表しようのない不快感を抱えた。
少将は、この捕虜達を「戦意高揚」のために銃殺しろ、と命じた。その際に、我が隊の四名を指名した。そのうちの一人が、Aだった。
逆らえるはずも無かった。三名はその小銃を用いて、三人の捕虜を撃ち殺した。
せめてもの情けと思ったのだろう。彼らは頭を撃たれていた。苦しむ時間もなかった事だろう。
ところが、捕虜はまだ一人生きている。Aは武器を手に取らなかった。
少将がAを指さしてきつく命じた。「捕虜を殺せ」と。
Aは毅然たる態度で胸を張って、大声で言い放った。
「私は捕虜を殺しません。こんな人の道を踏み外した命令には従えません」
少将の口から三度目の命令は出なかった。彼がホルスターから拳銃を抜くと、残り一人の捕虜も銃殺された。
そして、Aに対して銃殺刑を言い渡して後方へと消えていったのだ。
夕方になった。俺達は今、今生でもっとも悲しく、もっともつらい仕事を控えている。
他の隊の者に対して怨みを持たぬ様に、銃殺刑の際には同じ隊の兵士達がその「執行人」を任されるのが軍の掟だった。
俺と、B、C、D、Fの5人が、その役目を小隊長から任された。泣いている者は一人もいない。今泣いてしまっては、Aの勇気に対して無礼だ。
目の前には、杭に手を結ばれたAがいる。白い目隠しをされる前に、彼は悲しくも微笑んで見せた。俺達に対してだ。その魂に俺は敬意を表した。きっと、皆も同じ気持ちだったに違いない。
小隊長が「装填」と言う。次に「構え」と叫ぶ。
俺達は全員、英雄の心臓を狙っていた。微塵たりとも苦しませたくない。せめて……。
小隊長が「撃て」と命じた。一斉に鳴り響く発砲音が、あまりにも悲痛であった。
白いシャツを胸元から真っ赤に染めたAのもとへ、小隊長が歩み寄る。死亡が確認されたのだ。
俺は、この戦争を生き延びるかどうかは分からない。きっと、名も無いまま生きて、名も無いまま死んでいく定めならば、どうせなら、平和な時代に生まれたかった。
だが、この勇者の亡骸を前にして、その様な我が儘を持つことすら失礼であると、俺の魂が呼応していた。
さようなら、親友。
隊の最も悲しい日