鳥に生まれた

鳥に生まれた

 もしも、私が鳥に生まれたならば、鳥らしく生きたい。
 当たり前のことかもしれないが、馬鹿らしく思われるかもしれないが、私にとってこれはとても大事なことなのだ。
 普段、意識せず、考えずにいるだけであり、人間とは人間として存在している。
 なればこそ、人間らしく生きたいと願うものではないか。
 それが常識という霧中に隠れてしまい、人々は、道を違えた過ちを盲目的に受け入れてしまい、これが今の世界を形作ったのではないだろうか。
 だからこそ、私は鳥に生まれたならば、鳥らしく生きたい。
 鳥と言っても様々な鳥がいるだろう。
 空の王者を彷彿とさせる鷲や鷹。小さな雀。百舌鳥。大洋を越える渡り鳥。
 私はどんな鳥になりたいだろうか。
 つまるところ、私が「どんな鳥になりたいか」と考えることは、私が「どんな人間になりたいか」と考えることに等しいのである。
 私は善人になりたい。良く思われたいのではない。文字通り、良い人になりたい。
 人に優しく、謙虚で、争いを生まず、強く無くとも逞しく、生きていきたいのだ。
 そして、もうひとつ我が儘を言わせてもらえるのであれば、私は孤独な生涯よりも、人の心の温もりに触れることのできる人生を送りたい。
 鳥が群れて、寒い環境、暑い環境、様々な場所で歌を唄うではないか。
 あの鳴き声、歌が、私の祈りを代弁してくれているように感じる。
 歌うという事は、周りに聴いてくれる者がいるということだ。孤独ではない証拠だ。
 確かに、一人で歌うことも楽しいだろう。だが、孤独を抱えている状態では何をしても楽しくない。その一人という概念には、周りに誰かが一緒にいてくれているという証拠が含まれている。


 孤独な私。自由に歩くことも適わず、この村の外れの小屋に閉じ込められ、業病だからと忌み嫌われ、たまに窓から投げ入れられる飯を貪る。
 すると、鳥の鳴き声が何処からか響いてくる。私の魂を打つのだ。私の嘆きに響くのだ。
 私も鳥らしく生きたい。鳥らしく存在できる鳥のような、人間でありたかった。

 ならば、鳥にして差し上げましょう。

 その声音は温かく、菩薩様のものであった。私は無学ゆえに、突然姿を現したその菩薩様のお名前こそは分からなかったが、感無量に泣けてしまった。
 慟哭に咽ぶ私の肩を撫で、菩薩様は私の姿形を、一羽の鳥にしてくださった。
 生まれ変わった私の鳥としての姿は、まるで御伽噺に出てくるような、火焔鳥であった。

 さあ、好きな場所へ向かいなさい。好きなように生きなさい。

 私は菩薩様に答えた。
「いいえ、私はもう満足です。私は業病と言われ嫌われ続けてきました。かつての、動かぬ足ゆえにです。しかし、その足は消え、この美しく燃えるような翼を身に宿し、私の心は、想念は初めて自由と言うものを実感しました。私は幸せ者です。もう、未練はございません。私を仏様の遣いとして、どうぞ働かせてください。人々に希望を与え、闇に光を灯し、終わりは始まりであると告げ、世の全ての孤独な者達に、私が与えられただけの慈愛を配り渡る務めが待っている。私にはその使命があるのだと、今分かりました。私が今まで苦しみ続けてきたのは、ただ自由を得るためではなく、人に優しくなるためだったのです」
 菩薩様は涙して、私を小屋から放して下さった。
 南斗と北斗の端から端まで。東洋西洋の端から端まで。四海の隅々の全てにおいて働いてください、とおっしゃった。
 私は感謝と喜びを胸に抱いて、天のお仕事を始めた。

鳥に生まれた

鳥に生まれた

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-12-27

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