澄ませる時期に向かう頃など(再掲)
澄ませる時期に向う頃(2012年6月27日に掲載)及び逸話(2022年2月3日)を再掲したものです。
澄ませる時期に向う頃
縦に並んだ氷が融けて
個数の区別をきっとやめても
何かを思った雨粒が
傘のアーチをなぞっても
跳ねた滴の数の分だけ
鏡がちょっと曇りになって
降った雨脚と水面の間で
時間が小さい頃になっても。
雨の降った日の部屋で
タンという一音が聴こえたから。
本の栞が閉じた頁で
お話と涙が一緒になっても
数行先の未来の中で
きっかけになる透明になって
初めて描いた朝顔の
双葉に乗った朝露に頼って
薄く明けてく雨の中で
画用紙だって買いに行って。
H2Oの化学式が
不思議な気持ちを覚えさせて
晴れ間に触れた水飛沫が
水鉄砲ではしゃいでいても
梅雨の終りがまだ先で
雨音の中に包まれて
アスパラガスの手触りが
雨のテーマと関係してても。
タオルで拭った後にだって
吸い込まれない気持ちがあるから。
乾かす髪の時間になって
書き忘れたメモを思い出して
零れる晴れ間を部屋に入れて
澄んだ空気と手帳を開いて
水と巡りを感じていって
傘を持って出かける前に
サボテンに一寸の水をかけて。
深い息継ぎに耳を澄まして
とくんと巡るものもあって。
逸話
・サガシテクル
残された文字は
あの人の字で、
カタカナなのも
あの人らしい。
何を、
という目的語を失念して
私の冬が
カチリと鳴った。
重いと良くない。
何が、
という言葉を私も隠して
テーブルから離れて
着ている物を脱ぐ。
乾燥しがちだ、
誰かの手は。
脱ごうとすれば引っ掛かる。
だから、
ゆっくりと、緩慢に。
空いたお腹を
ひとなで、撫でて
下着な人が
姿見の前を通る。
・ミジカイカミ
一匹の足音は
想像すれば気持ちは軽く、
考えれば理屈っぽい。
部屋、
という私たちの日に加わるのだから。
その種類よりも
その目、
その色よりも
力強さ。
リビングの壁に向かって
針を刺す作業を続けていた時、
飼えば良かったと後悔する
一匹のことは、
そこに居たあの人に、
熱を込めて
言葉にして、
向けたものだった。
短くした髪を見せた、初めての日。
あの人が手にして
動かしていた
コロコロに付いていた、
黒い髪。
テープを剥がす、
不器用なあの人は失敗して
使っていない部分も巻き込んで
コロコロのロールは、
斜めに切られた。
ただ、それだけの事。
私(だけ)が思う。
決定的だったのは、
色を変えた私の方を見て
猫も、
犬も、
フェレットも、
思い浮かべてはくれなかったことだ。
無駄に切ったことを謝って
連想をしない。
フックに引っ掛けようと思って、
私がずっと手に持っていた
額縁の中の抽象。
その絵の意図を私が肌に塗りつけて、
微笑んだ。
それを「撮る」、
あの人のジェスチャー。
・ワタシノテデ
それは、
あの人の指で作る画角に収まったため。
それは、
あの人の自由な心象で捉えられたから。
心の赴くまま
架空のレンズを向けるから、
実際のアルバムなんて一冊も無い。
何を見ているの?
と、夕方のリビングに立って訊く
私を「撮」って見返す
あの人の長く綺麗な睫毛が瞬きと一緒に閉じて、開く。奇跡みたいなひと時、と思って過ごす私の負け。
微笑んで、ありきたりの台詞と右胸の辺りを人差し指で搔く。釣られて微笑む私は想像力を駆使して、心に決めた。
あの手で撮られた「私」をこそ、私は救わなければならない。
・ギシキテキ
「私が書いて、私が読んだ。
服を着たまま、そのままで。」
魂を奪われたと錯覚するのは撮られる側だから、もう逃げられないって自ら縛られにいくのも撮られる側。
・イツダツ
「飼えば良かった」
丸くなった植物から生えて伸びた芽を代わる代わる、見守る。
咲いた花は小さかったけど、それを気にしたことが、
私の方には無かった。
「綺麗」
だと知れ渡っている宝石について、
あの人は紙の上にボールペンの先を何度も落として、黒い塊のように見えるものを見えなくし、
「キューっ!」
と空いたお腹をひとなで、撫でて、私から支度する。
飾られた額縁の中の不思議を見ながら、その具体的な意図をこの肌に薄く塗り込む。私の口から発せられるものごとに、上滑りするような輝きがありますようにと願って。
「あっ。」
と飼い出した猫が前足で蹴飛ばした飴色の櫛の軽さに驚いて、私がそれを受け止め損なう。
色を戻したセミロングの髪を垂らして無理な体勢のまま、見えない床を手で弄り、
外側を焦がしたイングリッシュマフィンの欠片を踏んで、壊して、痛がりもせず、
折れた形を求めて、
「探してくる」
黒くない、フライパンってあるのだろうかと誰かが考えている。だからそのまま探しに行って、私は帰って来た。
白いホットプレートの上、
器と綺麗なバターナイフを取り、
ぱたぱたと開ける冷蔵庫の中から見つける卵の色と、
ベーコンの塊と、
半分だけ残ったサランラップの中に玉ねぎ、
「それに」、
それに、テーブルの上に残された書き置き。
この人らしさを思い知った、朝と冬。
起きて暫くした私の声が、
針を刺すように、
(意識的で、)
リビングの壁に向かって
歩きながら、
抽象的なやり取りを忘れて
何を?
と訊き
明かりを、
と答えて同じという顔をする。
驚きは
あの人に届いた、私の声。
私の感情。
逸脱して、この指がカチリと鳴った。
澄ませる時期に向かう頃など(再掲)