黒い縁取り
対照的にな性格の姉妹の、固い絆のお話。
「黒い縁取り」
十月半ばの良く晴れた昼下がり、散歩に行ってくると言って家を出た二つ年上の姉、陽紗子が、赤く染めたベリーショートの髪をくしゃくしゃに乱して帰ってきた。
手にひらひらと持っているのは、来年六月に開かれる、小説版コミケのようなイベントのチラシだった。
「紗夜子、あんたの名を知らしめる時が来た。あんたの眠らせている作品たちに日の目を見せてやろう!あたしも協力するから二人でイベント出ようよ」
顔を真っ赤にして陽紗子は主張する。二人で借りている賃貸マンションのカウンターに寄りかかり、コーヒーを口に含んでいた私は、まだ熱い一口をごくんと飲み込んだ。
「ええ、でも、どうせあたしの書いたものなんか売れないよ」
私は黒いストレートロングの髪に指を巻きつけて及び腰に言った。
「そう言ってずんずん後退していくんだから、あんたって子は」
「陽紗ちゃんだってあたしの書いたの二ページ読んで居眠りしてたわよね?」
「あたしはどんな文豪が書いた文章でも二ページ目で寝れる」
ボーダー柄のニットを着た、女性にしては厚い胸を張って、姉は言い切る。いつも思う、陽紗子は猛獣みたいな性格をしている。
「紗夜子、あたしには解る、あんたにはでっかい才能がある、いつかはメディアミックスして全世界に配信される作品を書く女だ」
「嫌よ、誰にも見せたくない、恥ずかしくて小説投稿サイトにも出したことないのに!」
私は必死に首を横に振った。だが、一旦火が着いた陽紗子を止められる者はどこにもいない。その日のうちに私の名前でエントリーして製本会社まで決めてしまった。
私と陽紗子は、私が大学生になってからずっと共同生活を送っている。就職とともに借り換えたこの部屋は、陽紗子が販売する障碍者アートのデザインを取り入れた、カラフルな家具やインテリアであふれている。当然私の趣味ではないが、赤や黄色の不思議な集合体を見ていると、自然に元気になってくる。
会社の営業職の陽紗子はやたらとフットワークが軽い。製本会社も数多い友人たちの紹介で見つけたらしい。
対する食品工場の事務職の私は、人付き合いも苦手で、自分から行動することが極端に少ない。陽紗子とは顔だけがよく似ている。だが、同じようなアーモンド形の目の中に宿っている魂は、火と水ほどに異なっている。
私がどれほど嫌だと言っても、陽紗子は私を遠くまで連れて行ってしまう。どうやって帰ればいいか途方に暮れることも多い。しかし、時として、一人では決して見られなかった景色を見せてくれることも確かなのだ。
「どうせ製本するんだったら奇麗なイラスト付きだった方がいいね。紗夜子、水彩イラスト得意でしょ、折角だから描きなさいよ」
そう言いだしたのは、年を越して二月のドカ雪の降る頃だった。
「えー!年度末で死ぬほど忙しい時期に何言いだすのよ!」
「うちの先生たちに頼んだら、ちょっと前衛的すぎるじゃない?あんたの作品なんだから、あんたが一番よく表現できるよ」
結局私はもう一つの趣味である水彩画の腕を振るい、作品世界を表現すべくイラストを何枚か描くことになった。
鉛筆で形どった輪郭の中に、赤や青を混ぜた黒の絵の具をぼかしてゆく。ワトソン紙は水の吸い込みが弱いので、修正が利く半面、はみ出ると前にのせた色が剥げてしまう。慎重に慎重に息を詰め、筆の先を操る。ヒロインの黒髪が出来上がってゆく。
無理やり描かされているはずなのに、いざやってみると意外と熱がこもる。陽紗子だけではなく私も、自分の本が出来ることにわくわくし始めていた。
仕事から帰ってちまちまと絵を描き続け、ようやく四月に描き終えることが出来た。
「ねえ、ところでどういう作品を出すことにしたの?」
「よく知りもしないでよく本作れって言えるわよね。呪われたラブファンタジーよ。最後みんな死んじゃうの」
「それ面白いの?」
「だから!受けるはずないって言ってるの!小説投稿サイトで人気のある作品でも、主人公がちょとでも苦境に立たされると、途端に評判悪くなるらしいでしょ。それ狙いで書いてないんだもん。おまけに文章はど素人が書ているんだから、面白いわけないわ」
高揚していた気持ちが急激にしぼんで行くをの感じた。意を決して発表した小説が、クラスメイトのさらしものになり、あざけりの表情で音読されている光景がよみがえった。あの時は、陽紗子が狂ったライオンのような顔で怒鳴り込んできたのだ。
陽紗子は一瞬生真面目な表情を見せた。
「バッドエンドでも有名なお話ってあるよ。知識としてしか知らないけど『ハムレット』とか。紗夜子は大衆受けするよりも、そっちを目指してるってことだよね。分かった。より幅広くアピールせねば!ねえねえ、これ去年のイベントの写真なんだけどさ」
陽紗子はそう言って、プリントアウトした写真を私の前についっと出した。
「綺麗な看板とかグッツとかとかのぼり旗があるよ。あたしたちにも何か売り場を整える方策が必要だ。何かいいアイデアある?」
「お金には限りがあります。製本だけでいっぱいいっぱい」
「ね、折角描いたイラストなんだから、最大限に活用しない?大きくプリントアウトして机から吊り下げるとか」
私は黒髪の先っちょをいじくりながら言った。
「原画イラストを額に入れて飾ったら?」
「いいねそれ。このイラストが入るサイズの額だったら、百均にいくらでもあるよ。そうと決まれば善は急げ。すぐ出かけよう」
陽紗子はもう自動車のキーを手にしている。
「あるある、これぐらいのサイズだよね。何色がいいだろう?」
私たちは二十分後には、静かな賑わいを見せる百均の一角で、額縁コーナーを見つけ出していた。相談した結果、一番引き締まるかと、黒を選んで三つ買い物かごに入れた。レジの前に来ると店員が、何か厳粛で言いたいことを我慢しているような表情で、私たちの顔と額縁を交互に見た。
怪訝な気持ちを抱いたが、お会計を済ませてしまえばすぐに忘れてしまった。私たちは足取りも軽く家に帰った。
早速イラストを取り出して額に入れてみる。信じられないことに二人ともイラストを入れるまでそのことに気づかなかった。
花を愛でるヒロインの周囲を真っ黒く縁取った額縁。ふと目を上げ、天井近くにかけてある亡き祖父母の遺影を見上げる。黒い額縁が、優し気な笑顔を縁取っている。その瞬間陽紗子が、生まれる前に流行った歌謡曲の一節を口ずさんだ。
「黒ーいー縁ー取りーが……」
「う……、ブフーッ!」
私は噴き出すと悶絶した。笑いの発作は一度始まるとこらえようもなかった。腹筋をけいれんさせて、顔を血の色に染めながらひくひくと笑い続ける。
陽紗子も綺麗にのぞいたおでこに血管を浮き上がらせて笑い転げていた。
「あははははは、可笑しい!二人とも気が付かなかったんだ」
「ははは、ひひひ、でも、みんな死んじゃうお話だからって……開けてない額縁……、交換して……もらわないと……」
陽紗子は真っ赤な顔で笑いながら、涙の浮かんだ目を生き生きと輝かせた。
「いや……、このままで……行こう……。会場でこのまま……登場人物のお葬式やろう。きっととっても目を惹くはず。バリバリ営業の、あたしが言うんだから間違いないよ!」
イベント当日、私たちは喪服を着て会場に行った。白百合を台の上に飾った。芳名帳も用意して、見に来てくれた人に書いてもらった。私は前日から胃が痛くなる思いだったが、陽紗子の言う通り受けは抜群だった。お客たちはみな私たちの冗談に、好意的に付き合ってくれた。
十冊ばかりだったが本も売れた。何より嬉しかったのは、陽紗子が配った私のメアドに感想のコメントが送られてきた事だった。
少しだけ、髪の毛一すじ分ほどの自信がついた。
「ほらほらやっぱり、受け狙いじゃなくても読む人が読めば面白いんだよ。文章がへたくそだったら練習すればいい。それでね、友達の紹介で、FBの文学サークル見つけてきたんだけどね……」
陽紗子は左手にスマホを持って右手で画面を指さした。私は戦々恐々とつぶやく。
「陽紗ちゃん、今度は何……」
六月の午後の光の中、私にとって誰よりの味方である陽紗子は、白い前歯を見せて笑っていた。
(了)
黒い縁取り