雑種化け物譚❖Cry/A. -angere-

雑種化け物譚❖Cry/A. -angere-

12月中旬から掲載しているCry/シリーズC零Aの②で本来の初話です。
零A③完結篇(期間限定公開)→https://slib.net/121929
※零A②③の表紙の線画&零R①③の表紙:香河様→https://estar.jp/users/49746731
<零A②③の表紙は香河様の線画ラフを加工しています>

手背に「Z」を刻む化け物の国で生まれ、飛竜と人間の混血である青年がやがて英雄になるまでのファンタジー戦記。
それと知らず「力」を視る心眼を持った飛竜の青年は、父の反戦活動を継いで人間の国と化け物の故国の争いの終結を目指すが、「子供攫い」という国賊に偶然出くわしたことから運命を狂わせていく。
update:2024.1.25 Cry/シリーズzeroA 前篇+オマケ数話
※エブリスタ掲載版では一作にオマケ話が集中しています

終:赤い獣

 その砦の名前を、第六の峠――
 かの二国の運命の地と、ある歴史学者は(ことば)を遺した。

「……ついに――ここまで来たのか」

 第一から第六まで、一つの国を囲む六つの峠が存在している。争いを続ける二つの国は、第四から第六までをその国境とする。
 両国では共に僻地の第六の峠が、長く戦乱の中心地だった。

 ザ――と。
 闇空にそびえる砦の(ふもと)、細い剣影を前に、荒い目の砂を踏みしめる赤い人影。
「それじゃ……全て、終わらせにいこう」

 冷え切った男の影を赤く染める、頭上に浮かぶ赤い何か。
 男はその赤と共に、一夜にしてその地を焼き払う所存で。

 男はこれまで、自らヒトを害したことはなかった。
 辿ってきた道筋上、誰かを手にかけたことはあるが、それは男が望む結果ではなかった。

 けれどこの日――戦いに生きる男は自ら、奪うことを決める。
 その赤い宿命を呑み込んだ男の、初陣が第六峠だった。

 ❖Czero Cry per A.-angere-

前篇・序

前篇・序

「見られたからには――殺す」
「――!?」
 その慣れ親しんだ「神」の聖域……故郷にある教会の中で。
 「神」を敬ったことのない青年は、まるでその罰とばかりに、突然石の床に強く打ち倒された。
「人、間……!?」
「――」
 どうしても見逃せない、有り得ない存在を青年は追って来た。
 その先で出会った覆面の女の、これまた有り得ない中身に呆気にとられ、女の振う長い棍に足と頭をあっさり強打された。

 人間の女――最も非力な存在に押し倒された化け物の青年。
 わけがわからないまま、間近の死だけ感じ取る。
「っ――……!?」
 女が青年に突きつけた短剣が首筋を抉りゆく瞬間、刀身を染める赤と、女の胸の黒い珠玉だけが(いろ)のない眼に映る。
 その赤が宿す「意味」を、視界の端に青年は辛うじて収めた。
 この教会は本来、長ったらしい説教場に過ぎなかったはずと……たった数日前の平穏を、走馬灯のようによぎらせながら。

+++++

 横走する三つの大陸と、縦走する三つの島のあるこの世界で。
 世界のヒトは全て、「神」の器に過ぎないと彼は言った。
「我々、千種の化け物と人間は、そもそもは同じなのです」
「…………」

 一番初めに存在したのは、今も全ての中心で軸である「神」。
 「神」とは「世界」そのもの。唯一にして無数の存在。
 世界を構成する概念――「原理」であり「意味」であり、そして、全ての根本となる「力」だった。
「『力』とは、化け物が起こす全ての『神秘』の代名詞ですね」
 そんな「神秘」の原材料と、生成場たる制御者をも含めた概念が「力」だ。
「『神』が在るからこそ、全ての『力』は存在するのです」

 「力」の本体を「神」。そして「力」を流用できる存在の内、神に似せて創ったものを、まとめて「ヒト」と「神」は呼んだ。
「神は下僕として『天上人(てんじょうびと)』を創り、神の力を受ける翼を与え、天の世界に放しました。そして『天上人』は彼らに似せた――しかし翼なき『地上人(ちじょうびと)』を創り、この世界に放しました」
 翼なき「地上人」は、「神」の「力」を受けることができない。
 しかし地上人は天上人の「宝」を基に、永い時の中で、「神」に頼らぬ高度な文明を築く。そうして数多の「力」ある化け者を差し置き、世界の覇者となったが……やがて、滅びの時を迎える。

 ……というわけで、と。
 とにかく眠たいだけの、世界の歴史薀蓄を一通り、赴任してそう長くない祭祀は話し終えた。
「滅びる前の『地上人』を元に造られたのが、我々『雑種』。ひいては今この世界に存在する、人間を含む全ての『ヒト』だと言うことなのです」
 にこにこと、次に続くお決まりの文句で、ようやくその日の説教を終えてくれていた。
「だからね、ライザ君。我々、千種を超えるという化け物――『雑種』と人間は元は同じものなんです。今や姿形以外の共通点があまり無くても、仲良くしなくちゃいけませんよ」
「いや……俺は、別に……」
 何故か自分一人が教会まで呼び出され、前日の揉め事の責任を説教されている。無造作な銀色の髪で、袖の無い黒衣の青年は、薄い灰色の眼を不服気に細めたまま、言葉を呑むのだった。

前篇・起

 最早説教場としてしか使われていないような、古い木造の教会。林に囲まれた建物から出て来た青年を待ち受けていたように、木の扉の横にもたれる同郷の女性の姿があった。
「あら。お勤めご苦労様ね、ライザ」
 女性はふふふ、と含みのある顔付きで、青年を見て綺麗に笑う。
「……レインさん」
「あの若祭祀も本当に、飽きないわよね? ライザくらいしか黙って彼の歴史語りを聞いてくれないから。だからいつも目をつけられるのよ、貴方」
 くすくす、と、肩までのまっすぐな白銀の髪を揺らし、真っ白い肌の美貌で女性は微笑む。

 整い過ぎた姿の代償に、光を嫌う赤い眼で青年を見ながら、同郷の女性が気さくに続けた。
「人間と化け物の揉め事を、『混血』だからいつも止めに入るのが貴方なのに。人間と仲良くしなさいなんて、本当、大きなお世話よね」
「……」
 女性の言う通り――この付近で起こる揉め事の大半は、そんな理由で介入するよう、青年は周囲から義務付けられている。ひたすら不服ではあるが、反論はせずに女性を見返す。
 ……というのも、目の前の女性はあくまで――
「私みたく弱々な人間とも、ライザは仲良くしてくれるのにね」
 青年への厚意で、ただ労いに来てくれた。それがわかるために。

「……レインさんは、いつからここに?」
 この後、ある用事のために、青年と女性は合流するはずだった。一足先に道連れになったが、元々の用事の場所へ、どちらからともなく歩き始める。
「そんなに前じゃないわ。長い話が終わりそうな頃にと思って」
「……」
 後ろ手を組んで、穏やかに微笑みながらゆっくりと歩く同郷の女性。
 一見は、この辺りでは珍しい襟のある長めの上着と、足首まで包む暗色の下衣を履いて色気を隠している。そのさっぱりとした振る舞いからも、類稀な華人でありながら、活動的な姐御にも見える女性なのだが……。
「あ。遅かったら先に行ってよ? ライザ」
「いいえ。急いでないので」
 青年にとっては、市場で探し物をする時よりも遅い足取りだ。基本的に無理のできない身体の弱い女性が、わざわざ回り道をしてまで教会に来た頃合いは、丁度青年が解放される直前だった。
「このペースで間に合うんでしょう。レインさんのことだから」
「というより、その方が難を逃れられそうよ」
 くすくす、と、また含みのある顔で笑いかける。青年は無表情に、(とげ)の無い相槌と無骨な雰囲気で受け流す。
「今日は少し、遅く着いた方がいいわ。昨日の件でお冠なの、若祭祀だけじゃないみたいだから」
「……」
 女性のその――まるで、何かの状況を既に悟っているような口ぶり。
 実際に要領良く難を逃れ、教会に来るタイミングも見計らえる性質を、青年は溜息混じりに思う。
「……相変わらず、眼、いいですね」
「ライザこそ。私がそのつもりって、わかってたくせに」
 あくまで咎める声色ではない青年に、女性は人間らしからぬ儚き色合い……白銀の髪と赤い眼で薄く笑った。

 しかし青年と女性が、ゆっくり目的地の集会所に着いた頃には、事態は更に悪化していた。
「あ、ライザ、良かった! お願い、あの二人を止めて!」
「……え?」
 この山奥の閑散とした里には、広い建物は数少ない。一番広くて丈夫な、丸木小屋の集会所――があったはずの場所で。
「――だからなあ! おれはそこに巻き込まれただけやって、何度言ったらわかんねん、このクソババァ!」
「てめぇがもっとしっかりしてりゃ、そもそも大事にならずに済んだんじゃねぇのか!? このバカ孫が!」
 焼野原と化した林間で、炎に包まれながら二人の男女が言い合っている。
 正確には炎でできた翼を背に持つ、普段はヒト型の怪鳥――この里の長老である女と、孫にあたる男が睨み合っていた。

 幼馴染がふわふわの短い茶髪を強く揺らし、青年に助けを求める。
「ヴァルトもマザー・ヘロンも、プッツンきちゃってるの!」
「みたいだな……完全に、すっかり暴徒パターンだ」
「あらあら。それでこんなに、今回は長引いちゃってるのね」
 そのいがみ合いの気配自体は青年も感じていたが。あまりによくあることなので、同郷の女性と共にのんびりここまで来たわけだった。

 騒ぎを起こしているのは、一見、まず老婆とは言えないしなやかな体つきの長老と、青年と同年代である若い孫の男。長老筋だけあって「力」の強さは折り紙付きの、「風」と「炎」を司る化け物だ。
「このままじゃ里全体が、焼野原になるわ!」
 焦る幼馴染にはそれは、「里壊滅の危機」と見えるらしい。
「そうだな。あの二人の暴投は洒落にならない」
 青年も全く同感ではある。しかし突然そんな天災に対処できる管理能力は、残念ながら持ち合わせていない。
「ライザが止めに入ったら、確実に炎、広がるわよ?」
「それはそうだけど……! でも――」

 熱気を持って、大気が渦巻いていた。
「騎士団に睨まれちゃ、アタシらの悲願は全部パァなんだよ! わかってんのかその重大性!」
「おれを何やと思てんねん! いつまでもガキ扱いすんなや、そんなんおれも考えとるわ!」
 今はまだ、彼らの背に留まっている炎であるが、既に集会所を完全に焼失させている。いつその炎が、風に乗って広がるかもしれなかった。
「とにかく何とかしてよ! ヴァルト達と渡り合えるなんて、ライザくらいしか今この里にはいないじゃない!」
「…………」
「あらあら」
 それでも幼馴染に比べ、青年と女性が落ち着いているのは――

「……きーきーうるせェぞ、ハーピア」
 彼らの頭上から、気だるそうに、ようやく声を出した後一人。邪魔が入らないよう気配を隠してまで、樹上で惰眠を貪る人影があった。
「鳴くならもっとキレイに鳴けよ。おまえも鳥だろ」
「って――……リーザ!?」
 午睡を邪魔され、不機嫌そのものの顔で地上に降り立った人影は、銀色で短く、適度に尖った髪と灰色の目。青年と全く同じ色合いと風貌だけでなく、体格まで酷似した容姿の持ち主になる。
「リーザ。帰ってたのか」
 アレ。と炎の鳥達を指差し、何とかしろと目で訴える青年に、襟を立てた上着の相手が、ちっ、と舌打ちする。持っていた長い棒を、すらりと一度だけ確かめるように軽く振った。
「悪いわね。帰りたてなのにこき使っちゃって」
 この里で紛れもなく、最強の称号を持った相手――その気配に早くから気付いていた同郷の女性の微笑みにも、彼は不服気にする。
「相変わらずライザに甘いな、あんた」
 隣の青年よりも、彼に働かせようとする女性の魂胆は、彼にはとっくの昔にわかりきった贔屓なのだった。
 棍術の動きで木の棒を軸に携え、睨み合う炎の鳥の間に彼は飛び込んだ。
「――おぁ!? リーザ!?」
「暑苦しいんだよ、ヴァルト」
 渦巻きぶち当たる炎をものともせずに、騒ぎの一方に狙いを定める。短い碧毛と糸目が特徴的な頭部に、会心の打撃をお見舞いし、服一つ焦がすことなく、孫の方の意識をあっさりと奪っていた。

「……何だい。帰ってたのかい、リーザ」
 乱入者の姿に頭が冷えたのか、長老は炎の翼を消した。褐色で筋肉質な両腕を組むと、彼を不満気に睨みつける。
「このゴク潰しが。相変わらず何処をほっつき歩いてんだい」
「里焼き未遂に文句言われたくねェ。何考えてんだ、あんたら」
 そして新たに睨み合う者達の間に、こればかりは自らの役目、と青年は割って入っていった。
「リーザ。まっすぐ家に帰るか? それとも集会、出るか?」
 あえて長老は見ずに彼だけを見て、淡々と問う。
「そーだな。久々にちょっと集会、覗いてみるか」
 その確認は慣れっこである彼は、青年の意図をあっさりと察する。了解、と頷き、青年は彼の額に軽く右手を当てた。
 木の棒をその辺に捨て、両目を閉じて静かに佇む彼。青年と瓜二つの姿で、紛れもない双子の弟だった。
 青年の手の下、彼の姿が突然消え去った。代りに場には――
「あら可愛い。相変わらず見事な出来映えね、ライザ」
「……いや。それは俺の意志じゃないです」
 場には小さな、蝙蝠に似た羽とまっすぐで短い角を持った、珍しい蜥蜴らしき生物。彼がいた場所でパタパタと羽ばたき、そのまま青年の包帯だらけの左肩に着陸していた。
「蒼トカゲっていう所が、またオツよねぇ。意外にないものね」
「……トカゲ言うなって、怒ってます」
 青年の肩で、しゃーっと威嚇するよう女性を見る飛び蜥蜴。紛れもない双子の弟の、わかりきった心を代弁する青年だった。

 焼けてしまった集会所の代りに、本日の集会は長老の家で行われることとなった。気を失った長老の孫を抱えて幼馴染は先に長老宅に行き、青年達はまたゆっくりと、足を進めることにしていた。
 青年は袖の無い黒衣を愛用している。左手にはいつも、上腕から手先まで包帯が必要だからだ。しかし慢性の貧血持ちであることは、隣の女性以外の里の者には信じられていない。
「丈夫さは全部、リーザが持ってったんだから。いる時くらい、荒事を任せてもいいじゃないの?」
 そんな風に笑いながら肩の飛び蜥蜴をつつく女性に、飛び蜥蜴もくわっと応戦を続ける。
 その双子の弟。角だけでなく少し尖った耳を持つ、蒼い躯体にコウモリのような羽の生えた蜥蜴もどきは、勿論飛び蜥蜴ではない。
 この里にかつていた強い化け物、「飛竜」と呼ばれた父の、れっきとした息子だ。双子の弟は父から、獣へ変貌した時の姿形を、体色以外は受け継いでいた。

 この狭い世界には、その個体数が多い順に、獣寄りの化け物、神寄りの化け物、自然寄りの化け物が存在している。
 「竜」というのはどの分野でも、最強と言える脅威を持った種に与えられる名となる。獣寄りの化け物では「飛竜」、神寄りの化け物では「龍神」、自然寄りでは「竜人」が有名だが、いずれも稀で強力な化け物だった。
 ただしその「飛竜」を冠する獣は、本来こんなにミニサイズではない。

 双子の弟より丈夫でないと言われた青年は、しみじみと頷く。
「本当に。俺の特技は、リーザを小さくできることくらいだし」
 最強の獣をそうして牽制できる双子の兄は、ある意味強いのだろうが……先程のような激しい「力」の舞う場においては、満身創痍を覚悟しなければ戦うことができない。
「あら。隠れサボるリーザを見つけたり、リーザのお洒落着をキレイにたためるのも、ライザくらいじゃない?」
 それが一番面白い、と言わんばかりの同郷の女性に、青年も憮然とする。
「ちゃんと持ってってやらないと、後で怒るんです」
 女性の服装と全体的に似て、双子の弟は襟を立てて角ばった上着を好む。中の黒衣は青年とほぼ同じだが、七分丈の下衣の青年と違い、足首まである丈の長い下衣を履いている。何処で手に入れるのか、革製という上着は一番の拘りの品らしかった。
「そうよねぇ。普通に『飛竜』になる時も、わざわざ何処かの陰に入って。昔からリーザは先に服を脱いでたものね」
 獣の姿をとる時の、現実的な衣服の問題。それにはこうして、可能な限り協力してきた青年なのだった。
 というのも双子の弟は、限られた者達の前で以外、常に獣の姿をとらなくてはいけない。
 自分とその弟を縛る、ある長い嘘の埋め合わせ。なるべくそれを引き受けたいと思っている青年に、事情を知る同郷の女性はいつも苦笑っていた。

 里の最奥にある長老宅に行くには、当然里を通り抜けないといけない。それでもなるべく人目が少なく、陽も差さない林の道を選び、女性を後に、飛び蜥蜴を肩に、青年はゆっくりと進む。
「今じゃ里も、大分ヒトがいなくなったけど」
 肩の双子に話しかけるように、青年がぽつりと口にする。
「特に人間は、あちこちで減ってるみたいだな」
「…………」
 昨日の揉め事が、まさに人間関係のことだ。第五峠を出たばかりの人間が、最も盛況な海港である第五峠に近い港で起こした事件だった。
「リーザが行く所でも、そうか?」
 心配げに飛び蜥蜴を横目で見る青年に、双子はコクリ、とあっさり頷いていた。
「……出て行けって言ってるのは、俺達化け物からだけど」
 この化け物の国は近年、人間と化け物の分離政策を推し進めている。特に明らかに化け物を優遇し、そのため人間側の抵抗は、時が経つにつれて激化しつつあった。
 治水や貿易など国家事業以外は、自治団による地方自治が主なこの国では、各地の自治団と人間のトラブルも絶えない。
「『子供狩り』も『悪魔祓い』も……本当、どっちもどっちだ」
 混血の青年は、それだけ忌々しげに口にする。それを意味ありげに見た飛び蜥蜴に気付いて、それ以上は言葉を呑んでいた。

+++++

「ってわけで。ライザとヴァルトが第五峠の近くで揉め事を起こしやがったせいで、騎士団から注意勧告が来てるわけだ」
「……」
 名指しされた青年のみならず、この集会の場にいる他の三人も黙り込む。有り余る筋肉を怒らせる長老の険しい顔に、しばらくしてから孫が反論した。
「んなこと言うても、元々もう人間と、バカの西派が揉めとったんや」
 孫の訛りは大陸の東に多く、この辺りでは珍しい。異境の母親譲りだった。
「大体本来は騎士団が止めてやってもええような領域やろ? アイツら、第五峠に患者としておる間は厚遇するわりに、一度退院して峠を出た奴らには見向きもせーへんからな」
 青年達が昨日に訪れていた第五峠は、国内では特殊な地域の一つだ。
 この「ゾレン」には化け物が多く住んでいる。隣は対照的に人間だらけの国で、第五峠は隣国「ディレステア」との国境の関所になる。
 長年争いを続けるゾレンとディレステアが、互いに中立地帯と定めた山海地域で、医療施設が集中するのが第五峠の大きな特色だった。
「騎士団は第五峠しか守らねぇからな。峠さえ平穏なら、その近隣がどうなろうが知ったこっちゃねぇのさ」
 それは長老にも、腹立たしいことではあるようだった。しかしそれ以上に彼女を立腹させているのは、目先のある危機だろう。
「あと一度でもこんな揉め事が起こるようなら、第五峠内では到底、和平交渉の場は貸せないときた。本当、何が中立地帯だ。自分達さえ平和ならいいってーのか」
「そんな……後はもう、国王様に直接上申するだけだったのに」
 せっかくここまで話をこぎつけたのに、と。普段から仕切り役を買って出る幼馴染が、短くふわふわした茶髪を触りながら、いつもは強気な灰色の目に憂いを浮かべて青年を見る。
「ライザ。第五峠でディレステア王女は、昨日は何と?」
「ああ。俺達の話をちゃんと最後まで聴いてくれた」
 青年と長老の孫が、昨日に第五峠まで足を運んだ理由。あるキッカケで人間の国の王女と知り合いになった青年が、ここに集まる者達の活動目的を、いつも王女に伝えているのだ。
「アウグリス第二王女としても、和平交渉は望むところらしい。日時と場所さえ設定されれば、自分かアヴィス第一王女が必ず、交渉の場に赴くと約束してくれた」

 元々第五峠の医療施設はほとんど、人間の国ディレステアの管轄下になる。ディレステアとゾレンの両峠に多数存在する医療施設の一つ一つを、第五峠に常駐して視察してまわるのが第二王女だ。
 若いながら慈悲に溢れた人間の王女と青年は、相手が王女であるとは思いもよらない状況で巡り会っていた。
 その上に青年はふとしたことから、一年前に即位したばかりの、ゾレン西部出身の若き新国王とも顔見知りだった。
「当初の予定通り、今度は国王を捕まえに東部まで行くがね。この間の手紙の返事は来たのかい? ライザ」
「最短で来てる。王都まで話を詰めにこっちが足を運ぶなら、和平交渉の設定については、トラスティも前向きらしい」
「結構、結構。さすが、サラムの息子だ。やっぱりアンタは、『五色のケモノ』になくちゃならない真リーダーだよ」
「……」
 表向きは目前の長老とその孫が、今は組織の顔のはずだ。
 肩に小さな飛び蜥蜴を乗せて、「飛竜」の直系である青年。本来この「五色のケモノ」――ゾレンのみならず、近隣地方の平和を祈願する組織を設立した化け物が青年の父、サラム・ドールドで、青年は戸籍上、その一人息子だった。
「でもライザ。トラスティのこと、利用したくないって、あれほど言ってたじゃない?」
 成り行きを黙って見守っていた同郷の女性が、珍しく異論を挟んでいた。
「彼もまだまだ、東をまとめるのも一筋縄じゃいかない時期よ。今の不安定な情勢で事を急ぐのは、お互いにどうなのかしら」
 慎重な人間である女性の指摘。それは創始者のサラム亡き後、組織への参入を半ば強制されて、まだ慣れない青年への心配でもあった。
 そうやってこれまで、何度となく青年の相談に乗ってくれた人間の女性に、化け物の長老は冷淡な視線を向ける。
「何言ってんだ。だからあんたが必要なんだ――エア・レイン」
「……」
 現在この場に集まった、組織の幹部である長老とその孫、青年と幼馴染。そんな化け物達の中で一人、人間である女性。
 その女性が組織に必要とされている理由をよく知っている青年は、複雑な思いで見ることしかできない。
「……レインさんにだけ無理はさせられない。リスクは高いが、一刻も早く和平交渉が設定できるなら、それにこしたことはない」
 普段は言葉数の少ない青年が、あえて色々と喋るのは、自分自身に言い聞かせている節がある。同郷の女性は青年の重い眼が移ったように、少しだけ哀しげに息をついていた。
「――?」
 そんな空気がよくわからないらしい、長老の孫と幼馴染が首を傾げる。しかし女性は、次の瞬間には楽しげに両眼を緩めていた。
「レインでも別にいいけど。どうせならエア・フィシェルって呼んでくれない?」
 にこにこと幸せそうに、ささやかな自己主張を口にする。
「って――レイン、さんん!? まさかぁぁ!?」
 どわあと飛び上がった長老の孫と、きゃあと口元を緩めて嬉しそうな幼馴染に、青年は無表情で、いや、と手を振る。
「有名だから、貸してもらってるだけらしい。……今はまだ」
 「フィシェル」とは、魔道という「力」に長ける化け物の大家として有名な姓だ。それをある行為のために女性は借り受けていた。
 しかし姓を変えることが意味する、他の一般的な状態も、長老の孫が心配する通り周知されつつあるのだった。

 実は、今回の集会のため、女性は山奥の里に久しぶりに帰った状態だった。
 隠れ里とも呼ばれる山奥で、南北に流れる大きな川に接し、自然の恵みには事欠かないこの里は、未開の自然の懐ともいえる。化け物のような体力や「力」を持たない人間には、過酷な居住環境でもあった。
「ライザ、オマエ今日、第五峠に行くんやって? 丁度ええ、行きは乗せてったる!」
「は?」
 旅支度を整えていた青年の元へ、朝っぱらからそうして、その長老の孫――常に暑苦しい悪友は駆け込んできた。
「そりゃ助かるけど。帰りはどうなるんだ?」
「帰りはあかん、レインさんを乗っけるんや! まぁオマエがどうしてもって言うなら、足くらいには吊るしたるけどな!」
「……」
 そういうことか、と――第五峠の医療施設にしばらく身を寄せていた、虚弱な女性に憧れる悪友の申し出。その方が移動時間を大幅に短縮できるため、遠慮なく受けた青年だったが。
「ついでにクランにも、改めて釘刺しとかなあかん!」
 ヒトを乗せて飛べる怪鳥の姿をとる直前まで、そんなぶちぶち小言を続ける悪友に、残念ながら手遅れだと、青年は体を竦めるしかなかった。

 クラン・フィシェル――悪友が女性の悪い虫として警戒する男は、第五峠の一医療施設に身を寄せる女性の主治医だった。
 揉め事を起こしたくないので、往路の途中で悪友を宥めすかし、予定通り女性を迎えに来た青年への第一声。
「聴いて、ライザ! クランってばひどいのよ!」
 いつもは穏やかで落ち着いているのに、病室でのこの女性はよく声を上げる。
「退院処方はしない、外出の扱いにするから、集会が終わればすぐに戻ってこいって。そんな意地悪、いきなり言うのよ!」
 白いベッドに座った女性と、その前の丸椅子に座っている医者に、無遠慮に女性がふくれ顔をしていた。
 迎えの青年を横目で確認して、赤い髪と目の若い医者が溜め息をついた。
「主治医の言うことをきかない患者に、出す薬は無い」
 それだけ冷静に、頑と言い放つ。鎖骨まである赤い髪を肩の高さで一つに括る整い過ぎた顔立ちと、炎のような情を秘めた赤い目には、えもいえぬ迫力があった。
「まだ研修留学生なのに、偉そうに」
 ぷいっと。そんな医者の厳しい目を軽く受け流す女性も、相当ツワモノの問題虚弱患者だった。
「クラン……今度は何があった?」
「…………」
 青年がディレステア第二王女と知り合ったのも、家族が第五峠に世話になったからだ。同郷の女性を診てくれる若い医者に感謝している青年に、医者は難しい顔を崩さない。
「レインさんは相変わらず……『占い』は続けてるのか」
 医者が常々、心配していたこと。医者の姓を貸りてまで女性が続ける、他の患者の診療への協力行為を、医者はそろそろ本気でやめさせたいと以前にぼやいていた。
「仕方ないでしょ。じゃないと私、ここの医療費も払えないわ」
 世界の「原理」を様々な術として活用する、「魔道」という業に秀でるフィシェルの家。身寄りのない同郷の女性はそのブランドを借り、人間である女性の人間らしからぬ特技――
 「千里眼」などと呼ばれる、物事の状況を広く把握できる、化け物も滅多に持たない特殊能力を売りにしていた。
 当初は、同じ施設の他の患者相手から始まった。どの患者の何処が弱っているのか、何一つ道具も使わずに、かなり正確に女性はいつも察知できていた。
「医療費は後でいいって、クランはずっと言ってますが」
「それじゃこの先一生、踏み倒すことになるわよ。今以上に私、回復するなんて到底思えないもの」
 その力で同郷の女性は医療施設に貢献し、「五色のケモノ」にも引き入れられた理由もそれだった。けれどその特技こそが、女性を虚弱たらしめている原因であることを、身近な者は誰もが気が付いていた。

 しかし医者が、退院を止める理由はそれだけではないらしい。
「……ここのところ、無断の外出と、その後の状態悪化が多過ぎる」
 詳細は言わないが、医者が強く顔を顰める。その状況に青年は早くも降参していた。
「すみませんレインさん。クランが正し過ぎて何も言えません」
 そうして深々と、医者に頭を下げたのだった。
「もう。患者の希望を叶えるのが医者の役目でしょ?」
「嫌なら他を当たれ。第五峠ならいくらでもいるだろ」
「ひどいっ、それが医者の言うことかしら」
「俺はまだ、たかが研修留学生だからな」
 段々と不毛な発展を遂げる応酬に、青年はやれやれと顔を上げる。
「悪いけど、クラン……レインさん、アンタ以外には診られたくないって言うから。それは、絶対らしいんだ」
「…………」
 同郷の女性は、以前までは医療施設を訪れる気もなかった。その赤い髪と目の留学生――有名な一族の直系でありながら、生家から遠く離れた地に飛ばされた者との出会いで、やっと少しでも身体を労わる気になってくれたことに、青年は安堵していた。
「色々と、手のかかる仲間で申し訳ない」
「ま。ライザったら失礼ね、相変わらず」
 女性に言わせれば、青年の方こそ、何故か世話を焼きたくなる弟分らしい。
 頭を下げる青年に、医者が大きな溜め息をついた。
「……何かあれば、すぐまた連れてくるように」
 それは最低条件だと言う。まっすぐな赤い目に、ただ青年は強く頷く。
「ライザって本当、不器用なくせ、肝心な所は外さないのよね」
 めでたく退院できた女性は、それだけ嘆息するように呟いていた。

 その後の帰り道で、女性を背に乗せた悪友と、悪友が呼んだ下僕らしき鳥の背に乗っていた青年は、旧知の化け物と人間が戦闘を行っている場面に出食わしてしまった。
 見て見ぬふりはできず、割って入った。その後当事者として教会に呼び出され、祭祀にねっちり絞られた顛末なのだった。
「大体、エア・レインが一緒についてたなら、そんな揉め事、回避して帰ることもできただろう?」
 まずとにかく火種に関わるんじゃない、とトラブルを察知するための「千里眼」に、長老が怪訝な目を向ける。
「レインさんはちゃんと気付いとったわ。でもな、そういったトラブルの解決こそ、この『五色』の理念やろ?」
 むしろ「千里眼」から聞いたからこそ、現場に向かった悪友なのだ。ばちっと、長老とその孫の視線が再び火花を散らす。
「小競り合いのために和平を不意にする気か? この考え無し」
「小競り合い言うけどなぁ、人間の奴ら、銃を持ってたんやで? 最近多いけど、何かおかしいと思わへんか?」

 基本的に化け物と人間では、身体能力では圧倒的に化け物が勝る。加えてこの悪友の如く、体の変化や炎といった外向きの「力」を持つ上級な化け物には、人間は敵うべくもなかった。長年の戦争相手、ディレステアの人間が使う飛び道具を除き。
「ディレステア製の銃だけやない。ここんとこ、巷で増えてる爆破事件も、まるで戦地さながらの破壊力らしいんや」
 その隣国は、原始的な色合いが濃いこの「地の大陸」では最も高度な技術を持つ国だ。大きな「力」のない化け物に対抗し得る、銃や砲弾という武器を戦いに使っている。
「ディレステア人が、武器を持ってゾレンに侵入してるってこと?」
 幼馴染が怪訝な顔で、悪友を睨むかのように口にした。そうした隣国特有の武器が、国内で使われている謎は大きい。
「いや……おれらが昨日止めたんは、ディレステアの人間でも、『悪魔祓い』の人間でもなかった。港の自治団――『西派』に絡まれてかっとなった普通の、みんな、ゾレン人の人間やった」
 戦争相手のディレステア以外に、同国の人間とも内乱が続く自国を悩ませる過激な勢力は、この国には主に四つあった。
 「子供狩り」の「西派」、「東派」、「悪魔祓い」。そして、「子供攫い」。

「港の奴らかて、『西派』言うても穏健な普通の奴らやけど。人間も話聞いたら、別にそんなおかしな奴でもなかったし」
 彼らが通りがかった時、化け物と人間の揉め事という中で、劣勢にあったのは化け物の方だった。
 海岸沿いの国であるゾレンを、海の外敵から守る軍と自治団。様々な事情で軍備は一年前から削減され、自治団は日々神経を尖らせている。そこにきて密出国しようとした人間を、咎める自治団が銃で脅されていた状態だった。
 その状況を一通り、悪友が語り終えた直後だった。
「そりゃ、こんな化け物の国から、余所へ行きたいなんて。人間にしてみりゃ当たり前だろうさ」
 部屋の戸口に佇み、不機嫌そうに言い放つ蒼い人影。
 尖った銀色の短髪と、鋭い縦の瞳孔が走る灰色の目。この場の真リーダーと呼ばれた青年に瓜二つの双子の弟だ。
「止めずにそのまま、出国させてやりゃ良かったんじゃねーの? 人間の一人や二人、消えたところで、どうせこの国の化け物は気にも留めねーだろ」
「リーザ? 元に戻ったんかい」
 気が付けば蒼い飛び蜥蜴は青年の肩から消えていた。
 飛び蜥蜴がヒトの姿であることを許される、数少ない場所――当然ながら自宅と、「五色のケモノ」の幹部の前で、扉近くの席に気だるげに着いていた。
「おやおや。ようやく少しは、兄貴を手伝う気になったのかい?」
「ねーよ。こんな(ぬる)い活動、ちんたらやってる趣味はねーし」
「温い、ですって?」
 双子の弟と幼馴染は昔から口争いが絶えない。態度の悪い双子に、すぐさまカチンときたらしい幼馴染が食ってかかる。
「そうやって文句だけ言って、関わる気がないなら出ていって。ライザ一人にサラム様の遺志を押し付けて、リーザはいつも、好き勝手に放浪してるだけじゃない」
 容赦のない幼馴染の言に、双子の弟は楽しげに笑った。
「別に、アニキに『五色』をやらせてるのはオレじゃねーし?」
 場の空気に構わない双子に、表情を変えない青年をちらりと見て、また双子が笑う。
「大体、オレみたく『存在しない奴』が『五色』の者だなんて名乗った日には、オマエらの方が困るんじゃないの?」

 この双子の兄弟は、顔貌や体格など、造りは同じでありながら対照的だった。
 片や無表情で何処か無骨な、洒落っ気も皆無ながら、声は優しげで棘が無い兄。
 片やよく笑いよく怒り、髪型など手入れが行き届いた美形で、口を開けば絡むのが趣味のような弟。
「……リーザは別に、『五色』をやる必要はないけど」
 しかし不思議と、似ていない双子の気は非常に合っていた。
「何か言いたいこと、あるなら言ってくれ」
 淡々と双子を見て言うと、その数言だけで弟は意図を察する。まだ怒り顔の幼馴染を放置し、目的だろう話を始めた。
「――身の振り方には、気を付けな。『王属』が動いてるぜ」
 それはゾレン一国のみならず、この国を囲む地域を全て単身で放浪する双子だからこそ、得られる情報だと言えた。
「まだろくに配下も揃わない新王の部隊じゃなく、『西派』の前王の残党らしい。オレにもそれ以上は、わからねーけど……『五色』の望む和平派でないことだけは確かだ」
「『王属』とはまた、厄介な奴らが出て来たね。現国王のならともかく、前王となると……現国王すら敵わない可能性もある」
 長老の言う通りに、「王属」とは、国王に準じる権限を持った「王属部隊」の略だ。国の中枢は絶対王政であるゾレンの、国王直属の腹心を指して言った。
「前王は何たって『子供狩り』制を作ったくらい、筋金入りの徹底抗戦派だからな」
 溜息をつきながら言う双子に、青年も少しだけ息をついていた。

 現在、「五色のケモノ」が最優先としている課題。
 ゾレンとディレステアの争いに終止符を打つ――ひいては、化け物と人間が穏やかに共存する道の模索が、その悲願となる。
 自称人間好きで、人間の妻を持ったサラム・ドールドという化け物の父の願い自体に、双子は異論があるわけではなかった。
「あらあら。結局、私達のことが心配で言いに来てくれたのね、リーザってば」
 素直じゃないわね、と笑う女性に、一瞬で双子は不服そうにする。
「うんうん、レインさんの言う通りや。リーザはええ奴やで」
 あっさり同調して頷く悪友に、誰がだ、とギラリと睨み返す。
「…………」
 青年の双子に生まれ落ちた直後から、弟は「存在しない者」として生活を制限されてきた。
 しかし根本的に歪むことなく、強く生きている姿を、青年は常に無表情に見つめるのだった。

「さてさて。情報も出揃った所で、会議もお開きにしたいが」
 長老の女の一声に、場には再び緊張感が戻る。
「明朝から早速、東部に向かうよ。メンバーはアタシ、バカ孫、ライザの三人だ。他は里の守りに集中させて、エア・レインは今夜中に、通るとまずそうなルートを観ておいてくれ」
 ゾレン東部に位置する王都へ向かい、国王に目通りを願う。その目的のために大事なのが、「五色のケモノ」と敵対しかねない勢力の邪魔が入らないことだ。
 彼らが「千里眼」を必要とするのは、そうして不穏な気配が漂う場所を探知し、無用な争いを避けるためだった。
「そこまで急ぐのか? 何も今夜中に……」
「いいの、ライザ。先延ばししたってすることは同じよ」
 自身の役目をわかっている女性は事も無げに笑う。逆にやんわりと、青年の抗議を制していた。
「ライザ達が安全に王都に着けるように。私も頑張るわ」
 それは本当に、女性の望みだと伝えるように、心からの綺麗な笑顔を浮かべた。

「……あ」
 そこで青年は、ある重大事項を思い出した。
「リーザ。悪いが『通行証』、しばらく渡してくれ」
「――……」
 それは青年と双子が、ほぼ同じ名前を付けられた大きな理由だった。
「東部に行くなら国境を出入りする。通行証がないと軍に咎められるだろ」
「……わかってるっつーの」
 ゾレンで生を受けた者には全て、一人一つずつ、国境を自由に生涯出入りできる通行証が発行される。
 しかしサラム・ドールドの子供として、戸籍に登録されているのは一人だけだ。名前の刻まれる通行証を青年と双子は、ずっと共用で使っていた。同じ名前を、ライザとリーザ――二通りの読み方で名乗る形で。

 普段は専ら、あちこちを放浪する双子がそれを使っている。
「咎められるどころか、通行証失くしたなんて言えば死刑だぜ」
 国内の馴染みの場所で過ごす限りは、通行証を出せと言われる機会はほとんどない。それでも通行証とは、譲渡も貸与もいずれも死罪といった、この国では命の次に大切な、ゾレン国民の証だった。
「今手元にはないから、明日また渡す。それでいーだろ?」
「……」
 その時青年は、ふいっと珍しく目をそらしていた双子に、嫌な予感はしていたのだが……。

 翌朝。あまりに綺麗さっぱり、双子は忽然と姿を消していた。
「…………やられた」
 もぬけの空の部屋の前、青年は、それだけ呟いて立ち尽くした。

+++++

「もォ……リーザってば本当、何考えて生きてるのよ!」
 通行証のない青年の代りに、幼馴染がゾレンの東部へ向かうことになった。当然のことだが幼馴染は、朝からひたすら不機嫌一色だった。
「悪い、ヴァルト……これ絶対、トラスティに渡してくれ」
 顔見知りの国王との、仲立ちとなるはずだった青年は、不在を平謝りした手紙を悪友に託す。
「それはえーけど……オマエ変な所で器用やなぁ、歩きながら手紙書けるなんて」
 ゾレン東部へ向かう一行に、せめて途中まで、と通行証が無くてもギリギリ同伴できる第五峠まで青年は付添っていた。
「読めるかどうかは別問題よね? トラスティは真面目だから、読もうとはしてくれるでしょうけど」
 同郷の女性は、夜を徹して「千里眼」を駆使し、一行が安全に辿れそうな道を探してくれた。気分は高揚しているようだったが、身体はすっかりヘロヘロで第五峠に戻ることになった。下僕の鳥の背に女性を乗せていた悪友から、青年が鳥ごと引き受ける。

「そういやエア・レインも、新国王に会ったことがあるのかい?」
 昨日の集会時から、同郷の女性は仮にも国王を呼び捨てにしている。それに長老が不思議そうにする。
「……いいえ? ライザからずっと話を聞いてたから、何だか他人の気がしないだけよ」
 ふふふ、と女性が、鳥の上に寝そべりながら青年をぽんぽん叩く。
「真面目が軍服着て歩いてるような奴だって、何度もライザ、言ってたものね~」
「なるほどなぁ。そら、ライザと気が合うわけやな」
 何故か納得している悪友を、青年が糾弾する暇もなかった。
「てめぇら、もう船が出る時間だぞ! ぐずぐずしてんな!」
 隣国ディレステアとの国境である第五峠は、ゾレンを東と西に二分する関所で、海港でもあった。
 そのためディレステアに一度は入国しなければ、西部から東部に行くことができない。陸路と空路、地下道などいくつかある道筋の中、今回は「千里眼」の勧めで海路を選択した一行だった。
「リーザが次に帰った時は、今度こそとっちめてよ、ライザ!」
「……まぁ、な」
 船出していった幼馴染の怒りに、促されたわけではないが、青年も大きく溜め息をついた。
「今回のは確かに……度を越えてる」
 一見、気ままに過ぎる振舞いを見せた双子の真意――
 双子の弟に何故、そこまで通行証が必要なのか。双子が何処で、何をしているのか、さすがに青年は問うつもりでいた。

 そもそも本来は、青年にもいつ通行証が必要になるかわからないので、週に一度は帰るように約束しているのだ。
「でもそれも、最近は怪しいし」
 それでも不定期にきちんと帰ってくる双子を、今まで青年は咎める気はなかった。
「……妙なことに、巻き込まれてなければいいけど」
 ただ純粋に、心配だった。項垂れる青年を見て、両手を枕に、うつ伏せに鳥の背に寝る女性が僅かに顔を歪めた。
 しかし女性は、船が出た後、まるで明かりがついたかのように突然笑った。
「ところでライザ。第五峠の『彼女』に、会いに行かないの?」
 は!? と振り返った青年に、女性は両手で頬杖をついてニコニコしている。
「いつもの場所に、今日もいるみたいよ? 多分、お昼休みが終わる前に会いに行ったら?」
 せっかくここまで来たんだし。と、心から楽しそうに笑いかける。
 長い付き合いの女性の言い分は、心当たりがないではない。諦めて青年はぶすっと返答する。
「いつもって――まだ二回しか会ったことないし」
「そうなの? じゃあ私が観たのは偶然その内一回の逢瀬?」
「逢瀬とかそんなんじゃないです。あの子まだ、十五歳ですよ」
 青年の迅速な弁明も空しかった。
 普段から無表情で、声色も口調も淡々とした青年が露骨に焦る様子は、「千里眼」でなくともからかいたくなるものだろう。
「あら、三つ違いだなんて更に素敵じゃないの。ライザは元々お兄ちゃん属性なんだから、それくらいの方がお似合いよ♪」
「レインさん……何でそんな、楽しそうなんですか……」
 身体は大丈夫なんですか、と、バツが悪く付け加える。
「ライザにもリーザにも、私、幸せになってほしいのよ」
 何故かそこで、双子の弟まで引き合いに出し、青白い顔でも穏やかに笑った――彼らの良き姐御だった。
 そんな呑気な話をしつつも、女性の顔からは明らかに血の気がひいている。体調はかなり悪いはずで、早々の出戻りに苦い顔をする医者の元に、青年は深く頭を下げつつ送ったのだった。

 「千里眼」の言う通り、海港である第五峠の片隅の岸壁で。
「……いた」
 砂浜はなく、石の岸壁が延々と続く広い海辺。絶え間ない潮騒以外は何も存在しない、無機質なだけのその場所に――
「やっぱり今日も……」
 悲しそうだ、と。青年よりも硬い表情を浮かべる、孤高な少女が一人で座っていた。

 その黒い髪の無表情な少女は、よく一人でこの岸壁に来ている。
 それでなくても無機質な灰色の平地で、その一点だけ、渦を巻く悲しげな大気が少女の周囲に広がっている。それは青年には、とても眼をひく光景だった。

 第五峠で息を引き取った両親を持つ青年は、その代価のため何度となく、第五峠に足を運んだ時期があった。
 海辺を通る度に見かける少女が気になり、潮騒の中でよく立ち止まったものだった。
――アナタ……誰?
 ある時不意に、少女の方から声をかけられた。咄嗟に出た声はただ一言だった。
「どうしていつも……悲しそうなんだ?」
 あまりに直球に、思わずそんな、不躾な返答をした青年だった。

「――あ」
 青年が来ていることに、少女はすぐに気が付いていた。初対面の時のように、遠目から少女を見る青年の姿に首を傾げているようだった。
 少女は青年を、青く大きな目で見つめて声をかけてきた。
「……こんにちは」
 長い黒髪を肩の高さで、石竹色の布で少女は束ねている。青年が滅多に見たことのない珍しい服装、前開きで首の半ばまで衿を閉じて、側面に切れ込みが入る鉛色で丈の長い上衣をいつも着ていた。
「アナタは……今日は、お休み?」
 遠目から少女を何度となく見つめる、怪しい青年に臆していない。大人しそうでも意思の強さを併せ持つ澄んだ目で、青年の方をじっと見ていた。
「……」
 青年は少女の近くまで来ると、岸壁の端で海面に足を下ろして座る少女の斜め後ろで、平らな灰色の石の上で静かに尋ねた。
「ミリアは――忙しいのか?」
 上半身だけ振り返る形で無表情に青年を見る少女に、青年も淡々と、それだけ尋ねる。

 当初、少女の表情を悲しげと感じ、そのまま口にしてしまった青年。その後少女は、呆気に取られたように青い目を丸くしていた。
 あ、いや、と。キョトンと黙り込んでしまった少女の、誰? という質問に答えるため、青年は片手で頭を抱えながら息を整えた。
――すまない。俺はここの自治団の手伝いをしているんだ。
 青年は元々、名の知れた「飛竜」の息子だ。里に近い地域の自治団からよく声がかかり、この時はそれがメインの仕事だった。
――こんな所で、いつも一人で……君は、誰だ?
 治安維持の仕事上からも、少女が気になっていた青年に、少女は少し警戒し、青年の様子を数秒程窺っていたが。
――わたしは……ミリア。
 あっさりその名を口にすると、少女がよくその岸壁にいる理由を、初対面の青年に簡単に明かしたのだった。
――騎士団の見習いで、魔法を練習していたの……。

 少女は、水の流れを司る魔道を勉強中だという。この岸壁にいる時はいつも、足元に打ち寄せる波を制してみようと意識を集中しているらしい。
 それはまさに、「忙しい」と青年に言わしめる集中力を要していた。
「今日はもう、おしまい。久しぶりに……アナタに会えたし」
 そうして自主的に修行している少女に、青年は声をかけ難かった。
 その遠慮に気付いてかどうか、少女は、悲しげに見える硬い表情と裏腹の柔らかな声で、自分から気安げに話しかけてきていた。
「もう、自治団のお仕事は、していないの?」
「……いや。まだたまに呼ばれるよ」
 ゾレン各地の「自治団」とは、地域の治安維持だけでなく、よろず相談所の役割を担っている。魔物が多く潜み、化け物と人間が並び立つ国では、荒事への介入が主な仕事だった。
「さすがにここの自治団には、呼ばれなくなったけど」
「……」
 この少女に二度目に会った時は、まだ自治団の手伝いをしていた。
 しかしちょうど、一昨日に人間と揉め事を起こした旧知の化け物――ゾレン西部を重視する「西派」な自治団に、その当時にきつく咎められて、お役御免となっていたのだった。

 自治団の男は、今のように少女の少し後ろに立っていた青年に、突然厳しい声色で場に現れていた。
――その娘に近付くな、ライザ。
 続いて現れた連れの女も、元々青年をあまり良く思っていなかった。
――ちょっとライザぁ。アンタ、騎士団に顔でも売る気ってわけぇ?
 更に自治団とは大体、付近の他勢力と折り合いが悪いのが常だった。
――……どういうことだ?
 どちらかというと大人しい男の厳しい声色に、青年は首を傾げるしかなかった。
――騎士団の見習いと話すのは、何かまずいのか?
 連れの女に対しても真っ直ぐに問い返すと、女は更に不機嫌そうになった。
――アンタもエア・フィシェルも、峠で随分優遇されてるけどさ。だからっていい気になるなってぇの。所詮余所者なんだから。
――……?
 女は過去に、港への来襲者を探知した「千里眼」の指示の元、使い走りの扱いを受けたことを根に持っていた。時間がなかったのだから、素早く動けない同郷の女性の判断は間違っていないと青年は思うが、人間に何か指示されること自体、大体の化け物は嫌っている。
――……その娘は『東派』の回し者だ。だから関わるな。
 そして男は、新興集団の「東派」を嫌った者だ。
 「東派」の新国王が即位する前に、東部に遷都した王都を、この西部に戻すべきという「西派」を強く支持する一人だった。
――『東派』の……回し者?
 男が真面目な性質であることを知っていた青年は、怪訝な眼で男を見返す。男も厳しい声色のまま先を続ける。
――その娘の姉は『東派』で、随分過激に動いているという噂だ。大方、騎士団の情報でも得るため、妹を送り込んだんだろう。
 その時少女は、青年が初めに見ていた悲しげな大気を、最も強く渦巻かせたように青年には見えた。
――……騎士団のことなんて、探ってどうするんだ。
 その空気が何故か、癇に障った。静かに男を睨み、何も言わない少女の後ろでゆっくり尋ね返した。
――俺にもミリアにも、何であれ関係ない。
 たとえ少女の姉が、どういった人物であろうと。普段は言葉を呑み込みがちの青年も、この時は言い切っていた。

 青年は何故かその後、自治団から暇を出された。
「あの時は……ごめんなさい」
 その時もただ、少女は目を伏せて謝っていた。青年はそれが不可解で眉をひそめる。
「ミリアが謝ることは何もない。そうされる方が俺は困るよ」
 いつも無表情な青年が、拗ねたようにも見える口調で言ってしまった。少女がぽかんと顔を上げる。
「手伝いだって、好きでしてたわけじゃない」
 だから全く、青年に不都合はない。珍しく吐き捨てるように口にした青年だった。
「……姉さんが、いるってことは」
 そして青年は、その時から少女にききたいと思っていたことを、ようやく口に出していた。
「ミリアの姉さんは……『子供狩り』に?」
「…………」
 少女は黙って、小さく、悲しげに頷く。
 このゾレンという国で、二十年以上前に義務付けられた制度。ディレステアと冷戦を続けるための悪制に、両手を握り締めた。

 化け物が持つ様々な「力」は、一子相伝であることが多い。
 その「力」を伝える血を絶やさないため、化け物の家系には必ず一人、血の繋がった後継者が必要だった。
 しかし子が二人以上いれば、「力」を継ぐことが多い第一子を軍に差し出し、第一子がそこで死んでも、家系は第二子以降が繋げというのが、ゾレンの俗称「子供狩り」制度だった。
「でも――姉さんは、軍にはいないのか」
「……わたし達の母は、人間だったから」
 子供の内から軍人になることを定められ、鍛えられる「子供狩り」。しかし鍛えても一定の基準に達しなかった者や、負傷などで使えないとみなされた者は軍には送られない。
「……」
 青年と同じで人間の血をひくらしい少女の姉は、そこで弱小と見放されたのだと青年も悟る。

 その「子供狩り」制度のために、双子の弟は、隠して育てられることになった。
 二人の子供の内、一人を奪われることを両親は拒んだ。
 だから子供は一人で、傍らの蒼い獣は子供の一部の「飛竜」に過ぎないと、二人を一つの化け物にしたのだ。

「そうか……」
 青年は珍しく、困ったような苦いような、僅かな微笑みを浮かべる。
「ミリアにも、人間の母さんがいるのか」
「……アナタもそうなの?」
 それがすぐに少女にわかるような、親しみのこもる声。少女も少しだけ表情を緩め、海面に下ろしていた足を引き上げ、青年の方へと横向きに座り直した。
「もう流行り病で死んだけど。俺も母さんは人間だった」
 青年の父、サラム・ドールド曰く、化け物女は可愛げがないらしい。彼はその人間の妻を、まさに溺愛していた状態だった。
「親父はその後、『子供狩り』に反対して、旧王都や第六峠で暴れ回って。ある日急に高熱を出して……母さんと同じ病で、母さんと同じこの峠で――あっさり死んだよ」
 病気一つしたことのない、最強の獣という彼は、あまりに急激に弱っていった。しかし本来、争い事を嫌う中立地帯たる第五峠には、入域を拒否されていた。
「母さんを看取ってくれた王女と……その護衛の騎士団長が、親父のこともよくしてくれたから」
 珍しくよく喋った青年に、少女は青年が、第五峠で働いた理由を悟ったようだった。
「わたしの母さんもずっと……病気でこの峠にいるの」
 何故なら少女も、その医療費のために、騎士団で働いていた。

 少女は一人で取り残され、この峠で働くしか道がなかった。
「『子供狩り』は……わたしの大事なものを、全て奪った」
 その悲しみの渦をこそ、「力」とするように……一人静かに、今日も大気を震わせていることを、青年は感じ取っていた。

 騎士団の見習い――実質は下働きである少女の昼休みは、そんな話をしていると、やがて過ぎ去ってしまった。
「ねぇ。また――お話できる?」
「……――」
 硬い顔付きのままでありながら、少女はどうやら青年との時間を、命一杯、良きものと感じていたらしい。
 青年も同じように、無表情に答える。
「……また来るよ。ミリアさえ良ければ」
「ありがとう。わたし、お昼は大体、ここに来るから」
 だから、待っている、と。最後に少しだけ、ぎこちなく少女は、僅かにその口元を緩ませ……良く言えば微笑んで去っていった。
「…………」
 あどけなく、影のある後ろ姿を、黙って青年は見送っていた。
「本当に……珍しいな」
 少女が去ると同時に、渦を巻いていた大気が静まり、思わず呟く。
「……海は、向いてなさそうだけど」
 まだまだ見習いに過ぎず、潮騒の音一つも変えられない。魔道を勉強している少女は、初対面の時に軽く嘆いていた。
「……」
 それは当たり前だ、と青年は思う。あの少女が在るべき風景は、海辺ではなかった。
 しかしあえて、少女に伝えたいとは思わない実態を、自分でも不思議に思いながらまた言葉を呑んでいた。

+++++

「あらあら、まぁまぁ。わざわざご丁寧に、有難うございます」
「……」
 居残りとはいえ、せっかく第五峠まで来た青年は、昨日の集会で行った話を、第五峠に常駐するディレステアの王女に伝えに向かっていた。
 第五峠中の医療施設を常に渡り歩き、半端なく多忙な王女を捕まえるのは日中は不可能だった。
「こんなに夜更けまでお待たせして、本当に、ごめんなさい。皆様にもどうか、ご武運を祈りますとお伝え下さい」
「……いや。戦ったら駄目だと思いますが」
 まだ十代後半で、ふわふわとした長い金色の髪にぴったりの、柔らかな空気を纏う王女。思わずツッコミを入れてしまった難しい顔の青年に、あらら、と楽しげにまた微笑んでいた。
「ごめんなさい。他に良い表現が、思い浮かばなくて」
 第五峠での生活が長い王女は、今回のような言い回しもするが、ゾレンの言葉によく通じている。母語以外さっぱり話せない青年に合わせて、ゾレン語でいつも話してくれていた。
「……」
 王女の隣に控える黒ずくめの服装の、黒い髪で赤い目の騎士――騎士団長たる無口な男の、厄介事を嫌う白い視線が刺さる。
 青年は早々に、秘密の謁見の場を後にしたのだった。

 すっかり夜も更けた中、第五峠の西端の林まで青年は辿り着いた。
「悪いな……随分待たせて」
 「千里眼」の女性を運び終わった後も、青年の帰り道用にと、悪友が命令した大きな鳥がそこに残ってくれていた。
「夜はさすがに、飛べないかな?」
 羽をたたんで俯いている鳥の背を、試しにぽんと叩いてみるが、全く反応しない。やっぱりな、と軽く息をつく。
 今日は予定通り野宿かな、と残念な心持ちで、暗い夜空を青年が見上げた――その時のことだった。
「――え?」

 灯りの乏しいゾレンの普通の町とは違い、第五峠はディレステア製の灯りが各所を照らす。だから夜空は見慣れた真っ黒でなく、青年からは、うっすら蒼くも見える空だったのだが……。
「リー……ザ!?」
 その蒼黒い空に溶けるような、蒼い獣。それを青年は確かに眼にした。
 存在しないと隠されて育てられた日々のためか、双子の弟は気配隠しにとても長けている。しかし青年と「千里眼」だけは、いつも隠された気配を見破り、彼の存在に気付くことができた。
「何処行くつもりなんだ――アイツ」
 双子の弟が何故、この第五峠の空にいるのか。
 これから何をするつもりなのか。何故か青年に、言い知れぬ悪い予感が走った。
「――悪い! 前は照らすから飛んでくれ!」
 ――!? と驚く鳥を叩き起こし、青年はその背に飛び乗る。右手には数少ない荷物の一つ、母の形見の短刀を携えて。
 半瞬後には、周囲の夜陰が灯影に消え去った。
「騎士団に気付かれる前に、行くぞ!」
 左手から発する炎――その光源の痛みを堪えつつ、不服げな鳥を夜空へと駆る。ヒトを乗せられる鳥より更に大きな、蒼い獣を追うために。
 そうして日付もまだ変わらぬ内に、青年は第五峠を後にしたのだった。

 蒼く黒い夜の空を駆ける青年の脳裏には、最早ほとんど姿の追えない、双子の鋭い声だけがこだまする。
――アニキに『五色』をやらせてるのはオレじゃねーし?
 その速さに追いつけないのは、そもそもわかってはいた。
 父が始めた組織の継続を望む、周囲からの絶え間ない期待を、双子は見事、ひらりとかわして飛び去っていった。
――こんな温い活動、ちんたらやってる趣味はねーし。
 そう言いながら、実際は父以上に結果を求めていることも青年は知っていた。

「何だ……こっちの方向だったのか」
 結局、完全に蒼い獣を見失ってしまった。青年が降り立った所は、第五峠から故郷に向かい、故郷を少しだけ越えた山中だった。
「里に一度、帰ったのか? アイツ」
 青年にとっては庭とも言える、見知った場所に降りた後で、乗せてきてくれた鳥に礼を言って解放する。
「それともこの先は……王都だけど……」
 正確には旧王都が、第五峠と青年の里を結ぶ線の延長にある。そこにある旧王城は「子供狩り」の本拠地、「西派」の巣窟であり、青年にも双子にも因縁浅からぬ場所だった。

 里へ帰る方向に、夜の山道へ足を進めながら考え込む。
「にしても……何で、第五峠に?」
 体がべたつく潮風は嫌だと言って、双子の弟は母や父がそこにいる時にも第五峠には寄り付かなかった。その過去を思い、青年は頭を悩ませる。
「……あれ」
 双子には関係がなさそうだが、その他にも、暗い山道を辿る途中で、ある違和感に青年は気が付いていた。
「この道……誰か沢山、通ったのか?」
 夜目では今までわからなかった。里へ続く最短の道の、どちらかというと隠れたルートである獣道には、複数のヒトに蹂躙されたような、草木の踏み倒された跡があった。
「……こんな道。里の奴らしか使わないのに」
 それはつまり、青年の里から、複数の者が外に出たのか……複数の何者かが里に向かったか、その二択を示している。
「……」
 第五峠からここまで、どうしても嫌な予感が胸から途切れない。青年はひたすら、里への道を急いだ。
 その先にまさか、あの悲しみの渦が待ち受けているとは。双子のことで頭が一杯だった青年は、夢にも思わずに。

「……え?」
 そうして本日、朝から何度、味わったかしれない驚きの感情。
「何で……」
 存在しないはずの弟を追い、予定より早く帰った青年の眼前。里の西口に近い位置に居を構える、馴染みの説教場の教会の内に。
 どうしても見逃せない――有り得ない存在を、青年はそこに見ていた。

 そして。祭祀も不在で、真っ暗で無人のはずの教会の扉を開けて、有り得ない存在を確かめに入った。
 礼拝堂の向こうの簡素な中庭で、青年が眼にしたものは、見たことのないほど異様な人影だった。
「人、間……!?」
「――」
 黒としか言えない暗闇の中。それに溶け込む珠玉を胸に填めた――
 悲しげな大気の渦を纏う、赤い女賊(おんな)がそこにいた。


「見られたからには――殺す」
「――!?」
 その慣れ親しんだ「神」の聖域で。「神」を敬ったことのない青年は、その罰とばかりに突然石の床に強く打ち倒された。
「ミリア……!?」
「――!?」
 青年がこの教会に無断で立ち入った目的。
 あの潮騒の少女が纏う悲しげな大気の渦が、岸壁より大規模に教会を覆っていた。その渦の発生源は、暗闇では赤い輪郭しか見えない謎の女賊だった。

 赤い女賊は、手にした長い棍で青年の足と頭を精確に強打した。倒れ込んだ青年にのしかかり、首元に短剣を一瞬で突き付ける。
「アナタ――どうしてその名を?」
 それだけ問うた女賊の声には、余裕も容赦もカケラ一つない。

 その名を口にした青年を、確実に赤い女賊は殺す気だろう。
 人間の女という、最も非力なはずの存在に押し倒された化け物の青年は、わけもわからず間近の死だけ感じ取った。
「っ――……!?」
 女賊が青年に突きつけた短剣が、首筋を抉りゆく瞬間、刀身を染める赤と、女賊の胸の黒い珠玉だけが眼に映った。
 その赤が宿す「意味」を、視界の端に青年は辛うじて収める。

「――なっ!!?」
 驚く女賊の目の前で、青年の血を帯びた短剣から突然に、鮮やかな炎が舞い上がった。
「あっ……!!」
 青年の首を抉った返り血は、女賊の覆面にも届いていたらしい。半瞬後には覆面から炎が上がり、赤い女賊の頭部を炎が包んだ。
「まずっ……!」
 動揺した女賊の足下から隙を見て抜け、その炎上を目の当たりにした青年は――自分でも理不尽に思うほどに、とてつもなく慌てた。

 夜空を飛ぶため、鳥の背の上、鳥の周囲を照らした時のように。
 自らの血を燃やし火を起こす特技を、青年は心得ていた。

「消えろ――!!」
 先程はただ、自分の命を守りたかっただけだ。
 さすがにそこまで――うら若い女の顔を焼くようなことは、青年が意図した結果ではない。
「……!?」
 しかしその火を、青年が無意味にする前のこと。
 覆面が燃え尽きた直後に、全く無傷の女の間近で、女賊を包もうとした炎は何かに突然阻まれ、吸い込まれるように消え去っていった。
 一方で、まだ燃え続けている短剣の灯りで、青年と女賊は互いの顔をはっきりと見た。
「――ウソ!?」
「……――?」
 岸壁の少女と同じ大気の渦を纏う、赤い輪郭の女賊。
 青く光る目の色以外は、特別少女とは似ていなかった。青みを帯びた灰色の髪は、高い位置で括れるぎりぎりの長さだ。そして全身の赤い輪郭を(かたど)っていたのは、女賊が身に着ける簡素な鎧だった。
 とにかく女賊は、容姿だけなら岸壁の少女とは似ても似つかない。なのに何故少女だと感じたのか、青年は自分に疑問を持った。
 その青年以上の驚愕で、女賊は青年を直視して叫んだ。
「リーザ……!?」
 女賊が口にしたその名前に、青年も改めて驚愕する羽目になった。

 赤い女賊との間合いを、青年は大胆に詰める。
「何で――その名を?」
「――!」
 首の血を(ぬぐ)った手に大きな火を灯す。互いのことが更によく見えるようになった。
「その名前の男を、知っているのか」
「……」
 黙り込んで青年に対峙する女賊は、険しさだけを浮かべる。そうきつい顔立ちではないのに、今はただ冷然として見えた。

 そして場に、もう一つ――唐突な(あか)い違和感が現れていた。
「……――!?」
 気付いていながら青年は、赤い女賊の存在が大き過ぎて、違和感の発生源をすぐに特定できなかった。
 背後から突然、青年を強い痛みが襲った。
「づっ……!?」
 それは情け容赦ない、錐型の短剣の刺入。
 痛みと失血に意識が消えていく中、それだけ何とか把握し、青年は崩れ落ちた。
 冷血な赤い女賊は、そうして青年の気をひき、囮となることを瞬時に判断していたようだった。
「ありがとう、リミット。コイツ……地下の納骨堂へ運んで」
「…………」
 突然、ス……と、仲間らしき人影が場に姿を現す。顔をほぼ包帯で覆い、紅い片目だけを出した者に、女賊はそう指示する。
「殺さ、ないのか――……リーダー」
 その一太刀程度では、一般的な化け物は十分生き残る。とどめをさそう、と、無機質な冷たい声が主張する。
 それ以上に冷厳とした声色で、赤い女賊は言い切ったのだった。
「コイツ、ドレイクの関係者みたい。使えるかもしれないわ」
 青年の意識はそこで、完全に闇に落ちていった。

+++++

 「飛竜」とは、最強の獣であると、周りは口を揃えて言った。
 しかしそれは、青年の父の代までだった。
――丈夫さは全部、リーザが持ってったんだから。
 出血の多さに、青年は冷たい石の床に力無く横たわる。不甲斐ないと自らを叱咤するが、どうにも体は動いてくれない。

 人間の血をひき、「力」を二つに分けて生まれた双子は、それぞれが欠けた所を持った化け物だった。
――蒼トカゲっていう所が、またオツよねぇ。
 頑強で赤く巨大な、炎を吐く獣を操り、また変化もした父。しかし蒼く生まれた双子の弟に、その赤火は受け継がれなかった。頑強さと空を行く羽だけの弟は、飛び蜥蜴と何度も蔑まれた。
 それでも、ヒトの姿でもとても頑強な双子は「魔道」にまで手を染め、最強の名を受け継いでいた。
――ライザが止めに入ったら、確実に炎、広がるわよ?
 一方で青年は、双子に渡されなかった炎だけを継いだらしい。その躯体に流れる血を、意図的に発火させることができた。
――本当に。俺の特技は、リーザを小さくできることくらいだし。
 他には発火させるのと似た要領で、そんな妙技ができる程度だった。

 自由自在に炎を纏う鳥である、悪友とも違う。血を炎と化す青年が炎で戦うのは、まさに自傷行為だった。
――相変わらずライザに甘いな、あんた。
 だから双子自身、青年にあまり戦わせようとはしない。
 それでも青年は自らを鍛え続けた。その甲斐あって、炎の力を持つ青年はわりと重宝されている。しかし貧血が続くだけで、有難くない頼られ方を常々嘆いていたことは、双子と「千里眼」の女性だけが知っていた。

 傷の痛みと熱で胡乱な中で、目を閉じたまま、青年は思わず呟いていた。
「……何処にいるんだ、リーザ……」
 横たわる青年に近付いてきた人影は、こころなしか細い息をついていた。
「……」
 その悲しげな人影は、青年の傷を黙々と手当てし……いつかの岸壁の少女のように、ごめんなさい、と。よく聞けば、何処か似た所のある軟らかい声色で応えていた。
「アナタはあまり……頑丈じゃないのね」
 リーザとは違って――と。嘆息するように人影が呟く。

 そして人影は、それまでの軟らかさが嘘のように冷然となった。
「……先に謝っておくけど。もうアナタは、引き返せないから」
 それが聖域に踏み入った青年への、罰であると言うかのように。悲しげな大気の渦と共に、人影は告げるのだった。
「ようこそ……――『子供攫い』へ」

+++++

前篇・承

 ――断る、と。
 目を覚ました後、黙り続けていた青年が最初に口にしたのは、そんな鉄の意志だった。
 青年の返答などまるで聞かなかったように、女賊(おんな)がしれっと問う。
「……どちらかを選んで? ここで死ぬか、仲間になるか」
 その場に集まった四人の内、中心人物らしき赤い鎧を纏う女賊は、冷たい表情を変えずに立ち続けている。

 地下の納骨堂は、これ以上禍々(まがまが)しさを醸し出せる場所もそうそうない基地だ。壁を背に座り込む青年を、囲むように立つ四人――一人の女賊と三人の郎党が、全て素顔を青年に晒していた。
 赤い女賊は改めて、彼らが何を行っているか、その集団――「子供攫い」の概要を口にした。
「私達は、『子供狩り』で徴兵された子供だけを攫っている。その先は各々の子供によるけど、悪いようにした覚えはない」
「……ああ。噂だけは、聞いたことがある」
 「子供攫い」は、現在ゾレンを騒がせている四大集団で一番実態が不明だ。活動内容は名称通りの「子供攫い」は、一部からは非道、他方からは義士と評価の分かれる集団だった。
 それはひとえに――手段を選ばない攫い方に起因する。
「見ての通り、この四人がメイン。後はドレイクのように協力者と……情報屋、子供の引き受け先があるだけ」
 それだけの力しかない彼らは、「子供狩り」にあった子供の行く先、旧王城から子供を攫い続けるため、冷酷に徹する必要があるという。
「旧王都を守る軍、『子供狩り』張本人の『西派』は容赦なく殺す。私達の正体に気付いた者も口封じする。残念だけどアナタは、私達の……数少ない潜伏先に気が付いてしまった」
 この教会の地下に昨夜から潜むように、彼らはその名も全て通称で呼び合い、転々と潜伏を続けているらしい。
「はっきり言えば、その場で抹殺レベルよ。気配隠しは万全を期した私達に気が付いたのだから」
「……」

 化け物には通常、人間の五感に加えて「気配探知」の感覚がある。人間にそれを持つ者もいるが、あくまで特殊な者だけだ。
 「気配」とは主に、どんな生き物からも発される存在の軌跡と言われる。遮断し隠すことはできても、滅多なことでは変えられはしない。だからこそ確実な、互いの識別方法だった。
 青年の双子は、その探知も遮断も得意だが、青年のその感覚は一般的か、やや鈍いくらいだった。
 しかし青年は、そうして隠れた弟を見つける特技を持っている。その対象はどうやら、弟だけではなかったらしい。
 そして今、彼らがあえて素顔で青年の前にいるのは、性質の悪い脅迫だった。
「でもアナタには、抹殺すべき必要を覆す価値がある」
「……」
「力を貸して。アナタの双子の弟……リーザのように」
 赤い女賊ははっきりと、その名を青年に告げた。その兄である青年を、彼らは仲間として求めていると。

 青年はしばらく、苦りきった顔で黙り込んだ。
「……リーザは本当に、あんた達の所にいるのか」
 確かに青年は、その影を追って近くまで来て、彼らに出くわす羽目になった。しかしまだ、双子の姿を見たわけではない。
「あんた達の『子供攫い』に……アイツを手伝わせているのか」
 そしてそれは青年にとって、最も信じたくない状況だった。
 もしもそれが真実であるなら、いったい双子は何を考えているのだろうと。

 青年はそもそも、この手の活動は何であれ、性に合わなかった。
――手伝いだって、好きでしてたわけじゃない。
――アンタは『五色のケモノ』、真リーダーだよ。
 それとて、母が死に、病気となる前に突然父が旧王都や第六峠を手酷く荒らして回ったツケだ。
 病気による錯乱として表向きは通っているが。様々な地へ被害を与えた父への遺憾を、「五色のケモノ」だけでなく、付近の自治団にも誠意を見せる必要があったのだ。
 そうでなければ青年は危険人物の息子として、野放しにしてもらえることはなかっただろう。
――結構、結構。さすが、サラムの息子だ。
 本来過激な長老辺りは、サラムよくやった! と、争いが続く原因とみなしている相手への、父の特攻に密かに喜んでいたが。

 ひたすら苦い顔を続ける青年に、赤い女賊がふうと息をついた。
「リーザ……ドレイクは今、第一峠に行ってもらってるわ」
 あえてその通称まで口にし、彼らの仲間であることを強調する。
「――第一峠?」
 思ってもみない地域の名に、思わず青年は目を丸くする。
「ドレイクにはいつも、攫った子供達を運んでもらってるの。ザインに行くことになった子供には、第一峠で手続きがいるから」

 「ザイン」とは、ゾレン西部の北に位置する山岳地帯だ。特定の国家を持たず、第五峠のように完全中立地帯を謳う。そのため、争いを嫌った人間や化け物が多く隠れ住む秘境だった。
「後数日は帰ってこないわ。アナタが仲間になる気がないなら、彼が帰る前にアナタを殺す」
「……――」
 つまり女賊は、青年を殺すことを、双子には隠し通すと断言している。
 とりあえずタイミングとしても、最悪の状態だった。
 昨日から、青年はゾレンの東部に向かう「五色のケモノ」と共に出発し、里の者からは旅に出たと思われているだろう。
 そして「五色のケモノ」達には、里に残ったと思われている。
――仲間になるって……嘘でも答えないと、殺される。
 そのつもりで彼らは素顔を晒し実情を述べたのだろう。ここまで知った相手を、殺さない選択はないと示すために。
――俺がいないことは、しばらく誰も……気が付きもしない。
 ここで戦っても助けは期待できない。そもそも里の実力者「五色のケモノ」の、幹部は全て出払ってしまった。
 どれくらい意識を失っていたか、青年にはわからなかった。外がもし夜であるとすれば、「五色のケモノ」はそろそろ王都に着いている頃だろう。
 それならせいぜい、青年の不在を気に留めるのは、来訪を待っている国王くらいだろうと自嘲する。

 それなら答は一つしかない。しかしそれを、自ら口にすることは、青年の意識が許さなかった。
 長く、黙り込んでしまった青年にしびれを切らしたのだろう。主に話していた赤い女賊の周囲が、それぞれ口を開き始めた。
「リーダー。コイツ、仲間になる気、ない」
「……」
 青年を負傷させた包帯男が、今は素顔を晒している。大火傷を負った顔では上手く話せないのか、たどたどしい語調で強く訴える。
「確かに惜しい素材のようだがね……ドレイク程の脅威は特に感じられないよ?」
 一番年長の、中年で痩せ型の男も苦笑いながら言う。
「ドレイクの双子って言うけどさぁ。確かにそっくりだけど、アイツ、天涯孤独っつーてなかった?」
 赤い女賊より年下と見える、軽い口調の長髪の男に、女賊はちらりと冷たい目を向けた。
「そうね。フルネームも教えてくれなかったし、私も何故そう思うのかはわからないわ」
 ――でも、と。女賊は赤い全像の中、だからこそ目立つ青い目を青年にまっすぐに向ける。
「否定しなかったってことは、当たってたんでしょう」
「ってことはまた、リーダーの単なる直感って奴ぅ? 勘弁してよねー」
「そう馬鹿にしたものではないよ、ブラザー。確かに(いしずえ)の無い曖昧な力だが、それこそがリーダーを強者たらしめている」
「ファザーまでそんな~。そりゃ、リーダー、強いけどさ?」
「……」
 包帯男がじろりと、紅い目で長髪男を睨む。おおコワ、と、以降彼らは口を閉じ、女賊の判断を待つことにしたようだった。

「……アナタ……」
 ……死にたいの? と。厳しい目で、女賊は青年に問いかけていた。
「口先だけ合わせたりしない潔さは、感服するけど。今の状況――甘く見てるわけじゃないでしょう?」
「……」
「ドレイクは本当に良き協力者よ。なるべく失いたくない……でもアナタが頷いてくれないなら、彼に黙って殺すしかない」
 そこで青年は、唐突に――それが、赤い女賊の懇願に近いことを、不意に感じ取っていた。
「どうしてそこまで、私達を拒むの?」
 嘘でもいいから、頷いてほしい。一つの集団の中心者として筋を通す必要が、女賊にはあるのだ。女賊と同じく、一つの組織の中心にされつつある青年には、それがわかってきた。
「……俺は……」
 それでも青年は、その一線だけは、どうしても譲ることができなかった。
「ヒト殺しを厭わない奴らの、一員にはならない」
「……――」
 たとえこの化け物の国の、不穏な情勢の中にあったとしても。誰かと殺し合うことが、今まで無かったわけではないにしても。
「そんなのを自分から仕事にするなんて、真っ平だ。そういう仕事は――やりたい奴だけがやればいい」
 それらの言葉は、青年を殺したくないため頷けと促す女賊に、切なる呪いとなったことだろう。それを承知しながら、青年は吐き捨てていた。
「……そう」
 そして女賊は、女賊も青年に、呪いの言葉を突き返していた。
「その拒絶は全て……リーザを否定することなのに」
 青年の双子が力を貸す彼らは、そこまで拒まれる筋合ではない。そう、青年の愚かしき真っ直ぐさを糾弾する。
「黙って殺す……つもりだったけど」
 気が変わった、と。赤い女賊の両目に霜が降りた。
「アナタの首をリーザに突付けて、その答を聞かせてあげる。彼がその後、私達を拒むなら――リーザもアナタの元に送るわ」
「……!?」
 それが最も、青年の筋を通す道だと。まるで青年の動揺を(わら)うように。

 納骨堂の空気が凍った直後に、唐突な歎声がそこに混じった。
「さすがにそれは、苛烈に過ぎないか……ピア・ユーク」
 ――!? と。場の全員が、瞬時に扉の方へ振り返った。
 その隠れ家への有り得なき闖入者に、誰もが言葉を失う。
「いけない子達ですね。あまりうちの里でオイタをするなら、もうここから出ていってもらいますよ?」
 正確には一人は、この教会の祭祀なので、有り得なくはなかった。

 長い祭杖を持った若い祭祀が、付き従って傍らに立つ相手。
 軍服に似た、質素ながら貴賓の出で立ちの者は、あまりに有り得ない闖入者だった。
「その男を害するつもりなら、君達との取引は継続できない。彼にはいずれ――我が『王属』となってもらう予定なのでな」
 青年の不在を唯一気に留める者、と、つい先刻考えておきながら――おそらく一番驚愕したのは、他ならぬ青年だった。
「トラスティ……!?」
 それはまさに、仮にも一国の新しき王。
 それがこのような隠れ里の一教会に現れるなど、目前の光景に青年は絶句する。

 現れた国王は、難しいとしか言いようのない顔付きで、青年のいる方を黙って眺める。国王の代りに、隣の祭祀が喋り始めた。
「やぁ、ライザ君。駄目じゃないですか、こんな所まで不法侵入しちゃ」
 後でまたお説教ですよ、と。普段通りの顔で微笑む。
「……」
 唐突に我慢の限界が来たらしい。包帯男が錐型の短剣を取り出し、青年に向かって振り上げていた。
「――」
 座り込んだ状態で躱すべくもなかった青年の前で、赤い女賊がそれを制する隙もなく……身動きした祭祀が、音もない早さでそこに割り込んでいた。
「粋がるな。脱落者」
 その一瞬で、祭祀はそれまでの微笑みを幻のように消した。仕込み杖である祭杖の細い剣を抜き、包帯男に切っ先を突付け、暗く冷酷そのものの眼光となった。
 赤い女賊は冷静に、実力差を元々知っていた声で制止を指示する。
「リミット。『王属』に刃向わないで」
 女賊の声に、包帯男が不服気に短剣をしまう。合わせて剣を収めた祭祀は、途端にまた笑顔に戻った。
「ライザ君。一つ貸しにしておきますからね」
「……」
 剣を抜く前後の、祭祀の雰囲気の激変ぶり。「王属部隊」だったらしい正体や、何故そんな祭祀がこの里にいたのかなど……青年は最早、当惑づくめで何も言えなかった。
 赤い女賊はそんな祭祀を無視して、国王に向き直った。
「約束の日程より随分早くない? トラスティ」
 淡々と、この短い時間の中では一番温和に、国王に対峙している。
「まだ次のヤマは準備も整ってない。最新の情報はほしいけど、アナタに返せるものが今は無いわよ?」
「そんなこともないだろう。その男を解放してくれれば充分だ」
 国王は相変わらず、真面目で余裕のない様子だが、青年が知る限りでは最大の穏健さで話をしている印象だった。
「そう。もう既に、トラスティが目をつけてた相手だったのね」
 そうしてあっさり、赤い女賊が納得したように頷く。
「私達のこと、誰かに喋ったら殺すけど。アナタはそんなバカじゃないわね?」
 青年の方を向いて、無表情にそう尋ねる。
「見逃してくれるなら……誰にも喋らない」
 憮然とそれだけ答えた青年に、そう、と、あっさり無機質に返したのだった。

 それからはしばらく、国王と「子供攫い」が別室で話を始めていた。
「うちは『サライ』さんの上得意先ですからね。そうそう妙なことはさせませんから、安心して下さい、ライザ君」
「…………」
 祭祀がにこにこと、青年の傷を改めて手当てする。妙な省略名でその集団を呼びながら、様々な爆弾発言を投下していた。
「でも国王様の関与を一言でも洩らせば、今度は私が君を殺さなくちゃいけませんよ? 心して下さいね」
「…………」
 祭祀曰く。国王は元々前王の「子供狩り」制に反対だったが、まだ制度の改変に着手できず、代償的に「子供攫い」を黙認しているのだという。
「ついでに、希望する子供があれば国王様の配下も手に入りますしね」
 まだ一年前に即位したてであり、「王属部隊」の数も少なく、新国王には信頼できる相手が乏しい。それを集めるためにこうして自ら様々な所へ出向き、その一環で青年の危機に、偶然居合わせたのだと語った。
「王都からこの里は……空路でもなければ最短二日かかる」
 それを考えると国王は、青年達が集会を行った日に王都を出ていなければ計算が合わなかった。
「東部に来いって言っていたのに……何で西部へ?」
 手紙の返事を思い出し、それだけ何とか青年は尋ねた。
「さぁ、何故でしょう? 私も同伴を命じられただけなので何とも?」
 にこにこと祭祀は、あからさまに白を切る。祭祀がここにいる理由も話さず、限られた情報だけを投下するのだった。

 そして祭祀は、青年にとって触れられると困る領域に、逆に踏み込んできた。
「ところでライザ君。リーザ君というのは、誰のことですか?」
「……――」
「サライのリーダーさんが、しきりに口にしていましたよね。私達も途中から来たので、話の全体像が見えていなくて」
「…………」
 まだ昨夜からの様々な出来事を、ほとんど消化できていない青年は何も答えられなかった。
「……知らない。そんな奴のことは」
 これまで通り、その存在は隠し通す……慣れ切った永い嘘だけ、無理やり口にしたのだった。

 夜半過ぎにようやく、国王と「子供攫い」の話は終わった。
 赤い女賊と青年の二人の付添いの元、国王は第六峠という、第五峠と同様の関所へ向かうことになった。
「人目に触れぬように、地下道を通って私は戻る。入れ違いとなった『五色』の者達には悪いが、彼らの滞在期間には間に合わぬかもしれない」
 第六峠は元々、旧王都出身の国王にとっては最寄の関所だ。その付近からディレステアの地下を行くゾレン東部への道があることや、ひいては関所に忍び込む道すら把握しているらしい。
「……本当に忙しいな、アンタ」
 そんな土地勘を駆使し、実は何度も国王は西部に来ているという。命を救われることになった青年は敬服するしかない。
「おかげで今回は……助かった」
 ちらりと、後方の赤い女賊を気にしながら不服気に言うと、真面目な国王は珍しく笑っていた。
「無理をするな。あのような者達と関係を持つ国王など、正直がっかりしたのではないか?」
「……」
 青年はぐっと、図星を刺されたように言葉を呑み込む。
「がっかり……というのは何か違う」
 しかしその繋がりに、青年が衝撃を受けたのは確かでもあった。
「王って大変だなって……思っただけだ」
「……」
 そうした衝撃を特に、相手に直接語る必要はない。その青年はいつもそうやって、言葉を呑んでいることを感じてかどうか、国王は普段の硬い顔付きに戻った。
「お前も『五色のケモノ』というヒトの上に立つなら、それはいずれわかると思うが」
 青年が何に引っかかって、不服げな顔をしているのか。それを(おもんばか)る、重い声色だった。
「理念や綺麗事だけでは回らないのが、導く者の宿命だ。必ず非情さは必要となる――私もお前も、あの人間の女も」
「……」
「最も、それが不服らしいお前の甘さこそ、私は買っているが」
「――?」
 国王は真面目な顔のまま、青年の方に振り返った。
「いずれお前を『王属』にというのは、全くの口実ではない。お前さえ良いのであれば、すぐにでも東部に迎えたいほどだ」
「……――」
 そうまっすぐに、青年を見て言う。顔見知りに過ぎなかった青年は、その信頼の根拠がほとんどわからず、当惑することしかできなかった。
「……俺は――」
 双子とは違い、青年には、血を燃やし身を削りながら炎を起こすくらいしか能がない。
「正直……まだ、『五色』だけで精一杯だ」
 それすらも、長老の影に過ぎないと、項垂れて返したのだった。
「そうか」
 それはわかり切った答だったのか、国王は坦々としている。
「それならば早い所、ディレステアとの和平を実現せねばな」
 そうなれば、「五色のケモノ」の荷は軽くなるはずだと、至って大真面目な返答をする――若き新国王だった。
「……頼むよ。俺が後ろの人間に殺される前に」
 その真面目さに苦笑し、やっと少し気楽に言葉を出せた。国王もふむ、と両腕を組んでいた。
「和平交渉の場が第六峠なら、むしろ一番都合がつけやすいのだが」

 西部出身である国王は、中立地帯として「五色のケモノ」が和平交渉に考える第五峠や、残りの国境である第四峠にはあまり顔が効かないと言う。
「安全性を考えると、ディレステア王女は納得しないだろうな」
「……さすがに、戦地そのものになるとな」
 冷戦とはいえ、小競り合いの続く戦いの中心地が第六峠だ。そこに敵国の王女を呼ぶのは、現実的ではなかった。
「第五峠に拘るなら、騎士団をいかに納得させるか。それさえ可能なら、私も最大限都合を合わせよう」
 それこそが、「五色のケモノ」の仕事であると。国王は厳然と、青年の役割を伝えていた。
 そして第六峠が近付いてきた中、国王がふと、ぽつりと呟いていた。
「しかし、あの人間は……お前を殺したいようには見えないのだが」
 ずっと黙って後方を守り、厳しい表情でついてきた赤い女賊に、そんな思いを口にする。
「……それはわかってる」
 全く同感だった青年は、再び不服そうな顔に戻っていった。
 何故ならそれこそ――青年が最も引っかかっていたことだからだ。
「じゃなきゃ今日まで、俺を生かさない」
「……」
「それならアンタに出てもらうまでもなく、殺さないって、最初からあの女が言えばいいのに」
 なのに何故、女賊はそうしなかったのか。そのため双子の弟まで殺すと言われた青年は、理不尽を越えた感情を持て余していた。
 国王は、青年の感情の由来までは理解できなかっただろう。
「それを己に許せるような優しき国で、生きていないのだ」
 それでも、女賊の判断は当然であると、両者を共に憐れむ気配を見せた。
「我が化け物の国で、人間の身で一つの集団の指揮をとる女は、隙を見せれば容易に見限られるだろう」
「……」
 厳しさに熱の入った国王を、少し驚きながら青年は見返す。
「それでもあの人間は……そうしなければいけない咎人なのだ」
 女賊がそこに至った経緯を、国王は知っているらしい。それは彼の咎でもあると言わんばかりに、沈痛さを伴う声でそう口にしていた。
「……よくわからないけど」
 毒気を抜かれたように、青年は小さく息をついた。
「アンタとあの女が知り合いらしいのは、わかったよ」
 今更のように、何故か安堵と共に、思わず呟いていた。

 第六峠とは、関所たるディレステア大使館を半円形に囲んだ宿場町だった。中心には青年の里に続く同じ川が流れ、王都が東に遷る前には人口も多く、ゾレンの主要地域だった。
 しかし長年の戦いにより、崩れた建物やバリケードが多く、周囲の森から侵食するような木々も所々に群生している。町とは言い難い荒廃した空気は、かなり以前から染み付いていた。
「これじゃ……王都が東に遷っても、無理はないな」
 王都を東に遷す計画自体は、わりと旧くから提示されていた。その遷都を後押しした一因は、旧王都や第六峠で青年の父が暴れ回った事変も無関係ではなかった。
「親父は……『東派』に利用されたのかな……」
 今思えば、そうした可能性も無くはなかった。
 目前で峠の全体像や地下道の位置、ゾレンとディレステアの軍備など、赤い女賊に情報を与える国王の姿。その付近にある一つの違和感に、大きな溜め息をついた青年だった。

 赤い女賊がついてきたのは、国王を見送るためだけではなく、次の仕事とやらに第六峠が大きく関わるからとのことだった。
「ピア・ユークは、表向きは『東派』のシンパサイザーだ。こうした機会でもなければ、西部の要地には最早立ち入れまい」
 そのため、秘密裏に第六峠を出入りできる国王に便乗し、敵情視察にきたわけだった。
 西部出身でありながら、東に王都を遷す計画をついに実行し、国王は今もこうして、様々な権謀の中を走り回っている。

「――へぇ? 第六峠は何度も来たことあるのに、そんな侵入路、全然知らなかったわ」
「王家の秘密というソレだ。今となっては意味もないのでな」
 青年が最初に会った時からは、想像もできないほどに、国王はしっかりとしたように感じられた。
「王都の再遷はともかく、削減した軍備の再補を求める声は、『東派』としても共感を示しておけ。聴く耳は持たなければ、反発を強めるだけだからな」
「トラスティ……そういう所、相変わらず真面目ね」
 国王になる前から、彼は本当に真面目だった。
 「子供狩り」制を作るような苛烈な前王の下、彼は王子時代から東への遷都計画を秘密裏に進めた。西部に拘る前王の勢いが弱った際に、その信念を実行に移したわけだが……その実当時、若くして彼は疲れ切っていた。
 それというのも、何のことはない。彼を東へ駆り立てたのは、とても情けない理由だった。
――私はただ、父上から逃げたかっただけなのだろう。
 身勝手な本音を、初対面から青年にこぼした若き王子。今や、単身で東部と西部を行き来して、様々な者の声を聞き届ける――国全体を見据えた新国王だった。

 それは三年前の、前王が病に臥し、遷都が発表されたばかりのことだ。
――……は……?
 まだ青年が少年だった頃、里に流れる馴染みの川から、かなり北上した位置の釣り場までやってきた時だった。
――アンタ……何やってるんだ?
 その川辺にあまりにもそぐわない、貴賓の姿。どうやら王都から来た貴賓が、川面を眺めて膝を抱えて座り込む状態に、ひたすら呆気にとられてしまった。
 柔らかさを生まれつき持たないような顔の貴賓。釣竿を肩に、片手にバケツを持って立ち尽くす少年を怪訝そうに見上げる。
――……峠の者か?
――いや、違うけど。
 もう少し北上すれば、第六峠に至る地点だ。しかし少年が何処ともしれない田舎者であることに、貴賓は安堵したらしい。
――私のことは気にしないでくれ。いないものと思ってくれ。
 ただ休養にきただけだから、と。それ以上は語らずに、言葉通りに貴賓は少年を構わなかった。仕方なく少年も黙って釣り糸を垂れる。

「気にするなって……言われても……」
 朝早くから、その後夜まで、川辺に座り込み続けた貴賓の姿。あれほど気になる光景もそうそうなかった、と一人ごちる。

 トゲトゲと、針の(むしろ)のような隣人を感じながら、少年はただ待ち続けた。
――……釣れないな……全然……。
 少年は昔から、双子の弟が四本足の獣であるせいか、肉の類が何となく食べられず、魚を好物としていた。
――それはいいけど……コイツ、何も食べないのかな……。
 いつまでも動かず座り続ける貴賓の横、食料が全く釣れず、少年も夜まで釣り糸を垂らし続ける。
 大体の「雑種」の化け物は、人間程の食事量を必要としない。少量の食料から最大限の効率で栄養を得られる。
 それも身体が成熟するまで、成長のための栄養で十分なのだ。
――リーザに身長抜かれるのだけは、いやだな。
 双子の弟は四本足であるくせ、全く容赦なしに獣を食べる。鳥の幼馴染の前で、むしろ美味しそうにその同類を食べる。
 喧嘩で勝てないことは、そろそろ諦めていたが、成長のための食材は確保せねば、とすっかり釣りが趣味になった少年だった。
――……。
 そうして夜になった。そこまで無言で川辺に座り続けていた貴賓と、釣りをする少年の会話は、不意に始まっていた。
――貴様は……馬鹿者か?
 いきなりそんな罵倒を、全く覇気のない様子で貴賓は口にした。少年は無表情で首を傾げながら、何でだ? と尋ねた。
――釣果が期待できないことなど、すぐにわかっただろう。
 それなのに場所一つ変えず、効率悪く待ち続ける少年の姿に、いつしか隣の剣山は苛々し始めていたようだった。
 いや――と言いかけて、少年は思わず言葉を呑んだ。
 その様子は更に剣山を刺激したらしい。最早、刺々(トゲトゲ)しさを隠そうともせずに、貴賓は少年をじろっと見つめた。
――何を言いかけたのだ。言いたいことがあるなら言えば良い。
 あまりに下らないことなので、少年は口にしなかった。剣山がそこまで言うなら、と仕方なくゆっくり口を開く。
――魚が無理なのはわかったけど。アンタは釣れそうかなって。
 そして今この結果に、夜まで待った甲斐はあった、と。
 言いつつ、バツが悪そうに貴賓を見ると、貴賓は刺々しくやつれた顔で、しばらく黙り込んだ。
 そして次に口を開いた時には――ただ一言。
――お前は……ばか者か?
 ごく僅かだけ、柔らかさを得た声色で、呆れたように大きく息をついていたのだった。

 後に貴賓の青年は、少年が最初から、王子たる貴賓の正体に気が付いていたことを知る。
 まだ顔の知れていなかった王子は、その不可解を尋ねてきた。
――いや。だって、トゲトゲだったから。
 そんな回答をした少年に、尚更不可解そうに首を傾げる。
――知っていて王族を敬わないのか、お前は。
 更には、年上の王子を呼び捨てにする少年に苦言を呈したものの。
――いや。相手によるけど。
 考えられる限り最大に無礼な答を、少年は返したのだった。

 柔らかさをほとんど持たない剣山は、相変わらずだ。
 それでも人間の女に根気良く、第六峠のことを教える国王には温かみが垣間見えた。それはその女賊が相手だからだろうか。
「もういいわ、トラスティ。夜も明けかかってるし……アナタ、子供が生まれたばかりなんでしょ?」
 早く無事、王都に帰ってあげて、と。あの冷然としていた女賊に言わしめるほど、子供という存在も大きいのかもしれない。
「……『子供攫い』、だしな」
 女賊が子供好きであったとしても、不自然ではない。
 しかしその剣山が子供を愛しそうに抱く姿は、どうしても想像できなかった。女賊に促されて帰りの地下道に消えていった国王を、青年はただ、憮然と見送ったのだった。

 そして、国王の姿が消えてからも、しばらく黙って立っていた赤い女賊は……何故か唐突に、青年に振り返って笑った。
「――ごめんねぇ。大変な目に、合わせちゃったねぇ」
「……は?」
 にへらと無防備に笑った人間の女に、青年は言葉を失い、立ち尽くした。

+++++

 とりあえず、と。赤い女賊(おんな)は人目につかない森に青年を引っ張り込み、倒れた木の一つに座らせた。
「トラスティの前だから、ヤセ我慢してたんだろうけど。傷、相当痛んでるんじゃない?」
「……――」
 呆気にとられ、ポカンとしている青年の服をめくり、首と背の傷をテキパキと女賊が状態を見る。
「さすが『飛竜』、もう大事はないみたい。でも炎症はあるわね」
 それなら、と、腰に下げた道具袋から何やら薬を取り出した。
 そしてにこりと、惜し気もなく青年に手渡す。
「飲んでおけば、帰りの道はかなり楽になるから」
「……」
 女賊があまりに、害の無い顔で笑いながら言うので、その薬を青年は黙って飲み込む。
「あんた……何者だ?」
 そうして、基本冷ややかな印象を丸ごと覆す勢いで軟らかくなった女に、そう聞くしかなかった。
「何者って。単に今は、リミットがいないだけだけど?」
 きょとん、と、女賊は青年の当惑こそ不思議と言わんばかりだった。青年もそこで、先程まであった違和感が消えたことに気が付く。
「トラスティとしばらく、地下道を行ってみてもらってるから。当分は帰ってこないわ」
 これで羽が伸ばせる、と言っているらしい。それまでひっそり同行していた、姿と気配を消せる力を持つ包帯男の不在を告げた。

 青年も、その違和感がずっと女賊と共にあったことは気が付いていた。
「そうそう、リミットね。当分アナタに張り付いて、アナタが少しでもおかしな真似をしたら、殺すって言ってるから」
 だから気を付けてね、と。本当に心配そうにわざわざ明かす女賊に、再び言葉を失う。
「ごめんねで許されるレベルじゃないけど。命が助かっただけ、悪いけど儲けものだと思ってほしいな」
 ふう、と女賊は、申し訳なさそうな溜息を一度だけついた。黙り込んだままの青年に背を向け、昇り始めた朝日の中で、赤い鎧を纏う全身をうーんと伸ばす。
「あーあー。リーザにまた、怒られちゃうかなー」
 そんなことを軽く言いつつ、気持ち良さそうに朝の空気を吸い込む赤い女賊だった。

「…………」
 ようやく青年は、今の状態こそ赤い女賊の素であり、朝の顔であることを、感覚的には理解できた。
「――? アナタ、帰らないの?」
 自分は包帯男を待ってから帰る、と青年の解放をあっさりと宣言する。そんな女賊に、感情の方が納得できなかった。
「あんたは……本当に、それでいいのか?」
 不服さを隠しもせず尋く青年に、赤い女賊がぽん、と手を打った。
「そっか。あたしも尋かなきゃいけないこと、あったねぇ」
 それなら、と青年の対面、たまたまあった切り株に座る。
「リミットが帰ってくる前に、少し話してもいいかな?」
「……」
 年齢相応の素直な顔付きで、青年を見つめる。
 赤い女賊に尋きたいことがあり過ぎた青年は、黙って頷いた。
「あたしの方の質問は一つだから、先に尋いていい?」
「……」
 再び黙って頷く青年に、良かった、と女賊が軟らかく笑った。
「アナタ……ミリィちゃんを知ってるの?」
 出会った最初に、青年が口にした名前。それに対する、姉妹ならではだろう呼称を口にした姿に、青年はしっかりと頷いた。
「やっぱりあんたが――ミリアの姉さんなのか」
 それで同じような、悲しげな大気の渦を纏っていたのか。自分の中で青年はついに納得する。
「そう。ミリア・ユークは、あたしの実の妹」
 でも、と女賊は、困ったように笑いながら俯いていた。
「随分長く会ってないから。あのコが何処でどうしてるのか、何も知らなくって」
 だからそれだけ、教えてほしい、とまっすぐに青年を見つめて尋ねた。
「……俺もまだ、三回しか会ったことはないけど」
 その真剣な目線に、青年の表情からいくらか棘がとれていった。
「第五峠で、騎士団の見習いをしてる。母さんが病気でずっと第五峠にいて、その医療費を払うためらしい」
「……――」
 女賊がぐっと、両手を握り締める。
「……そっか。母さん……悪いのかな」
 少しの間、苦しげに俯き、悲しげに笑いながらそれだけ呟く。
「荒事には絶対に、関わらないでねって……約束したのにな」
 次の瞬間には顔を上げて、ありがとう、と、穏やかに微笑んでいた。
「でも不思議。あたしとミリィちゃん、別に似てないでしょ?」
「……」
「あたしを見てミリィちゃんを連想されるのは、正直困るんだ。どうしてそう思ったのか、ごめん、それも教えてくれない?」
 妹を極力、荒事に巻き込みたくないらしい。その気持ちは伝わったが、質問には上手く答える自信が無かった。
「……周りの空気が、似ていただけだ」
「――へ?」
「あんたもミリアも、何か悲しげな……同じ色の空気の中にいる」
 そんな回答で女賊が納得するとは、到底思えなかったが。
「気配が似てる――ってわけでも、ないよねぇ?」
 だって……と、女賊が困ったような顔で両腕を組んだ。
「あたしは一人だけ、人間だったから……似てるわけがない」
 自身でそう呟きながら、唐突に、閃いたような顔となった。
「そっか。気配じゃなくて、力が似てるんだ」
「……?」
 何故かそれで一人で納得し、青年の回答に満足したようだった。

「ありがとう。それじゃ今度は、アナタから質問は?」
「……」
 青年は少しだけ、また黙り込む。おそらくそう余裕は無い時間の中、最低限の質問をまず絞り出した。
「リーザは何で、あんた達に協力しているんだ」
 それは本当に、双子の弟の意志であるのかどうか。
「それと何で、あんたはリーザを殺すって言ったんだ」
 青年を殺すとしても、双子には隠すと女賊は言った。それを最後に、意志を変えたわけを聞きたかった。
 女賊はううむ、と、両手を組んだまま悩ましげに俯いていった。
「キッカケは、アナタと一緒よ。偶然あたし達の姿を見られて、殺そうとしたら引き分けになって。それから何でか、リーザが自分から仲間になってくれたんだけど……その理由は、あたしもよくわからないの」
「……」
「『子供狩り』が気に喰わないとは言ってたけど。でもそれが、一番の理由であるようには――今も思えなくって」
 だからできれば、本人に聞いてほしい。女賊自身も不思議そうに、それを回答とするのだった。
「でも、仲間と言っても……リーザはあたし達を嫌ってるし、他の仲間もリーザのことを信用はしてないと思う」
 ただその力を利用しているだけだと、女賊は申し訳なさそうにする。
「子供達を迅速に安全に、行先に運ぶのに、凄く助かるの」
 これまでは、一回につき一人か二人しか攫えなかった子供を、その「飛竜」のおかげで最高五人は攫えるようになったという。女賊は苦笑いしながら言うのだった。
「それで――二つ目の質問だけど」
「……」
「ただのハッタリ。って言ったら、信じてくれる?」
「…………」
 青年は黙って、否定する方向に首を振る。
「アナタも大概……マジメな化け物だねぇ、ホント」
 ふう、と、女賊は青年から目を逸らし、素直に辛そうな表情を浮かべた。
「だって――アナタを殺しておいて、そのままリーザのこと利用し続けるのは、さすがに荷が重かったから」
 それならばせめて、真実を明かしたい。そうなれば再び「飛竜」と殺し合いとなっただろう、と女賊が見込みを語る。
「大体ねぇ、アナタがもう少し頭が軟らかければ、あたしもその後、何とだってアナタのこと、解放できる道はあったのに」
「…………」
「おかげで結局、リミットはアナタに目をつけちゃった。当分、身の振り方には注意しなさいよ」
 赤い女賊のその回答は、青年を咎める口調ではあるものの――咎めているのは、青年に不利な事態になったという結果への、青年のための怒りからだった。
 だからそれが、青年は腹立たしかったのだろう。
「……あんたは、何で」
 青年が女賊に対して抱く怒りは、女賊の矛盾にずっと向けられていた。
「いい奴なのに――そんな、非情なやり方をするんだ」
「……」
「『子供攫い』がそこまで……大切な仕事なのか」
 女賊はその私情を殺し、他者をも犠牲にしている。そこまでしてやり遂げる容赦のなさに、青年は問いかける。
「……いい奴じゃ……ないからよ」
 赤い女賊はそれだけ、夜の顔に戻ったように、無機質に答えていた。

「ところでねぇ――アナタ」
 まっすぐな化け物の青年に対して、朝の顔に戻ると、女賊はあえて忠告するように冷たく断言していた。
「あたしのことは、ミリィちゃんにも喋ったらダメよ」
「――……」
「誰にも喋らないって、約束したでしょ? それを破れば、リミットがアナタを殺す理由になる」
 少なくとも、「子供攫い」が次の潜伏先に行くまでは、決して油断するな、と。それもいくらか時間がかかる、と女賊は告げていた。
「あの子はとても、純粋で――苛烈。大した力はなくっても、地獄の果てまでアナタを追うわ」
 そして赤い女賊も、その時はまた、青年を殺すことに全力を尽くす――そうしなければいけなくなる、と目を伏せる。
「『子供攫い』のために、あたしはもう、多くを奪ってきた。引き返そうとは思ってないし……引き返せるとも思えない」
 だからそれを最優先すると、青年の最後の質問にも、赤い女賊はそこで答えていた。
「そこまで大切な仕事かどうかは知らない。でも、手放すことはできない」
「…………」
 青年はただ、硬く意志を決めている女賊の言葉に黙り込んだ。
「だからもう……ミリィちゃんにも、会えるとは思わない」
 それであれば、少女に姉の存在を伝えてもらう必要はない。そう、青年に哀しげに微笑みかけた。
「『子供攫い』は、『東派』とも『悪魔祓い』とも違う――唯一、軍が公式に討伐すべきとした、国賊集団よ」
 あくまで「西派」、旧王都の軍に限るけど、と付け加える。
「トラスティは、『王属』に迎えるとも言ってくれてるけど。東西がまとまらない状況では、それは彼の命取りにもなる」
「……」
「トラスティには王でいてほしい。それはアナタもわかるよね」
 そのような話をしながら、女賊は何故か淡々と明るかった。
「悲しいかな、あたし達には先行きも退路もない。そんな所に絶対、ミリィちゃんを巻き込まないでよ?」
 青年は女賊の笑顔を、否定も肯定もできず、項垂れるしかなかった。
 そうして、黙って一人、里に帰るしかない青年だった。

 女賊がくれた薬の効用か、里までは傷が強く痛むこともなかった。
「……とりあえず、寝よう」
 負傷した身体の補填に、気分は進まなかったが、普段より多く栄養も摂った。双子ほどではないが丈夫な化け物の青年は、真昼間からごろんと横になった。
 一昨日からこちら、あまりに色々なことがあった。昨夜は国王の見送りで完徹となったため、すぐにも爆睡に落ちた青年だった。

+++++

 第六峠から同じ川が続く、山奥の隠れ里で。
 そんな山奥に有り得ようもない……潮騒の、唄が聴こえる。

 青年は、自分が何処にいるかも忘れる。
 平らな灰色の岸壁の上、取り残されたように立つ。
 潮騒の唄を無心で聴き続ける――傍からは寂しげな青年。
 それに声をかけてきた、黒く長い髪で、青い目の少女がいた。
――アナタ……誰?
 その少女は、生まれてから一度も笑ったことがないのでは……そんなことを思いかけるほど、悲しげな表情を当たり前の顔としている。
――どうしていつも……悲しそうなんだ?
 それが青年が、岸壁に何度も足を運んだ理由だった。

――『子供狩り』は……わたしの大事なものを、全て奪った。
 その悲しみの渦をこそ、「力」とするように、一人静かに、少女は大気を震わせている。

 少女と同じような大気の渦を纏う、赤い輪郭の女賊。
――もう……ミリィちゃんにも、会えるとは思わない。
 そうきつい顔立ちではないのに、険しさだけを乗せた表情はただ、冷然として見えた。

 少女も姉も、そこに在るだけで、大気の色までを変える。
――本当に……珍しいな。
 どうしても見逃せない、有り得ない存在。
 そんな風に感じているのは、果たして青年だけなのだろうか。

――あたしは一人だけ、人間だったから。
 過去、「子供狩り」にあいながらも、弱小と見放されていた人間の女が――「飛竜」たる最強の獣と戦い、渡り合った事実。

 とても放ってはおけない、大き過ぎる意味がそこにあった。
「少しでいいから……笑わせて、みたいな」
 悲しげな潮騒の中の少女の青い目。
 青年はただ、一番最初の心だけを、(いろ)の無い眼で呟いていた。


 包帯もろくに替えないままで、長い眠りに落ちていた。青年が目を覚ました時には、丸一日が経過していた。
「……ったく」
 目覚めたそばから、ある違和感に気が付き、天井だけを見る顔を強く顰める。
 さすがに部屋の中にはいないが、青年の家、おそらくは平らな木造の屋根で青年を監視する、紅い違和感をしっかりと探知した。

 その違和感はひたすらに紅く、青年を見つめ続けている気配を隠しもしない。
「コレは……いつまで続くんだ?」
 火傷に顔を消された包帯男の、荒廃した紅い片目。それを始終同伴する赤い女賊が冷然とするのも、当然だと青年は納得する。
「……何でそんなの……ずっと、連れて歩くんだ」
 それはおそらく、女賊の采配でなく、包帯男の意志だろうことは察する。
「嫌だって命令すれば、いいだけなのに……首謀者なら……」
 それが許される状態ならば、苦労はしないのだろう。理解はしつつも、不服さは無くならない被害者だった。

 第六峠で赤い女賊と別れる前に、女賊はその包帯男について、青年の認識を一つ訂正していた。
――リミットは、ああ見えてもまだ十歳だから。
 赤い女賊と同じように、元は「子供狩り」で徴兵された者なのだという。大体の子供は三歳から徴兵され、十歳になる直前にその価値を判断される実情らしい。
――あの火傷を負って、身体はほとんど使い物にならなくなって。捨てられる所をあたし達が攫ってきたんだけど。
 使えない、と判断された子供は、脱落者と烙印を受け、その後は普通親元に帰される。もしも親が死んでいるか、稀に引き受けを拒否された場合、訓練場の旧王城で働くことになる。働きすらできない者は、咎人に近い扱いを受けるという。
 ただ憐れむように、赤い女賊は目を伏せていた。
――使えない者というのは、この国では罪でしかない。
 女達に攫われてから、使い物にならない身体を、何より包帯男自身が嫌い……女曰く、悪魔に身を売ったということだった。
――あの子にはもう、自分自身の心は、欠片しか残ってない。
 それにより一見は成熟し、まともに動く魔縁の躯体を手に入れた。紅く光る魔性と共に、残った望みは、女と共に戦うことだけだったのだ。

「……」
 魔性の化け物。ヒトを食わなければ生きられなくなったはずの魔縁に、青年は憮然と天井を見つめる。
 そこから毎日、無駄とわかり切ったある行動を、しばらく行うこととなる。

+++++

 青年が家を出ると、紅い魔縁は、姿も気配も閉ざしながら青年の後をついてきた。
「第五峠まで……コレ、連れていくのか………」
 頭が痛かった。決して揉め事を起こしてはいけない地を思い、青年は大きく溜め息をつく。

 いつ帰るかわからない国王の不在を知れば、短気な「五色のケモノ」は王都を出るだろう。今夜辺り第五峠まで戻るというのが、青年の見立てだった。
「その足で王女と……騎士団長と。全員で相談しよう」
 青年が国王と既に会ったことは、当然伏せなければいけないが、大事な意志は確認できた。
 王女のそばに常に控える、寡黙な若い騎士団長は、実際問題和平交渉の場を貸してくれるのだろうか。まずはそこから話をする必要があるだろう。
「でも……」
 あの赤い目の騎士団長が、この紅い魔縁に万一気付いた場合、第五峠内で大規模な戦闘が発生する可能性があった。
「……君」
 それを思うと、つい青年は、魔縁に一言かけずにいられなかった。
「ついてくるなら、ばれないようにだけは気をつけてくれ」
 それがたとえ、紅い魔縁の殺意を更に刺激するものでも。

 どれだけ早くても、「五色のケモノ」が着くのは夜だと踏んだ。
 それなのに、夜も明けきらない内に出発した青年には、以前から考えていたある野望があった。
「……え?」
 黒い髪で青い目の少女が、昼休みに約束の岸壁に現れた時には、既に青年の目的は達成されていた。
「――やあ。ミリア」
 ポカンとしている少女に、無表情に青年はよっと手を上げた。
「……いつから、そうしてたの?」
 少女は、岸壁に座った青年と、木桶にぴちぴち(うごめ)く海生物を無表情に見つめる。そしてやはり、無表情のままで尋ねる。
「釣り……好きなの?」
「ああ。しばらく忘れていたけど」
 岸壁にあぐらをかいて座り、潮騒の中で釣り糸を垂らす。まだその楽しさまで、思い出せたわけではなかった。
「嫌なことを忘れたい時は、これが一番なんだ」
「…………」
 何故か少女の青い目に、好奇心が生まれた。青年の隣の木桶を長い間、しゃがんで覗き込んでいたのだった。

+++++

 岸壁で釣った魚は、全て黒い髪の少女に持たせた。
 夕刻になり、第五峠に来た時は必ず顔を出す同郷の女性の元へ向かった青年に、思ってもみない悪報が告げられていた。
「面会……謝絶?」
「二日前――再入院の翌朝、吐血があった。その後ずっと、意識状態が良くない」
 赤い髪の医者は、やるせない怒りを噛み殺す静かな声で青年を見る。
「オマエに何かあったから、第一峠に連絡をとってほしい、と。それだけ俺に頼んで、昨夜まで眠り続けていた」
「――」
 第一峠には医者の兄弟が勤めている。「魔道」を生業とするフィシェル家の正統な後継者と医者は、魔道の術で遠隔通信を行うことができる。
「何があったか知らないが、ここ最近『千里眼』を駆使し過ぎている。一度とことん休ませないと、命に関わるぞ」
「……すまない。無理に眠らせてでも、そうしてくれ」
 女性はおそらく、その眼で青年の危機に気付き、第一峠にいたはずの双子を探し出した。そうして弱った体に追い打ちをかけたのだろう。
「……俺の留学期間は、もうじき終わる」
 それは医者が、女性の主治医となる前に決まっていたことだった。
「ザインまで来ないか尋いたが……仕事がある、の一言だった」
「……すまない」
 療養のためにも、医者の生家に女性を保護する。その申し出を決して受けようとしない同郷の女性の姿は、青年をも悩ませていた。

――レインさんにだけ無理はさせられない。
 その医者がここからいなくなってしまう前に、可能であれば女性を、「五色のケモノ」から解放したかった。
 国王に手紙を出すことを決意した青年の後押しは、思えばそんな焦りが一つだった。
――私みたく弱々な人間とも、ライザは仲良くしてくれる。
 現在女性は特に、人間だからと言って冷遇はされていない。しかし、その「千里眼」への依頼を拒否した時は、変わらず女性と良い関係を保つ化け物は多くはないだろう。
――だからあんたが必要なんだ――エア・レイン。
 そうした現実を感じてか、女性にあまり「千里眼」を使わせまいとする者にだけ、色無き女性は心から笑いかけた。
――使えない者というのは、この国では罪でしかない。
 化け物の国に住む弱き人間の、それは確かな実感だろう。
 第五峠以外には、この国には公的な医療施設の一つすらない。病に苦しむ化け物は少ないためで、人口の五割近くを占める人間からの要望は、絶えることがないのにも関わらずに。
「でも……レインさんは……」
 しかし一番の難点は、そんな国の現状よりある意味深刻だった。
――ライザ達が安全に王都に着けるように、私も頑張るわ。
 そう願う女性自体を、誰にも変えようがない。それが全ての元凶かもしれなかった。

「そうなの……エア、そんなに悪いの」
「うごぉぉ……レインさんん……」
 夜になり、青年の見立て通りに帰り着いた「五色のケモノ」は、酷い目にあったと不在の国王への文句が第一声だった。
「さすがにちょっと、性急過ぎたかもしれないね」
 ここ数週の展開の速さを思い、長老も思い直すように両腕を組む。
「しかし――これまでとそこまで違うペースで、『千里眼』をさせたつもりはないんだがね?」
「……」
 それは確かに、青年も感じていた違和感だった。
 「千里眼」で消費される、女性の基礎体力量は変わらないはずだ。酷使を続けて体が消耗することは止められないが、ペース配分さえ守れば、急変は滅多にあることではなかった。
「『五色』や『占い』以外に、他にも何かしてるんじゃないか?」
「まさか。エアは最近ずっと、第五峠に缶詰なのに?」
 この中立地帯でそうそう不穏なことはないと、幼馴染が不思議がる。
――ここのところ、無断の外出とその後の悪化が多過ぎる。
 医者の言葉を思い出して、青年の脳裏で何かが繋がりかける。
「とにかく、ディレステア王女にはこれから会えるのかい?」
 しかし長老の一喝で、あえなくそれは吹き飛んでいた。
「ああ。俺とマザー・ヘロンには会ってくれると言った」
 顔を上げた青年に、幼馴染達が不服そうにする。
「何やねん、おれらは仲間外れかい」
「残念。王女様に直接お会いしてみたかったのに」
「王女も、目立つことは避けたいらしい。悪いが待機してくれ」
 淡々と告げる真リーダーの青年に、了解、と二人はすぐに頷いていた。
「エアが面会謝絶なら、マリーナにでも会ってこようかしら」
「何やおまえ、まだあのガラ悪い自治団の女と仲良かったんか。あの女、レインさんのこと嫌ってるっちゅーに」
「だってペンフレンドだもの。ヴァルトはどうするの? シーレストにこの間の件、謝りにでもいけば?」
「何でやねん、助けたんはこっちやっちゅーねん!」
 そうして、またいとこ同士である幼馴染と悪友は、何処ぞへと姿を消していった。
「よっしゃ。それじゃ、騎士団に殴りこみにいくか!」
「……すみません、マザー。なるべく穏便に頼みます」
 呑み込めなかった心からの叫びで、青年は呟いていた。

 終わってみれば案外円滑に、王女と騎士団長との会合は進めることができた。
「わたくし達ディレステア王家としては、交渉の場が何処でもかまいません。しかし、第五峠で行えるということなら、それは願ってもみないお話です」
 そして王女は、傍らで黙り込んだままの騎士団長に振り返る。
「その場合、マイス騎士団長にご迷惑をかけることになります」
「…………」
 だから――と。
「『五色のケモノ』の皆様に、たってのお願いです。この――第五峠の一つの問題の解決に、力を貸していただけませんか?」
 それなら騎士団も、和平交渉の場の設定に積極的に協力してくれる。
 驚くべきことに、青年や長老の女が騎士団長と相談する前に、王女は既に話をつけていたらしい。
「現在、第五峠への必要物資は、ザインの物流を第二峠からここまで、ディレステア国内を経由してほぼ賄っています」
 海辺の第五峠では、主に海路で交易を行っている。そこでの輸入品はどちらかと言うと、異国の珍しい服や食料などの贅沢品が多い。
 ゾレンと並び「地の大陸」の大国と言われるディレステアだが、元々この世界には国家が少ないので大国と言われるだけだ。逆正三角形型の国土は狭く、生活物資の供給はほぼ、近隣地方ザインの物流に頼る面が大きかった。
「しかし正直な話、ザインの三大勢力の一つ『遊商会(シュピーレン)』には、我が人間の国ディレステアはなめられています」
「……はぁ」
 普段は柔らかな王女が、大真面目な赤い目に厳しさを載せる。青年は思わず、両眼を丸くして息を飲んだ。
「『遊商会』の通商レートは、いつまでも上がる一方なのです。交易の場が第二峠一つということに、足元をみられているのです」
 ザインとディレステアが接する関所は、第一と第二峠の二つがある。第二峠で幅をきかせるのが「遊商会」であり、他の交易相手を得るなら第一峠に足を運ぶ必要があった。
 しかし、第一峠は雪山の頂上にある。ザインの化け物はともかく、ディレステアの人間が大量の交易物資を持ち運びするのは至難の業だった。
「つまり第一峠から第五峠まで。ゾレン西部を経由した、第五峠のための物流を……ゾレン側で確保しろってことかい?」
 物資を要す医療施設は、第五峠のディレステアとゾレン双方に多数存在している。しかしゾレン側の物流経路は、これまで開発されていなかった。
「ええ。現在は、第五峠は常に物資不足に悩んでいます」
「そりゃ確かだな。少し前までは西部に王都があったから、そんな物流……作ろうとしても叩き潰されただろう」
「はい。ザインとゾレンの折り合いがディレステア以上に悪いのは、はばかりながら存じ上げておりました」
 だからこそ、ゾレンの王都が東に遷った現在は、その問題を解決するチャンスだろう。自国以外の事情まで踏まえ、王女は真剣に、両国の病人を抱える第五峠の先行きを考え、そんな提案をしてきたのだった。

「まさかねぇ。この年になって、商売沙汰に手を染める羽目になるとは思わなかったよ」
「……」
 その後、何故か活き活きと、長老はその提案を承諾していた。
 青年も特に反論は無かったので、可能であるかどうか不安はあったが、騎士団からの交換条件をそのまま飲んでいた。
「でも確かに物流が確立すりゃ、西部は大分賑やかになるよ。『西派』にも悪い結果にはならないはずだ」
「……そうなればいいですが」
 「五色のケモノ」は、西か東かで言えば西部発祥であるため、どちらかというと「西派」寄りだった。
 王都を再び戻すことにそこまで情熱は無かったものの、王都が東部に遷った後に、さびれつつある西部全体の空気は、多くの者が打開したく思っていた。
 隠れ里に潜む青年のような、静かに暮らしたい者を除いて。
「第六峠での戦争物資に使われたり……ザインとの揉め事が多くなる可能性は?」
「ああ。十二分に有り得るね、それも」
 ゾレンに住む化け物は何故か、同じ化け物でも、ゾレン以外に住む化け物とは折り合いが悪い。
 比較的ゾレンの化け物と系統が近いはずのザインとすら、物流一つ関係を持たない期間は長く続いていた。
「でも『東派』の現国王は、『エイラ』を『ザイン』より敵視してるだろ。ここらで『ザイン』と手をとっておくのは、決して悪い話じゃないはずだ」
 ゾレン西部の北に位置するのが、山岳地帯「ザイン」だ。対して東部の北に位置するのが、砂漠と熱帯の平原「エイラ」だった。
 いずれも中立地帯ではあるが、秘境に隠れ住む化け物が多いザインより、化け物の割合が最多のエイラこそ国王は脅威とみている。そのため、国の主力を東に置く遷都を実行していた。
「それは確かに、トラスティは、賛成すると思います」
「だろ。それなら後は、『西派』をどう言いくるめるかだ」
 その話が可能であるなら、それは確かに、ゾレンやディレステアに加え、ザインも含めた広域への貢献。
 紛れもなくそれは、様々なヒトの平穏を願う、「五色のケモノ」の悲願だった。
「……そう……上手くいくといいけど……」

 ひとまず一ヵ月後、和平交渉の場の設定について、再び話ができるように会合が約束された。
 それまでどの程度「五色のケモノ」がこの話を進められるかが、当面の大きな課題となると思われた。
 彼ら「五色のケモノ」がその里に帰り着き、思ってもみない新たな問題にぶつかるまでは。

「……はぁぁ!? 何やってぇぇ、バルニカス!?」
 朝一番に第五峠を出た「五色のケモノ」が、昼下がりに里へと帰り着くと。長老とその孫を、大きな問題が待ち受けていた。
「それがっスねぇ、先輩! 奴ら、これはゾレン全体の平和に関わることであり、国王もそれをお望みだから、謹んで協力しろなんて言うんスよ!」
 里の守りにあたらせていた、「五色のケモノ」の要員達が飛んで相談に来ていた。
 その西口の教会に、前夜から突然不審な集団が現れたという。そこから幹部達の帰りを、今か今かと切望していたようだった。
「どういうこと!? 『東派』が何で、西部のこんな山奥に!?」
 嫌な予感しかしない青年の横で、いつも強気な幼馴染が、現場の教会までまっすぐに向かう。
 その教会に現在、潜伏しているはずの「子供攫い」。青年に付き纏う紅い魔縁がまだ消えないので、彼らに動きがあったはずはない。となると当事者は彼らだろう。

 教会の扉から、真っ先に顔を見せたのは、「ファザー」と呼ばれていた「子供攫い」幹部。
「どうも。しばらく世話になります、『五色のケモノ』の方々」
 一見穏やかな風貌で、そこにいる「東派」の代表を名乗る中年の男が一行を出迎えていた。

 一刻も早い状況説明を。
 ということで、教会の礼拝堂において、隠れ里の主力「五色のケモノ」と、教会に滞在する自称「東派」は夕刻から会談を始めた。
「単刀直入に言えば、我々は『悪魔祓い』の調査に来たのです」
 三人いる「東派」の代表という、眼鏡をかけた中年の男は、穏やかそうな七三分けだが、舌鋒は鋭かった。
「元は西部の旧王都と第六峠で幅をきかせていた人間の自衛集団『悪魔祓い』ですが、最近は東部に進出があり、西部の処理能力を超えたのだと東部では判断しています」
 批判的な内容を冷静に突付ける。それに「五色のケモノ」は気分が悪そうにする。
「この里は旧王都からも、第六峠からも程良い位置にあります。『悪魔祓い』とは実に過激な集団と聞きますが、公的に有害と認められたわけではないので、実態を調査しなければ東部の安全が保たれません」
 ゾレンにはびこる四大集団――「西派」と、その中でも根強い「子供狩り」。それに対する「子供攫い」、そして「東派」に「悪魔祓い」。
 最後の「悪魔祓い」は他勢力と最も違う点として、人間が主な構成員であることがあった。
 なので長老も食ってかかる。
「あんな人間の過激派連中、何を怖がることがある?」
「それがねぇー。そうも言ってらんないみたいでさぁ?」
 代表の男の後ろで、肩までの長髪の若い男――数日前の夜には「ブラザー」と呼ばれていた者が、ゾレン西部の複数箇所に「×」印をつけた地図を取り出した。
「ここんとこ西部で多発してる爆破事件があるっしょ。あれ、実は『悪魔祓い』の仕業じゃないかって、うちのボスは睨んでんの」
「何やって!?」
「『西派』はディレステアの攻撃だっつーてきかないけどさぁ。銃とか爆弾みたいな人間武器を愛用すんのは『悪魔祓い』も同じっしょ?」
「……」
 長髪男があまりに軽い口調のためか、「東派」最後の一人、腕と足だけに赤い装具をつける若い女傑(おんな)が軽く睨むような目をする。その三人の中では最も寡黙で無表情であり、喋る様子は見せなかった。
「『東派』である我々は、西部一般の町村では目立ち過ぎます。山奥のこの隠れ里のような所が最も都合が良い。あくまで滞在するだけで、それを認めていただくこと以外、あなた方には何も期待しません」
「つまり……協力はいいから邪魔もするな。そういうことか?」
 硬い声で尋ねた青年に、代表はええ、と穏やかに微笑んでいた。

「何よアイツら! ほんっと、気分悪い!」
 とりあえず「東派」は、全員身分証明たる「通行証」も、ゾレン国民の証たる手背の「Z」の印も持っている。
 前歴や前科記録も特にないと祭祀から報告があり、話の筋も通っている彼らを、追い返せるほどの根拠はなかった。
「あの祭祀がここに来た頃から、何か嫌な予感はしとったんや。しっかし……おれら『五色』に何の相談も無しに、あんな連中、受け入れよってからに」
 一通り事情を聞いた「五色のケモノ」幹部達は、思い思いに悪態をつきながら、教会を後にしたのだった。
「……」
 その「東派」を名乗る集団の正体を、一人だけ知っている青年は重く俯く。
 潜伏するだけのはずの彼らが、何故表立って現れたのか……それが気になって仕方が無かったが。

「……あ」
「おっせーよ! 怪我人のくせに、何処ほっつき歩いてんだ!」
 難しい顔で家に帰った青年を、怒り顔で待ち受けていた双子。
 全身の力が抜ける勢いで、青年は扉の前で立ち尽くしたのだった。

前篇・転

「だっせー。あのバカ女に、とっ捕まったんだって?」
「……」
 もう大方、塞がっていた青年の傷を確かめ、双子が不機嫌そうにする。昨夜からずっと、家で青年を待っていたのだ。
 怒りたいのはこっちだ、と言葉を呑む青年の気も知らずに。
「あいつらしばらく、身動きとれないんだってよ。長くなるから潜伏がバレる前に、開き直って表に出ることにしたんだとさ」
「…………」
 そんな裏事情に通じる双子は、本当に彼らの協力者らしい。
 悪びれもせずに内情を喋る姿に、聞きたいことの多過ぎる青年は、何から言えばいいか本気でわからなかった。

 青年としても、紅い魔縁に殺される心配なく、「子供攫い」について相談する相手ができたのは良かった。
「……誰から、聞いたんだ?」
 まず、第一峠にしばらくいるはずの双子が、早めに戻ってきた理由。
「レインさんからは、俺に何かあったって。それくらいだろ?」
 それは、医者を通して連絡は数日前だったはずだ。昨夜に帰ったという双子の反応は、普通に受け取れば微妙にずれている気がした。
 青年がようやく口にした最初の問いに、双子の弟は、バツが悪そうな顔に変わった。
「――そっちかよ」
 しかし最も、痛い所を突かれたとばかりに、しばし黙り込んだのだった。

 弟が悪い仲間と付き合いがあるとわかった場合、尋ねるのは普通、素行の確認だろう。
 何をしているのか、何故仲間に入ったのか、人並みに尋きたいとは青年も思っている。
「俺が無事なのは、わかってたんだろ」
「……」
 それでも可能な限り早く用事を切り上げ、青年を心配して帰ってくる双子は、やはり何一つ変わってはいない。
 おそらくそれなら、連絡を最初に受けた時、双子はすぐにも帰ろうと思ったはずだ。無事という連絡をも後で受けたから、ずれた日付で帰ってきたのだろう。
「わざわざアイツらが、リーザにそれを連絡するとは思えない」
 青年を生かすことになった彼らが、青年の無事を双子の弟に伝えるわけがない。そもそも双子に、青年の危機の連絡があったことも知らないはずだ。
 無表情に核心をつく兄に、弟はひたすらうぐぐ、と黙り込む。

 この双子の弟は、炎の力を継がなかった代りに魔道を学び、いくらか心得を持っていた。
 そのため遠隔地であっても、双子自身の意志とタイミングで、同じく魔道の心得を持つ者となら連絡がとれる。
「どう考えても――あの説教屋くらいしか、思いつかない」
 青年の無事を、リアルタイムで知っていた「王属」の祭祀。
 そもそも青年の危機を救った祭祀は、あまりにタイミングが良過ぎたことを、青年はずっと疑問に思っていた。
 だから祭祀は、双子から青年を助けるよう頼まれたのだろう、と。
「『王属』に気をつけろって、確かリーザ、言ってたしな」
 双子のその忠告も思い出して、青年は二人をつなげた。しかし双子は、地道な部分に修正をかける。
「……ちげーよ。確かに同じ、『王属』だけど……」
 青年の推測に暗黙の肯定を与えつつ、違っている部分にはツッコミを抑えられない弟だった。
「オレが言ってる危険は、『西派』の『旧王属』だ」
 青年の言う祭祀は、現在の新国王の数少ない「王属」だ。それを認め、半ば降参したように、大きな溜め息をついた双子だった。
「じゃあ、あの説教屋は何を企んでるんだ?」
 祭祀は青年の双子の存在を、知らない素振りを見せていた。その実、双子と影で連絡をとる間柄であることに、置いてけぼりな青年は不服を示す。
 青年のその問いに、双子も諦めたように口を開く。
「多分、サライの援護さ。それが上の意志だって、オレにも、オレ達のことは黙っててやるから手伝えって言うしな」
「ってことは―――」
 双子は「王属」に、出生の秘密を盾に脅されたのか。そう青年は一瞬思いかけた。
「ちげーよ。あのバカ女を手伝ってるのはオレ自身の意思だ」
 あまりに返答の早い双子に、青年は言葉を呑んだ。
「それは誰にも……とやかくは言わせない」
 何処か腹立たしげに、今までになく陰のある目で言う。その姿に沸々と、青年の中である感情が湧き上がってきた。
「…………」

 青年の知らないところで、何をしているのか。追及の言葉は全て呑み込む。
 代りに、それは放置できない兄心が、無表情のまま顔を出した。
「オマエ……あの女に負けたのか」
「――」
 双子は露骨に、目を逸らしたまま嫌そうな顔となった。
「……あの女に、勝ちたいのか?」
 淡々ときく青年を、今度こそまっすぐに見返す。
「――んだよ。アニキだってとっ捕まってんだろーが」
「それでも俺は、あんな奴らに協力はしない」
「っても、アニキだって元々サライは否定してなかっただろ」
 双子の弟は、この青年が特に嫌悪するのは、「子供狩り」や「悪魔祓い」だと知っている。
 それでも青年は、その誤魔化しは見逃せなかった。
「あの女達に力を貸して、自分から誰かを傷付けるのか、リーザ」
「……」
「手伝うっていうのは、そういうことだろ」
 たとえ双子が協力する部分は、流血ではなかったとしても――同じことだと、その現実を突付ける。

 双子は、これまではあえて言葉に出さなかった覚悟を、険しい声色の内に刻んだ。
「……ああ。そのつもりだよ」
 そうして揺るぎない灰色の目に、かすかな赤い鼓動を宿す。
「アニキ達みたいにのんびりやるのは……趣味じゃない」
「……」
「そうしなきゃできないことだって、あるだろ」
 引き返す意志は全くなかった。たとえそれが、自身を赤く染めゆく呪いであったとしても――

 その兄はただ、感情を呑み込んだ声で呟くしかなかった。
「……らしくないな、リーザ」
 生粋の蒼い獣である双子。喧嘩っ早いようで本当は怜悧な弟に、確かな内心の炎を感じながら。

 それからは特に、その件については、どちらも蒸し返すことはなかった。
「しばらくはオレも里にいる。里の中ではあいつらに妙な真似はさせねーから――アニキは自分達のことをしてろよ」
 青年の眼は見ずに言う。その姿はいつも通り、素直でない双子の弟だった。
 それだからこそ、何も言うまいと言葉を呑んだ、平常運転の青年だった。

 しかし、彼らの動向が気になって仕方のなかった、ある一人の鳥があった。
「……どういう、こと?」
 その小さな仲間を、彼らの近くに潜ませて話を聞いていた。そのことを今は、彼らも、彼らを見張る紅い魔縁も、まだ気付く由はない。

+++++

 閑静な西の山の隠れ里に、東の異物が侵入してから、早くも一週間が経とうとしていた。
「――ピア師匠! 稽古の相手をお願いしまっス!」
 異物は一向に、その調査活動の進展を見せない。
 あまつさえ、何故か一部で、そうした光景が繰り広げられていた。
「え? 何でまたあたしが?」
「師匠の武技は半端ねぇっス! さすが『狩り』仕込みっス! と言うか師匠、何でそれで軍に送られなかったんスか?」

 ってわけでなぁ、と。まるで愚痴るように、里の広場で一服しつつ、青年に困った状況を話す悪友だった。
「あの『東派』のねーちゃん、すっかり人気者や。ずっと前からいたみたいに、『五色』の若いモンに懐かれとる」
「……俺がいる時は全然、そんな状況見たことないぞ?」
「それや。それがおかしいねん。ひょっとしてライザ、オマエ……あのねーちゃんとデキとるんちゃうか?」
 ぶふぉっと、飲みかけの水を噴出す青年に構わず、悪友が続ける。
「何でかライザの前ではツンケンしてるんやもんなー。そやから周りもライザがいると、声かけ辛なるっちゅーかなぁ」
「……」
 それは青年の存在効果ではなく、青年に絶え間なく付き纏う透明な魔縁に対する配慮とは、青年の周囲は知るわけがない。

「師匠、ぎぶぎぶ! まじいっちゃいます、うぉぉぁぁぁ!」
「あははー。脇がまだまだ甘いねぇ、頑張れ~」
 体術だけでなく、様々な武器の扱いに長けた女傑は、誰を相手にどんな形でも的確に指導してくれるという。
「うう。自分は……自分は化け物なのに弱くて情けないっス!」
「何言ってるの、まだまだこれからだってぇ。大丈夫大丈夫」
 その子供好きの女傑(おんな)は、若者みんなの姉御のように、一人一人面倒見良く付き合うのだった。

 くだんの「東派」紅一点たる、「子供狩り」制度で幼少から戦闘訓練を受けた女傑。青年がいる時以外は気さくな、鬼のような戦闘力を持つ人間だ。
「何で人間の、しかも女が、あないな動きができるんやろな?」
 女傑の普段着は、黒く袖の短い前開きの上衣に、大腿の半分もない短い下衣と身軽で、両腕と両足に常に赤い装具を着けることだけが変わっていた。
「あの動きはホンマ、リーザとええ勝負やで。どっちも棍使いみたいやし、いっぺん戦わせてみたいけどなぁ」
 しかし「五色のケモノ」幹部以外に存在を隠された双子は、そうした派手なことをするわけにいかない。
「ま、魔法とか頑丈さがある分、リーザの方がどう考えても、有利やけどな」
「……」
 その状態で、女賊と双子の弟は、初対面の戦いで引き分けたのだ。負けず嫌いのあの双子がどれだけ悔しがったか……その心情も、一応理解はできた。
「どう見たってあの体つきやと、人間の生まれで、そこまでの筋力や強度があるわけあらへん」
「……」
「確かに、ええ体はしとるけどなぁ。どうせやったらおれも、一緒に鍛えてもらえんかな? ああくそ、バルニカス達め!」
 羨ましいなぁ! と。プライドが邪魔し、素直に女傑に挑めない……もとい、声をかけられないらしいことを悪友が愚痴る。
「……バカ。篭絡されかけてどーする」
 確かに深刻な状況だ、と憮然としつつ、その異物の侵食ぶりを、直に確かめた青年だった。

「――アホだな」
 開口一番、里の若者達の浮き立った話に、ひたすら自宅にいる双子が台所で飲み物を手にしながらばっさりと斬る。
「あのバカ女、昼間の人当たりだけは、やたらにいいしな」
 夜の姿を見せてやりてー、と。旧王城に侵入しては、容赦なく衛兵を殺し、子供を攫うらしい赤い女賊を知る者の言葉だった。
「リーザは、夜の姿、見たことあるのか?」
「そりゃもうな。やばいくらいにドSだぜ」
 ともすれば誤解を招く会話を、相変わらず小さな鳥が窺っているとも知らずに、双子の兄弟は気軽に繰り広げる。
「ところでアニキ。最近、メシの量、多くねぇ?」
「いや。一人分も二人分も……三人分も同じだし」
 食べるのが。ではなく、作るのが、であるが。
 常に屋根の上に潜む紅い気配に、何故か青年は毎日の如く、魔縁の分の食事も用意し、ひっそりと屋根の端に置いていた。
「絶対食わねーだろ、あの紅いの」
「ああ。いつも鳥の餌になってる」
 それでも一応無くなりはするので、良しとした青年だった。
「言ってみれば――リーザの連れなわけだし」
「そう来るかよ。アニキが連れ込んだくせに」
 そこでまた、誰かの誤解が招かれていく。
「一緒に暮らしてるとも言えるわけだし」
 ここでついに誰かの沸点を越えたことを、この時点では誰も知らない。

 里にそうして侵入した異物もあり、なかなか本来の仕事の「五色のケモノ」活動が頓挫していた。
 青年一人で、幹部の一人である幼馴染に呼び出された時は、てっきりその小言を食らうものとばかり思っていた。
「ねぇ、ライザ……リーザのこと、止めて!」
「――は?」
 突然ひし、と青年の服を掴み、涙目で見上げる幼馴染に呆然とする。
「あの教会の女にリーザ、騙されてるんでしょう!?」
「え……?」
「聴いたのよ、私! アナタ達二人が話していたこと! 赤いヒトを連れ込んでご飯も作ってるって!」

 ぼけっとしていたが、この今の遣り取りが、一つの危機であることにやっと思い至る。
「リーザのことは里のコにも秘密なのに、あんな危ないヒトをリーザに近付けるだなんて! ライザ、どういうつもり!?」
「ハーピア……!?」
 幼馴染がそんな――確実に、紅い監視者を刺激する台詞を叫んでしまった。
 背筋が冷えた青年の気も知らず、その鳥の幼馴染は続ける。
「リーザはライザが守らなきゃいけないんだから! あの女を手伝うなんて、バカなことはやめさせて!」
 昔から幼馴染は、双子の存在を知る数少ない一人だ。
 何かにつけて、口出しを抑えられない――それ程双子のことを幼馴染が気にかけていたことを、今更のように青年は思い出した。
「あんな人間の女を、連れ込んで一緒に暮らすなんて有り得ない!」
 完全に何かを誤解し、誤解を広げることを叫んだその鳥に――

「――危なくて、悪かったわね」
 カチリ、と。青年の服を掴む幼馴染に向けて、人間らしい武器の黒い口を、人間の女が容赦なく向けた。

「――!!」
 無機質な青い目で、女がその銃の撃鉄をひく。
 咄嗟に動いた青年を無力と嘲笑うように、かわしようのない間合いで放たれた、その――形無き弾丸。
「――つめたっ!」
 それはぴしゃっと、幼馴染の後ろ頭を濡らした。
「っ、あなた――!?」
 我に返って、水弾の発射元を見た幼馴染の背後で、その女傑は呆れたように赤い両手を組んでいた。
 幼馴染が、水のしたたる首元を押さえながら激怒する。
「何のつもり!?」
 まさに鬼のような形相で女傑に食ってかかったが、女傑は落ち着いた様子で応対する。
「頭は冷えた? 何のつもりって、こっちが聞きたいくらいよ」
 呆気にとられる青年の前で、幼馴染が更に怒気を漲らせる。それに対して女傑は、もう、と、至って無害なふくれ顔で対峙していた。
「私とリーザが一緒に暮らしてるって、どういうコト?」
「どういうことって! やっぱりリーザのこと知ってるんじゃない! こっちがききたいわ!」
 そして女対女の、噛み合わない修羅場が展開される。
「あなた、いきなり現れて、リーザの何のつもり!?」
「何って、考えたことないくらい何もないから、答えに困るんだけど」

 青年は、赤い女賊(おんな)が現れたことで、監視者の魔縁が出るタイミングを失った事実だけ何とか感じ取っていた。
「それにヒトのこと、危ない呼ばわりは随分じゃない。そんなに私、イケない女に見えるのかしら?」
「白々しい! 里のみんなを次々と(たぶら)かして、リーザにまで手を出してるくせに!」
 最早全く、ついていけない会話だった。
「『東派』のあなたが何処でリーザのことを知って! いったい何を手伝わせてるか知らないけど!」
 しかしどうやら、話を聞いていたという幼馴染が、女賊の正体にはさっぱり気付いておらず、誤解だけしていることには思い至る。
「ライザにも色目を使ったり、ヴァルトまでコナかけるようなあなたが! リーザの連れなんて絶対認めないから!」
 そして、覚えてなさいよ! と涙目で叫びつつ、駆け去ってしまった幼馴染。その後ろ姿を、女賊は黙って見送っていた。

「……そんなわけだから。あんなの放っといて、リミット」
 ただの痴情のモツレよ、と、冷め切った目で溜め息をつく。女賊の判断に、魔縁は渋々、透明のまま剣を収めたようだった。
「……何だったんだ、いったい」
 最早わけのわからない青年に、女賊が冷たい目線で答えた。
「あのコのスパイが、アナタ達の周りにいるみたいよ?」
「は?」
「何を話したかは知らないけど。ほぼあのコに筒抜けだったと思った方がいいわね」
「…………」
 それでも辛うじて、「子供攫い」との関係という肝心な部分は伝わっていない。先程の幼馴染の様子から、女賊もそう判断したようだった。

 それをわざわざ、女賊はこのタイミングで確かめにきたのだ。
「……何でそんなこと、わかるんだ、あんた」
「何となく。嫌な予感がしたから」
 理由や根拠は無しに、ただその真相だけ捉える直感の女――それで青年達が、双子であることもわかったようだが……。
「身の振り方には注意なさいって、あれほど言ってるのに」
「……」
 結果的にそれが、青年と幼馴染の危機を回避させてくれていた。
 くるりと無情に背を向け、遠ざかっていく姿に、つくづく、何だ、あのいい奴。青年にそう、強く呆れさせるのだった。

「何か……丈夫なレインさんみたいな奴だな、あいつ」
 この一週間、しっかり休まされ、ようやく状態が落ち着きつつあるらしい「千里眼」を思いながら、思わず青年は呟いていた。

+++++

 幼馴染が怒鳴り込んできた翌朝には、事の顛末を話し、スパイらしい鳥除けの対策を、魔道を(たしな)む双子に頼んだ。
「……家に上げたのは、さすがにまずかったか」
「――は?」
 結界という防御策を講じる双子が、ぽつりとそんなことを呟く。昔からこの兄弟の会話は言葉足らずで十分だった。
「あの女、うちに来たのか?」
 だから幼馴染は、双子と女賊の仲を確信して勘違いした。
 俺がいない間に、と不服を言う青年に、双子も心なしか不機嫌そうに頷く。
「ライザに会いに来た。っつーてたけど?」
「え?」
「あのバカ女と、何かあるのか? アニキ」
「は?」
 何だそりゃ、と顔を歪める青年に、双子はいっそう不満そうだ。その時の女賊はいつになく、遠慮げだったと語り始めた。
「まぁ大方そん時、ハーピアの鳥に気付いたんだろうが」
「……俺もリーザも、わからなかったのに?」
 気配探知が得意な双子と、隠れた魔縁の違和感をわかる青年。その小さな普通の鳥は、どちらの眼もかいくぐっている。
「何かそういう、妙な目敏さがあるんだよ。あのバカ女」
 人間のくせに、とぼやくように言った双子に、青年は他意なく、人間だからかな? と適当に返していた。
「レインさんに何か似てないか? あの女」
「……」
 同じ人間の女同士、と。青年の安直さに、双子は存外に考え込んだ。
「みてるものは違うが……確かに、人間に多いかもな」

 広範に渡り、近くに在ればより細かく気を探る「千里眼」。
 己を取巻く事柄の真髄に迫る、「直感」という異能。
「思えばアニキのその眼も、人間の血の影響かもしれねぇ」
「?」
 いくら隠れても自分を見つけ出す眼を持った兄に、双子の弟は魔道を勉強した者に特有の、理性的な声色で呟いていた。

 人間と化け物の違いの一つに、人間の気配はわかりやすいが、人間の気配を探すのは化け物より難しいことがあった。
「人間は呼吸と食事で以外世界から『力』を受けない分、時としてオレ達より、変わった力を発揮するからな」
 化け物とは違い、人間の個体は非常に気配が拙い。だからこそすぐ人間とわかる生き物は、世界の一部であり世界に縛られる化け物より、自由な方向性を持つのだという。
「でもあの女、戦いは化け物寄りじゃないか?」
「ああ。アレはやばい。元々『狩り』仕込みの上にあの目敏さ……その上あんな鎧は、まじで反則だ」
 出会った暗闇で精確に動き、双子や青年と渡り合って追い詰めた女賊。人間でありながら化け物の戦闘力を持つ相手の秘密を、双子は既に看破しているようだった。
「考えたくねーけど……あの鎧の珠は多分……」
 黙り込んでしまった双子の傍ら、女賊と初めに出会った夜のキッカケを、青年は思い出した。
「――そう言えば、リーザ」
「?」
「俺があいつらに捕まった夜。第五峠にいたよな?」
 ……と、両腕を組んだ体勢のまま、双子が固まる。
「レインさんが再入院した日だ。あいつら、リーザは第一峠にいると言ったし、レインさんもそっちに連絡をとったけど……それなら第一峠に行く前に、第五峠で何してたんだ?」
「……――」
 かなり離れた二つの地を思い、ひたすら不可解だった。そんな兄に、弟は――わかりやすく、都合が悪そうに口を引き結ぶ。

 間が悪く、その追及を閉ざす凶事が訪れていた。
「――!?」
「――!!」
 気配探知は鈍めの青年まで気が付くほどに、多数の不穏な気配……軍人としか考えられない力の集団が、彼らの里に踏み入っていた。彼らはそれを同時に感じ取った。
「アニキ、外!」
「ああ。行こう」
 瞬時にその弟を、蒼く小さな飛び蜥蜴へ変貌させる。
 青年の一部の「飛竜」としては、存在を許された双子を肩に乗せる。短刀を携え、紅い魔縁を後ろに、気配の源へと青年は向かった。


 里の南口では多数の不穏な気配が踏み込んでいた。
 真っ先についた青年達を前に、明らかに軍服を着込む一団が、二人の代表に続いてぞろっと立ち並ぶ。
「何の騒ぎだい! 軍がうちに何の用だ!」
 里の最奥に居を構える長老と孫が到着したところで、睨み合っていた青年達の間に長老が割って入った。
「これはこれは。『五色』のマザー殿ではないか」
 最も階級が高いと見れる豪華な軍服の、痩せ型でひょろりとした将校が前に出てくる。
「そういうアンタは国境屋じゃないか。どう道を間違えばこんな山奥まで迷い込めるんだ?」
 全身が筋肉質で、服装も身体にぴったりしたシンプルな物を好む長老と、対照的な者同士が対峙する。
「いや何。こちらに、西の国境を預かる我が軍に断わりも無く、東の者が滞在しているときいたものでな」
 笑みをたたえる将校は、あまり軍人に見えない和やかな声色で喋る。隣に侍る副官の方が居丈高に続いた。
「貴様らが何を企んでいるか知らぬが。我らの目はごまかせん」
 階級が一段階低そうな男は豪強な体つきで、いかにもいかつい表情で控えていた。
「確かに『東派』の奴らはここにいるがね。わざわざ将軍が足を運ぶほどのことか? ボルダー」
「それはもう。我らは広くザイン以北をも預かる身である。この程度の距離は遊びにもならない」
 どうやら将軍らしいひょろりとした将校は、隣の准将に何かを目配せする。
「東の奴らなんざアンタらの好きにすればいいが。それでも、東の者が西に来るのに許可が必要なんてきいたことないがね?」
「同じゾレンの者であれ、『東派』などと名乗り、不穏な動きを見せる輩には当然であろう」
「どうだか。東じゃ問題視されたとはきいたこともない。まぁ、尋問したいなら好きにしな」
 長老が道をあけるように、身体をずらす。しかし一団は全く動こうとせず、代りに一団がここまで運んだ何かを取り出していた。
「……?」
 長老を始め、孫や青年も(いぶか)しげな顔となる。

 そこでちょうど、当事者が場に姿を現していた。
「何の騒ぎでしょうか。我らに用があるのでしたら、私が話をさせていただきましょう」
 子供攫いとしての通称はファザー。ゾレン「東派」としてはアダス・メントという戸籍名の男が、状況を窺い前に出てきた。
「いや、ダゴン准将。残念だとは思わないか? ここまで来て、軍に理解なき住民の抵抗に合うとは」
「御意。まことに遺憾であります、ボルダー将軍」
 将校達は、目的のはずの「東派」に何の興味も見せず、顔を見合わせて頷き合った。

「……アンタ達――何を持ってきたんだ?」
 長老の隣にいた青年が初めて口を開く。軍の者が取り出した何か……鎖でがんじがらめにされた小さな箱を見て、嫌な悪寒に眉を顰めた。
「ほう?」
 箱を受け取った将軍の代りに、青年へ振り返った准将が、青年の肩の小さな蒼い獣に目を留めた。
「……何だ、貴様。そのちっぽけな飛びトカゲは」
 まさに失笑。といった顔付きで、見下すように青年を見る。
「――」
 肩の上の双子の怒気を感じながら、准将の嘲笑は無視して、大将が手にした箱を厳しい目で見つめる。
「その箱を――どうする気だ」
 青年の眼には、青年に付き纏う誰かよりも紅い箱。何重の鎖でも抑え切れない違和感が、その箱からは染み出ていた。
「何。現地民との小競り合いで、悲劇が起こっただけの話だよ」
 ためらわずあっさりとそれを解放した将軍を止める隙は、この場の誰にもなかった。
「え――……そんな、何それ!?」
「――!!」
 叫ぶ幼馴染の向こう、円形に散らばり、軍人達が距離をとった。
 そうしてその場に、紅き大気を纏う巨大な物体が――その封印を解かれ、丸ごと放たれていった。
「『暴徒』――……いや、『魔縁』……!!」
 青年を始め、現れた気配を探知した者全ての背に冷感が走る。

「どういうつもりだい、アンタら!?」
 一団を睨みつける長老に怯まず、悪びれもせずに、将軍はあくまで和やかな声だった。
「残念だが、小競り合いの中で、彼は正気を失ってしまった。我々としては、大切な仲間に手をかけることはできず、やむなく撤退するしか方途はないのだよ」
 そして言葉通りに一団を下がらせ、訪れた里に背を向ける。
「まさか――俺達にコイツを始末させる気か!?」
 将軍達の目論みにようやく、青年は気が付いていた。
「無理もあるまい。『飛竜』たる最強の獣がいるような場所で、不意の戦闘を強いられたのだ――余程、怖かったのだろう」
 振り返った准将が、再び嘲笑うように言い放つ。蜥蜴呼ばわりにした相手に、どう考えても皮肉の意味で。
「……!!」
 暴発した物体を前に、身動きをとれない青年達に目もくれることなく、一団は場を後にしたのだった。

 青年はとにかく、その巨体から一度離れた。
 辛うじて四足の、獣のような原形は留めながら、内実は透明で流動的な体躯。四方へ伸びて荒れ狂う、獣にはない大量の触手を持った魔物。
「炎だけは絶対に使うな! 里ごと燃え尽きるぞ!」
 まずその警告だけを叫び、長老と孫以外の者を、幼馴染を筆頭に場から下がらせた。
「どういうことだい、ライザ!?」
「あんなデカブツ相手に、力なしに対応できるかい!」
 炎と風を主力とする鳥の彼らは、不服さを隠しもしない。
「中身は全部油だと思え! それすら生易しい爆薬の体だ!」
 襲い来る触手を切り付けた短刀に体液が付着する。一目でそれが内包する危険な特性に気付き、自らの炎も抑えた青年だった。
「それでなくても暴走したバカが、更に全身爆発物だと!?」
 呆れるように叫ぶ長老に、青年は全く同感だった。
「本当に――こんな奴こそ『悪魔祓い』の出番だろう」
 おそらく将校達も、その対処を手に負えなかったのだ。封じ続けることも徒労であった仲間の処分を、適当な口実を見つけて青年達に押し付けていった現状に、吐き捨てるように呟く。

 「悪魔祓い」とは元々、時に暴れ狂う化け物から弱い人間を守るため、人間自らが組織した自衛集団が始まりだった。
――ヴァルトもマザー・ヘロンも、プッツンきちゃってるの!
――みたいだな……完全に、すっかり暴徒パターンだ。
 人間とは違う「力」を持つ化け物には、常にそうした、自らの制御を失い力を暴発させる危険性が潜んでいる。
 それが力の暴投で済む暴徒レベルなら、まだ戻れるが。場合によっては自らの形も失い力を使い続ける、魔物と言える化け物を、正常の化け物達は魔縁と呼んだ。青年に付き纏う紅い者のように。
 そうした魔物こそ、「悪魔祓い」が悪魔とみなす相手だ。
「コイツ――どれだけヒトを食ったんだ……!」
 叩き付ける触手は、既に魔性の紅い気を幾重にも纏っている。
 ヒトを食わなければ生きていけない本物の「魔」に、その魔物は堕ちていることを苦々しくも悟る。
「俺達に戦わせて、力切れを待つつもりだろうが……!」
 逆に言えば、ヒトさえ食えば無限に戦っていける相手を前に、その軍の目論みすら無効だった。

 そうなれば唯一、こうした巨体の相手ができる化け物――
「――リーザ、頼む!」
 それは同じく巨体で、そして頑強な最強の獣だけだろう。
 青年の声を待つまでもなく、自ら飛び出し、小さな躯体に収まる力を遠慮なく――双子の弟は解き放った。
「――おおお! 出たっス、ライザ師匠の『飛竜』っスー!!」
 魔物から距離をとり、遠目から蒼い獣を確認した若者達の歓声の中で、大きな羽を持つ四本足の竜が、魔物に襲いかかっていた。

「――危ない!」
「!?」
 飛竜が魔物の体に大胆に噛みついた傍ら。千切れて弾け飛ぶ触手が落ちた背後に気を向けなかった青年に、その「東派」の女傑は警鐘を発した。
「なっ――!」
 本体から離れても、長い触手なら単独で蛇のように動けるらしい。地面の触手の刺突から、辛うじて青年は身をかわす。
「――!」
 視線の先、場に現れていた女傑が構える銃。銃口の先には魔物だけでなく、双子が絡む状態に顔を歪める。
「ま――」
 しかし女傑は止める間もなく精確に、動き回る魔物の眼窩に、細かい数弾の鉛を命中させた。体液に引火し難いようにも考えられた、見事な腕前だった。
 それでも全く、魔物は動きに衰えを見せない。
「核を直接破壊しなきゃ、アレは止まらない」
 ほとんどダメージを感じさせずに流動する中身に、厳しい顔で女傑は青年達と並び立っていた。
「何のつもりだい。これはうちの里に売られた喧嘩だ」
 「東派」を良く思っていない長老が、女傑に食ってかかる。
 対して女傑はあまりにまっすぐに、その確執の源を答えた。
「……私達がここにいたせいで、ここは襲われた」
 長老が一瞬息を飲み込む。全く怯まず、それでも自らの非を認める女傑の姿はそれだけ潔かった。
「バカかい。あの国境屋は元々、難癖つけられるなら何でも良かったんだろうよ」
 あくまで長老は、反感を隠さず吐き捨てる。
「アンタ達東の奴らに恩を着せられるのはゴメンだ。うちの問題はうちで何とかする」
「……」
 険しい視線をまともに受けた女傑は、僅かの間だけ冷たい目で黙り込んでいたが。
 次の瞬間。
「――そんなこと言わずに、あたしにも手伝わせて!」
 それまでの冷ややかさを遥か彼方に、長老が思わず面食らうほど、幼いふくれ面と声で女傑が直球に叫んだ。
「あんた、アイツを止める方法、わかりそうなんか」
 隙ありとばかりに前に出た孫の悪友が、ふくれ面の女傑に対し、至って真面目な糸目で問いかけた。
 女傑はその顔のまま、悪友の方へ視線を移す。
「飛竜の攻撃じゃバラバラにはできても、個々のパーツがさっきみたいに襲いかかってくるわ」
 それでは埒があかない、と全員が気付きつつあったことをあえて言葉に出す。
「かっちゅーて燃やすわけにもいかん。核を壊すゆーても、それが何処にあるんかもさっぱりや」
 人間と違い、化け物の弱点は頭や心臓とは限らない。難しい顔の悪友に、そうね、と女傑も悩ましげに頷いた。
「どの辺りかはわかっても、細かい位置はあたしもわからない」
 つまり、ある程度ならわかる、と事も無げに口にする。
 しかしそこで、女傑は青年の方に向き直った。
「アナタならわかるんじゃない? アレの力が何処にあるのか」
 そして青年をまっすぐに見る。真の打開策はそこにあると直感したように。

「……『力』のある場所でいいなら、わかる」
 それは青年が、双子を見つけ出せる一番の理由でもあった。
「でもそれが、核になるのか?」
 何であれ、気配より「力」に敏感だった青年は、不思議な思いで女傑に尋ね返す。
「そうやで。大体、力が核なら、そんなんころころ変わるやろ?」
 不変の気配とは違い、「力」はそれを使う時のみ、体力や気力などを原料に生成される。同じ者の「力」でもその時々の制御具合で気色が変わり、また消えることが化け物には常識だった。

 しかし女傑は、青年の双子が疑うある可能性に何の知識にもよらず辿りつき、あっさりと口にする。
「アナタの眼が視ているのは、今ここで使われる力だけじゃない」
 それはおそらく、女傑とその妹の確かなつながりを、悲しげな大気と見た青年への結論だった。
「気配探知でもわかる、その時だけの力じゃなくて。『力』を呼び起こせるモノの心が、アナタはわかるんじゃない?」
 どのような「力」であっても、生成を制御し、結果を起こすのは「力」の主の心象ただ一つ。
 魔物となった者の因も、その心にあるということを、女傑は自らの仲間を通して知っていた。
「それは紛れもなく……その相手の核心よ」

 誰もその場で、女傑の言葉の意味を理解できる者はいなかった。
「何やよーわからんけど。とにかくオマエにわかるなら行くで、ライザ!」
「――」
 思い切りの良い悪友が一瞬で怪鳥に変貌し、意図を悟った青年が怪鳥の背に飛び乗る。
「気を付けな。木が邪魔して思うように飛べないはずだ」
 そうして魔物の頭上から核を探しに向かった彼らに、長老が冷静に声をかけ、後は場に残った女傑を訝しげに見つめていた。

 怪鳥の背に乗る青年には、流動して分断も堪えない魔物に食いつき続ける飛竜は、悪戦しているように見えた。
「飛竜の姿じゃ、魔法も使えないし――」
 炎を継がなかった弟は、獣の姿では直接攻撃に訴えるしかない。本当ならこうした相手にはヒトのままの方が、魔道と武器、体の頑強さを全て駆使できる双子は戦いやすいだろう。
 しかし里の者が大勢いる前で、双子がヒトの形をとるわけにはいかない。
「じゃあ後は――トドメをさすのは俺の役目か」
 淡々と青年は、魔物を見下ろす。
 自らを失い、仲間から見放された魔物。その躯体を分かたれても動かし続ける、病魔のような力の在処を、彩の無い眼に捉えて言葉を呑んだ。

 そして青年は、怪鳥の背から飛竜の背に飛び降り――
 魔物のおそらく首だった場所へ、容赦なく短刀を深く突き立てていた。
「――」
 そのたった一太刀で、魔物の全身が脈動したように震えた。次の瞬間には大きく弾け、激しい衝撃の波を巻き起こした。
「――!?」
 それで青年が、飛竜の背から吹っ飛んでいく。
 同時に、魔物に気を取られていた長老に、衝撃で折れ飛んだ木の枝が尖端を向けて飛来していた。
「危ないっ!」
 それが「力」による攻撃ならともかく、物質的な危機には化け物であっても気付き難い。近くにいた女傑だけが感知し、女傑も咄嗟に長老を突き飛ばすしかできなかった。
「!? おい――!」
 両腕と両足に着ける赤い装具以外、薄い服装で生身を晒していた人間の女は、細く硬い枝の先端に右肩を貫かれた。
 突き飛ばされて驚く長老の前で、僅かに顔を歪め、両膝をついて座り込んでしまう。
「……!」
 魔物に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた青年も一連の光景に気付いた。化け物の丈夫さで痛みを堪え慌てて起き上がり、長老と女傑の方へ向かう。
「……っ――」
 女傑は自力で刺さった枝を肩から引き抜き、痛みと出血を抑えるよう傷口を掴み、苦悶の表情を浮かべていた。
 手先に血を滴らせる女傑に駆け寄った青年と、負傷した女傑をまとめてかばうように、飛竜が彼らの傍に佇む。
「ちょっとォ!? 大丈夫なの、ピアちゃーん!?」
「これは……すぐに手当が必要ですね」
 女傑の元に駆け寄ってきた「東派」の二人を見つつ、その姿に長老の女は呆れ切った目付きで口を開いた。
「――バカじゃないかい、あんた」
 確かにそれは、人間より頑丈な化け物には、ひたすら不可解だっただろう。
「人間ごときにかばわれるほど、アタシは軟弱にできちゃいないよ?」
 たとえその尖端が長老に直撃したとしても、鍛えられた体に通じたかもわからない。仮に通したとして、人間ほどに大きなダメージを受けることもなかった。
 それでも人間にしては非常な気丈さで、座り込んだだけで耐える女傑は、長老の方を何故か微笑んで見上げた。
「うん。これは、あたしの、判断ミス」
 長老の言い分を完全に認め、苦しげに笑う。何故か更に厳しい顔で、長老はちっ、と舌打ちした。
「長老……! ご無事ですか!」
 魔物が完全に沈黙したことに気付き、駆けつけてきた幼馴染が、場に揃った「東派」の三人にきつい目を向けた。
「――自業自得だわ。あなた達のせいで、軍に目をつけられた」
「……ハーピア」
 ここまで戦った女を見ていた青年は、幼馴染を止めんと声を出しかけた。何故かそれも、女傑に服を引っ張られて止められた。
「――迷惑を、かけたわ」
 女傑はそれだけ、俯きながら呟く。その様子を見てか、「東派」代表の男は難しい顔で、静かに長老の女へそれを伝えた。
「彼女の怪我が治れば、我々はすぐに退去します」
「……」
「申し訳ないがそれまでは、我々をこの里に置いてほしい」
 だからそれだけは認めてほしい、と。遠慮がちに代表は口にしたのだが……。

 長老は、ひたすら険しい顔付きを全く崩さなかった。
「冗談言うんじゃない。その女の怪我が、治るまでだって?」
 飛び散った魔物の残骸を見渡し、里にそうした凶事を招いた三人の余所者。それらに対して、驚くべきことを続ける。
「軍の奴らにここまでされて、アタシがただで引き下がるかい。あのバカ共を呼ぶ餌として、あんたらはここに留まってもらう」
「マザー!?」
 呆気にとられる幼馴染に構わず、それは決定事項だ、と長老がふんと息をついた。
「どうやらあんたらは、仲間の不始末を辺境の里に押し付けるバカ共よりは、曲がっちゃいないようだ」
 里の者と共に戦った女傑だけでなく、軍と話をしようとしていた代表の男をも見据えて、清々しい顔で笑う。
「あんたらの事情に、うちを巻き込む気がないのもわかった。しかし足を踏み入れた以上、うちの事情には従ってもらうよ」
 だからたとえ、彼らが退去を望んでも今は認めない、と長老は断言したわけだった。
 そう口にしている長老に、「東派」の者は誰もが目を丸くしていた。
「……ありがとう」
 そしてあっさり、当惑の顔のまま礼を口にした女傑に、改めて長老が不敵に笑った。
「たかが人間のくせに。あんたァ、見込みがある」
「……」
「早いとこ傷を治しな。うちの里で、誰か気に入った男がありゃ、くれてやるからアタシに言ってこい」
 そのような、里の一員としてまで認めかねない言葉を残す。集まった里の者達を散らしつつ、まだ怪鳥姿の孫を引っ張り、場を後にした長老だった。

「…………」
 場には、当惑したままの「東派」と、青年と飛竜と、ひたすら不満げな幼馴染が残った。
「……意外ね」
 その澱んだ空気の中で、女傑が唐突に声を出した。傍らに立つ青年を見上げ、何処か冷ややかな目で、その続きを口にする。
「アナタは――殺したくないヒトだと思ってた」
 最早、原形を留めていなかったとしても、確実に元は青年達と同じ化け物であった魔物。それに対する、青年の迷いなき一太刀を見ての言葉だった。
「……わかってるなら、振るな」
 それでもそれが、確実にできるのは青年だけだった。必要なことだと、どちらもわかっていた青年と女傑は――静かに睨み合うのだった。

+++++

 一方的な軍の到来から一週間が経過していた。
 軍からは何の音沙汰もなく、このままウヤムヤにする気かと長老が苦々しげに悟っていた頃だ。
「……まだ傷が塞がらないのか。あの女」
「そうなんよォー。おかげで商売あがったりでさー」
 何故か最近青年の家によく来る「東派」の長髪の男が、青年と双子に軽い調子で愚痴を零すのだった。
「うぜぇ。商売とか言ってんな、この軟弱ヤロウ」
「ドレイクってばキビしい! リーダーみたいなこと言う!」
 長髪が言うには、彼ら本来の「子供攫い」も、様々な事情で頓挫中らしい。
 当初はともかくこの一週間は女賊(おんな)の負傷が原因だと、暇を持て余した長髪は度々青年達の家に来ていた。
「大体ねぇ、リーダー、鎧さえ着てりゃ怪我なんてしないんよ? 生身は人間の弱っちぃねーちゃんなんだから、そこんとこ自重してほしいわー」
 女賊が傷を負う事態そのものが、長髪は不服と見えた。
「……ずっとあんな赤いのを着てたら、さすがに目立つだろう」
「そりゃそーだけどさ? 腕と足の装具だけじゃ、体力増強効果しかないんだからさ? そんな状態でこないだみたく戦うと、下手すりゃあっさり死ねるし、うちのリーダー」
 女賊が夜に身に着けている赤い鎧は、黒の珠玉を填めた胸当てがあってこそ完全であるという。
 その鎧を着ける限り、どのような化け物の力や打撃も弾く見えない壁と、化け物並みの身体能力を得られることが、人間の女が化け物以上に戦える秘訣だった。
「ここんとこ城の警備も厳重化してきてるし。おれっちも姉貴さえ見つかれば、さっさと足を洗いたいわけ」
「――姉貴さえ?」
 そ、と。長髪は腕を組みながら何故か胸を張る。
「サライのメンバーは何回か変わったけど。どいつもこいつも、協力者含め、『狩り』に私怨のある奴ばっかなわけ」
「……」
「ファザーは長男をとられて、次男を亡くした父親っしょ? おれっちは姉貴をずっと探してんのね。おれっちの家系は成長が早くて、こう見えてもおれっちまだ七歳なのねー。ちなみに姉貴は九歳ってわけ」
 青年と双子はそこで、彼らの通称がファザー、ブラザーである理由を何となく悟る。
 そして口の軽い長髪は、さらりと聞き逃せないことを口にしたのだった。
「でもさすがの『千里眼』も、『千里眼』が会ったこともない特定の兄弟姉妹を探せって依頼は無理らしいのね?」
「――え?」

 そこで青年の表情が固まる。隣で表情を変えずに双子が青ざめた。
「千里眼って――まさか」
「んよ? どしたの、怖い顔して」
 不思議そうにする長髪は、双子からの刺すような目に、しまったと口元を押さえた。
「――そういやドレイク。言うなっつーたっけ?」
 トドメの一言まで更に放ち、あほ! と双子が長髪をはたく。
 青年はただ、表情を強張らせて、厳しい目で双子の方を見た。
「まさか――レインさんを巻き込んでるのか、リーザ」
「…………」
 目前の双子――蒼い獣が、同郷の女性の療養する第五峠にいた理由を、ようやく青年は思い当たった。
「『子供攫い』に……レインさんを手伝わせてるのか?」
 双子がその一員と知った時とは比べようもなく、灰色の眼に怒気を湛える。双子は目を逸らして黙り込む。
 おそらくそれは、双子が最も隠したかった事柄だった。その態度に否応なく気付いた青年が、怒りで立ち上がりかけた時だった。

「違うわ。それは私の意志よ、ライザ」
 バタンと、無遠慮に青年の家の扉を開け、勝手知ったる家とためらいなく誰かが上り込んできた。
「リーザに口止めしたのは私……巻き込んだのも私のせいよ」
 そこにいたのは紛れもなく――二週以上前には血を吐いて倒れ、しばらく安静が必要なはずの、虚弱な人間の女性だった。
「レインさん!? 何で里に!?」
 第五峠にいるはずの女性に、青年は焦り顔で立つ。
「昨日から帰ってるわ。リーザがお見舞いに来てくれたから、ついでに乗せてもらったの」
 事も無げに言う女性に一度だけ弟を振り返り、気まずそうな溜息を確認する。
「ちゃんとクランに外泊許可もとってる。ここまでしっかり休ませてもらったし、体調はいい方よ?」
 女性はにこりと、何一つ変わらない気安さで微笑み、青年達がいた食卓の椅子の最後の一つに座った。
「……――」
 わけがわからず、不機嫌さを隠さずに青年は黙り込む。
 青年を未だ監視する紅い魔縁が動じない所をみると、女性が彼らの協力者であることは残念ながら明らかだった。
「『五色』と掛け持ちで悪いけど……私にはどちらかというと、サライが本命なの」
「レイン……さん」
「リーザがサライに出くわしたのは、夜中に出歩く私を心配して追いかけてきたから。元は私を連れ戻そうとして戦ってくれたのよ、リーザは」
 淡々と語る女性の斜め前で、弟はバツが悪そうにひたすら目を逸らす。
 やるせ無い怒りを抱え、青年はしばらく、沈黙するしかなかったのだった。

 「子供攫い」の次の仕事に協力するため、その潜伏先に女性は帰ってきたという。彼らが忍び込む旧王城の、最新の警備状況を「千里眼」で観るのだ。
「リーザが協力してくれるようになって、仕事の頻度が増えて。『五色』とかち合い過ぎた面はあるけど」
「……」
「ライザがサライを知っちゃったなら、ちょうどいいと思って。この辺りでリーザは足抜けさせてくれない? ライザ」
「――!?」
 青年の家に来た目的を至って軽く言う女性に、驚いたのは青年達だけでなく、屋根の上の紅い魔縁には殺意すら浮かび上がった。
「心配でしょ? リーザのこと」
「って……レインさ――」
「私がやめろと言ってもきかないのよねー。本当に兄弟揃って頑固なんだから」
 困ったわ、と笑う女性に、長髪がハラハラとし、双子は不服気に黙り込み、青年もしばし絶句する。
「……リーザが自分で決めたことには、俺は口出ししないけど」
 それとこれとは別問題だ、と、むしろ女性を見て青年は口にする。
「レインさんこそ、何でそんな無茶をしてるんだ」
 日頃の丁寧口調も忘れるほど、厳しい眼で同郷の女性を見つめる。
「何をするかはレインさんの勝手だ。でも――」
 青年はあくまで、怒りの由来はぶれることはなかった。
「『五色』か『子供攫い』か。せめて一つに絞らないと、体が壊れるばかりだろう、レインさん」
「…………」
 ただ一貫して女性を案じる青年に、女性は表情を消して、青年を見つめ返した。
「何でレインさんは……そんなに自分以外のことばかり、手を出すんだ」
 特に兄弟もない人間の女性には、「子供狩り」に私怨はない。「五色のケモノ」にも懇意だった親同士の縁があっただけで、身を削ってまで手伝う理由はなかった。
 それがずっと、青年の気がかりになっていた真情だった。
「……自分以外のこと、ねぇ」
 女性はふむ、と、考え込むように僅かに俯く。
「でも他に……特にしたいと思ったことがなかったのよね」
 それだけ女性を心配する青年に、誠実な答を探しているが、色無き赤の眼には何の揺らぎも浮かばない。
 ただその、常に笑顔の女性には珍しい無機質な表情だけが、女性にとって弟のような青年達への誠実さだった。
「ライザやリーザ――それにピア達に、私ができるお手伝いは……これくらいしかないもの」
 本来、自らの色に乏しく無表情だった女性。ただ、彼ら化け物が好きなだけ、と、不治の病を口にする人間だった。

+++++

「それにしても……どうしてこんなことに?」
「…………」
 真っ黒な夜の暗い空を駆ける、巨大な飛竜の背中の上で。
「さすがに大人五人は、定員オーバーだってぇー。狭いよー」
 気配隠しの魔道を担当する長髪が文句を言う通り、赤い鎧を纏う女賊と、まるで普段着の「千里眼」と紅い魔縁に、最後の一人――その集団の活動に何の関係も無い青年の同乗に、女賊が冷たい目をする。
「俺はあくまで……レインさんの付添いと『五色』の仕事だ」
 同郷の女性は、どうしても「子供攫い」に可能な限り同伴し、旧王城の警備を間近で確認したいと前夜の打ち合わせで頼んだ。
 近くで観る方が「千里眼」の負担も少ないことを知る青年と双子も同意見で、この夜間飛行を決定していた。
「攫った子供の希望によっては、リーザもすぐ第一峠行きでしょ? 悪いけど私も、ついでに『五色』をさせてもらうわ」
 第一峠から第五峠まで新たな物流を開拓する。そのために青年は第一峠に出向くことが決まり、足の協力を双子へ依頼し、それは双子にも「子供攫い」のついでにできる仕事だった。
「第一峠、初めてね。ドキドキするわね、ライザ」
「別にそれは……俺一人でいいと思いますが……」
 しかし女性が楽しげな理由を知る青年は、それ以上何も言わなかった。

 「子供攫い」の昼の顔「東派」の代表である中年の男は、主に対外調整を担当するということで、実際の仕事には同行していない。
 実質、戦闘力を持った「子供攫い」は今では赤い女賊と魔縁の二人で、いつもその二人を中心に闇に紛れて旧王城へ乗り込むのだという。
 厳重な警備の中へ忍び込む少数の精鋭は、魔道の気配隠しを越える「千里眼」の協力を得るまで、かなり闇雲に衛兵を手にかけていたようだった。
――残念だけど。私が協力した方が、ぐんと人死にが少ないの。
 今では警備状況が正確にわかるようになったので、最も警備が手薄な侵入経路を選択できる。飛竜が協力すれば更に、脱出経路も豊富となる。
――エアの姐貴含め、あいつら、放っとくと何するかわかんねぇんだよ。
 双子の弟が溜め息をついて呟いた協力動機は、つくづく青年も、根はお人好しの弟らしいと頷くしかなかった。

「でもピア、大丈夫なの? まだその右肩、痛むんじゃない?」
「…………」
 近くに在れば、相手の身体状況まで探知する「千里眼」の心配そうな眼に、同じく人間である赤い女賊が不機嫌そうに眉をひそめる。
「エアこそ、病み上がりなんだから――無理はしないで」
 女賊の体調を探るような、無駄な体力は使うな、とどうやら怒っている。「千里眼」も困ったように微笑んでいる。
 その二人の、年の近い女達の様子に、人間同士だから通じ合う何かがあるのかと青年は感じていた。

 青年達の里から旧王都は、飛竜を駆ればあっという間だ。
 旧王城をしばらく上空から「千里眼」が観察した後、少し離れた場所に、「子供攫い」の三人は降り立っていた。
「二時間たっても戻らなければ、アナタ達はここから離れて」
「……」
 ディレステア製のゼンマイ式の時計を青年達に預けて、赤い女賊は冷然と彼らを率いて行く。
 通常は一時間以内で事を終えるという彼らは、リーダーたる女賊の怪我を考慮し、それくらいの時間を見積もったようだった。
 それでも、衛兵の位置だけでなく、最も攫いやすい子供の位置も伝える「千里眼」の、リアルタイムの助力は馬鹿にならなかった。
「……終わったみたいよ?」
 そうして最短に近い時間で、三人の子供を連れて戻った彼らだった。


 そのひと気のない、旧王都の路地裏で。
 現状に怯えを見せる子供を相手に、赤い女賊は、昼間に見せる無害な顔で軟らかく笑いかけていた。
「私達――『子供攫い』よ」
 それは、その子供を攫う前も、あらかじめ告げられる名前だという。
「怖かったでしょう。それでもついて来てくれて、ありがとう」
 旧王城の子供達に、否応なく「子供攫い」の噂は広まっているのだ。侵入した際、同行を希望した子供のみを連れていくのが「子供攫い」だった。
 しかしその事実は、決して明かしてはいけないと、女賊は必ず毎回、攫った子供達に言い含めるという。
「あなた達は、誰かの都合で集められた。でもこれからは――あなた達の都合で、この先の道を選ぶことができるの」
「…………」
 攫われた三人共が、今回は五歳前後の子供で、軍事教育を叩き込まれる前だ。だからこそ同行は希望したが、それでも何が起こっているか、状況を理解するには幼過ぎた。
 女賊はひたすら、軟らかな微笑みを絶やさず――膝をついて目の高さを合わせ、話を続ける。
「選べる道は、限られてる。ザインやディレステアに移住した両親がいる子しか、お父さんやお母さんに会うことはできない」
「……」
「他に行ける所は、今の新しい――優しい国王様の元か、海を守るヒト達の所や。病院や、病院を守るヒト達の所とか」
 「子供攫い」は新国王のみならず、数々の自治団や大組織と繋がりがある。攫った子供に新国王や騎士団のツテで新たな戸籍を用意し、秘密裏に託すのが常だという。
「行きたい所ができるまで、私達と一緒にいてもいい」
 そうした子供達を集める所が、彼らのザインでの潜伏地だった。
「怖ければもう一度、城に戻ってもいい。あなた達はあくまで攫われただけだから、何も悪くないんだから」
 だからこそ、同行を希望した事実は明かすな、と女賊は言い含める。

 幼い三人の子供は、その場で意志を決めることはできなかった。
 それなら、と決まった、ザインの一時潜伏地行き。よくある結論に、子供達を飛竜に託した女賊は、他の者には別行動を命令していた。
「第六峠の地下に、『子供会』に来てもらってるわ。その中に、今回の子供の親がいないか、リミットとブラザーはファザーと合流して、確認をとってきて」
 それは、子供を取り戻してほしいと「子供攫い」に接触した、協力者且つ依頼者の集まりなのだ。いつもはこのまま旧王都で合流するが、段々と旧王都が警戒態勢を強めてきている昨今、新しい会合の場が必要とされていた。
 通常通りの仕事に、彼らは特に嫌な顔もしない。
 赤い女賊を一人残し、先に第六峠へ向かったはずの中年の男と合流すべく、徒歩で第六峠へと向かっていった。

 仲間達が去った途端に、子供を相手の軟らかさを通り越して、にへらと女賊が緩く笑った。
「――さってと。それじゃあたし達は、第一峠に行こうかー?」
 慣れているのか同郷の女性は、ええ、と淡々と返す。飛竜も特に反応はせず、子供三人と女二人、青年を何とか全員、その背に迎える。
「第一峠はちょっと寒いからね、途中で暖かいケープを買っていこうねぇ。いつもの闇市、お願いするね、リーザ」
「……」
 唯一、にこにこと飛竜の首を触る女に、少しだけ不服げな飛竜だった。
 青年と飛竜には、二人で一つしか通行証がない。その問題上、人数分の通行証がなければ結界に引っかかる国境の直前の山で、赤い女賊が飛竜から降りた。
 それは女賊の通行証を、飛竜へと貸し出すためだ。
「絶対見つからないでよ? 通行証は貸した方も貸された方も、どっちも死罪なんだから?」
 元々その手筈で、普段は同行しない飛竜の第一峠行きに、女賊は今回ついて来ていた。そのおかげで青年は、飛竜を国境に置いて第一峠の雪山を単独で登る徒労が省けた。
「……何でそんな、楽しそうなんだ、あんた」
 ゾレンでは命の次に大事と言われる通行証を、あまりにあっけらかんと貸し出した女賊。その無防備さには、不可解の目を向けるしかない。
「え? だってリーザには、いつも凄く助けられてるし?」
 あくまでつれない素振りの飛竜に、緩く笑って女賊が首を撫でる。
「リーザから嫌われてるのは仕方ないけどねぇ。少しくらいはあたしも、リーザに何かお礼したいもの」
「――嫌われてるって思ってるの? ピア」
 飛竜の背から、「千里眼」が不思議そうに赤い女賊を見下ろした。
「……助かってるのは、リーザじゃなくて俺だけど」
 冷静に呟く青年に、あはは、とまた無防備に笑う女賊だった。

 そして、国境手前の山小屋に残って待つ女賊を後に、ディレステアとザインの境たる第一峠へ、青年達は向かった。

+++++

 ゾレン西部から北に位置し、国境を越えた先にある第一峠はゾレン領でなく、ディレステアとザインのみの境だ。ザインにディレステア大使館、ディレステアにザイン大使館が存在する、雪山の遥か頂上だった。
「ディレステア大使館を通らないとザイン大使館には行けねぇ。子供らのザイン滞在届けは、いつもザイン大使館で、秘密裏にヘルシャ――第一峠ザイン大使が認可してくれる」
 飛竜からヒトの姿に戻った双子は、子供達を近くの宿で休ませ、いつもなら双子がしている手続きを青年に手早く説明する。
「早くても二日はかかるから。その間にディレステア大使館で、『五色』としてザインの物流を相談すりゃいいんじゃねぇ?」
 ゾレン領でないとはいえ、今後ゾレンに関わる可能性が十分にある者の前で、青年達が双子であることを明かすわけにはいかない。「五色」としての交渉もどちらも、青年が一人で引き受けることにした。
 女賊から通行証を借りるお返しに、その手続きを双子の代りに、双子を騙ってすることになったわけだ。
「でも――気配のわからない人間のディレステア大使はともかく、ザイン大使には明らかに、俺がリーザじゃないってばれるんじゃないか?」
「……」
 様々な化け物が隠れ住む秘境、ザインの大使である男は、その秘境を越えても名の通る家の化け物なのだ。
「クランのお兄さんなのよね? 第一峠のザイン大使って」
 だからその相手に会えることを楽しみにしていた女性は、双子を騙る青年について、あっさりばれるんじゃない? と、身も蓋もないことを口にする。
 双子の弟は、何故か突然、爽やかな笑顔を浮かべた。
「その辺含めて、まるっと色々任せたぜ! アニキ!」
「……」
 普段は青年を名前で呼ぶ双子が、あえて兄と青年を呼ぶ時、面倒事を押し付けんとしているのはいつものことだった。
「オレはひとまず、明後日の朝に一旦迎えに来る。何かあればヘルシャに言えば、オレに連絡はとれるはずだ」
 「魔道」に秀でる大家の、跡継ぎたる大使にはそれが十分に可能だ。だからこそ以前、青年の危機をその双子に伝えてくれていた。

 そもそも「子供攫い」にそのザイン大使が協力している時点で、他に何か必要とすれば青年達の事情説明だけだろう。
 あくまで身上を隠す相手は、第一峠ディレステア大使だけだ。改めて青年は納得したのだった。
「だからって――丸投げはどうかと思うけど」
「まぁまぁ。クランの方には今度、私から説明しておくから」
 そうして双子は何処ぞへ飛び立った。残った「五色のケモノ」の青年と女性は、思い切ってディレステア大使館の門戸を叩いたのだった。


 第一峠ディレステア大使館の、オティ大使は快く客人を迎えた。
 雪山の頂上である大使館には、滅多に客が訪れてこない。だからしっかり覚えている、と何度もその場所を訪れている双子――を騙った青年に、気安く笑いかけていた。
「リーザ君が希望するなら、ザインの通商業者を紹介しよう。ゾレンには実は既に、うちを通していくつか取引があるんだ」
「――え?」
 全体的に、やや丸っこい中年のディレステア大使は、人の好い顔で笑い、当惑する青年の肩をぽんぽんと気軽に叩く。
「今日もちょうど、取引先の一つ――『悪魔祓い』の渉外が、うちに来ていてね。良かったら話を聞いてみるといい」
 「悪魔祓い」。化け物の国ゾレンにおいて、人間が中心の集団であり、銃などの武器を何故か豊富に揃えるその名に、青年の顔が強張る。

「……大丈夫?」
 心配げに青年を見る同郷の女性は、旧王都や第六峠で暴れた父を持つ青年を、その集団が悪魔として討伐せんとした過去を知っていた。
「……アイツらの物資の出元は、ここだったわけですね」
 青年の場合、父が暴徒のような行動をとったのは確かだ。しかしそうした根拠のある相手だけでなく、「悪魔祓い」に都合の悪い相手は全て「暴徒」や「魔縁」として扱う集団には、長く嫌悪を隠せなかった。
「ばれたらまずいし……会う気はないです」
「そうね。後で私が軽く、話を聞いてみるわ」
 「飛竜」の息子として、知る人は知るのが青年の顔と名だ。双子の名前をこの第一峠で名乗る青年には、その集団はどう考えても鬼門でしかなかった。

 そして、同郷の女性が「悪魔祓い」の交渉人という男と話をした後の、第一声は珍しい嫌悪に溢れていた。
「――とんだ狸よ。あれ、どう観ても人間じゃなかったわ」
「……え?」
 一足先にザイン大使館に行っていた青年は、険しい顔の女性に眼を丸くする。
「私が人間で、何もわからないと思って。ボクもこの雪山まで来るのは苦労するんです、お互い大変ですね――なんて言うの。多分、『悪魔祓い』の内でも人間のふりをしてるんじゃない?」
 ゾレン人の集団である「悪魔祓い」に、化け物が混じっていることは有り得なくはない。それでも女性は余程相手の印象が不快だったようで、執務中だった第一峠ザイン大使を待って控室にいる間中、青年以上の不機嫌な顔をしていた。

「――はぁ。今頃リーザは、国境まで戻ってるかしら?」
「?」
「ピアが一人で、通行証無しに待ち惚けでしょ。それを放っておけるコじゃないわよ」
「はぁ……なるほど」
 まだ面白くなさそうな女性は、何処か含みもある声で淡々と言う。
 青年は、その控室に飾られていたシンプルな凧型の菱盾が気になり、あまり真面目に話を聞いていなかった。
 そして唐突に、ずっと難しい顔の女性に、青年はある少女のことを思い出した。
「……そっか。レインさんに、ちょっと似てる」
 は? と眼を丸くして青年を見た女性に、いや、と青年は釈明する。
「……ピア・ユークの妹が、昔のレインさんに、似てるなって」
「――何? ライザ、ピアの妹に会ったことあるの?」
 幼い頃から青年の姐貴分だった女性は、昔は今のように始終笑顔ではなかった。むしろ無愛想だったと、久しぶりに青年は思い出していた。
 始終硬い表情が綻ばず、幼いながらに端麗な顔立ちだった女性は、常に悲しげな潮騒の少女と似ている。現在の基本は笑顔の女性は、少女の姉に似ていると、感慨深げに頷きながら言った。
「第五峠の――俺の知り合いの、あの子です」
「……あの子……ピアの妹なの?」
 同郷の女性は強い驚きを浮かべ、青年をまっすぐに見つめた。
「はい。ピア・ユークは、自分達のことは誰にも喋るな、妹にも喋るなって言ってきましたけど」
「……――」
 何故か女性は、なるほど……と、両腕を組んで考え込んでしまった。
「で。ライザはバカ正直に、黙ったままでいるのね」
 呆れたように言う女性に、青年は少し不服気に反論する。
「紅いのがずっとそばにいたんで、話せなかったんです」
「なるほど。それは確かに難しいわね」
 あっさり納得したように、女性が気を取り直す。
「でもそれは――会わせてあげたいわね」
 青年と同じ結論に一瞬で辿り着き、うんうんと頷いている女性。思わず少し、気が緩んだ青年だった。

「ピアはもう……五年は家族に会ってないはずよ」
「……?」
「元々ピアが、『狩り』から家に帰されたのは八年前だから。実質、物心ついたピアが家族と暮らせたのは、三年程しかないの」
 三歳の時に旧王城に連れていかれた子供。当時は今のような鎧はなく、十歳で弱小と親元に帰されている。その人間の女の過去を同郷の女性は知っているという。
「戦いしか習わなかったピアは、家族とはずっとぎこちなかったみたい。その中では唯一、彼女を慕ってくれたのが妹だったって、話してくれたことがあるの」
 そうして女性は、妹のために姉に会わせたい青年とは対照的に、姉のために妹を会わせたいようだった。
「家族と、ぎこちなかった?」
 あの気さくさで? と青年は不思議に思う。
「軍では、規律や上下関係を徹底的に叩き込まれるでしょ」
 だから女賊は、朝の顔も夜の顔も、どちらも本性であるのだ。同郷の女性が遠くを見るように口にする。
「お父様がまず亡くなって――その後で、お母様から絶縁状を叩き付けられて。それからピアは、サライを始めたのよ」
「……――」
 だからやはり、あの赤い女賊も、「子供狩り」の被害者であるのだと――

 それだけでは話がよくわからなかった青年は、控室で待つ間に、一通り女賊の事情を「千里眼」から聞くことになる。

+++++

 ヘルシャ・フィシェル。フィシェル家の支配者という意味の名前は、魔道の大家に多い隠し名に過ぎない。
 元来、水の力を司る家系と言うが、何故か火に適性があった弟クランとは違い、第一峠の火口湖とそれに繋がる川を中心に広く治水を司る、フィシェル家の現当主ということだった。
「それならあの盾も……水の家系の宝なのかな」
 控室の飾りという、今の仕事に何の関係もないオブジェクトが無性に気になっていた。そんな青年に同郷の女性が笑う。
「クランは剣の方を預かってるらしいわ。でもどちらの宝も、竜の眼という別の宝が無いと不完全みたいよ」
「『竜の眼』?」
「だから気になってるんじゃないの? ライザも本当に、眼が利くわよね」
 そこで納得する青年の理由が、控室で話したことにあると、わかっている「千里眼」の一言だった。
「それで……悲しそうに、見えるのかな」
 ますますその盾が気になる青年は、第一峠ザイン大使に三人の子供の滞在許可を頼み、子供達の待つ宿に戻った後まで、腕を組んで考え込んでいたのだった。

 「悪魔祓い」の渉外など、なるべく他の相手とは出くわさないように、第一峠ディレステア大使館でも話をして二日が過ぎた。
 予定通り迎えに来た双子と共に、子供達をザインの山奥――「子供攫い」の国外潜伏先に送り、帰路に着いた青年達だった。
「どうだった? 『五色』でも何か、進展はありそう?」
 国境で合流した女賊は、飛竜から自身の通行証を無事に受け取る。
 待っていた間は休暇とばかり、思う存分羽を伸ばしたらしく、赤い鎧を全て外し、荷物にまとめて詰めているようだった。
「そうね。物流は通せなくもなさそうだけど、あまり付合いを持ちたくない相手もいたわ」
「?」
「ピアの銃は、いつも何処で手に入れてるの? 最近国内でもよく見かけるけど、ディレステア製よね?」
 ゾレンの化け物はどちらかというと、単純な武器を好む。対戦国のディレステアから密輸された武器がゾレン西部で出回りつつある昨今、不戦派「五色のケモノ」は苦い顔の状況でもあった。
「これは第五峠だねぇ。騎士団にはディレステアの武器を使うヒトも多いでしょ?」
 棍や短剣だけでなく、銃器の扱いにも長ける女は、「子供攫い」得意先として騎士団も存在することをあっさりと明かす。

「…………」
 女賊の過去を聞いていた青年は、その妹がいる地名をあっけらかんと口にする女賊に複雑な目を向ける。鎧を外して完全に緩み気分らしい女賊は、全く意に介していなかった。
「あんたはいつまで……『子供攫い』を続けるんだ?」
 思わずそれだけ口にした青年に、そうだねぇ、と気軽に笑う。
「身を固めてお母さんにでもなったら、さすがにやめるかな?」
 至って無責任に、軽い調子で答えた人間の若い女だった。

 里に着くと、再び鎧を身に着けた赤い女賊と、そろそろ疲れが来ているだろう「千里眼」まで教会に向かった。
「若祭祀に報告しておかなきゃ。トラスティまで通信の術で、彼がいつも伝えてくれるから」
「……」
 「子供攫い」に関わる同郷の女性の、夜の出歩き先が主にその教会らしい。仕掛け人は結局「王属」かと、青年は苦い目で教会の方向を見つめるのだった。

 里に帰った途端に、青年に再び紅い違和感が付き纏い始めた。
「……君も、飽きないな」
 小さくした飛竜を肩に家に向かいつつ、大きく溜め息をつく。
「ずっとうちにいる気なら……ご飯くらい食べたらどうだ」
 既に大部分「魔」と化したその魔縁は、人間である女賊からたまに血を貰うことで食い繋いでいるらしい。それを聞いて、貧血仲間として赤い女賊に、妙な親近感が湧いた青年でもあった。
「…………」
 紅い魔縁は当然、返答することはない。
 少し手伝いをしたとはいえ、頑なに「子供攫い」には協力しないと表明する青年の後をついて、一途な監視を続けるのだった。

 翌朝には双子が、外泊期限の切れた女性を第五峠へと送った。
 第一峠からも連絡を入れてくれ、何とか最少の咎めで済んだらしい。大事な姐貴分の担当をしてくれている医者に、初めて挨拶したという双子だった。
「全然驚かなかったぜ、あの医者」
「……それはまぁ。ヘルシャ大使には、事情は話したし」
 だから医者にも改めて、女性が説明するはず、と付け加えるが。
「いや……エアの姐貴、とっくの昔に話してたんじゃねーか?」
「?」
「何回もの無断外出……まぁオレが、エアの姐貴とサライとの連絡役をしてる時だけど。見て見ぬふりをさせるために、事情は話してるとみた」
「……本当に、抜け目がないな、レインさんは」
 そしてやはり、医者にもあの無茶な女性は止め切れないのだと、揃って息をついた双子の兄弟だった。

+++++

 ひとまず九日後に、第五峠にいるディレステア第二王女と騎士団長との、再度の打ち合わせが控えていた。
 第一峠での進捗状況も含め、何度か「五色のケモノ」を集め、報告や相談に走り回る真リーダーの青年は、中々多忙だった。
 その姿に、長老などは満足そうだが、当の本人は不満たらたらだった。
「最近ミリアに会ってないな……」
 まだ里に留まる、姉の方と顔を合わせる機会は増えた。
 共にいる時は何故か落ち着く、潮騒の少女との時間が取れず、ハラハラさせられる姉の一派が未だ里の内にあることに、青年としては神経を使う日々なのだった。

 そんな中、双子はあくまでマイペースに過ごしている。
 頼めば青年の足にはなってくれるが、他には特に何をするでもなく、教会と自宅を行き来するくらいだ。
「ライザも何とか言いなさいよ! リーザったらもうすっかり、あの東の奴らと仲良しこよしじゃない!」
「いや……そんな余裕ないけど……」
「本当あの女、むかつく! 秘密を知るのをいいことにリーザに近付きくさって!」
 そうして共に走り回る幼馴染の愚痴にまで晒されつつ、確実に時間は少しずつ過ぎていった。

 「子供攫い」はここのところ、活動を自重しているようだった。「王属部隊」の後ろ盾があるこの里は潜伏先としては悪くないらしく、すっかり滞在が長くなっている。
「あいつら馴染んでるぜー。もうオレより里に詳しいくらいだ」
「下手すると……和平交渉の日までこの状況、続くのか?」
 第五峠で王女達と再度話し、国王とも連絡をとり、ようやく「五色のケモノ」は和平交渉の開催にまでこぎつけていた。
「それどころか、このまま居つくんじゃねぇ?」
 無事にその交渉が行われる時まで、なるべく揉め事は避けたい青年を横に、楽しげな双子は状況を歓迎している節があった。

 長く冷戦を続ける、ゾレンとディレステアの和平交渉――
 ディレステアよりも近隣の他地域、「エイラ」を警戒する「東派」が集う現王都では、賛成派が多いという一大事変だ。
 しかし戦乱の再前線である西部では、人間と化け物の確執は根強い。和平を進める「五色のケモノ」や「東派」の滞在があるこの里は、反対勢力の「西派」からすっかり睨まれつつあった。

「和平が実現して、『子供狩り』が廃止されるなら、サライの目的にも沿う。しばらく下手に動かずに、サライも『五色』の手伝いをしたいって、ピアは言ってたけどな?」
 冷戦が終われば、兵士として子供を早期教育する必要も確かになくなる。女賊の判断は妥当ではあった。
「……それなら、大人しくしてくれるのが一番だ」
 今日も今日とて、屋根の上の魔縁の分まで食事を用意しつつ、青年はげんなりと不安げに返答する。
「まあ、あの女がいれば、リーザが里にいてくれるし」
 余計なことはせず、里だけ守ってくれ。と溜息をつく。
「何だそりゃ。何の冷やかしだそれ、アニキ」
 放浪に出ない生活がすっかり常態化した双子。それ以上何を言う余裕も、青年にはなかった。

 そんな、始終気を張る様子の青年を、さすがに双子は見かねたらしい。
「いいけどさー。この仕事が終わったら、アニキもあんまり、もう無理すんなよ?」
「――?」
 軽い口調ながら目は真摯に、双子の弟がそんなことを言い出していた。
「親父のツケを、そもそもアニキが払う必要はねーんだしさ。なのにずっと言うこときくから、周りがつけあがんだよ」
「…………」
 それを早くから、双子は強い覚悟で決めていた。
 たとえ孤立することになっても、自分は気ままに生きるのだと。
「リーザは……強いからな」
 元々、存在しない者として、双子はそう生きる他はない。その真情を誰より知る青年は、珍しく困ったように笑った。
「でも俺は――居場所をこうして、守らないと」
 それは青年が、本能的に恐れた――ある獣の呼び声だった。
「何をしても、何処に行ってもいいなら、俺は……」
「……親父と、同じことをするってか?」
 双子の弟も、それはわかっていたというように、淡々と返す。
「オレは……親父は間違ってたとは、思わねーけど」
 それでもお勧めはしないという顔で、珍しくしおらしげにする。
「ワリにあわねーから。そういうのって」
 常に激しさを呑み込む兄をただ労うように、憂いげに呟いていた。

 双子の兄弟はその父について、父が強行に出たのは、死期を悟ったからだろう、という共通認識があった。
 妻を亡くし、生きる気力を失くした獣は、それが獣の寿命と知った。だから全てを清算しに行ったのだろうと。
「アニキもピアもそうだけど――……」
 双子の弟が何処か憂い気な顔で、何かを言いかけた瞬間だった。

「リーザ……! いる――!?」
 悲しげな大気の逆流を隠しもせずに、その赤い運命は、彼らの元へと駆け込んできた。
「――ピア?」
「――?」
 他の仲間は誰も連れず、女賊は一人で息を切らしている。この里にいる時は身に着けなかった赤い鎧を、完全武装として着込んでいた。
「――お願い! あたしを第五峠まで連れていって!」
 そう双子に掴みよった女賊の必死さは――これまで見たことのない、人間としての脆さに満ちていたのだった。

 この戦いが後に彼らの、消えない(くさび)になるとは知らずに。
 青年と双子、赤い女賊と魔縁は、ここから揃って約束の地へと飛び立つ。

+++++

前篇・結

 赤い女賊(おんな)が狼狽する、ある状況。それをリアルタイムで伝えたのは、魔道を嗜み、仕込み杖の剣を持つあの祭祀だった。
「第五峠で幾重もの洪水が起きていると――エア・レインから連絡がありました」
 以前と同様、その主治医の魔道の力を介し、同郷の女性が連絡をとってきたのだ。
「その洪水は、自然に発生したものとは考えられず……洪水の中心地にミリア・ユークがいる、と『千里眼』は言っています」
 第五峠には、海に繋がる川がいくつも流れている。嵐も雨雲もなく、洪水だけが発生することは考えられないと、ある少女の危機を「千里眼」は訴えていた。

 赤い女賊から話を聞いた直後に、青年の灰色の眼にも戦慄が走った。
「ミリア、が……?」
「あたしも正直、信じたくないけど。父さんのこの『力』が間違った方向に走れば……そんなことだって起こり得てしまう」
 赤い胸に填められた、漆黒の珠玉――父の形見と言う宝を押さえながら、女賊が俯く。
「だから――荒事には、関わらないでほしかった……」
 第五峠に向かう飛竜の背で、女賊はその真実――その妹に流れる化け物の血のことを、ついに明るみに出していた。
「あたし達の父さんは、竜と言われる化け物だった」

 それは青年が、「千里眼」からも聞いた女達の正体だった。
 そこに在るだけで、大気の色まで変えてしまう少女は、自然という脅威がヒト型をとった化け物。常に自然と繋がり、その心一つで周囲の空気を染めゆく自然の化身であるのだと。

「人間の母さんとの間にあたし達は生まれて……あたしは母さんと同じで、ほとんど人間だったんだけど」
 妹には確実に、その竜人の血が伝わっている。女賊も竜である父の形見を得ることで、力を借り受けることができたという。
「父さんの力はあたしが奪ってしまったし、ミリィちゃんには半分しか竜の血は流れてない。だから……父さんみたいには、大き過ぎる力を制御できないのかもしれない」

 海は向いていない、と、青年は少女に対して思った。
 水脈を司る少女の父は、河川という自然が化け物となった竜なのだ。

「じゃあその洪水は……ミリアが暴徒化して、起こしてると言うのか?」
 同じ水の流れでも、海辺においては少女は、潮騒一つ変えられなかった。だから青年は、半信半疑の顔で女賊を見返す。
 動揺しながらも女賊は、決意を籠めた眼差しで青年を見つめた。
「何であれ――ミリィちゃんがそこにいるって、エアは言った」
 だから力を貸してほしい、と――まっすぐな思いを口にする。
「それならあたしは、ミリィちゃんを助けたいの」
 断るくらいなら当然、青年も同伴はしない。それでも、難しい顔となってしまう。
「それは……困ったな……」
 関われば、和平交渉の話が不意になる可能性がある。第五峠を守る騎士団を敵に回すことを覚悟し、臨まなければならない事態だった。

 たとえ騎士団の見習いであっても、もしも少女が暴徒化し、第五峠で洪水を起こしたというなら、騎士団が少女を見逃してくれるとは思えなかった。
「俺とあんた、そこの紅いのだけで、騎士団に対抗できるとも思えない」
 監視する青年についてきたのか、女賊についてきたのかも微妙な魔縁を、戦力と数えて良いのかもわからない。
「リーザは何も関係ないし。できれば巻き込みたくない」
「……うん。乗せてくれているだけで、あたしも十分よ」
 この状況で、本気で騎士団に対峙すれば勝算などないと、女賊もわかっているようだった。
「でも騎士団は……洪水の正体に、気付いてるかはわからない」
 竜という自然の脅威は、それほどに稀少だ。青年が有り得ないと感じた所以もそこにあった。
「今は第五峠の施設を守ることで手一杯のはず。あたし達が先にミリィちゃんを見つければ、何とかなるかもしれない」
「……」
 それでもその行動は、否応なく目立つ。「子供攫い」の女賊に気付く者がいる可能性もある。
 なるようにしかならない。女賊が覚悟を決めているようなので、青年も雑念を捨てることにした。
「そうだな――……急ごう」
 眼下に見えてきた盛況な海港で、未だにその河川は荒ぶっている。考えているような暇はなかった。

 青年は悲しげな大気の渦を探す。いつも見えていたあの揺らぎが、女賊と少女に共通する「力」だった。
 そうしてその竜の少女を、可能な限り最大の速さで、おそらく見つけ出していた。

 大体の洪水は沈まりつつあったが、河川にはまだまだ荒々しい流れが残る。
 蛇行する川が更に逆流し、円形に循環する有り得ない流れがあった。その中心で、竜の血をひく少女は力無く倒れ込んでいた。
「あそこだ――……リーザ、すぐ上まで回り込んでくれ!」
「どうするの!?」
「ミリアの周りには『力』は起きてない。降りて直接捕まえる」
 その猛る竜の中に在りながら、少女のすぐ周囲は無害だった。「力」を視る青年だからこそ、何とか現状はわかったものの。
「何が、あったんだ……?」
 女賊を制し、「力」のない安全な場がわかる青年だけが少女のそばに飛び降りた。気を失った少女を抱えて、ぎりぎりまで近づいた飛竜の背へと、再び飛び乗る。
「……――」
 あれだけ荒くれながら、少女だけを避けていた「力」。怪訝な顔付きで青年は、気を失っている少女を見つめるしかなかった。
「とりあえず何処か、隠れられる場所にお願い、リーザ!」
 女賊の指示の元、一行がそうして場から離れた後だった。
「――!!」
 青年は確かに、それを眼にした。
 少し離れた場所で、未だ猛る竜を突き通した、ある何百もの透明な杙。
 その後に全ての洪水はようやく矛を収め……自然の流れへ還っていたようだった。

 峠を流れる全ての川の、突然の氾濫に襲われた第五峠では、被害を受けたのはゾレン側だけだった。国境の壁に隔てられて、ディレステア側の山地は平穏そのもののようだった。
 ゾレンの化け物は基本的に、多少の洪水に巻き込まれた程度では死なない。弱い人間達の被害も、騎士団の奮闘で最小限に抑えられていた。
「こっちだ、行こう」
「――?」
 気を失った少女を抱え、小さくした飛竜を肩に、青年達は外套に身を隠しながら、先程の透明な杙の主を探して港町を駆けていた。
「とにかく、何とかなったのかしら……」
 ひとまず事は終わったものと、青年も女賊も、警戒を解きつつあったが。

 彼らのその気の緩みを嘲笑うかのように――
 第五峠の歴史上、一、二を争う凶事。
 それが洪水で混乱に陥った町に乗じ、黒煙と共に到来していた。

「――な!?」
「なに……!? 爆発――!?」
 港町のあちこちで、ほとんど同時に、激しい火の手と爆音が上がった。
 口々に上がる悲鳴は、確実に一つの方向性をなして叫ばれた――これは、ディレステアの人間の攻撃であると。
「まさか……!」
「これって――」
 青年と赤い女賊はそこで、同じ結論へと至る。

「どうやら……人間の襲撃を演出したい何者かがいるようだ」
 ちょうど、青年が探していた者の元へ辿り着いていた。
 青年達に気付いた相手も難しい顔で、まさに同じ考えを呟きながら歩み寄ってきた。
「え――トラスティ!?」
「久しいな。第六峠以来か、ピア・ユーク」
 驚く女賊の横に、妙にフットワークの軽い国王が来ていた。雰囲気には軽さのカケラもない新国王が、青年が抱える少女を不思議そうに一瞥した後、改めて青年を見る。
「よく私が来ていることに気が付いたな。ライザ」
「トゲトゲが見えた……アンタがあの洪水に、トドメをさしてくれたんだろう?」
 青年が「トゲトゲ」と呼ぶ「力」。それはまるで剣山のような、何百もの不可視の杙だ。
 前国王と同じ「力」を受け継いだ国王は、その特徴的な形のため、青年には初対面から凶悪な力で有名な前王の血縁とわかっていた。

 国王が改めて、所々に黒煙の上がった町を見渡していた。
「……第五峠は、ゾレン側ですら、ほぼディレステアの管轄だ」
 その人間多き町に、隣国の人間がわざわざ攻撃はしない。国王はそれを確信しているようだった。
「どう考えても、和平交渉の場への妨害だと、私はみるが」
「それは……変だ」
 青年は国王の見立てというより、それに至る不審の思いを口にする。
「この第五峠で、近い内に和平交渉があるなんて――騎士団の上の奴らと、足を運んでもらう王族と重鎮しか知らなかったはずだ」
 しかし他に、第五峠が狙われる理由はない。大陸中から集められた強固な化け物が集う、中立の騎士団が統治するこの地域に、喧嘩を売る愚者はまずほとんどいないのだ。あまつさえ最弱の人間が騎士団を敵に回す意味はない。
 ではいったい、何処から交渉の情報が洩れて、誰がわざわざ、この完全中立地帯に嵐を起こそうと企んだのだろう。
「しかも何で、アンタは今日、ここにいたんだ?」
 和平交渉の日は、まだもう少し先だった。国王が足を運ぶには早過ぎる、と青年は訝しむ。
「……我が『王属』からの、警告があったのだ。第五峠で何か、良からぬ企みが感じられると」
 そこでまた、爆音と火の手が上がる。顔を強く顰めながら、国王は先を続ける。
「我が国の法でも完全中立と定めたこの第五峠で、このような不遜な事を起こす輩は――決して許すわけにいかない」
 第五峠では、ゾレン人の病人も療養している。化け物の中にも、病に侵される者は存在している。
 こうなった以上、国王も場に留まって真相を追求し、すぐにも下手人を処断する所存、と言わんばかりの厳しい目線だった。

 どうやら青年達と同じく、祭祀から一足先に情報提供を受けたらしい。待機させた馬型の俊足の化け物を駆り、単身で来たという国王は、身分を隠す為に全身を覆うケープを羽織っていた。
 国王も含めて全員が一度、目立たない物陰に移動する。
「……リーダー。もう、用、済んだはず」
 久しぶりに口を開いた魔縁が、僅かな(おそ)れを浮かべた目で、女賊だけを見つめてその腕を掴んだ。
「リミット――」
「リーダー、目立つ。ここ……良くない」
 嫌な予感がしているらしい。静かに訴える魔縁に、赤い女賊はちらりと、気を失った妹を抱える青年を見る。
「確かに――何故、貴女がここにいる、ピア・ユーク」
 和平交渉の設定を仲立ちする青年はともかく、国王もそれが不可解、と赤い女賊を見つめた。
「まさかとは思うが……先の洪水は――」
 その女賊の出自を国王は知っているのだ。青年の腕で眠る少女を、難しい顔で視界に収める。

 国王が竜の少女について言及する前に、更なる禍事が到来していた。
「――殺せ! ディレステアの王女を探せ!」
 不穏な叫び声が響く。第五峠への攻撃者を許すな、と、近くの大通りで煽動が発されていた。
「今がチャンスだ! 護衛も無しに逃げ回ってるぞ!」
「――!」
 普段は常に騎士団長を伴って行動する王女が、何故か単身で逃げているのだ。この状況でゾレン側の第五峠に居合わせること自体に、青年は息を飲んだ。
「……事はなかなか、深刻な状況のようだ」
 最早剣山の厳しさを全く隠さず、国王が重い声で呟いていた。

 事の発端を探すらしい、姿を窶す国王とは別行動になった。
 青年は肩の双子、赤い女賊、魔縁と共にディレステア王女を探し、港町を走り回っていた。
「ごめんねリミット……今日は私の我が侭ばかり言って」
「……」
 女賊のたっての願いで、気を失った少女を魔縁は託されている。不服というより何処か当惑気に、身軽になった青年と女賊の後ろを黙って走る。
「にしてもあんた……本当に、王女が何処にいるかわかるのか?」
「多分ね。あたしが知ってる王女様なら――父さんを看取ってくれたあのヒトなら、覚えてるから」
 何の力も持たず、弱小な人間を探すことは、化け物には難しい。「力」を視る青年にも、気配探知に長けた双子にもできないことだ。
 そもそも人間である女賊は、弱小である上に気配探知の能力がないと、「子供狩り」から見放されたはずだ。しかしその人間の女には、気配によらない直感の異能があった。敵の位置や攫う子供の居場所、知り合いの状況を、ある程度近くに在れば、本能的に感じられるというのだ。
「今も母さんが、お世話になってるはず。こんな卑劣な荒事を起こす奴らに――……殺させたくなんてない」
 まだあちこちで続く爆破音は、確実に複数の工作者によるものだろう。対応する騎士団は、王女より第五峠を優先したのだと、青年も悟っていた。

 女賊には、妹である少女を連れて、双子と共にこの峠を離れろと青年は言った。しかし女賊は青年と共に、王女を探すと自ら宣言した。
 そんな女賊に、青年はつくづく、苦い顔をする。
「あんたはやっぱり……ただのいい奴なのに」
「?」
「『子供攫い』なんて茨の道を、何で選んだんだ」
 その過去を既に、同郷の女性から青年は聞き知っていた。それでも女賊と直接話をするのは、初対面のあの時以来だった。
「……いい奴なんかじゃないわ。あたしは――大事な所では、自分を守るために、ヒトを見捨てる」
「……」
 その父の形見を同胞に渡さず、自らの力としていた弱き人間が項垂れる。
「でもそれを、許されたくて……サライを、始めたのかもね」
 青年だけでなく、肩の双子も同じ灰色の目で、人間の女をじっと見つめる。
「……やりたくもないことをやってるのは、償いというわけか?」
 女賊の指示した位置を目指し、ただ走る青年は、何でもないことのように軽くきいた。深入りしてはいけないとわかっていた。
「全くやりたくないわけじゃない。アナタの『五色』と同じよ」
「……」
「でも……自分がもっと許せなくなっていくのは、何でかしら」
 それが一番の、青年と女の相違点。
 決して「子供攫い」への誘いに頷かなかった青年を、賢明と称えるように、女賊が苦しげな微笑みを浮かべる。
 その償いは、「子供攫い」を続けていても叶うことはない。それを伝え聞いていた人間には、出口が無かったことを示すように。

 青年と女賊がやっと、国境に平行な林に潜んだ、ディレステア王女を見つけた時だった。
「――まずい!」
「!!」
 遠目に確認した王女に、今まさに斬りかかろうとする者があった。
 屈強な腕が振り上げた斧は、一撃だけで王女の首を落とすことも可能だろう重刃だった。
「この距離じゃ――」
 青年の炎は、その血が届く範囲しか放てない。短刀の振りに血を乗せ、いくらか離れた敵に当てることはよくするが、それでは到底届かない。
 飛竜の飛び込みすら間に合わない刹那、王女めがけてその凶刃は、容赦なく振り下ろされる。
 すぐさま立ち止まり、女賊が無言で銃を構えた。
「――」
 振り下ろされた斧をまず精確に狙撃し、弾き飛ばす。
 続く連撃で敵の頭を潰し、流れ弾一つ王女に向けることなく……その身の危機を、一瞬で救っていた。
「あら……まぁ」
 敵が倒れて、その場に立ち尽くすことになった王女は――
「これこそ――危機一髪。という、アレですのね」
 たった今、命を失いかけたとは思えない声で、並外れた度胸を持つ王女がのほほんと(のたま)うのだった。

 ひと気のない路地裏に移った。呆れた顔の青年の前で、柔らかな金色の髪の王女は、事も無げに言った。
「はい。わたくしの方からマイス騎士団長に、第五峠を守っていただくようにお願い致しました」
 単身逃げ回っていた事情を、そうしてニコニコと伝える。自分より第五峠の方が大事だと、当たり前のように笑うのだった。
「でもせめて、ディレステアに先に送ってもらえば――」
 堅固な高い壁が周縁を囲むディレステアは、砦の国と呼ばれている。滅多なことでは侵入者を許さず、今もディレステア側の第五峠は平穏そのものだった。
「それが困ったことに……大使館が何者かに占拠されたのです」
「え?」
「そう多い人数ではなく、人間を主とした集団です。しかし鎮圧は第五峠を先にお願いしました」
 ディレステアに入国するには、峠に存在する二国の大使館を繋ぐ連絡路を通らねばならない。そのため帰国もままならず、港町で王女は息をひそめていたという。
「それならこの惨事は……まさかソイツらが?」
「ええ。黒幕であることは十分有り得るとわたくしも考えます。ならば峠の鎮圧後、わたくしと騎士団長が直接出向かなければ」
 あくまで冷静に話す王女。弱小な人間の女の勇敢さに呆れた、化け物の青年だった。

 一方で、状況を確認する青年と王女を横目に。
「……あれ……?」
「――」
 魔縁の背中で眠っていた、悲しげな潮騒の少女が、ようやくその重い目を開けていた。
 曇りなく澄んだ青の目が、胡乱なままで見開かれる。少女にとっては有り得ない、遠い日に失われた誰かの姿を映す。
「なんで……ピア――……?」
「……――」

 人間の女は、元々、少女と同じ黒い髪をしていたという。その目は少女とは違い、本来は青くなかった。
 五年会っておらず、現在は少女の知る姉とは違う、灰色の髪と青い目。無骨な赤い鎧を纏い、はるかに変わってしまった姿。
 それでも化け物である少女には、懐かしい気配だけが、その誰かの名前を迷いなく告げさせる。

「……アハハ」
 人間の女はただ、困ったように笑った。
 魔縁の背から少女を下ろすと、路地裏の瓦礫で、壁にもたれるように座らせた。
「……元気してた? ミリィちゃん」
 力無く座り込む少女に、不適当な声をかける。涙目で頷く少女は、突然何かを思い出したように顔を曇らせていた。
「……ごめんなさい……」
 目線を合わせて膝をついた女の赤い腕を、少女が強く掴んだ。
「わたし……止められ、なかった――」
「――……」
 その少女の苦しげな一言だけで、少女に何があったか、人間の女は全容を悟ったのだろう。第五峠で突如巻き起こった、全ての川を荒らす水害。
 そうして約束された時の到来を知り――ただ、哀しげに笑った。
「ミリィちゃんは……何も悪くない」
 今も尚、黒煙を上げている町を見回す。
「それはミリィちゃんのせいじゃなくて――あたしのせいよ」
 何一つ迷いなく、それだけは伝えられた答。
 少女はそんな姉を、ただ悲しげに見上げた。

+++++

 ようやく、新たな爆発音が聞こえなくなるまで、町が鎮静化した頃。
 体力を大きく消耗していた少女を、「千里眼」の女性と同じ施設に青年達は預けることができた。
 当分帰りそうにない騎士団長に代る者として、青年は王女に淡々と言う。
「ディレステアまで送ります――大使館の敵は、俺が始末します」
「でも、ライザ殿……」
「もうこの地で、和平交渉はできないでしょう。落とし前はつけます」
 敵の姿を確認しておくために。青年にはそれが第一で、王女の護衛はあくまでおまけだった。

 王女はこれまでにない強い声色で、赤い目に厳しさを湛え、青年をまっすぐに見返してきた。
「ライザ殿。和平交渉は、何処でもできます」
 王女も現実は受け入れている。その上で、凛とはっきり、それを言い切る。
「わたくしも姉も、第四峠でも第六峠でも――たとえゾレンの王都であっても、それで和平が叶うのならば何処へだろうと出向きます」
 その後は少し哀しげに、王女は飛竜のいない側の青年の頬に、そっとかぼそい手を当てた。
「一度の挫折で、憎しみに心を囚われないで下さい」
「…………」
「中立である聖域でこのような悲劇を起こした者を、許せとは言いません。ただ……助けられる命は、助けて下さい」
 その一点だけは、譲ることができないと口を引き結ぶ。
 大使館に集った敵を、全て焼き尽くすことも辞さないと考えた青年への危惧。人間を遥かに超えた強い生き物に、王女は訴えかけていた。
「貴方達化け物には、わたくし達より、その容赦ができるはずです」
 それだけの強さがあるのなら、弱い生き物を見逃すことに、何の不都合があるというのか。王女はそうして、強さと力の意味を告げる。
 青年はその小さな手の、微かな温かみだけを辛うじて感じ取った。
「……貴女が無事、国に帰れるように。今は……それだけです」
 護衛と索敵。それらの優先順位だけは、素直な心で入れ替えていたのだった。


 既に飛ぶ準備は万端の飛竜の背で、赤い女賊が青年を待っていた。
 話の済んだ王女を、軽々と片手で飛竜の背に引き上げる。その女賊に、王女が目を丸くしていた。
「貴女は……人間であると、思っていました」
 銃を使い王女を助けた女賊に、王女は正しい見立てをしている。だからその腕力は、人間の女には有り得ないとわかる。
「そうだよ? でも――あなたの国のおかげで化け物になれた」
 父の形見の力を生かせる赤い鎧を、女賊はディレステアで手に入れたという。鎧を着けた夜の姿でも昼の軟らかさで、同じ人間の王女に笑いかけた。

 そう高くない山ではあるが、第五峠の大使館は山上にある。王女を送り、大使館を取り戻すため、飛竜を駆った青年だったが。
「……まだ、ついてくるのか?」
「ん?」
 妹を預けた施設に留まらず、赤い女賊は青年の方についてきた。純粋に不思議な目を向けて、青年は尋ねる。
「ミリアに……ついていればいいだろうに」
「大丈夫よ。ミリィちゃんはああ見えて、凄く気丈なんだから」
 エアもいるしね、と女賊が笑う。何処か吹っ切れたような顔で、飛竜の上から第五峠の港町を穏やかに見下ろしていた。
 そして人間の女は、飛竜と青年の両方に伝えるように、静かに呟く。
「ありがと……ミリィちゃんを、助けてくれて」

 そんな人間の女の後ろでは、王女が何やら、魔縁の頭をよしよしと撫でていた。その手を払いのけようとする相手にも構わず、親しげに微笑みかける。
「第五峠にいらっしゃい。そんなに大きな火傷の痕を、ずっと放っておくのは良くありません」
「……」
 包帯で片目以外を覆い隠す異形の姿に、王女は何の恐れも抱いていない。むしろ愛しそうに、その身体に触れる。
「本当にね。最初はそうしようって言ってたのに、リミットが嫌がるから」
 「子供攫い」に攫われた子供の行き先には、第五峠も選択肢がある。人手の欲しい騎士団や「東派」の自治団に秘密裏に引き渡すだけでなく、傷付いた子供を癒す場としても、何度か女賊は取引を行っていた。
「リミットは自分にも他人にも厳しいしねぇ。そろそろ本気で、もうちょっと自分のことだけでも、大事にしてもらわないと」
「あらあら。それはいけませんね」
 柔らかに微笑む王女だけでなく、魔縁の前でも軟らかい姿を見せる女賊にも戸惑っている。飛竜の尾の方へと、座ったままで魔縁が後ずさる。
 その(かす)みかかった紅の、困った風な姿。青年はぽつりと、一番前の位置で小さく呟く。
「何だ……まだアイツ、かえれるんじゃないかな」
 ある存在の、心の一つの形――「力」を視る彩のない眼と共に。


 港町を飛び立ってから、すぐに見えてきた大使館の上空を、しばらく様子を窺うように飛竜は旋回していた。
 少し離れた山間に降りた後で、青年達を降ろす。
 ヒトの姿に戻って服を着た後で、双子の弟が場に現れていた。
「隠してはいるが……いくつか、化け物の気配もあるぜ」
 青年と瓜二つの双子の出現に、王女がまたも目を丸くする。
 先に事情は青年が説明したものの、驚きは隠せないようだった。
「あたしとリーザがまず殴り込んでみて。敵陣の全体状況を、ライザが把握してくれたらいいんじゃない?」
 そのまま青年が出ずに、制圧できたらそれで良し。存在しない双子は青年を騙る、と楽しげに口にし……魔縁は離れた場所で、隠れて待つ王女を護衛させる、と人間の女が言い含める。

 数多の化け物の力が通じない、頑強さと鎧を持った二人。
「リーザとピアが、それでいいなら……力を貸してほしい」
 ためらう青年に、当たり前だ、と、双子の弟と人間の女が断言する。

 「五色のケモノ」――
 どのような色の生き物でも、共存できたらという願いを込められた名の組織の、彩無き青年は、淡々と口にする。

「……早いところ終わらせて。みんなで――里に帰ろう」

 当然のように言った、化け物の青年。
 初めて名前で呼ばれていた人間の女は、そこで、心から笑ったのだった。


前篇 -了-

幕間:蒼い獣

「見られたからには――殺す」
「――!?」
 その慣れ親しんだ「神」の聖域……故郷にある教会の傍で。
 「神」に縛られず、自由に生きていた青年は、まるでその罰とばかりに、突然土の上に強く打ち倒された。
「人、間……!?」
「――」

 どうしても見逃せない、無茶の多い姐貴分を青年は追って来た。
 そこで突然出くわした赤い鎧を着ける女の、これまた無茶な中身に呆気にとられ、女の振う長い棍に足と頭をあっさり強打された。

 人間の女――最も非力な存在に、化け物の青年は押し倒された。
 そのままわけもわからず、その青い目と灰色の髪の女を見上げる。
「っ――……?」
 人間では有り得ない濃い青の目と、青みを帯びた灰色の髪が、白い月光に映える。そんな女の、赤く哀しげな姿だけが、青年の目を占拠する。
 蒼いカラダに宿された「意味」を、飛竜と呼ばれる青年は強く震わせた。

 この我が身は本来、存在しない生き物。赤い鼓動を宿す誰かの現身。孤高な蒼い獣に過ぎなかったはずと――
 これまでの平穏を、全て投げ打っていいと思うくらいの強い衝撃。

 ――アホだな、と。女の赤を写す青年は、それだけ笑った。

オマケ❖カップル掌編集・上

オマケ❖カップル掌編集・上

①クランとエア
・本編より少し前のある日
※この二人については別作『蒼い獣』中『赤の鼓動』や、今後『赤い魚』でもふれます

②騎士団長と第二王女
・本編より大分と過去の日

③祭祀と獣使い
・本編より少し前 ※獣使いは完結篇で出ます

①クランとエア

 
 医者と患者、よくある関係に見えて、彼らは少し違った。
 患者が患者になったのは、医者と出会った後のことで――
 やっと患者になった虚弱な人間に、化け物の医者は今日も、複雑な思いを抱える。


+++++


「ねぇねぇ、クラン。騎士団の魔術師のコがアナタのこと、ずっと気になってるんですって? 標準以上の魔力持ちみたいだし、一度会ってみる気はない?」
「……ない」
「えーでも結構可愛いし、気立ても良さそうだったから、魔道の旧家でもやっていけるんじゃないかしら。そうそう、こっちにもここの職員さんの娘さんがねぇ……」
 きゃっきゃと楽しげに、長い入院患者が自作の女の絵姿を沢山医者に見せる。はいはい、と医者はそれらを脇に避ける。

「……何であんたは、俺にいつも見合い話を持ってくるんだ」
 世話好きの親戚のおばさんか。ばりに、やたらに医者を構う患者は、白銀の髪で赤い眼の人間だった。

 医者と同年代の女性は、物静かで常識的な医者とはまた違う落ち着きを持つ。どこか達観したような儚さによく合う、類稀な美貌を持ってもいる。
 しかし一度、気楽に口を開けば、台無しの女性なのだった。
「だってクラン、もてるのに全然女っ気ないんだもの。医者で独り身続けてると、あの先生、余程クセがあるのかしらとか、ホモじゃない? とか色々言われちゃうわよ」

 遠い地から留学生として、医学を学んでいる医者は魔道の大家の出身だ。後継問題で実家とは折り合いが良くなく、遠隔地にこうして飛ばされたわけだった。
「早い所、強くて可愛いお嫁さんを見つけないと、いつまでも家になめられたままなんじゃない?」
「あんたが気にすることじゃないだろ。下らない話だ」

 そんな医者の事情を、お節介な女性は根掘り葉掘り、医者から聞き出した経緯がある。
「人のことを気にする暇があれば、もう少し体を労わればどうだ」
 この深刻にならない気さくな女性。しかし何処か深い所で闇を抱える相手には、何かと自分を抑えていた医者も、不思議と自然に話すことができた。
「十分労わってるわ。クランがそばにいてくれたら、嫌でもね」

 出会った時から体が弱く、半ば強引に女性を入院させた医者に、女性はいつも遠くを見るように微笑む。
「だから私、クランには少しでも幸せになってほしいんだけど」
 その想いだけは常にまっすぐに、医者まで届く。そんな根強い厚意のためなのか……色々と節介をされること自体は、不快には感じなかった。

 ただ女性は、自らは先が長くないから、と、女性自身で医者を幸せにしようということを思えない身上なのだ。
「女っ気なら、あんたで十分だ」
 言葉にすることが苦手な医者が、珍しくそれだけ、はっきりと返す。
 患者であることは受け入れた女性は、困ったように笑っていた。


-了-

②騎士団長と第二王女

 
 病み人を診回る、慈悲深い王女は常に騎士の同伴を求める。王女自身を守るために、夢見る気持ちを王女は忘れない。
 病み人の町を守る騎士は、役目を果たす自らだけを認める。町を慈しむ王女を守れば良い、と自らの役目を王女に見出す。


+++++


――……僕は、人間に食べられてしまった。

 出会いは、柔らかな黄色が広がるトウモロコシ畑だった。
 堅苦しく育てられる第一王女とは違い、第二王女は一見大人しく柔らかな物腰ながら、その実とても冒険好きで、好奇心旺盛な子供だった。
 供の者をまき、トウモロコシ畑に隠れていた王女は、同じくそこで(うずくま)っている子供に気が付いた。

――こんな所に隠れられて、どうしたんですの?

 子供は王女と、全く同じ赤い目をきらりと光らせた。膝を抱えながら心細そうに、昏く澱んだ空気で口にする。
――僕が何者か思い出した。僕には役目があったはずなんだ。
 鬼気として語る子供の周囲は、心なしか、ヒヤリとしているように王女は思った。

――でも役目を思い出せない。それがないと僕はいけないのに。
――役目? 役目ならわたくしにもありますのよ?

 天上の鳥の血をひく人間。それが王女の家に伝わる売り文句だ。証明がその赤の目、人間には本来ない色と言うが、子供も同じ赤い目をしている。

 蹲る子供はあまりに純粋で、人を寄せつけない危なげな所がある。そう見えた王女は、笑って子供に手を差し伸べる。
――きっとアナタは、わたくし達に近い誰かさんですわ。だから役目も近いと思います……わたくしと一緒にいきませんか?
――……。
 顔を上げた子供も、王女の赤い目に気が付いたらしい。はっとした顔で王女を見つめる。

 一緒に行こう、と言っておいて、その実王女は、子供を何処に連れていけばいいかなど思いついていなかった。身分上、あまり友達がおらず、貴重な出会いがただ嬉しかった。
 それくらい適当なところのある王女に、堅苦しい子供は、不服げに黙りながらすっくと立ち上がった。
――……帰る。母さんの所に。

 こんな幼い王女に、子供の正体が何か理解されているわけがない。失った役目だけを求める子供は、ひとまず母に言いつけられた仕事を思い出して、先程までの動揺していた自身を治めることができていた。

――まぁ。お母様の用事があるなら、勿論それをご優先下さいな。
 子供には生まれた時から母しかいない。その母がまさか、地上を見張るために天上の鳥が隠れ憑いていたトウモロコシを食べてしまい、その後にみごもったことを、王女は知るわけもないが……。

――それならまた今度、一緒に役目を探しましょうね。

 役目に縛られることで、魔に堕ちないよう己を守る、純粋過ぎる天の使い。世話好きな王女は会う度に、次の約束という鎖でそれを守り続ける。

 その祈りがたとえ、叶うはずはない夢であったとしても。


-了-

③祭祀と獣使い

 
 真面目過ぎる国王の従者は、国王の理想が高いので少ない。
 その獣使いは、最初に国王の「王属部隊」となった女貴族だった。


+++++


「へぇ~。貴女は王妃様の妹さんなんですねぇ」
「今頃知ったのかよ! もう出会って何年目になるんだバカ!」
 鞭の似合う野性的な女が、「王属」になったことを相方の剣士に伝え、初めに返った言葉がそれだった。
「いえね、ヒトは見かけによらないなぁ、と思いまして」
「悪かったなバカ。どーせアタシは、王妃なんて知り合いとは絶対思えないよーなガラッパチだよ、どーせどーせ」

 子供っぽい顔で拗ねる女が、一見ガサツな姿を心底気にしていることを、剣士は随分前から知っている。
 対して剣士は、生まれながらの教会所属者であり、中身はどうあれ表の顔は柔和にできる。気にしいのくせに飾らない女の素朴さが不思議でならない。

「それでどうします? 私との宝探しは潮時でしょうかね?」
「……いや……。アンタさえいいなら……アンタも『王属』、やらないかと思って……あのバカ国王、正直いい奴だし……」
「え?」
 ごにょごにょと言い澱み、女が両手をもじもじと遊ばせる。
「何ですって? 私がいないとそんなに寂しいですって?」
「――って誰が!! あ、で、でも別に、いてくれて悪い事はないんだよ本当に!?」
 えー、どーしましょうーと剣士は笑い、わたわたと女は慌てる。

 そんな剣士も、剣を抜かせてしまえば凛と言うのだった。
「この命全て――貴様と、貴様が信じた王にくれてやろう」


-了-

雑種化け物譚❖Cry/A. -angere-

ここまで読んで下さりありがとうございました。
この話は星空文庫にUP済みの、Cry/シリーズ千族化け物譚・千族宝界録の過去話、C零CPA雑種化け物譚シリーズです。
ノベラボで既に全て掲載は終わっており、古過ぎて大いに未熟&暗い物語にはなりますが、どの悲劇も大体千族化け物譚・千族宝界録で回収されますので、良ければご覧下さると嬉しいです。
初稿:2014.8 最新改稿:2019.9

ノベラボC零A▼『雑種化け物譚❖A』:https://www.novelabo.com/books/6331/chapters
ノベラボC零R▼『雑種化け物譚』:https://www.novelabo.com/books/6333/chapters

雑種化け物譚❖Cry/A. -angere-

†Cry/シリーズ・零A②† 人間は雑種の化け物より弱く、雑種は純血の化け物に疎まれ、純血は人間に関わることに制約のある「宝界」。人間の国と化け物の国で静かな争いが続く中で、争いの終結を目指す若き飛竜――後の英雄の物語が始まる。 一応単独で読めます&零Aは③まであります。 image song:Signal by Kalafina

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-12-13

CC BY-ND
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CC BY-ND
  1. 終:赤い獣
  2. 前篇・序
  3. 前篇・起
  4. 前篇・承
  5. 前篇・転
  6. 前篇・結
  7. 幕間:蒼い獣
  8. オマケ❖カップル掌編集・上
  9. ①クランとエア
  10. ②騎士団長と第二王女
  11. ③祭祀と獣使い