星の子どもら

星の子どもら

1.

叡智(えいち)を授かる人は生まれ持った資質で選ばれると教えられた。
 つまり、いくら日頃の行いが良くても、勉学に励んでも、母胎の中で魂を得た瞬間にすべては決まっているのだという。神さまはその時から力を分け与えるべき人たちを選び終わっている。だからだろうか。みんな、いつからか抗うことを忘れた。努力したって、選ばれることも、選ばれないことも変えることができないのだから。
 私はというと、この「努力」という言葉の意味を掴みあぐねていた。概念的な部分ではなく体感的にどのような代物であるかがわからないままに、私はついに叡智を授かることもなかった。
 ただし、まっさらな無知であることも許されない、そんな特殊個体としての選定にはどういうわけか選ばれる側となった。
 ――準備はいいかい、リィリエ。
 「いいよ。」
 頭に流れ込む音声の違和感は拭えないけれど、と私は心の中で付け足した。
 ――なに、じきに慣れるさ。
 笑みを含んだような声でもって、神さまは相槌を打った。


 ――人の魂というのは大いなる循環の中にある。受肉した魂の記憶は肉体に取り残され、循環の中で魂は再び清廉になる。リィリエ、私の箱庭には一つとして私の知らない魂は無いのだよ。
 「輪廻って言葉だね。じゃあ、みんな前の記憶は全部忘れてしまうの?」
 ――忘れる、というのは語弊だよ。そもそも記憶は肉体に蓄積されていくものだ。だから大抵、肉体とともに朽ちて無くなる。まあ、ごく稀に例外もあるにはあるが…。
 神殿の中央広間、その滑らかな石畳の上に私は座禅を組むように座り込んでいた。私はこの場所が結構好きになっていた。最初はただただ眩しいだけの、素っ気ない部屋だとばかり思っていたけれど。天井に嵌め込まれた水晶体が部屋中に乱反射させる光をいつしか暖かく感じるくらいには、足繁くここへ通い続けている。
 神殿は国の中心に構える、神さまの家みたいなものだ。変な形の建物だ。四角い台座から三角の平面が4つ、天に向かうにつれて徐々に倒れていき、やがて一点で交わる建物だ。
 私たちはこの形をピラミッドだと教えられてきた。そして、神殿の中は祈りの間にのみ立ち入りを許されていることも。けれど私は蝋燭の灯火によって産み落とされた陰絵のひしめく部屋ではなく、より深層に位置する艶やかな大広間にいた。そう、ここはいわば禁忌と教えられてきた場所の一つ。
 「カミサマはさ、ずっと『叡智が与えられるべき』魂を見失ったりしないわけだよね。じゃあ、なんでわざわざいつもと違うことをしようと思ったのさ。」
 私は眩しさに目を瞑りそうになりながら天井を見上げた。いつも光の波にさらわれて見失ってしまうけれど、視線の先には嵌め込まれた水晶体があることを私は知っていた。意識レベルの体験でなら、神さまのおかげで実際の姿も「見た」。空気との境界線が限りなく薄いような、つるりとした透明性の塊だった。シャボン玉を綺麗なお水でいっぱいに満たしたような純度の高さは、要するにそれが神さまの化身だからだそうだ。何がどうしてあの球体が太陽の光を乱反射させて広間中を照り尽くしているのか、まだ私は教えられていない。
 生まれつきの才能で言えば私は中の下くらいの程度だった。同い年の知り合いには私を凌駕する制御能力を持っている人なんてザラにいる。さらにすごい人だって年上を探せば見つけることに苦労はないだろう。
 だから私は10歳の御前で神さまに選ばれなかった時、とても納得したのだった。尤も、その年は街の子供は一人も選ばれなかったのだけれど。あの時、隣で唇噛んで俯いた街一番の才女は誰だったか―…当時の私は悔しいという感情すら知らずに式典の幕引きを待って、ただ漠然と座り続けていた。
 ――いやね、まるで深い理由なんてないよ。箱庭の子供たちは、いささか私を過大評価したがるきらいがある。
 神さまの声に風鈴の音色のような清涼さが加わる。それが神さまの微笑みであると、私はこの頃ようやく気がついた。
 ――誤解があるみたいだから、先に断っておくがね。リィリエ、私が選別しているのは魂であって、そこには受肉に伴って自然発生する事象は一切、関係がないんだよ。そうだね…たとえば文字の読み書きや身体能力、フローラの制御でさえ、魂の本質とは無縁のところにある。
 私は思わず揺れる肩を止めることができなかった。神さまからしたら私の心の中なんて筒抜けで当然なのだろうけれど、私は未だに不意を突かれているような気分になる。
 ――まあこれはいささか、今の君にはまだ掴みどころのない話に聞こえるだろうが。長い付き合いの中でいずれわかる日が来るだろうさ。
 「カミサマと会話するのだって、いつかは慣れるかな。」
 本当は、神さまとの会話に口を動かして、空気を振動させて言葉を紡ぐ必要はない。だけど私は数ヶ月経った今でも、こうして音を発せずにはいられない。たとえ、相手は一切の言葉を私の頭の中に直接囁き、会話のすべてをそこで完結できると知っていても。


 私の生まれた街は典型的な熱帯雨林地帯にあった。山々の恵みで水源には困らず、街中に近隣の川から引いた地下水道が敷かれている。水道から汲んだお水は日日常生活だったり、農業や畜産業にも利用される。お水は命の源だと教えられてきたけれど、同時に多くの命を一瞬にして連れ去ることもできる。子供の頃に学び屋で教わったことだ。叡智を授かった人たちが神さまに許しを得られた分の知識を本にまとめた――学び屋はそれを教材に真理を教育する機関だ。
 雨は恵みだけれど過ぎれば毒となる。一度にたくさんの水が降り注がれた大地は水を吸収できなくなって地上に溜まってしまう。溜まった水は私たちを遠くまで攫ったり窒息死させたり、また病の土壌となる。斯くして、この星の中央線沿いに位置する私たちの街は嵐が多いために水のありがたみと脅威を、幼い頃に言い聞かせられた。
 ひねくれた子供たちはその話に対して鼻を鳴らして異論を唱えたものだった。
 「雨くらい、おれたちが押し返せばいいじゃんか!なんでそんなに怖がらなきゃいけないんだよ。」
 これは教室で良く聞く類の反論なのだそうだ。私たちが日常生活的に使用するフローラに起因するものだ。個々に応じて能力の性質に差異はあるけれど、私たちには生まれつき、念を集中させて遠くの物を遠隔操作する力が備わっている。集中力には個人差があるから、当然、制御の上手い下手はそこで変わる。上位の制御力になると遠隔操作の性質を応用して移動している物の進行を停止させたり、進路を変更させたりすることもできる。
 つまり子供たちは嵐もまた、そのように進行を停止させることのできる代物じゃないかと考えたりする。けれど気象現象というのはそう単純なものじゃなくて、降り注ぐ水は大気圏を含む壮大なスケールの循環でありその循環こそが生命を維持している――…というのは、大人たちもあまり知る由のないことではあるけれど。
 濡れてじっとりとした重みを携えた三つ編みに後ろから顔を引っ張り上げられるような思いをしつつ、私は雨季の空の下を急いだ。雨季の始まりからすでに2週間が経つのに、傘を忘れた。優秀な人ならば、ここでフローラを操って頭の上から雨粒を弾くことだってできるんだろう、けれど悲しいかな、私にそこまでの才覚はなかった。
 走るうちに、あたりが急激に薄闇に包まれてきた。落ち着きのない枝葉の動きが風速の上昇を示唆している。だんだんとスコールじみてきた大雨の気配にいい加減に諦めがついて、近くに生い茂るバナナの木々の大葉に身を隠した。街の通りにはすっかり人影などなくなり、私よりも賢い人たちはきっと快適な屋内で雨宿りをしているのだろう。
 頭の後ろで1束にまとめてある、ざっくりとした三つ編みを両手で捻った。成人前の女性は皆、髪を肩より長く保ち1束に結んで三つ編みにすることが決められていた――少なくとも、私たちの街では。
 染み込んでいた水分がぼたぼたと派手に地面に衝突する。足元の泥飛沫に構わず、西空に差し込み始めた陽光を観察した。雨が止むまで、待つところ20分くらいだろうか。雨季のスコールはどうしようもないことだけれど、この時点で私の遅刻は決まってしまった。
 土の匂いがむせ返る濃度で空気をのぼってくる。視界が徐々に煙っていき、本格的な土砂降りがいよいよ来訪した。大粒の水滴が地面を打ちつける鈍い音だけが耳介に響く全てになる。うるさいはずなのに、そこには圧倒的な静けさがあった。
 先の地面では、まるで重力に逆らうように路面の泥が垂直に跳ね散っている。強い衝撃に駆り立てられて、摂理と逆の動きを見せる泥飛沫の様子を私は無感動に眺め続けた。
 予想していたよりも強い風が吹き荒れて、今度は横殴りに叩いてくる大雨にため息が漏れる。視界の先で、泥景色が茶色く濁った大海原の様相を呈している。汚れた靴とずぶ濡れの格好で、果たして神殿に立ち入らせてもらえるだろうか。
 ふと、雨飛沫の先から名前を呼ばれた気がした。両目を手のひらで保護しながら声のする方を見やると、この街一番の有名人が足早にこちらに向かう姿が次第に明らかになった。少しだけピリついた胸の内を不思議に感じながら、私はこのまま待つほかなかった。
 「リィリエの姿がうっすら見えてさ。傘を忘れたんだろうと思って届けにきた。」
 「わざわざ悪いね。ありがとう、カナン。」
 押し付けるように差し出された傘にありがたく手を伸ばした。当の本人は涼しい顔をして、当然のように雨に打たれた形跡などなかった。殴打してきていた雨風が途端に止んで、周囲が急に静かになる。カナンは街でも5本の指に数え上げられるほどの制御能力を持つ。学舎時代の知り合いで、私と交信のある数少ない同世代――…元々、人の顔と名前を覚えることが苦手だったけれど、神殿に籠るようになってからはほとんどの人たちが積極的に関わりを持つことをしなくなった。無理もないだろうと思う。未知は恐怖を誘う。みんなにとってみれば、私が神殿に呼ばれた理由も私がそこで何をしているのかも不透明だ。正直なところ、私にしてみてもそれは一緒なのだけれど。ただ、前例を見ない出来事というだけで、十分に不気味なのだ。
 とはいえ、カナンほどの人物ともなれば、それも考慮するに値しないのなのかもしれない。相も変わらず彼はこうして私に目端を配ってくれる。
 傘の次に無言で提供されるタオルもありがたく頂戴する。濡れた服はもはや取り返しもつくまいが、風邪を引くよりはずっと良かった。西空の端から徐々に雲間が晴れて光が侵食を広めていた。あと5分もすれば雨も消耗状態になるだろう。
 「まさかスコールになるなんてな。予報じゃなかなかそこまで当たらないもんだな。」
 不意にカナンが悔しげにつぶやいた。そういえば、彼は気象観測の関係者だったことを思い出す。足元でタオルを捻りながら、神さまがいつしか、箱庭の私たちの先見の力にはどうしたって限界があるとを言っていたなと、妙に納得した。
 「でも、カナンたちの予測は少なくとも85%の精度くらいあるんじゃないかな。少なくとも、今週でいえば4日は誤差ひとつなかったよね。」
 85%という数字はまさに神さまからの受け売りだった。
 すると、カナンは俯き加減に「ありがとう」と呟いた。正直、風も遮断された静寂の中でさえ、聞こえるか聞こえないかくらいの音量だったから、私の聞き間違いかもしれないが。
 「気づいてくれる人がいて、良かった。けど、まだまだだ。…スコールの予報をあらかじめ伝えられていたら、リィリエがこうして屋外で雨宿りをすることもなくなる。」
 「…そうかもね。」
 私はピリリと心にささくれが立つ気配を感じた。不快なこれが何なのか神さまに聞いてみようか、などと考える。
 とはいえ、突然の雨風を傘もなく凌ぐことは現に難しい。正確なスコール予報は確かにありがたいことである。雨季とはいえ空が晴天だと、どうしても傘の携帯を忘れる日だってある。
 雲影の濃度が低下するにつれて辺りが明るさを増した。ぼたぼたとしていた雨粒が細い針ほどの大きさに変わった。カナンにもらった傘を開いて、私は彼の制御空間から踏み出した。
 「それではね、カナン。傘は借りて行くよ、約束に遅れているんだ。」
 短く挨拶を済ませて、私は街の心部に向かった。

2.

――それは…嫉妬かもしれないね。
 結局のところ、私は30分の遅刻に加えて、道すがら足跡のように濁った水たまりを散りばめながら大広間に到着した。神さまは咎めることもなく、冷えた体が温まるまでは待つよと言った。
 光の温もりに満ちた広間でうっとりと目を細めていると、神さまが唐突にそうつぶやいたのだった。あまりの唐突さに咄嗟に私はただ目を瞬かせた。
 ――おや。本当に無自覚だったようだね。
 「何の話かさっぱりなのは確かだね。」
 私が肩をすくめると、神さまは愉快そうに笑った――ような気がした。
 ――リィリエ。お前はどうやらとても自己評価が低いみたいだね…不幸なことだよ、この私が手ずからお前を選んだというのにね。
 10歳の選定式――…その薄暗い景色と静謐さと恐怖が入り乱れたような空気の味が蘇った。誰もが固唾を飲んで、瞬きすら惜しんだ、あの長い長い2分。頭を動かすことも、視線を上げることも許されず、目に映る唯一の対象物はヒビ一つないコンクリートの質感。それをただ、食い入るように見つめていた。
 ――言っただろう、リィリエ。魂の価値というのは受肉に伴った副産物とは無関係だよ。…お前たちが今、フローラと呼ぶ能力だって長い魂の流転の中では一時的な事象に過ぎない。このことは、これからの付き合いでいずれ理解できるとは思っているけれどね。
 「…その割にはさ。制御能力に長けている人ばかりが叡智を授かる者として選定を受けているように見えるけれどね。」
 声音に皮肉が交じったことを機敏に察知しつつも、私は自分を止められなかった。珍しいことだと、心の片隅でそれに留意した。とはいえ、神さま相手に生意気な返事をしてしまったことを本当は反省して詫びるべきなのだ。仮に私の両親がこの部屋に同席していようものならば、真っ先に咎められたことだろう。でも、私はなんだかそれも億劫に感じてしまっていた。
 ――なに、謝ることなんて何もないさ。
 相変わらず見透かしてくる神さまはすぐさま返答した。
 ――私はむしろ、お前のそういった部分を存外、気に入っているんだ。話を戻すけれどね、お前の観察した通りだよ。私は意図して、フローラに長じた者たちに矢を立てている。少なくとも、今の時代ではね。それは決して魂の価値とは直接繋がらない理由からだよ…箱庭の子供たちはね、自分たちの尺度の内で長じていると見なす者でなければ、たとえ叡智を授けたとしてもそれを尊重できない。まあ、これは私の過去の実体験からくる見解だ。だからこそ、私は子供たちにとって理解のできる人選を心掛けてきた、少なくともそのつもりだよ。
 心なしか体の芯までぽかぽかしてきて、その心地よさに私はうっとりと目を閉じた。不意に指先を掠めた衣服の布地はカサついていた。
 「悪いのだけれど、どうしても理解できない。カミサマはどうして私なんかを選んだのさ。」
 卑屈になってはいけないよ、と神さまは諭すように言った。
 ――叡智を授けるっていうのはね、私がたった一度だけ、選んだ者の魂に語りかけるに過ぎないんだよ。その一度っきりの出会いで、私は限定的な知識をその者に伝える。でも全てを教えることはできない。箱庭の子供たちには重すぎるほどに膨大な代物だからね。全部を一度に渡したら壊われてしまうほどに。だから、断片的な事柄だけを授けるんだ。
 そこで、と神さまは続けた。
 ――魂だけを基準に選ぶ方法を思いついたんだよ。そろそろ、新しいことをしてみたかったしね。だけどリィリエ、子供たちの容量そのものは変えられない。ではどうするか…私の選んだ魂をほんの少しだけ私に近づけることはできる。私との長い付き合いが可能になるように。そして私は叡智を授ける時とは異なり、お前と何度も接触し、知識を少しずつ与え続ける。さながら砂時計のようにね。上から下へ、徐々に…けれど魂の記憶は肉体と共にリセットされてしまう。従来、子供たちに与えられている受肉期間はこれを成し遂げるにはあまりにも短い。私は対策として、リィリエ、お前に長い時間を与えることに決めた。肉体の滅びを一時的に停止することでね。
 「不老不死の概念だね。」
 そうだ、と神さまがほくそ笑んだような気がした。
 ――リィリエ、お前は誇りなさい。魂という真価に於いて私に選ばれたということを。
 瞼越しの世界が急激に彩りを増して、鮮烈に色を帯びた光がいく筋も幾何学模様を描いては弾けた。



 神さま曰く、初めは神さま自身で全てを管理していたのだという。
 環境整備から街の設計、文化や文明、そしてそこに住まう箱庭の子供たちの数までの全てを、神さまが監督した。しばらくすると、神さまは限定した数の子供たちに限定的な知識を伝えるようになり、その手法として選定式という儀式を導入した。そうやって、神さまは長い年月をかけて、私が受肉した世界を作り込んできたという。
 そして「新しいこと」を始めるために、私を含めて13人の魂を手ずから選んだのだそうだ。私たち13人は惑星の各所に散り散りに存在していたけれど、そんなことは神さまにとってみれば些細なことらしい。神さまは私たち一人ひとりと常に共に在ることができるという。必要な知識を必要な時に神さまから都度教わりながら、私たちは遣いのように神さまと一緒にただ世界を眺め続ければいい。そのために選ばれたのが、私たち13人なのだと神さまは言った。
 ――実はこれまで存在でき得る魂の数にかなりの制限をかけてきたのだけれどね。なに¬、私というのが、無限を管理できるほど、出来た存在じゃないってことさ…ただ、そろそろ箱庭を握るこの手を少しずつ緩めていくのも良いかもしれないと思い始めたんだ。
 この時の神さまの声には哀愁のようなものが漂っていて、私の記憶に鮮烈に焼きついた。どうやら私は、理解に苦しむ事柄ほど強く印象に残るタチであるらしいことは、しばらく経つと自覚を持つようになった。そして未だ私はあの時に聞いた憂いの正体を見抜けずにいる。
 それから程なくして、世界は割と加速的に変化していった。
 それとも単純に、私自身の時間に対する感覚が麻痺しただけなのかもしれない。私は16歳の年に神さまから不死身を受け取った。ついでと言って、神さまは私の「時間」も止めた。この先、自由に老いることは許されず、全ては神さまに一任されている。それを不自由とするか否かは個々の感じ方次第なのだと、私はのちに知った。
 16歳の容姿をもち続ける私は、旧知の仲である人たちからしたらさぞ扱いづらい存在だったことだろうと思う。けれど、まあ、もとより社交的な性格ではなかったから、そこに関して私が何かを感知するところはなかった。他に変わらなかったことといえば、カナンの私に対する態度だ。いつもの通り、彼だけは私を気にかけ続けた。
 カナンが最期の日々を過ごす頃には、干ばつと水害が幾度も繰り返し、食糧難はもはや珍しくもなくなっていた。真綿で少しずつ首を締め付けられているような、そんな閉塞感が、徐々にみんなの心を侵食している頃だ。
 「ところで、君は本当に全く歳を取らないな。」
 彼は私の容姿が変わらなくなってからの60数年間、会うたび口癖のようにそう言った。感心と困惑の入り混じった声音は最後まで変わらなかったように思う。
 「仕方ないじゃない。カミサマが決めたことだからね。」
 「まあ、そうなんだがな…。」
 私たちが16歳を迎えた年、神さまは選定の儀を執り行わなくなった。それは即ち、人々に叡智を授ける伝統の廃止を意味していた。同じ頃合に私の時も停止した。
 著しい変化は何もないかのように思えた。10歳を迎えた子供たちはあの息の止まるような体験をせずに済むようになったし、学校の教材が更新されなくなったけれど、日常がただ緩やかに過ぎている――そんな錯覚があった。
 実際のところはとても大きなことが水面下で蠢いているのだと、これは神さまが言っていたことだ。
 ――リィリエ、お前にはどう見えているのだろう?
 「どうと言われても、まだ3年しか経っていないのに、何かがそんなに変わるとも思えないよ。」
 私の答えに神さまが不服そうに鼻を鳴らすような気配を感じた。
 ――変化とは、流れの中にあるものだよ、リィリエ。ある日の瞬きの間に突如として訪れる変化など、あり得ない。私が箱庭の管理を緩めることによって、叡智の受け渡しは無くなった、そしてこの大陸で私との交信を持つ子供はお前のみと決めた。私はリィリエを通して箱庭との繋がりを保ち、お前にすべてを教えるつもりだよ。けれどその知識の運用の仕方については、私からの進言に従って欲しいと、最初に決めたね?
 「そうだね。つまり、カミサマの知識がみんなに広まらなくなった。」
 ――そう、それは今回、私が投じた新たな事象…変化の種。その種が、いずれ芽吹いて大きな変化を促す。坂を下る石と同じさ。一度転がりだしたら止まらないし、どんどん勢いをつけてより激しく落ちていく。小さな変化の流れが積み重なって、やがて壮大な影響を生むんだよ。
 実際、10年後には学校の出席率は低迷して、20年が経過した頃には家畜や畑の管理がずさんになっていた。そんな折、25年目は大雨が続いて、外構の管理の甘さが災いして、用水路が大洪水を起こした。畑は駄目になって、家畜は病気になった。私達の間でも幾らかの流行病があった。かと思えば、その翌年から降水量が徐々に減っていって、あまりにも水が不足した年は干ばつが原因でまたもや畑や家畜を細らせた。
 神さまの言ったとおり、変化は年々、ほんの少しずつしか進行していなかった。けれどこうして70年分の積み重ねを俯瞰したとき、モザイク絵がようやく輪郭を得たみたいに、変化の広大な全容を見渡すことができるような気がした。
 ようやく気づけたのは、以前であれば、神さまから叡智を授けられた人たちが次に起こる災害に対して事前に有効な対策を指示していたという記憶だ。それが欠落した後の自然災害の爪痕は深かった。
 カナンは生涯のほとんどを気象災害の後始末に追われていた。予測が当たらなくなったことに対する非難への対応や壊れた建屋の修繕、畑の再興までもが彼の責任になっていった。それでも、私は彼が悪感情を抱く姿は見たことがなかった。相変わらずあの、何を考えているのかわからない仏頂面で、黙々と丁寧に作業を続けていた。この混沌の時代で、そんな普遍性を見せた者は世界的にもごく少数だったことだろうし、私が知る中では彼一人にとどまる。
 「変わらないといえば、カナンも全くと言っていいほど変わり映えしない人だよね。」
 長椅子に横たわるカナンを見下ろして私はよく、そんな言葉を返していた。本人は至って不服そうにして、やれ歳を喰った、今にも死にそうだなどとぼやいていたけれど。
 「なにも、容姿のことを言ってるわけじゃないよ。歳をとったって、変わらないものはたくさんあるでしょ。たとえば、ずっと独り身なところとかさ。」
 冗談で言ったつもりで、私はカナンがきっとそれにも頬を膨らませるのだろうと踏んでいた。家族という単位に価値が見出されるのはずっと先のことで、婚姻の概念は当時、自分の一部を後世に残すという意味合いが主だった。それでも――いいや、だからこそ、生涯をかけて婚姻を結ばず、子孫を残さなかったカナンはかなり浮いた存在と言えた。彼に市場価値がなかったわけではない。能力は十分だったし、若い時分の容姿も他に引けを取っていなかったように思う。当時の風潮的にも、そういう男に需要がないわけがなかった。だからこそ、余計に目立っていた。
 「…選ぶことの自由があった。それだけのことだ。」
  やや歯切れの悪い返答は私の想定を外れた。視線を下へやると、カナンは顔を私から背けるように移動させていた。長年の付き合いともなれば流石の私も、彼が言葉を尽くすことが苦手な性質だということくらいは理解していた。だから言いづらいことや説明を要することになると、往々にして、彼は言葉そのものを諦める。
 よもやカナンを見下ろすような時代が来ようとは――私は体格に恵まれていないから、大概の人よりも小柄だし背が低い。すっかり小さくなった彼の、年輪のしっかりと刻み込まれたその首筋が、時代の移ろいを私に知らしめるようだった。
 「選ぶ、とは…面白いことを言うね。若い頃であれば選びたい放題だっただろうに。」
 私はカナンの横たわる長椅子の肘掛けに浅く腰かけて、微笑しながら言った。カナンとは逆方向に目線をやると、丁度、木枠に縁取られた窓のガラスが夜の帳が降りる合図を送るかのように、うっすらと私の姿を反射していた。
 厳密に言えば私の姿には多少の変化があった。まず、あの重かった髪の毛はほとんど切り落とされて、肩を少しおりたあたりで毛先が好き好きの方向に跳ねている。頭が軽くなった上に入浴時間も短縮されていいこと尽くしである。ついでに、流石に80年間も10代の娘用にあつらえてある服もどうかと思い、神さまに監修してもらいながら自作したワンピースを着るようにした。ウエスト部分に絞りが入ったデザインで、少しでも大人びた雰囲気を狙ったものだった。
 とはいえ、カナンが言っているのは、そんな瑣末な事象には該当しないことなのだろうが。
 「そんなことはないさ。」
 今度こそむすっとした声音でカナンは返した。
 「選びとることが叶わなかったから、こんな老体になっても子供一人、孫一人いない。」
 「それは御愁傷様。」
 私は軽口で返すだけにとどめた。神さまは色々なことを惜しみなく教えてくれるが、カナンを初め、他人の思考や感情についてはあまり雄弁ではなかった。聞いてみたところ、それは私自身の努力でどうにかしなければならないことらしかった。そのため私はいまだに人の心の機微というものに疎い自覚はある。
 正直なところ、カナンがなぜずっと独り身を貫いたのか、寂しそうに病床に伏せるくせにどうして、会いに来てくれる子供一人、孫一人作らなかったのか、ついにわからないまま、彼という自我は肉体と共に朽ちてしまった。
 「…最後に、一つ聞きたいんだが。」
 私が、過去の亡霊のような自分の写し姿をぼんやりと眺めていると、おもむろにカナンが口を開いた。
 「お前は昔から、神さまを呼ぶ時の発音が、カタコトに言っているように聞こえる。最初は、俺の気のせいかと思っていたが、どうやらそうではないことにそのうちうち気づいてな。自覚がない場合もあるだろうし、聞かずにいたんだが、死ぬ間際にくらい、気になっていたことを持ち出したってバチは当たらんだろう。」
 カナンは、くつくつ、と喉に引っかかったような乾いた笑い声を上げた。
 なるほど、それは察しが良いことだった。私は自我の芽生えた時からずっと、実のところ、神さまという存在に対して曖昧な感情を抱き続けてきた。羨望でも尊敬でもない。かといって、怒りや憎悪などでは断じてない。けれど、好きか嫌いか、愛おしいか憎いか、はっきりと割り切れるような単純な感情でないことは確かである。それは、10歳の選定式以前より感じていた自分の才覚の不足が原因なのか、そもそも10歳の選定式に対する一種の嫌悪感に起因するのか、私自身にも大いなる謎であった。
 だから自然と、きっと、神さまの名前を呼ぶ時、多少の皮肉が混ざってしまうのだろう。その皮肉が、カタコトの発音として声を彩るのであろう。このことには、神さまはとっくの昔に気づいているのだろうけれど、直接、何かを言われたことはなかった。私はなぜか、それが余計に腹立たしく感じたものだった。
 「まさか、そこまでわかりやすかったなんて…少し、気をつけたほうがいいね。」
 思わず、苦笑がため息に混じった。公にされている私の立場で、神さまを謗っているような印象を与えるのは賢明とは言えなかった。
 けれどカナンは至って真面目に首を横に振った。
 「いや、俺も気づくのに何年もかかったくらいだ。本当に些細な違和感だったよ。そこまで気に病む必要はないだろう。」
 だが、と彼は続けた。
 「気づいた以上、答えが欲しくなるものだ。理由があるはずだろうから。俺はただ、せめて死ぬ前にそれを知りたいだけさ。」
 いよいよ外は夕闇に包まれ暗くなり、私は立ち上がって部屋の灯りを点けた。年齢を重ねるにつれ光に敏感になったカナンの目に合わせて、四隅に置かれた灯篭にぼんぼり程度の鈍い光を灯した。何年生きても、私のフローラの力は弱々しいままで、こんな単純作業においても、直立姿勢で集中する必要があった。灯りをつけてほっと息をつき、私は再び長椅子の脇に控えた。
 「カナンが気にするほど、大したわけはないよ。私はただ、多分、全部に納得できていなくて、そういう引っかかりみたいな物が、意図せずに声に出ちゃってるんだと思う。本当は、私の立場でそれはだめなんだろうけどね。」
 私は曖昧に笑った。最低限の答えにしかならないが、かといって、詳しく説明できるほど私は達観していなかった。カナンに心の靄を語れるわけもない、だって私の引っかかりの一端は彼自身でもあった-…それを赤裸々にできるほどの心構えは私の持ち合わせになかった。それに、当時は、自分の心のうちを把握しきれていなかったのもある。
 「…近頃、子供の声が賑やかでいい。俺のところにまでよく届く。」
 微睡みの狭間でカナンが頬を緩ませた。
 確かに、子供の数は年々、増加傾向にあった。学舎がぎゅうぎゅう詰めになる程度には、昔と比べて、大きな変化の一つだった。
 カナンの家は、街の中心から離れた、雑木林を背に建つ一軒家で、その頃の住宅地からいくらか孤立したようなところにあった。その家まで、子供たちの声が風に乗って届くのは、おそらく、学舎の管理する大きな公園が近くに整備されているからだろう。幸せそうに緩む頬を見下ろしながら、やはりカナンは結婚をするべきだったのだと思った。

 それから程なくしてカナンは息を引き取った。魂は神さまの元に帰って、記憶は肉体に閉じ込められたまま、肥料となって大地を循環したのだ。
 彼の亡くなる頃は管理の行き届いていた世界がほつれて、緩やかな下降を始めた時世であったから、葬儀はひっそりと行われるにとどまった。昔馴染みの数もすっかり減り、弔ってくれる子供の一人もいない、なんとも殺風景な式を、君はどういう思いで眺めるのだろうか。そんなことを考えながら、私は彼の冷たい体に、ただ機械的に土を被せ続けた。「カナン」だったものの意識も記憶も、すでに消滅してどこにも無いのだけれど。

3.

 まだ私が選ばれて新しかった頃、神さまは箱庭の魂を全て把握していると言っていた。有限の数の魂は輪廻の法則に則って、肉体の檻から解放された魂は再び神さまに帰っていくんだと。回収された魂を、再び神さまが世に放って、その繰り返しが延々と続く。
 子供の数が徐々に増え出した頃、神さまはそれを「やめた」のだと、唐突に私に告げた。あれは、町が最初の干ばつに襲われる少し前のことだったと思う。
 ――魂の上限を取り除いたからね、すべてを管理し尽くすことが難しくなってきてしまったのだよ。
 心なしか、困ったような声音で神さまは弁明した。
 神さま曰く、箱庭を握りしめる手を緩める過程の一つだったらしい。子を成そうとする夫婦の願いを尊重するためには、当初、神さまが管理していた魂の数では間に合わなかったという。そのための上限撤廃であり、それゆえに魂を管理しきれなくなったのだと。
 「カミサマにも、できないことってあったんだね。」
 嫌味でもなんでもなく、単純に少し意外だった。全知全能を誇る神さま、それがまさか管理できる魂の数に限度があるだなんて、町の人たちが知ったら大ごとだ。神さまのいうことが本当かどうかなど、当時の私には知りようなどなかったし、正直なところ嘘であったとしてもあまり気にならなかったと思う。私の役割は明確に線引きがされていたし、それを遵守するならば、そもそも猜疑心を抱くことは選択肢に浮かばなかった。
 ――前にも言っただろう、箱庭の子供たちは、私のことを過大評価しすぎているきらいがある。
 耳の奥で、カミサマの笑みが鈴のように鳴った。
 とはいえ、増え続ける人口の代償はあった。まずは、急速な設備の拡充の必要性で、家から下水から、学舎の増設まで、手が回らないほどの需要がしばらく続いた。拙速に建造された棟や設備たちは、言うまでもなく後の大洪水でほとんどが瓦礫と化す運命となる。食べる口が増えたことで、畑や畜産を増やす必要があったけれど、これは一朝一夕に成り立つものではなく、カナンの世代が生きた時間の間でも十分な成果が得られたことは一度もなかったように記憶している。
 潤沢な食卓というものを知らずに育って死んでいった命は数えきれない。洪水が毎年の雨季に続いたかと思ったら、今度は舵を切ったように雨が降らなくなった。それは、長いながい、何年にも及ぶ干ばつの始まりだった。
 平均気温も徐々に右肩上がりの傾向を加速させていき、人々の渇きを一層掻き立てていった。地下水を掘り当てる方法や井戸造りのことを神さまに教えてもらったのは、カナンの死からそう遠くない頃だったけれど、新たな水源もそのうちに次々と枯れていった。絞り尽くされた大地は嗄れた果実のようにハリを失い、不規則な凹凸模様を散りばめた。この頃になると幼児の死亡率は7割を上回り、出生率も過去に見ない水準に急降下した。言うまでもなく、平均寿命の短縮も伴って。
 つまりは、最初にみんなを悩ませた食い扶持の大量増加は、人口減少のおかげで解消されたことになる。けれど、今度はその縮小した食い扶持の食べ物を十分に確保できなくなっていた。
 ――少し、打てる手が尽きてきた頃合いだね。
 ある日、神さまはそんなことを呟いた。ちょっとだけ寝耳に水な気持ちになって、私は息をつめた。
 「カミサマにしては、珍しいことを言うね。」
 ――お前も、私をあまり買い被らないでいて欲しいものだね。
 ほろ苦さを交えた声音が頭の中で響いた。
 ――…とはいえ、深刻になる必要はないよ。きちんと、打つ手は考えてあるさ。手伝ってくれるね?リィリエ。
 頷く以外に、私に選択肢はあっただろうか。

 ――お前たちの惑星の軌道がずれたことが始まりなのだけれど、まさかここまで短期間のうちに太陽に接近してしまうとは…私の読みもまだまだ、甘いみたいだね。 
 頭の中で神さまが肩をすくめたような気がした。
 「太陽というと、私たちに光を照らしてくれる星のことだね。」
 そうだね、と神さまは相槌を打った。
 ――リィリエ、光はすなわち、熱だ。だから、太陽はとても明るくて、とても熱いんだよ。あまり近づきすぎては、燃え尽きてしまうくらいにね。でもお前たちの惑星は、どうやらどんどん、太陽に引っ張れていっているみたいだ。それも、加速的にね。
 それはどうして、と私は、どちらかというと興味を惹かれために神さまに聞き返した。
 ――…太陽の重力のせいだね。
 思案するような声が頭の中に届いた。
 ――お前たちの踏みしめる大地そのものが、いつもの軌道を少しだけ踏み外したせいでバランスが崩れた。このまま太陽に吸い込まれて行くのか、それともある程度の距離で、バランスを取り戻すのか…いずれにしても、あまり良くない状況だね。
 そう、と私は相槌を打った。驚かないのかい、と神さまが意外そうに言うので、私は首を傾けて返した。
 「私は、カミサマの言う通りにするためにいるんでしょ。」
 生きる時間を長引かせてまで私と交信し続ける神さまはきっと、私にしてほしいことがあるのだろうと、私は常に考えていた。神さまの、そのしてほしいと考えていることを遂げた時、きっと私の肉体はこの自我と共に土に返るのだろう、と。
 もしかすると、その時がようやくやってきたのかもしれないと、この時の私は半ば確信していた。
 ――リィリエ、船を作ってほしいんだ。
 神さまは鈴の音で言った。とっておきの船だから、作り方は教えるさ、と。


 船の形には、黄金比率と呼ばれるものがあるのだと、神さまが言っていた。
 30:5:3。その数字は、未だ私の記憶に深く刻まれている。教えられるがまま、私は大木の皮にその船の絵を刻んだ。それから程なくして、久しく言葉を交わすことのなかった街の人たちに協力を呼びかけてそれを作ることになった。街の人たちは、電撃に打たれたみたいに私を見て、言葉少なに了承の意を告げると大急ぎで元の日常に戻っていった。けれど、協力しない人はいなかったように思う。それほどまでに、神さまの権威と伝説は私たちの吸う空気に踏み込む地面に、溶け込んでいた。船の完成には、何年もの時間がかかったように思う。徐々に造形のまとまりを体得していくそれと反比例でもしていくように、私たちを取り巻く地面や空気は日に日に外殻を失い溢れでていくばかりだった。
 私の褪せた記憶では、もはや船の詳細な姿を思い返せなくなっているけれど、それがとにかく大きくて、たくさんの人を抱えたことは間違いではなかったはずだ。
 乗り込んだ先の空気はどこか冷え冷えとしていて、中はまったくの暗闇だったけれど、灼熱と渇きに苦しみ続けた人々にとってはほっと息をつける瞬間に違いなかった。
 どれくらいの時間が経過したのか、自分の手のひらだって見通せないほどの環境だったから、きっと誰も見当もつかなったんじゃないかなと思う。私にしたってそれは同じで、ふと気づくと神さまの声が呼んでいたので、促されるまま外に出た。あたり一面の景色は、眩しい光と、濃淡さまざまな緑葉と花の彩りが広がっていた。湿った土の優しさが鼻腔をくすぐり、撫でるような微風が私の頬の横を通り過ぎた。
 綺麗な景色に少しばかりの郷愁の念を覚えたけれど、それは違うだろうと私は思った。どうしてか、私はこの景色は違う場所のものなのだと直感的に感じていたのだった。
 ――流石に、鋭いね、リィリエ。
 神さまの鈴の音が頭の中を響いた。からかっているようにも思えたその声音に、その日の私は珍しく感情を逆撫でされた。
 「ただの勘だよ。それよりも、ここはどこ?」
 ――子供たちの、そしてお前の、新しい大地さ。正確にいうと、これは新しい星であり、私の新たな箱庭だよ。お前たちのために、私が作り直したのさ…前の星があまりにも太陽に近づきすぎたものだからね。考えうる中でもっとも有効な手段がこれだった。
 私の脳裏で、神さまがあたりを見渡す様子が過ぎる。その満足そうな風情が、私自身の情緒と乖離している様を私は静かに観察した。視界いっぱいに広がる、懐かしくも馴染みのない草原は、喜び転げる人々の姿と絡み合って、私はどうしてかその時、不意に、一人きりで佇んだまま、背後にぽっかりと口を開ける空っぽの洞窟に還りたいという気持ちに駆られていた。


 
 結論からして、私の時間はそれからも続いた。
 その事実に対してなんらかの感情を抱くべきなのかもしれないけれど、私としてはそこに喜びも安堵もなく、かといえば悲しみも怒りもなかった。本当の意味で若かった時分の気質がどうであったにしろ、私が思うに、元々のところ、情緒自体が比較的に平坦であったのだろう。瞬きの合間に、カナンのどこか哀愁の漂う呆れ顔が浮き沈みするけれど、こればかりはどうにもならないだろう、と語りかけるしかなかった。正解とされる心情はあるのかもしれないけれど、それがどのようなものなのか想像すらできない私にとって、それは無用の知識に他ならなかった。
 それから世界は緩やかに広がって、裾野に広がる草花のように、文明も楚々と栄えていった。
 神さまは口癖のように、繁栄は衰退がないと成立しないと言った。
 だから私もそれが理なのだろうと納得していた。

4.

 時間の単位がすっかり溶けて形を無くした頃、私は一人、ニューヨークシティーの大通りをあてもなく歩いていた。お気に入りの、黒のレザージャケットのポケットに両手を突っ込んで、時間に追いたてられる人々の間を縫いながら悠々と歩く様は、側から見れば道楽者の学生風情にでも映るのだろうか。
 道端で、長い足を罠のように投げ出す浮浪者を踏まないように気をつけながら、大きなディスプレイに映る時間を確認する。まだ少しだけ、時間を潰す必要があるみたいだった。
 時代の移ろいの中で、世界は緩やかに、けれど壮大な変化を遂げた。
 幾度も人が変わり、幾重にも文明が塗り替えられ、それに追随して街の形から空気の匂いまで、カレンダーを捲るみたいにひらりひらりと交代していった。こんなにも繰り返した繁栄と衰退の循環の中で、一つとして世界の姿が重複することがなかった。その事実は、今もなお私を深く感心させる。
 神さま曰く、時間は人の持ちうる財産の中で最も価値のあるものだそうだ。だから、一つとして同じ刹那は存在しないし、存在してはならないのだと。時のレプリカを作ることができてしまえば、それはすなわち、時間という人間の最高級の通貨の価値を下げてしまうから。
 時が止まり、永遠の中に閉じ込められたように思っていた私にさえ、どうやら時間という財産は確かに存在しているようだ。尤も私の時間は、もしかすると他の人たちのものよりも、価値が劣るのだろうけれど。
 その変化は、私にしてみれば唐突で、40年ほど前からだろうか、化粧やファッションを面白く感じるようになった。選ぶ色や形によって鏡の中の自分が変貌する様に、どことなく爽快さを感じるようになった。
 それまでは周囲に溶け込む作業の一環としか認識していなかった服選びはいつも神さまに任せきりだったけれど、いつしかそれは私の趣味のようなものになっていた。
 この頃、神さまは脱帽したような声で「ようやくだね。」と呟いたように思う。もしかすると、他の12人よりも遅いタイミングの変化だったのかもしれない。
 他に12人もいた頃は、だいぶ昔の話だけれど。ということは、最初におしゃれに目覚めた人は、かなり早い段階での開花だったのではないだろうか。

 スタンドで買った3ドルのコーヒーを嗅ぎながら、私はセントラルパークのベンチに座っていた。手の中の紙コップに注がれるまで保温ビンに数時間は保管されていたはずのコーヒーなのに、プラスチック蓋の飲み口から噴き上げる湯気は、とてもじゃないが口に含める温度ではなさそうだ。
 まだ少し肌寒い季節なものの、確実な春の訪れを感じさせる何かが、吸い込む空気に充満していた。雑草の青さと土の湿っぽさが、冬の乾いた空気を滲ませつつある。長かった雪の季節をようやく過ぎ去る予感に、忙しそうにしている人々も少なからず浮かれているように思えた。気が早いようにも見える、薄手のライトジャケットやパステルカラーのパンプスが、街中を彩っていた。
 こういう景観に感慨を抱けること自体、ずっと昔の私からは考えられないことだった。ずっと昔から色々なものや人に興味を持てる人間であったなら、あんなにもたくさんの人を傷つけずに、関係も壊さずに済んだのだろうか。少なくとも、そうできていたら、もっとずっと前に私自身も楽になれていたはずだった。
 生きて何年目の春かはもう数えなくなっていた。軽く見積もっても、5千回分は見てきたのではないだろうか。私は本当に長いこと、物事のあり方に無頓着だったのだと実感する。無頓着どころか、自分の意志そのものが欠落していたんじゃないだろうか。ファッションへの興味ですら、他の12人と比べて遅咲きな私だ――自分の在り方や世界への不信感を抱いたのだって、みんなよりもずっとずっと、遅れてしまったのだろう。いつだって私は、ただ、遅すぎるんだ。
 街を見下ろす高層ビルに貼り付けられた液晶画面が、待ち合わせの時間に近づいていることを私に知らせた。思いの外、冷ますのに時間がかかりすぎたコーヒーはまだ並々と紙コップの中を揺蕩っている。片手が塞がれた状態で、待ち合わせに向かう他はなさそうだ。
 5秒おきに右手の爆弾に視線を走らせつつ、公園を出た途端に蟻の大群のような人の流れに、ただただぶつからないように歩く。一番恐れるべきは、ぶつかった拍子にコーヒーが相手にかかってしまうことだ。謝れば事なきを得られるほど、ニューヨーカーは生易しい人種ではない。
 歩いて15分程度の距離に目的地はあった。大学生らが宿舎代わりに借りているおんぼろな家々の並ぶ通りに、目的の人は住んでいた。フロントポーチにビール片手に煙を燻らす学生たちが、大音量の音楽とそれを打ち破る笑い声をあげたり、時たま視線や口笛をよこしてくる。私は軽く視線を返すに留めた。学生たちのこうした賑やかな集会を半世紀くらい見てきたけれど、世界が平穏であることの何よりの証拠だと、近頃は特に微笑ましく感じようになった。
 通りの角を一つ曲がると、褪せた家々とそれに命を吹きこまんばかりに躍動する学生たちの風景が続く。ここら辺の通りは概ねこのような感じで、だから好んでこの辺りに住むローカル住民はほとんどいない。夜の騒がしさや染みついたマリファナの異臭を思えば妥当な判断だと思う。
 私の知人は学生ではないけれど大学の関係者で、だけど住居自体は祖母から受け継いだ、いわゆる持ち家だそうだ。持ち家というとなんだかゴージャスそうな響きで語弊を生じさせてしまうかもしれない。正確には、良く言えば歴史を感じさせる家で、赤煉瓦の外壁が特徴的なメゾネットスタイルだ。
 腰の位置ほどの華奢なフロントゲートを飛び越え、そろそろ色付きだす頃の芝生の上をザクザクと進む。細長い家の玄関扉の前には、申しわけ程度のポーチが設えてあるけれど、今のところ、その空間に家具や装飾の類が施された姿を見たことがない。チャイムが故障しているというので、木製の扉を精一杯叩く。古い木材が軋む音とともに重厚なドアが内側に引っ込んで、代わりに、重たそうな縁のメガネをかけた女性の顔が現れて、用心深くドアの隙間から私を確認する。
 「なあんだ、リリーか!」と、今度はドアを引きちぎってしまいそうな勢いで全開にした彼女が、私の待ち合わせ相手だ。
 「いや、すまないね。最近、子供たちのいたずらが横行していて、ノックが聞こえても細心の注意を図るようになってしまったんだ。」
 子供たち、の部分に合わせて、人差し指と中指をくいくいと2度折り曲げる彼女の仕草に、その言葉に皮肉が込められていることを理解する。
 「ほら、最近暖かくなってきたでしょ?これだからこの季節は…浮かれる気持ちはわかるのだけれど嬉しい気持ちそのままに奇行に走らないで欲しいものだね。」
 ふっ、と肩をすくめる彼女自身も、ともすればその「子供たち」と同世代に間違われてしまいそうなほど童顔だが、実年齢は34歳だという。そして、アカデミアに留まった人間というものは大体が浮世離れして、永遠の大学生みたいな風貌になるのだというのが彼女の持論だった。
 狭い玄関に入るとすぐにいつもの書斎に招かれる。階段の木材が一段上がるごとに足の下で撓む感触がした。登ってすぐ、右側の部屋が彼女の書斎だ。本人曰く、窓から表通りを観察できるこの部屋が防犯の上で最も適当とのことらしい。とはいえ、窓に面して配置されたデスクに堆く積まれた書籍やレポートの数々、そして窓枠の釘から吊った観葉植物の黄ばんだ蔦葉のおかげで、その用を果たしているとは考え難い。
 彼女は定位置のデスクチェアに腰を据え、私も仮眠用にあつらえてあるリクライニング式のソファをいつものように借りる。ざっくりと括った髪の毛の弾力のあるカールを揺らしながら彼女は首を傾げた。
 「コーヒーくらい淹れようかと思ったんだけど、持参してきてるし…」
 「私の分なら、結構だよ。ちょうど飲み頃になったくらいだし。」
 そうか、と微笑んで、では自分の分をと彼女はキッチンのある一階へ降りて行った。
 猫舌にはちょうど良い、生暖かくなったコーヒーに口をつけながら、一見散らかり放題の書斎の心地良さに目を細めた。壁沿いに立つ本棚には縦横構わず本がびっしりと詰め込まれて、溢れかえるように床に直置きされた本の山も散見される。目の前のコーヒーテーブルは使用済みのマグカップや空き缶が無造作に散りばめられており、窓際のデスクは辛うじて作業するためのスペースが確保されている以外は、パソコンと生徒の提出課題と推察されるプリント類で埋め尽くされていた。それでもここを心地よく思うのは、何度も訪れたことがあるからだろうか。
 メアリー・ウィーラーとの付き合いは今年で3年目である。私が趣味程度にバリスタとして働くカフェで、英文学の大学講師を務めるメアリーは常連客だった。大袈裟なほど重厚な本とダブルショットラテを抱えて、自然光から隠れるように奥の丸テーブルを陣取り、ただ黙々と本を読んでは時折ノートに書き込む姿は当初から印象的であった。聞けば5年ほど前からの常連で、週に何度かこうして読書をしに現れるのだという。小脇に抱えられてくる本はいつも歴史書や資料文献で、古文書に興味がありそうな雰囲気だった。そのことが妙に私の心をくすぐった。
 窓から差し込む木漏れ日を鳥の影が時折遮る、そんなのどかな風景に深く息を吐き出す。ようやく『一人』の静寂を許された私には至福の時間である。
 しばらくして古階段が軋み、背後のドアが音を立てて開いた。
 「お待たせしたね。」
 並々したコーヒーが湯気を放つ、大きなマグカップを携えてメアリーがデスクチェアに座り直す。デスクに降ろされたマグカップがいかにも重たげな鈍い音を立てた。
 「――さて、今日はどんなお話を聞かせてくれるのかな?」
 早速といったように紙の散らばる机からノートとペンを掘り出した彼女は、目を燦々と輝かせて私を向く。数ヶ月前から、定期的にメアリーに昔話を聞いてもらいに通っていた。
 「何をどこまで話したっけね。」
 「そうだねー、リリーの初恋については一通り聞いたんじゃないかなあ。」
 口元を緩ませて彼女が首を傾ける。大ぶりのピアスが斜陽を捉えてきらりと反射した。
 『初恋』という言葉に思わず途方に暮れてしまう。私は曖昧な笑みを返すにとどめた。
 懐旧譚を書いてもらうのも悪くないかもしれない、そんな気持ちから昔話を聞いてもらう約束をメアリーと交わした。けれど彼女の書斎を訪問していざ話し出そうとすると、切り出す糸口がうまく見つけられず、そんな時に咄嗟に口をついて出たのはカナンのことだった。
 何千年もの記憶の積み重ねでとっくに失われたと思った数々の思い出がまるで湧き水のように蘇ってきて、思いつくままに滔々としゃべり続けた。ずっと昔に生き別れた太古の知り合いの名前を呼ぶ感覚はなんとも言えない寂寞と懐古の念を呼び起こして、時系列も話の筋も整っていないことには気づきつつも、語ることをやめられなかった。朧げになっていた彼の造形や些細な日常の出来事までもがはっきりと思い出された時は流石に驚いた。
 メアリーのいうような恋情はないとは思うのだけれど、確かにこの集いを始めて数回、カナンにまつわることを中心として一番はじめの記憶ばかり辿ってしまっていた。
 「恋かどうかはさておき、次はカナンの死後の出来事から話そうか。」
 「彼が生きていた時の話の次は、いきなり死んだ後の話に映るのかい?」
 ニタニタとメアリーが言う。
 「人が死ぬ時は一瞬だよ。わざわざ回想するほどの思い出話はないさ。」
 そう?と少し残念そうに眉根を寄せる彼女をそのまま押し切る。
 カナンと過ごした最後の時間はなんとなくだが私の中だけに留めることにしていた。すっかり小さくなって、少し物憂げで寂しそうなあの背中を思い出す度に、胸の奥が疼く。その衝動の根底に何があるのかなんて、今さら考えたところで意味がないだろう。
 「じゃあ、少しはメアリーの役に立つかもしれないエピソードに移ろうか。といっても、当時の私はかなりぼんやりと生きていたものだから、教えられたことがどれくらい真実なのかは保証しかねるけどね。」
 ラジャー、と言ってメアリーがペンを握り直す。そもそもの発端は、彼女の創作の糧にとはじめた懐旧譚である。あまり脱線してしまっては申し訳ない。
 「カナンは100歳くらいで亡くなったんだけど、その頃から人の寿命が縮み出していたんだ。それこそ、私たちが子供だった頃なんかは、長老たちの平均寿命はもっとずっと長かった。多分、カミサマの知恵のおかげだったんだろうね。」
 その神さまの気まぐれでたったの13人に終わりのない命と緩やかな全知の移譲が始まった。でもそれは、たったの13人による叡智の独占につながった。
 「カミサマはどう言うわけか、知識の譲渡と延命の対価として、授かった知識を許可なく周りに教えることを禁じた。カミサマが必要だと判断した情報を、必要だと判断した時のみ共有することを許されたわけだ。少なくとも私は事前の説明でこの約束を破った場合の処罰なんかは聞かされてなかったし、そもそもルールを破ることすら発想になかったわけだけど。」
 その時点で私がいかに浅慮であったかが窺い知れるわけだが。
 「まあそんな実験的な試みが始まってから、カミサマが街のために知恵を与えることが減っていった。昔は一年に一度は必ず誰かが神殿で神託を受けていたわけだけど、その神託の儀式すら撤廃された。13人に的を絞ってからは、あの時代で私が情報公開の許可を受けたのはたったの4回だったよ。想像に難くないと思うけど、徐々に街は衰退していった。」
 ペンを持つ手を休めて、メアリーはメガネをその手のひらでぐいと押し上げた。
 「衰退というのは、文明のレベルが落ちていったということかい?」
 私は頷いた。太陽の位置が変わったのか、床に光と影のまだら模様を描いている。
 「そうだね。当時の私は、神託がなくなったことが直接の原因だと思ってたけど、よく考えるとそれも違うね。多分、一番の原因はカミサマが魂の制限を取り払ったことだったんじゃないかな。」
 神さまが徹底管理していた箱庭の、寸分たがわない魂たちの輪廻。増えもせず減りもしない、普遍の連鎖だった。魂の数を管理しなくなったことで神さまにとって馴染みのない魂が増えていき、それに呼応してイレギュラーの可能性も増幅していくのだという。
 これは私の勝手な解釈だけれど、神さまにとって、手ずから選定と調律を続けてきたそれまでの魂たちに比べて、目まぐるしく芽吹いていくいわゆる「野良」の魂は愛着の対象足り得なかったのではないだろうか。その疑念を直接ぶつけるほどの正義感も好奇心も持ち合わせていなかったから、真相はわからない。確かめようとしたところでわかったかどうかは疑わしいけれど。
 難しい表情でメアリーが唸る。どうやら、言葉が足りていないようだ。
 「何度も言うように、カミサマの受け売りなんだけど…元々はどうやら、神サマ自身が魂の数を有限にして増えたり減ったりしないように管理していたらしい。数だけじゃなくて魂自体も入れ替わらないようにしていたとか。長い間、同じ魂が何度も転生し続ける状態だった。13人に的を絞った時点で、カミサマはその徹底した管理をやめると言い出した。魂の数が増えるも減るも、成り行きに任せるってね。」
 「じゃあ、人口は…?」
 「増えていったよ。最初の10年は徐々に、それからしばらくは爆発的な増加だったかな。」
 なるほど、と呟きながらメアリーは忙しなげにペンを滑らせている。これはそんなに面白い話なのだろうか。人の興味のツボというのは本当にわからない。
 後光のような西陽を背に、メモ書きに執心する彼女の姿は何にも増して輝いて見えた。生命力あふれるその存在を、私は今までどうして愛することができずにいたのだろう。
 「短期間における人口の激増はインフラや食糧問題に突き当たることが多いってのが一般的論だけど、リリーたちの街でもそういうことがあったのかい?もしかしてそのせいで街が衰退していったとか。」
 「ご名答だよ。増え続ける人に対して家だったり水場だったり食糧だったり、色々なものが追いつかなくなっていった。同時に子供の数に対して労働力になる大人の数が不足した。日照りや洪水の対策だって後手に回ってしまうのも仕方のないくらいに。カナンが亡くなる頃には、街には重苦しい雰囲気が立ち込めていたよ。」
 「…神さまとやらは、その状況に対して何もしてくれなかったの?」
 率直な質問にたじろいで、けれどメガネのレンズ越しのその双眸に知識欲だけが宿っていることにどこかホッとする。私は苦笑した。
 「少し長くなってしまうけど、あの街がなくなるまでを、順を追って話そうか。」

星の子どもら

星の子どもら

文明は、どこから来たのだろうか。どこへ行くのだろうか。 延々と、焼却されては再構築されを繰り返し、文明は、果たしてその本質を保つのだろうか--…。 世界の成り立ち、文明の発達と忘却と再発見の繰り返し。それを真に理解するには、人の時間はあまりにも短い。 すべての世界線を俯瞰することができる者がいるとしたら、それは人ではあり得ない。 これは「神さま」と呼ばれる一つの存在と、それによって運命を定められ続けた一人の少女との、長いながい物語。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-12-06

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