姉が死んだら

 姉が急死したと警察から聞かされても、俺には何の感情もわかなかった。
 その姉が今、冷蔵庫から引き出されて来たところだ。
 俺は検視局へつれてゆかれ、そこでご対面となった。
 銀色のドアが開いて、まるで引き出しのように姉は滑り出てきたのだ。
 ひき逃げだった。
「ご遺体はあなたの姉、佐田直子さんに間違いありませんね?」

 姉のアパートへ立ち入るのは、俺はこれが初めてだった。
「意外と乱雑なのだな」
 そんな俺の目に金庫が目についた。
 家庭用としては場違いなサイズで、戸棚の影に隠すように置かれているのだ。
 扉には鍵穴があり、もちろんロックされていた。
 だが姉の鍵束から見つけ出し、試してみるとピタリと収まり、カチンと気持ちの良い音がする。
 金庫の内部にも雑然と物が積み上げられていたが、まずある物が俺の目をひきつけた。
 ボール紙製のカードなのだ。
 いかにも子供向けの商品で、鮮やかな色で、文字と写真が印刷されている。
「くそっ…」
 そのカードには見覚えがあった。
 見覚えどころか、これはかつて俺の所有物だったのだ。
 小学生時代、俺は怪獣映画が大好きで、いつも見ていた。
 俺の宝物は怪獣の写真が印刷されたハガキ大のカードで、駄菓子屋で安く売られていたが、俺は何十枚と買い集めた。
 それを毎日眺め、大切にしていたのだが、その中の1枚がある日、行方不明になったのだ。
 しかも一番気に入っている火炎怪獣のもので、俺は家中を探し回ったが、結局発見することはできなかった。
 泣きべそをかき、とうとう捜索をあきらめたが、その後の数日間を文字通り俺は涙とともに過ごし、ショックがあまりにも大きかったのか、あれほど好きだった怪獣への情熱も急速にしぼんでいったのだ。
 それ以来、何かに熱中することも関心を持つことも、俺はきっぱり止めてしまった。
『何かを好きになると、失ったときの衝撃もそれだけ大きい』
 と小学生なりに学んだのだろう。
 姉の金庫の中で、怪獣カードの次に目についたのは、数学の教科書だった。
 高校生用のもので、裏返すと所有者の名が書かれている。
 女の名で、俺に覚えはないが、姉の同級生ではなかろうか。
 そういえば、
『理系クラスへ進みたいと数学の猛勉強を始めた誰それが、そのとたんに数学の教科書を紛失して困っているらしい…』
 という話を姉が母にしているのを小耳にはさんだ記憶がある。
「おやおや」
 その次に発見した物体は、俺の確信をさらに深めた。
 大学入試の受験票だった。日付は10年弱の昔。
 つまり姉自身が受験生だった時期に重なるのだ。
 貼り付けられている顔写真にも見覚えはないが、これも姉の同級生だろう。
「受験票を紛失して、この受験生は受験できたのだろうか」
 俺は思いをめぐらせたが、まず受験は不可能だったろう。
 俺は金庫の中を調べ続けたが、品物のバラエティーに退屈する暇もなかった。
 誕生日プレゼントだったのだろう。誰かの名が裏面に刻まれた腕時計。
 どこかの男の名が書かれた表彰状が細かくちぎられて、封筒の中に納まっていた。
 この男が何をし、何故に表彰されたのかすら、もはや確かめるのも面倒だった。
 それほどまでに姉の戦利品は数多かったのだ。

 ひき逃げ事件はまだ解決しなかったが、姉のために葬儀を行わなくてはならなかった。
 最初は親戚だけを集め、ごく小さく済ませるつもりだったが、新聞記事を見た連中から問い合わせが入り始め、内輪というわけにはいかなくなったのだ。
 それでも焼香、出棺と進んだが、俺が驚いたのは、そこで帰ったりせず、骨上げまで居残ろうとする者が何人かあったことだ。
 それでも午後遅くには骨上げも終わり、葬儀は終了した。
 参列者たちとは別れ、帰宅するために俺も駐車場へ向かったのだが、そこで声をかけられた。
「新ちゃん」
 振り向くと参列者の一人、姉の親友だった女だ。名は沢口といった。
 沢口はチラリと見まわし、まわりに人がいないことを確かめたようだ。
 沢口の後ろを、同じような年齢の女が二人ついて来ている。
「ねえ新ちゃん、私の腕時計、今からでも返してくれないかな?」
 と沢口は言った。
「えっ?」
「まだ新品だったのよ。裏ブタに私の名前が彫り付けてあるわ」
 俺は体がカッと熱くなりかけたが、返事はできなかった。
 その前に別の女が口を開いた。
「私もそうよ。あの時は別の大学を受験し直したんだから、せめて受験料を返してほしいわね」
 ここで別の女が口をはさみ、ポケットから取り出した紙きれをヒラヒラさせた。
「これ、数学の教科書を買いなおした時の領収書ね。ちゃんと払ってもらうわよ」
「だけど…」
 本当に俺は、どう答えてよいやら分からなかったのだ。
 沢口が鼻を鳴らした。
「直子の正体を、本当はみんな知ってたのよ」
「なぜ本人に直接、返還を要求しなかったんだい?」
「むりむり。こちらはただの一般生徒。直子は学校一の優等生。そんなもの知らないわで、始めから勝ち目なんかありゃしない」
「そもそも金庫のことをどうして知ってるんだい?」
「直子は、私のことを親友と思ってた。私はそんなこと、思ったこともないけどね」
「……」
「だからいろいろ話してくれたのよ。中身のことまでは言わなかったけど、自分の部屋には大切なものを入れる金庫があって、そのキーはいつも肌身離さず持ってるってさ」
「へえ……」
「だけどそれだけではない」
「なにさ?」
「直子はこんなことも言ってた。持ち物のうちで特に大事なものは、同じ金庫の中でも特別な場所に入れてあるってさ」
「特別って?」
「それが何なのかは知らない。でも封筒に入れて、金庫の内側、天井部分にセロテープで張り付けてあるそうよ。親友と思ったから話してくれた秘密だけど、約束を守る義理はないしね…」

 盗品の返還を約束して、俺は沢口たちとは別れた。姉のアパートへ戻ったのだ。
 金庫の前に立ち、内部に手を突っ込むと、確かに天井板には指に当たるものがある。
 封筒を開けてみると新聞記事の切り抜きと、メモ用紙らしい白い紙が入っていた。
 切り抜きは社会面の記事だが、目立つのは余白部分に俺自身の手で書き込みがあること。

『神戸 505 あ 〇〇〇〇』

 記事は3年前の日付で、近隣の町で起こったひき逃げ事件を扱っていたが、こちらも被害者は姉と同じように死亡していた。
 ただ記事の終わり方が奇妙で、事故の状況から見て、その瞬間を目撃した者がいたに違いないものの、いまだに警察に名乗り出る者はなく、
「目撃者はぜひ名乗り出てほしい」
 と記者は記事の最後を結んでいた。
 メモ用紙の方にも走り書きがあるが、俺の知らない書き手によるもの。

『すべておっしゃるとおりにいたします。毎年クリスマスに100万円を郵便小包にて』

「ふうん」
 そういえば思い当たるフシがあった。
 クリスマス近くのある日、当時はまだ実家に同居していた姉の元に小包が届き、本人が留守だったので俺が代理で受け取ったことがあるのだ。
 差出人の名など覚えていないし、どうせ偽名だったろうが、紙幣で100万円といえば、あのくらいの大きさなのか。
「あれっ?」
 不意に気がついて、俺は急いで自分の家へ帰った。少し前まで姉も住んでいた実家だ。
 俺の部屋は、いかにも独身男らしい殺風景さだが、その中で一つだけ、額に入れられた風景画が壁に目立つ。
 なんということのない絵だが、俺が自分の意志で置いたのではなく、あまりの殺風景さに母親が勝手に飾ったのだ。
 それを壁から取り外し、俺は裏返した。留め金をゆるめ、裏ブタを外したのだが、
「やはりないな」
 先ほどの新聞記事は、俺がここに入れて隠しておいたものなのだ。
 つまり姉は、俺の留守を狙って、家探しまでしていたことになる。
 3年前、ひき逃げを目撃したのは俺自身なのだが、面倒くさい気がして、ナンバーを警察に届けたりはしなかった。
 怪獣カードが消えて以来、俺はそれほど人との関わりを避ける性格へと変わっていたのだ。
 新聞記事を見つけた時、記憶していたナンバーをメモ書きだけして、そのまま忘れることにしたのだ。
 それを風景画の裏に隠したことさえ、今日この瞬間まで思い出すことはなかった。
 それを姉は盗み出した。きっと、あの新聞記事には使い道があると気がついてのことだろう。
 そしてひき逃げ犯は、そのワナに落ちてしまったのだ。
 しかし全てが姉の思い通りに運んだわけではない。
 2年間はともかく、ついに姉に反旗をひるがえす気になったのだろう。
 毎年毎年100万円を吸い上げられることが我慢できなくなったのか。
 ならば、どうやって姉を黙らせたらいい?
 皮肉にも3年前と同じ方法を用いることにしたのだろう。
「まあいいか」
 面倒くさくなってしまい、俺は新聞記事とメモ用紙にライターで火をつけた。
 すべては燃え上がり、あっという間に灰になって消えた。

姉が死んだら

姉が死んだら

姉が死んだので、寝室の金庫を開いてみた。

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-12-03

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