生徒会長が音楽室で自殺した件
1
足立明子がなぜあのような形で自殺したのか、本当のところはよく分かっておらず、すでに校内では半ば伝説化している、というのが本当のところであろう。
授業中、突然制服を脱ぎ捨てて、明子は窓から飛び降りた。
4月のことだから暖かく、窓ガラスはすべて開かれていたのだ。
4階から飛び降りたのだから、もちろん結果は即死である。全身を強打した墜落死ということになろう。
ただし1年生の教室は1階にあり、この時はたまたま音楽室へ移動しての授業中であったから、本人にすれば、ただ室外へ飛び出すだけのつもりだったかもしれない。
自分がいるのが4階であることを失念していた可能性もあるのだ。
だが何よりも奇妙なのは、窓へと駆け寄りながら、明子が制服を部ぎ捨てていったことである。
つまり明子は、下着姿で墜落死したのだ。制服は教室内に脱ぎ残され、目撃者も多数おり、その事実に疑問の余地はない。
明子は高校1年であった。しかもまだ1学期が始まったばかり。
明子の高校生活は、恐らく胸ふくらませる希望とともに始まったものと思われる。
なぜなら、彼女の入学は学校側から期待され、待たれていたからである。
明子は入学後、生徒会長の座を与えられることが最初から決まっていたのだ。
自殺事件後の校内における聞き取り調査、および生徒会OGたちの証言によると、この学校における生徒会長の選出は、一般の学校とは違い、少し奇妙な方法をとるそうである。
候補者は複数ではなく、始めからただ一人に絞られている。
しかもその候補者は常に新入学の1年生で、入学式の直後に生徒会室へと呼びだされる習慣になっていたから、恐らく明子の身の上にも同じことが起きたであろう。
生徒会室は校舎屋上にある小さな小屋で、きちんと整頓と清掃がされ、イスや机、ファイルを収めた戸棚が並んでいる。
明子を怖がらせないために他の委員たちを遠ざけ、生徒会長が一人で待っていた。
「あなたが新入生の足立明子さんね」
「はい」
会長はため息をついた。「おめでとう、と言えればいいのだけどね…。大昔、まだ女学校だった時代から、この学校に続く古い古い伝統なのよ」
「何が?」
生徒会長の口から出た説明は、明子をひどく驚かせた。
なんとこの学校には、昔から妖怪が潜んでいる、というのだ。
透明な妖怪なので、誰も姿を見た者はない。
ただサイズは小さく、子ネズミくらいだそうだ。
生徒会長は続けた。
「そんな妖怪が潜むといっても、校舎に住んでいるのではないのよ。生徒のスカートの中に住むの」
「えっ?」
だから名を『スカートさん』という。
明治創立の学校で、もちろんその頃からいる妖怪だ。
その妖怪の住処として、明子のスカートの中が選ばれたというのである。
「どうして私なんですか?」
「それはわからない。スカートさんが決めたことだわ…。これから自分が住む場所を、スカートさん自身が選んだのよ」
明子はまじまじと見つめたが会長の顔は真剣で、冗談にも嘘にも見えなかった。
「本当のことなんですか?」
というのが、新入生が口にできた唯一のセリフだったろう。
もちろん会長は首を縦に振った。
嘘か誠か、信じがたい話ではあるが、たかが新入生に断りを口にできる雰囲気ではなかったであろう。
しかもこの学校は、明子にとっても第一志望校で、相当な受験勉強の結果勝ち取った入学だったのである。
結局、明子も首を縦に振ったが、すぐに他の委員たちが現れ、明子の制服の胸には紫色のリボンがつけられた。
記章というかシンボルというか、リボンを用いて本物のバラを模した、小さいが見栄えのするものである。
「このリボンはなんですか?」
「それは校内でただ一人、スカートさんに住居を提供している生徒が着けるものよ。今日からあなたには、色々と特権が生まれるわ。掃除当番は免除、その他の仕事もすべて免除。もちろん授業と試験は真面目に受けなきゃだめよ」
「ええ、それはわかるけど…」
「1週間か10日のうちには、スカートさんはあなたのところへ引っ越すと思う。今はまだ私のスカートの中にいるけどね。カサコソと肌に触れるのが、時々くすぐったくてね」
「へえ…」
「ああそうだ、忘れていたわ」
「なんです?」
「今日からは、あなたが生徒会長だからね。そのリボンは会長の印でもある。まあ、しっかりやってよ、明子さん…」
2
藤野というのは、特に目立つ美貌ではないが、背の高さが目を引く娘である。
2年生だが、この学校では2年生が副会長というのは珍しいことではないらしい。
進学校では決してないが、優秀な生徒が集まる傾向はあるらしく、人材には事欠かないそうだ。藤野もそういう、スケジュール管理や事務処理が得意な人物らしい。
ここは女子校であるから、調査者である私も当然女である。
県の教育委員会の一員という私の肩書に、藤野も最初は気おくれを感じる様子だったが、次第に打ち解けてくれたのはありがたかった。
「ここは変わった学校ね」
という私の第一声に、藤野は少し戸惑った様子だったが、考えてみれば、それも無理ないかもしれない。
高等学校というものは、普通の人間は一生に一度、ただ一校に通い、そこを卒業するわけだ。
転校を繰り返したり、中退してもう一校に入りなおすといった経験は、多くの人はしないものだろう。
私のように、あちこちの学校へ調査におもむき、あちらこちらの事情に通じているほうがむしろ少数派なのだ、と思い直した。
「この学校はそんなに変わってるんですか?」
と藤野は言った。
「そうね…、少なくとも生徒会長の選考方法については、私も始めて見たケースよ」
「他の学校では、どうするんです?」
「生徒会長を選ぶ選挙をするわ。立候補者が複数出てね。演説会をやって、選挙運動をして…」
「そうですか。本物の選挙みたいにするんですね」
「この学校では、いつ頃からその方法で生徒会長を決めているのかしら? いつ始まったの?」
藤野は、さらに戸惑った顔をした。
「いつからかは知りません。ずっと昔からです。学校創立の頃から…。スカートさんはその頃からいるのだから」
「それが妖怪の名前ね」
「制服がまだ着物とハカマだった時代には、『ハカマさん』と呼んでいたそうです」
こうして私は、この学校に住み着いているという奇妙な妖怪について、知識を得ていった。
といっても、そんなものの存在など、頭から信じてはいなかったが。
なぜ私がそうであるのか? 妖怪の存在など始めから認める気がないのか。
当たり前であろう。今は江戸時代ではない。
妖怪の存在を本気で信じる人がいたら、珍しいぐらいだ。
私は質問してみる気になった。
「ねえ藤野さん、あなたはスカートさんの存在を本当に信じているのかしら?」
これまでよりも、藤野はさらに戸惑った顔をした。
「どうしてそんなことをきくんですか?」
それに答える私の表情には、かすかな笑いが浮かんでいたかもしれない。
「だって、現代は科学の時代よ。迷信の暗闇は、科学の光によって打ち払われたはずだわ」
「でもあの…」
「もちろん私だってね。人間の集団の中では時に奇妙な出来事が起こることは知っているわ。集団心理とか、集団ヒステリーとかね」
「ヒステリー?」
「いいえ、早合点しないで。この学校で起こったことがヒステリーだと言っているのではないのだから…。ええ、正直に言うわ。『スカートさんなんて実在しない』と藤野さん、あなたも本当はそう思っているんじゃないの? ただまわりに合わせて、いると思っているふりをしていただけで」
数秒間黙っていたが、藤野はやがて、はっきりとうなずいた。
「私は半信半疑でした。副会長という立場上、疑いを口にしたことはなかったけれど」
「死んだ明子さんはどうだったのかしら? スカートさんの存在を信じていたかしら?」
「私の知る限り、まだスカートさんが自分のところへは来ていない、とは言ってました」
「まだ来ていないって?」
「新学期になって、新しい生徒会長が決まっても、1週間か2週間の間、スカートさんが引っ越しをしない場合があるんです」
「前会長のスカートの中から、新会長のスカートの中へ?」
そうです、と藤野はうなずき、
「1学期が始まって、まだ10日もたっていませんでしたから。『スカートさん、まだ来ないわよ』と明子さんも言っていましたよ」
「それでも生徒会長としての仕事は始まっていたのよね?」
「ええ。スカートさんの見立てが上手なのか、明子さんには才能があったと思います。こんな学校ですから、みんなが好き勝手な自己主張をするんです」
「『自主独立』がスローガンの学校ですものね」
「各クラブへの予算配分は、前年度ですでに完了していたんですが、まだ不満がくすぶっていて、新学期早々に再び燃え上がる形になりました。まずそれが一つ…」
「他には?」
「音楽準備室の使用をめぐって、新入生間でトラブルがありました。それも明子さんは、あっという間に仲裁したんです…。だけど一番面倒だったのは、テニスコートの使用権をめぐる3年生同士の揉め事でした。3年生といえば18歳ですよ。なのにあの人たちは意地を張り、本当に子供じみていました」
「へえ」
「だけどどんなに入り組んだトラブルでも、紫リボンの権威で明子さんはスムーズに解決することができたんです。生徒会長の肩書だけでは無理でしょうね。あのね、『スカートの中に妖怪を飼っている相手』なんです。たとえ上級生でも、逆らうには勇気がいるんですよ」
「それは、そうかもしれないわね」
「この学校の生徒会長って、本当はとても居心地がいいんです。混雑した廊下や階段でも、紫のリボンを見れば、みんなが道を開けてくれるし、先生たちも決してぞんざいには扱いません。もちろんその座にアグラをかくことは許されないけれど、そばで見ていて、私も小気味よく感じることがありました」
「…」
「明子さんは、あるとき私にこう質問したんです」
「質問?」
「ええ、自殺する2日か3日前のことでした。生徒会の仕事の関係で、放課後の私たちはほとんど常に一緒にいたんです」
「明子さんは、あなたに何を質問したの?」
「『ねえ藤野さん、1年生はたくさんいるのに、どうして私が会長になると決まったの?』」
「ああ、それは私も興味があるわ」
するとなぜか藤野が不思議そうな顔をするので、私は、
「あら藤野さん、私は何か変なことを言ったかしら?」
「明子さんを指名したのは、スカートさんなんですよ」
「いいえ、私が言いたいのは、それをどうやってあなたたちが知ったのかということよ。入学式が済んだ直後、候補者を生徒会室へ呼びださなくてはならないのでしょう?」
ああ、と藤野はうなずき、
「明子さんの名は、『こっくりさん』をやって知ったんです」
「こっくりさん?」
「少し西洋風に、ウィージャー盤を模した紙を使いましたけれど。入学式の数日前、前会長とか私とか、生徒会の主だった数人が集まったんです。その時に、10円玉がしっかりと指示したんです。1102って」
「1102?」
私の無知を嘆いたのか、かすかなため息をつき、ペンをとって、藤野は紙の上に、そのウィージャー盤とやらの略図を書いてくれた。
紙のサイズは、新聞紙を4つに折ったくらい。
どこかで見つけてきた何でもない白紙のようだが、そこに、AからZまでのアルファベット、1から0までの数字とイエス、ノー、グッドバイがサインペンで大きく書き並べられている。
「この紙の上に10円玉を置いて、プランシェットの代わりにするんです」
「プランシェット?」
「こっくりさんの指示を伝達する道具なんですが、正式のプランシェットでなくても、要は何でもいいんです。だから私たちは、10円玉を使いました。10円玉を紙の上に置き、そこに全員が、人差し指の先を軽く乗せるんです」
「それで?」
「一人が質問役になって尋ねます。『スカートさん、スカートさん、来年度の生徒会長には誰がふさわしいですか?』って」
「するとどうなるの?」
「指先を軽く乗せているだけで、誰も力なんか入れてないのに、10円玉が勝手に動いて、数字を4つ示したんです」
「それが1102ね」
「1年1組、出席番号2番ということですよ」
「ああ、それが明子さん?」
「はい」
3
もちろん私は、関係者の中でも最も重要と思われる前生徒会長にも、インタビューを行った。
この学校では、1年生のはじめから2年間だけ生徒会長をするのが習慣で、前生徒会長は今は3年生である。
前生徒会長が今でも校内にいるというのは、面接する側としてはありがたかった。
もしも卒業生であれば、進学した大学か就職先まで、わざわざ私が出向かなくてはならない。
しかもすでに高校とは無関係のOGであってみれば、協力を得られるかどうかさえ分からない。
面会を拒否された場合、私にはどうすることもできないのだ。
しかし前会長は放課後、私のところへやって来てくれた。
この調査のために、学校長が自分の部屋を調査本部として提供してくれたのである。
前会長は、副会長の藤野ほど背が高いわけではなかった。
といって小柄でもなく、中肉中背という感じ。
しかし目を引く美貌ではある。
どういう出身の娘かは知らないが、どこかリッチで貴族的な雰囲気があるのだ。
今のような制服姿であれば、仕立てた洋服店の技術の差、仕事の丁寧さなどが目に見えるわけでもなく、あくまでも私の印象にすぎないのだが。
「明子さんの自殺の件の調査ですか?」
ドアを開いて部屋の中に顔を見せ、開口一番に前会長は言った。
その声にも張りと自信があり、いかにも良い生活をしてきた娘という感じがある。
もちろんこの学校は他校よりも学費が高く、それゆえ生徒の保護者達は押しなべて裕福であるとは、私も聞かされていた。
「ここへ来て、お座りなさいな」
「はい…」
前会長は言われたとおりにしたが、そのしぐさは私を少し驚かせた。
部屋の中へ足を一歩踏み入れると同時に、彼女の顔つきは少し変化していた。
金持ちで貴族的な風貌の下に、年齢相応で、しかもすねた野良猫のような表情が突然に顔を出したのだ。
「このあとクラブ活動があるので、お話があるなら早くしてくださいね」
と、テーブルをはさんで私の目の前に座り、今やチェシャ猫と変化してしまった前会長は言った。
「何のクラブに所属しているの?」
「テニスです。生徒会長だった頃には参加できなかったので」
「どうして?」
「生徒会長はどこのクラブにも属さないというのが、この学校の不文律だからです」
「なぜそんな不文律があるのかしら?」
すると前会長は、私の無知をバカにするようにクスリと笑い、
「まず第1に、生徒会長は忙しすぎて、そんな暇はないということです。第2に、予算の配分や練習場所の確保といった面で、えこひいきや不公平を生まないためです。この学校の生徒会長の権力というのは、そのくらい強大ですから」
「どのくらい強大なの?」
前会長は、もう一度フフッと笑い、
「例えば、わが校の生徒会長には、絶対的な拒否権があるのです」
「拒否権?」
「どこかの委員会が決定したことであっても、たとえ生徒総会が議決したことであっても、はたまた先生たちの職員会議が決定したことであっても、生徒会長は一言で拒否できます。『いやです』の一言を言えばいいんです」
「だけど、そんなことをしたら学校運営に支障をきたすんじゃないかしら? 先生たちが新しい教育方針を決めたとしても、それが実行できないのでは…」
私の鼻の前で、前会長は軽く人差し指を左右に振って見せた。
ノンノンというわけで、ティーンエージャーとは思えない自信ではないか。
大人の前ではかなり失礼な態度でもあるが、そんなことで腹を立てるようでは、私のような職は務まらない。
私は、声音ひとつ変えなかったはずである。
「どういうことかしら? 何かそういった前例があるの?」
「大ありです。私が生徒会長だった去年のことですが、図書館が増築されて広くなったので、300冊ばかり蔵書を増やすことが計画されました。図書の先生は、当たり前のように文学全集を買い込もうとしたんです」
「それはまあ、普通の反応じゃないかしら?」
「だけど文学の本は、すでに十分あるんです。本当の話、買い込む予定の本リストを私は精査したんですが、すでに書架にある物ばかりでした。夏目漱石の同じ本が2冊並んで、何の意味があるんです?」
「それは、図書の先生の趣味なのかしら?」
「たぶんね。口にはしないけれど、『文学こそが、この世の何よりも尊い』と本気で信じてそうなオールドミスですから…。それでも先生による正式な決定です。学校側への予算申請は、その線で通ってしまったんです」
「そこであなたが登場するのね」
「ええ、キラ星のようにさっそうとね。私が公式に拒否を口にすると、予算執行は自動的に停止されます。どういう本を購入するのか、また一から決めなおさなくてはなりません」
「その結果は、どうなったの?」
「ご存知ですか? こういう良妻賢母の養成所みたいな学校だけれど、大人たちの思惑を外れて、生徒たちは意外なものに興味を持つんです。ですから購入予算は、もちろん300冊全部ではないけれど、多くがホラー小説の購入に振り向けられました。だから現在のわが校は、県内のどの校にも負けないホラー蔵書を誇っているのですよ。ラブクラフト、マッケン、ルルーとかね」
彼女が上げた著者たちの名は、私には全く耳慣れないものであったが、後できいたところ、どの本もそれなりに頻繁に借り出されているのだそうだ。
妖怪が住み着いているという学校であれば、それも不思議のないことかもしれないが。
「それであなた自身は、スカートさんのことをどう思っているのかしら?」
と、ここで前会長に質問してみたが、その答えは意外で、私を驚かせた。
前会長は、いかにもおかしそうな顔で、
「あの妖怪のことですか? ははっ、実在しない作り話に決まっていますよ」
「どうして? 確かあなたは、まるで妖怪が実在するかのように、明子さんには話したのでしょう? 入学式の直後に、生徒会室へ呼んで」
その質問にも、前会長はあっけらかんと答えた。
「そうするのが、わが校生徒会の伝統だからですよ。1年生に入学した時には、私も同じ説明を受けました…。だからこそ、『妖怪はすぐに新会長のスカートの中へ引っ越すのではなく、1週間か2週間後になる』と、わざわざ言い添えるんです」
「どういうこと?」
「入学式の翌日から、明子さんの生徒会長としての仕事が始まったんです。スカートの中に何もいない状態で、この混とんとした学校全体のかじ取りを任されるんですよ。でも半信半疑とはいえ、妖怪の存在を信じるからこそ、一般生徒も先生たちも、おとなしく生徒会長の言うことをきくんです」
「…」
「ふつう1週間もたてば、どんな新米の生徒会長だって気が付きますよ。スカートさんなんて本当はいないんじゃないかって。存在する必要はないんじゃないかって。スカートの中が空っぽでも、みんな生徒会長の権威には従うんですから」
「すると…」
「ええ、スカートさんなんていません。存在しません。明治の頃にきっと、頭のいい生徒会長がいて、そんなオバケをでっちあげることを思いついたんでしょう」
「…」
「いくら生徒会長でも、いつもいつもいい子ぶって、先生たちにハイハイばかりは言ってられないじゃないですか。先生たちの横暴に、たまには反抗しないと…。だけど、たかが女子生徒に何の武器があります?」
「そこで『発明』されたのがスカートさんなのね?」
「そういうこと。特に明治時代には、男の先生が多かったはずですから、なおさら生徒側には強力な武器が必要だったのでしょうよ」
メモを取っていたペンを、私はノートの上に置いた。
「ええっと、もう一度まとめるけれど、生徒会の伝統に従い、まるでスカートさんという妖怪が実在するかのごとく、あなたは明子さんに申し送りをした」
「ええ」
「『妖怪など本当は実在しない』と明子さんにバラすのは?」
「入学式の2週間ぐらい後を予定していました。でも私が聞かされてきた限り、10日もたてば、どんな新米の生徒会長も自分で気づいたのだそうです。万が一、気づかなかった場合にのみ、前会長の口からささやくという手はずでした…」
「そう…」
「いいですか。これまで100年近く、つまり過去50人の生徒会長について、このやり方でうまくいったんです」
「それがなぜ今回に限り、こんなことになったのかしらね?」
「それは私にも分かりません。もしも明子さんが生きていれば、2日か3日後には、私は真相を告げるつもりでいましたから」
そう言って口を閉じた前会長の顔つきは、この部屋へ入ってきて初めて、年齢相応で不安げなティーンエージャーらしいものへと変わっていた。
4
思わぬ長話になってしまい、前会長を帰らせると、すでに午後も遅く、クラブ活動の生徒たちもぼちぼち帰り支度を始めるころだった。
校内での原因不明の自殺。
しかも生徒会活動が絡んでいるかもしれないということで、私にはかなり広い裁量が与えられていた。
一般の教師たちや校長、教頭を尻目に、自由に調査を進めるところなど、まるでFBI捜査官にでもなった気分だが、今日の仕事はもう切り上げようかと、私も荷物をまとめ始めたところだったが、不意に気が付いた。
「…そうだわ。肝心の音楽室を、私はまだ見ていない…」
たまたま通りかかったのであろう。校長室から廊下へ出てすぐ、偶然にも私は、女生徒を一人見つけることができた。
制服をすきなく来て、2本のお下げ髪をたらし、親切そうな顔をしているので、音楽室への道案内を乞うたが、すぐに応じてくれた。
ここがしつけの厳しい学校だというのは本当のようだ。
音楽室は別棟にあり、そこへ行くには、長い廊下とドアを2カ所通り抜けなくてはならないのだが、そのドアを2回とも、この女生徒は私のために開き、かつ閉めてくれたのだ。
開けてくれたドアを私が通り抜けると、そっと作法通りにドアを閉め、彼女は小走りになる。
遠慮深く顔をうつ向かせたまま、私を追い越してゆくのだ。
私が次のドアの前に到着する頃には、すでに彼女はそれを半ば開きかけており、再びうやうやしく私を通してくれる。
まるで王侯か、貴族にでもなった気分ではないか。
音楽室は4階にあるから、少し階段を登らなくてはならない。
その時に私は話しかけた。
「ねえあなた、かわいらしい制服だけど、ワンピースというのは珍しいわね」
歩きながらチラリと振り返り、女生徒は答えた。
「ええ、素敵な制服だと思います。近隣の学校にも、あまりこういうのはありません」
「だけど洗濯が大変そうだわ。特にそのエリとそで口…。全体は紺色の制服なのに、そこだけが白いレースになっているのね。そこが汚れたら、制服全体をクリーニングに出すのかしら?」
クスリと笑い、女生徒はそでの部分を少し裏返した。
「ここのところは、スナップボタンで取り外しできるようになっているんです。エリも同じです。だから、ここだけ外して洗濯すれば済むんですよ」
「そうなの。よく考えてあるわね」
そうこうするうちに、私たちは音楽室に着いた。
女生徒には礼と別れを言い、私は一人になった。
音楽室の中へ足を踏み入れると、想像していた通りの風景が広がっていた。
机とイスが並び、教室の前方には、でんとグランドピアノがすえつけてある。
黒板には五線譜が書かれ、その上にはベートーベンとか、モーツアルトなどの有名人の肖像画がかかげられている。
思うのだが、あそこに日本人作曲家の絵を飾っている学校は少ないようだ。
なぜだろうと思う。
滝廉太郎とか、伊福部昭とか、日本人でも有名な作曲家は存在するだろうに。
この音楽室の中で、明子がどの場所に座っていたのか、私はすでに知っていた。
黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の机だ。
この音楽室では、生徒には出席番号順に席が割り当てられていた。
私はその席に座ってみた。
あの日の状況に少しでも近づけるため、1枚か2枚だけだが、窓も開けてみた。
それだけでも、春の夕暮れの気持ちの良い風が室内を満たしてくれる。
その席に座り、私は明子の気持ちになってみようとしたが、簡単なことではなかった。
何よりも、私はもはや16歳ではないのだ。
先ほど私をここまで案内してくれた女生徒は何歳だったのだろう、とふと思った。
2年生ぐらいに見えたから、17歳かもしれない。
自分の通う学校内で自殺があったのだ。あの女生徒も動揺していなかったはずはないが、そんなそぶりは見せなかった。
もっとも私も、この音楽室の前まで案内させたわけではない。
「この先の突き当りです…」
というところで彼女を解放した。
明子の自殺以来、音楽室の周囲は、生徒は立入禁止となっている。
「どんな顔をした女生徒だったかしら…」
だがもはや、私は覚えてもいなかった。
しかし、彼女と話した制服のことはよく覚えていた。
「そう、彼女も言っていた通り、ワンピースの学校制服というのは珍しいわ…。明子はなぜ、その制服を脱ごうとしたのだろう?」
最初から疑問に思ってはいたが、実はまだ一度もきちんと考えたことのない点であった。
「なぜ?… そうか」
私は気が付いた。
上下に分かれていない一続きのワンピースなのだ。
もしも普通のセーラー服であれば、明子の行動は違っていただろう。
この学校の制服では、スカートだけを脱ぎ捨てたくても無理だ。ワンピースごと全て脱ぐしかない。
だから明子は、別に胸や背中を級友たちの前であらわにしたかったわけではないのだ。
ただ明子は、スカートを脱ぎ捨てたかっただけ。
「ならば、どうしてスカートを脱ぎ捨てたいと?…」
スカートさんなる妖怪は実在しない。それは私も確信していた。
しかしそれは、私が大人だからであって、ここの生徒たちのような若さであれば、違っているかもしれない。
いや事実、生徒たちの心は半信半疑であろう。
「この音楽室の中で、自分のスカートの中に妖怪が入ってくるのを、明子は突然感じたのだ。それ以前には、半信半疑どころか、明子は90パーセント以上、すでに妖怪の存在を疑っていただろう。しかし、残りの10パーセントをまだ無視できないでいる。そこへ…」
音楽室の中には私ひとりしかいなかったが、もしも見ている人がいたら、
「あの人は何をしているのだろう?」
と、いぶかしんだに違いない。
私は立ち上がり、自分が座っていたイスを通路へと引き出したのだ。
それだけではない。
イスを上下逆さまにし、机の上に乗せて調べ始めたのだ。
目を皿のようにして探し求めたが、目的のものを私はすぐに発見することができた。
大きなものではない。
玉のように丸く、直径はせいぜい数センチ。色は薄茶色で、木材に似た色で、まったく目立たない。
「…そうか、4月か…」
陽気のなせるわざである。明子が飛び降りたのも、春の日差しの明るい日であった。
私は見つめ、それをイスの脚から引きはがすことにした。
こんなものでも、証拠品といえば証拠品であろう。
私が書き、提出するはずの報告書は、空前絶後の内容となろう。しかし事実とは、えてしてそうなのだ。
カマキリの卵を、読者はご存知であろうか。
カマキリとは、もちろんあの昆虫である。
去年の秋の終わりごろ、何かの都合で開け放たれていた窓から風に乗って、カマキリのメスが一匹、この音楽室へと迷い込んだのだろう。
このメスは卵を持ち、大きな腹をかかえていた。そしてその卵を、イスの足に産み付けたのだ。
それが偶然、黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の席だったわけだ。
想像してみてほしい。
あなたはまだ世間のことがよく分かっていない16歳で、高等学校という新しい環境へ放り込まれ、しかも、思いがけなく生徒会長という大役を任されている。
それどころか、その大役が、スカートさんとかいう得体のしれない妖怪と関わっているなどと、大真面目な顔で前会長から告げられたのだ。
しかし数日がたち、生徒会長としての仕事が軌道に乗り始める。
聡明なあなたは、
『妖怪なんて実在しない。ただ生徒会活動をうまく進めるための方便にすぎないのだわ』
と結論を出すのだ。
ところがそんなときに、突然の侵入者だ。
音楽の授業中、スカートの中へ音もなく忍び込んでくる者がいる。
本当のところ、侵入者とはカマキリの幼虫にすぎなかった。
陽気に誘われ、卵からかえり、現れ出たのだろう。
1匹1匹は、数ミリほどしかない小さなものだ。
しかしそれが、一度に何百匹もスカートの中へはい上ってくるのを感じたとしたら?
もし自分が明子と同じ立場だとすれば、私だって叫びだし、スカートを脱ぎ捨てて逃走するだろう。
事実、明子はそうした。
ワンピース制服を脱ぎ捨て、この場から逃げ去ろうとはかった。
運の悪いことに、明子の席は教室の入口から最も遠いところにあった。
しかし他にも出口はある。窓だ。
この陽気で、窓はすべて大きく開かれていた。
「あそこから飛び出せばいい…」
ただ不幸なのは、いつもの教室とは違って、ここが4階だったことで…。
生徒会長が音楽室で自殺した件