累卵之夢
大声で泣いてみたい
声を出し
泣いて叫んでみたい
苦悩を抱き
選択してゆく
進んでゆく
どこかで重ね
何も変わらないのに
言い訳を探すために
ずっと逃げている
ずっと人を夢見ている
『言い訳。』より
確立された詩
夕空はコントラストを失い
溶けた
黄昏は移り変わる
塗色されぬ空
確立なき心象
風景
先にしるしはなく
夜闇を刻む座標もない
何処にあるのかわからない
何処であるのかわからない
吐瀉された記憶
静寂と破綻へ
少しずつ欠けていく
緩やかに落ちていく
歩むごと零れていく
空蝉の境界線
倒錯した手影の群れ
蛇のようにのばされる
光に映しだされた
かみの前で
絡め侵す
互いを濡らし
際限なく繋がり
温もる闇に満たされ
やがて
各々は消息を絶ち
各々が全て忘れる
天には届かず
空とも向きあえず
顔を背け
朝が夜にならずとも
ひとり
だだひとり
回り続けるだろう
あちらこちら
夢なかの街をこちらに
持ちこみたいのならば
このまま続けること
だけを考えればよい
つまり
そうか
そう
なのだ
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆり籠にゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆり籠にゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆり籠にゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
残片を加工し{ }↓
→{ }下に積み
前提とし{ }←
{ }↓意識を囲い
矛盾としよう←{ }
偶像を解剖したが突き
止められない
追求 諦念
目的{ }具有
用途 物質
変容する欲望に答えを
持つなどできやしない
計算せよ!計算せよ!
わからない
なにもわからない!
なにもわからない!
そう叫ぶ
どこに?
つまり
そうか
そう
なのだ
さかさのさかさのさか
さのさかなの魚のさか
さのさかさのさかさの
さかさの魚のさかさの
さかさのさかさのさか
さのさかさのさかなの
さかさのさかさのさか
さのさかさのさかさの
さかさの魚のさかなの
運命を廻る回転木馬よ
わたしは
救われるだろうか
いつしかこちらを
いや
見境なく
すべてを曖昧に
連鎖と呼び
呼ばれた
わたしを夢なかに
とどまらせてくれる
手段とした
魂に傷をつけてくれる
方法は救いである
そちらに
生きるゆえに
重たくなった心臓は
不可逆的に傾く
もはや観測機はない
こちら
を
続ける
の
ですか
あちら
で
終える
の
ですか
亡者
の
等式
は
あります
か
注連縄
もうすこしであなたと交代できます。そうしたら疲れたと言って眠りましょう。その時まではおとなしく気取られないようにします。苦しくても縄でぎゅっとしぼりだせば、ふわふわくらくらした心地と現世を抜けたような快感を経験できます。強くしめてもらう感覚は、ほんとうに特別です。なにせ分け隔てられた常世に漂えるわけですから。なんだかもうどうでもよくて、頭の中に飾りたいだけなのです。あらゆる実現、あらゆる破壊はその日、わたしだけの世界の変化で、それはきっと星に手が届くという瞬間、祈りはあなたにではなく、静寂に届くという意味で、わからなくなったもろもろすべてを暗闇に溶かす行為なのです。なぜなら目を閉じると光はわたしのそばにあり、でもあまりに冷たく凍えてしまいそうだから、できる限り遠くに逃げようと急いだのですけれど、それほど早くはないから、鈍足だから追いつかれて、包みこまれて、寒くて、とても寒くて、肩をふるわせました。だから時間は嫌いです。止まればいいのでしょうけど、そんな都合のいい道理はないと彼らに怒られたので、いっそわたしがなくなってしまえば問題は万事解決するでしょうと、天まで続く苔むした石階段をのぼりました。あたりは霧で覆われ、水を含んだ緑の匂いとひんやりとした空気、下界を見下ろすとあれだけ騒いでいた群衆はきれいな、それは見事なまるい縁を描いてぐるぐるといつまでも回っているので、わたしはお腹を抱えて大笑いして吐きました。羽の生えた吐瀉物は「かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる」と、言いのこして飛び去りました。後ろに正面はないので振り返ることもできずに前へ前へ行くしかなかったのですから、どうしようもありません。やがて血のように赤い大きな大きな門が見えてきて、カッチコッチという音もついに聞こえなくなり、ようやく天頂に着いたのだと思えばほっとして頬杖ついて腰をおろしてしまいました。そうしたらなんだかうとうとしてきました。どうかだれもなにも知らないままでいて欲しいのです。すべて次の世界に持ち越しますから。さて、もうすこし待ったら出発しましょう。わたしですら受け入れてくれる、温かい闇へ向けて。
予言的6行詩
円環の文字列。誇大妄想。
さらされた真偽の分類。
どうか一緒に散らばる書物を拾い集めてほしい。
わたしを腐乱の地に投げ捨て否定せよ。
違う、間違えているのだと。
打ちのめされ、象に虚言を吐き安堵する。
不正を働く天秤がおりてきた。
さあ告白しよう。わたしとは自覚的な多次創作だ。
しかし赤色の救世主は創れなかった。
こぼれた黒インクは机に広がる。
海は地球平面説の証拠だと魔女は叫ぶ。
太古の昔、この世界を食べたのは象。
だれでもいいのに
だれもいないのに
だれかいないのに
だれもこたえない
ねえどこにいるの
蟻たち。
時を誤魔化した道化師。軽々しい嘘偽りよ。
庇護を求めカタコンベに逃れた。
彼らは這いあがってくる。
足先から膝に腹に乳房から首筋をなぞり
口を淫猥に触れ眼球を通ってゆく。
なすがままに侵食されよう。
抵抗せず、誇らかな石膏像は崩れた。
骸はかたかたと笑う。
欺瞞をまとめ審判の日をむかえる。
追及、弁護、審理、証明、反証、結審、遡及。
自己完結できない酔いどれ達は死を歌い狂う。
ついにガベルは叩かれる。判決の時。
だれも信じないし
信じてもいないと
いないのはだれか
だれとはわたしか
おまえはひとりだ
蟻たち。
増減する断片的で整合性のない物々
明確に音の減った世界
——————————
名前も知らない音楽を聴いていた
ひとりでいる静寂に耐えきれない
無機物に漂う魚にもうまくなれず
微妙な均衡だった▽かつての日々
許されず鰭は海の底へ消えてゆく
どちらかあるいはどれかもしくは
今この時よりしっくりくる雑音を
選ぶだけなので想ってはいまいと
そう言い聞かせ△つまり海馬とは
わたしの波であると自戒をこめて
言い訳を砂浜に付しておいただけ
欠けた時系列の情報網
——————————
なぜ君が飛びたかったのかわかる
今なら凸今なら凹今なら凸今なら
ここまで落ちていなかったわたし
いつか壊れることは決まっていた
すべて何もかもどうしようもない
どうしていつも遅れるのだろうか
どうして間に合わないのだろうか
何一つこたえられなかった何一つ
翼の片割れなんてどこか知らない
暇つぶしの後にふと訪れる罪悪感
空虚な気持ちでぱたぱたはためく
償いのない架空の手紙
——————————
こうなるのは最初からわかってた
右目でしか泣けないわたしを厭う
空に夢を書くという苦しみの甘受
課題もわからないままに提出した
わたしというあなたのアナロジー
架けられたシンパシーは崩落する
空し手によって握られた筆は進み
逃れられない終末によろけ向かう
手をとめ溜息を吐き魂は出てゆく
紙と向き合い擦れきったインク跡
雲に隠れる光には届かないだろう
妄想という言葉の魔法
——————————
期待し紺珠をつかんだはずなのに
藍色が好きな理由を思い出せない
苦しい時にも歌える歌詞のない歌
枯れてしまった言語の韻律と波長
歌えないわたしの心という不完全
理想主義者は今日も金を昇華する
笑えもしないのに笑顔を繕う秘術
代償を忘れるなけっして忘れるな
夢見る幼子を拒み太陽を拒むのだ
上手く唱えられない忘失した呪い
それはきっとわたしにかけられた
中途半端な嘔吐物と虚
——————————
見つめないと言い張る見栄を纏い
自意識の欠落と予兆のない戯言に
わたしは夜夜踊らされているのだ
息を潜めて逃げ終わろうと懸命に
かの朝をむかえる焦燥を感じつつ
やがて何もかも執着は消えてゆき
いつか言葉も選べなくなるのだと
大地にぽっかりと空いた穴を背け
あれはわたしの吐き出した嘘かも
早く早く闇に溶ける舞台の幕引き
騙され輝く白い月の前でダンスを
停止する巨大な建造物
——————————
建前に隠された退廃—勃興と没落
どこへも行けない不可能な巡礼で
不変を望めない石碑群を見上げる
ぬぐわれた懐かしい感情への嫌悪
存在しえない聖地への憧れと嫉妬
囲まれた墓石群に怯え震えながら
反抗ゆえ叶わぬ願いそして祈りと
永く途切れない死する魂への詠唱
そんな都市はとうにかわっていて
最初にわかっていてかわっていて
わかっていてかわるけどあんなに
自動又連鎖的反芻思考
——————————
今はもう思い返せない激しい恨み
曖昧な思慕をひとつひとつ指差し
嘘つき嘘つき嘘つきと言って回る
痛みのない悲涙をもとめ顔を覆う
あなたにとって愛情は綺麗なのか
あなたにとって愛情は真実なのか
ただ理由を忘れていくだけの毎日
わたしはどうしようもない愚者だ
すこしの慰めにもならないほどの
わずかな優しさを胸に抱き彷徨い
想ってはいけなかったのか忘れる
墜落した星の記憶装置
——————————
昨日のどこかに劣等感を感じる
明日のどこかに劣等感を感じる
だから絶望の今日に身をやつす
わたしは幸せから隠れる影法師
居場所を失い眠りつく人の心よ
あの夜空に浮かぶ6等星に願う
わがままでひとりよがりな物語
差しこむ光で目覚めることなく
いつか消えるとわかっていても
終わりのない子守唄を耳もとで
静かに休ませてくれますように
消息を知りたかった もういない誰か
そのような気もするのは、たぶんもう忘れてしまっているから。
えぐり抜く痛みがただ唯一の救いで、眼前の人形は無意味であると知ってしまった。でも果たして、ほんとうにわかっていたのだろうか。忘却を知覚できないわたしは何に対し安らぎを感じ、求めればいいのだろう。
いいえ、それすら空しいのかもしれない。
だって、わたしはあなたを探した——もういないのに。
大気はわたしのすべてを逃さず抱擁し、風は劣化するわたしの表層をさらさらと砂のように崩し、天へとさらう。だからこの世に染みつき、残されたいっさいの感覚を過去に遺し、記憶の収束、始点と終点を探しに出かけた。
はじめは山とつまれた夢。
人類は昔から眠るだけ寝て、起きる前に夢を捨てる。それらは誰にも片付けられず、ただ積もってゆく。
わたしが夜、山頂で寝ていないのに目を覚ますと、しんしんと雪がふっていた。肌に触れても寒くはない粉雪だった。なぜならそれらは音であり、言葉であり、ビジョンだったから。
良い夢も悪夢もわけへだてなく、融雪という自然の摂理を知らない白雪は裸のわたしにまとわりつき、仕立物屋の猿が泣きながらわたしを採寸する。夢の印象を人の体にあわせようと……ううん、消えてしまいたいから。
なくなりたくてもなくなれない骸と化した夢たちは破壊されようと意識を求め、交わろうとする。
仕立物屋の猿は儚さを失った彼らを哀れに思い、せめてもの救いとして、まとわせる意味をあたえようとしたのだろう。そうして山に浸透する雨水は川となり、海にそそがれ、やがて雲にあげられるように、循環をもとめ彷徨せんと。
わたしは彼らを鼻で深く吸いこむ。
うっすら桃の甘酸っぱい香り。
もしかすると彼らは海底にふりそそぐマリンスノーなのかもしれない。人々の無意識の死骸や排泄物で、分解されようと漂っている。
わたしは彼らを舌にのせ、口に入れる。
うっすら柘榴の甘酸っぱい味。
やがてわたしは暗闇をほのかに照らす雪山に、ゆっくりと沈む……。
はじめは散らばった浜辺。
おぼれたのかしら、たくさんの珊瑚を吐瀉した。
さざ波で洗われる長い髪、濡れた雪のように白いリンネルのワンピース、そしてスナガニと目をあわせるわたし。
彼らの開けた小さな巣穴に指を入れ、鼓動を感じる。スナガニはふしぎそうにわたしの手にのり、巣穴にむかって腕を伝い、行ったり来たりして迷う。
そうか、わたしの腕は臍帯、つまり今、三つの綱で海とつながっているのだ。
海はなぜお母さんなのだろう。たくさんのスナガニを産んだ時、彼女は苦しんだのだろうか。
すると潮汐がわたしの体をたぐり、なすがまま転がるように波にもまれ、砂と混ざりあう。
たくさんの栄養をふくんだ水泡、ふくらみはじける七色の泡ぶく、歌い朗誦する海。降りそそぐ光のカーテンが波長によらない音をきらきら輝かせ、やがて深海に溶け、息吹は波を起こし、遠く浜辺に打ち寄せ、散らばる言葉の源に耳をかたむける。
これは誕生の詩。そして太陽と月が波を引く時、ほとばしる血潮を詠う。
息のできない場所から生まれただなんて、お母さんは嘘つきだ。吐きだされた罪深いわたしはいつしか切り離され、ひとりで起きあがれない無力な赤子となった。
浜辺のスナガニは心配そうに近づくと、砂団子をわたしの口に入れた。
ねえ、わたしおぼれたのかしら、たくさんの珊瑚を吐瀉したの。
はじめは寂寥とした沼沢地。
しがらむ水草、泥だらけのワンピース姿のわたしは名前の知らない母の歌を唄う。ベッドでうとうとする子どもの耳元で聞かれる古い子守唄、ゆっくりと母音の多いやわらかな声を発し、青と緑に覆われた湿地をわけもなく歩く。
しばらくして老人の腰のように折れ曲がった白い枯木にすわる。
夜の帷がおりて、周囲は濃い紫とチャコールへ変貌してゆく。
枯木の端っこには夜と同化した鴉がこちらをじっと睨みつけていた。わたしの目玉をつつき、やわらかなお尻の肉を食べようと狙っているのかしら。残された骨は巣の一部にでもなるの?
わたしは目を細め、手を胸に、唇は名前の知らない子守唄を口ずさむ。
くるぶしほどまで浸かった底なしの水面に映る、知らないわたしの青ざめた顔。枯木から飛びおりればきっとひとつになれるだろうけど、まだ子守唄を歌い終えていないから、ああ、もうちょっと待っていて!
しびれを切らした青ざめた手は終の道へ案内しようと水からぬらり出てきて、わたしの足首をむんずとつかむ。飢えた鴉は獲物を取られまいかと興奮しながらこちらにトントン近づく。それでもわたしの唇はかまわず知らない歌を唄う。
わたしは夢見る時、あなたを忘れる。
わたしは産みだす時、あなたを忘れる。
わたしは愛する時、あなたを忘れる。
すべて忘れ壊してしまった、いくつもの感情であなたを形作るから。
音にして言葉にしたら、あとは捨てにいくだけ。
お願い、聞かないで。
これは忘れてしまったおとぎ話し。
書いたそばから忘れてゆく、むかしむかしのお話し。
はじめは————。
ときのま
——7:01A.M.
でかける時間。
どこに? 知らない。
むりだ、うごけない。
数日前、有料動画配信のお試し期間を始めたのに、ぜんぜん引きとめてくれなかった。だけど、なにもかもいいんだ。もういい。あのぉスミマセン、そこで見おろす神さま、人生のお試し期間はもういいんで、すこしのお金と終わらせるエネルギーをくれませんか。まだお酒も飲んじゃダメな歳だけれど、時間ならもうじゅうぶん使いつくしたんで。
こうして脳内時間だけはだらだらと過ぎる。
わたしを呼ぶ瑞香ちゃんの声が聞こえる。学校、むかえにきたのかな、断らないと。
地球外生命体の友人と交信するため、みだれたベッドの宇宙で消息を絶つわたしの小型TMAを探す。昨夜、あおむけでぼんやり眺めていた小型モノリスは、地球侵略をたくらむ宇宙人の睡魔に襲われ、どこかの星に落っことしたみたい。でも、お布団にのまれてどこかにあるはず。わたしの頭を支えた月の裏か……ない。どこにもない。
「うごけない」といいながらもベッドで息をあげてダンスするわたし。そしてあきらめ、直接会えばいいやと横着な考えに移行するわたし。
いも虫のようにモゾモゾ這い出る。床をモゾモゾ、モゾモゾ。
すると瑞香ちゃんはわたしを指でつまんで持ちあげ、手のひらにのせて、じっと見つめる。彼女はゲジゲジの虫とか平気みたい。
「おはよう」と、瑞香ちゃんは言う。
いも虫がしゃべれないことに気づいたわたしは、サナギとなり妖精に羽化した。
「妖精は変態しないのよ」
「じゃあニンフね」と、わたしはちょっと恥ずかしそうにこたえた。
瑞香ちゃんは笑顔でうやうやしく会釈し、なりたて新米ニンフの手をつかみ、カビ臭い湿気たコンクリート階段を軽々と駆けおりる。
古い浴室のテカテカした水色タイルの地下鉄駅に出て無人改札をさっと抜け、発車ベルの鳴り響くホームに停車している黄色い電車へ飛び乗ると、待っていましたとばかりに電車は動きだす。だれもいない車内にイスはなく、がらんとして広く、整然とならんだ吊り革だけがリズムよく揺れ、「おいで、おいで」とわたしたちを誘う。
「気をつけて。あの吊り革は食虫植物よ。手をかけたら取れなくなる」
瑞香ちゃんはそう言ってニンフの肩をぎゅっとよせ、吊り革を避けるよう壁際に立つ。彼女の首筋から匂う、沈丁花のうっとりするような甘い香り。
窓の外は暗闇に蛍光色の閃光が前から後ろへ矢のように流れている。
「こうして矢をたくさん射るのは、みんな狩りをしなければ生きていけないからよ」
先住民は、それぞれ地下鉄各駅の間を縄張りに、隠れて生活しているらしい。だけど最近は開拓民がやたら街の地下に穴をあけるから少数になってきているみたいだと瑞香ちゃんはおしえてくれた。
考えてもみると車内は明るいわけだし、地下を照らす灯りは必要ない。車窓だっていらない。駅はどこも同じで電光掲示板や車内アナウンスがつぎの駅をつたえれば、地下先住民は人知れず穏やかな日々を送れるのに。
「そうやってすべてを壁で囲い、実を食べた人間は開かれた目を背けるのね」瑞香ちゃんは窓にうつるニンフをまっすぐ見て言う。
ニンフは顔を避け、隠れるように彼女の首に鼻をよせる。
「瑞香ちゃん、なんの香水つけてるの? 花のいいにおい」
定期券はとっくに切れていて、ジョバンニのようにどこまでも行ける効力なんてなかった。停車前に偶然、朽ちてボロボロになったから、たまたま車窓から水がたくさん流れ、成長した吊り革はつたのように絡まり、電車という意味をうしなったから改札口を通らずにすんだ。
わたしたちはつたに覆われた西洋風の東屋でアップルティーを楽しんでいた。
「ずっと遠くまで広がる、きれいなコスモス」と、瑞香ちゃんはいたずらっぽく言う。
「わたしたちだけの秘密の庭ね」満足げなニンフはティーカップに口をつける。「ここが宇宙か秋桜なのか、だれにもわからないもの」
——そして春か秋かも。——ふたりの思いは通じあい、くすくす笑う。
「わたしたち、転生したのかな」ニンフは言う。
「輪廻、信じているの?」瑞香ちゃんは聞く。
「ううん。わたしはわたしだけ」
「そっか……じゃあ不可知論者ね」
「わたしだって神さまにお願いくらいする。すこしのお金と終わらせるエネルギーをくれませんかって」
「でも死んだ人は神さまにお願いをしないわ。沈黙の国へ去るためにお金もいらない」
「じゃあなぜ悩む人に光を、苦しむ者に命をあたえたの?」すこし不満げなニンフ。
「わたしにプレアデスの鎖は解けない」と、瑞香ちゃんはおだやかにつぶやく。「オリオンの紐も」
「それなら瑞香ちゃんとどこまでも一緒に行く! 沈黙の国だって!」
「見て。はじまる」瑞香ちゃんはすっくと立ちあがり、目を輝かせ、前方を指さす。
宝石のような星々はいっせいに流れ、金色の花びらは散りぢりに舞っていく。
ああ、ふたりだけのコスモス、みんな、みんな、還ってしまう。
はじまりの時を恐れるニンフはあわてて瑞香ちゃんの手をとろうと腕をのばす。
でもすでにいなかった。間に合わなかった。だから、だから、わたしは時間を憎んだ。
「ただあなたの字になれば、それでよかったのに!」
ニンフはそう叫び、ひとりぼっちで泣きじゃくる。
目をひらき、いつもの天井が見えた。
すうっと涙がほおをつたう。
涙の温度は絶対に言わない。おしえれば、もう会えなくなるから。ほんとうの無機物になる前に、後悔できそうなものを探しにゆく。
「もしももうそも、もうじゅうぶんだよ」
ニンフは鼻で笑う。
どこかで時を知らせようとモノリスは震え鳴っていた。
——7:00A.M.
ゲネ——GENE
わたしはこの名を捨てたかった
きみはその名から逃げたかった
ほどけた紐先にのびる
手すりのない二重螺旋階段を
それぞれ駆けあがる男女
誰の目にも投影されない不可視の関係。交わらないのにどうして目指せるのだろう。どこへ行こうとわたしたちは変わらなかったはず。行くべき場所や帰るべき家はない。しかし右手にしっかりと見えない天への鍵をにぎっている。失われた楽園できみはわたしたちはひとりなのだと教えてくれた。きみのやわらかな手はわたしの顔にそえられ、耳もとで吐息に近い声を吹く。
出逢った時はおたがい、かわいた涙を掬う方法すら知らない幼子のような精神でも、やがては目をつむり、額を、頬を、鼻を、唇を、首を、手を、魂すらも縫いあわせ、ドレスにできる関係まで成長した。つぎはぎだらけのボロ切れを身にまとい、深い森で開かれるささやかな舞踏会をわたしたちの始まりにしたのは遠い昔の話。幸福は口にする作為ではなく、感じあう体験だと確信していたのは嘘ではなかった。
アンティークドレスの裾をつまみ
逃げるようにして去る女
鏡映反転は見え方なのだという。つまりきみとわたし、鏡を境に溶けあうことのない、ひとりとひとりとしての実相と鏡像。いつからか自然に……そう、天井に描かれた雲ひとつない青空のように純粋で屈託なく、わたしたちはふたりでいるのをやめるべきだと思った。ひとりとひとりではなく、ただひとりだけで歩む必要があるのだと。ふたりの愛にひとつの目的があるとしても。
そしてきみは今、時間に追い立てられたシンデレラのように上へ上へと急ぎのぼる。終わらない反転からの逃避行、ミノスの迷宮に果たして出口はあるのだろうか。きみにとって透明なガラスの靴は避けられない運命、永遠性から切り離された過去に落とし、時の使者に見つからないよう願っているのだろう。唯一解けなかった魔法の靴を。あらゆる束縛への恐れ、あるいは深層の夢へ密航を遂げるためだとでも? それゆえきみはクロッシェ帽で顔を隠す。
ふたつの階段を結び合わせる
数々の巨大な白い梁を見あげる男
それらはねじれた梯子のようにどこまでも続く。すると無数の写真がふってきた。印画紙は地上で輪舞する群衆の天恵また糧となり、啓発を受けた多くのハエが彼らの周囲を飛びまわる。過ぎ去った日々、気休めほどの影像をとらえたわたしたちの瞬間を人々は飽きることなく貪り、消化してゆく。
受容、羨望、嘲笑、嫉妬、嫌悪、裁定、忘却の吐瀉物にハエは卵を産みつけ、欠陥ある情報としてうじがわく。ゆえにわたしはこの名が嫌いだ。きみもその名を嫌う。わたしたちは禁忌を共有し、自我を絶えず侵され蹂躙された。さあ手を出し、わたしたちの恥部を喰らえ、喰い続けよ! そして吐くがいい。それがお前たちに許された自由なのだから。わたしたちは絶えず食べられ、食べつくされ、すべてなにもかも吐きだされ、ハエがまとわりつく。ああ、もはや残された欺瞞を手放せはしない。
丸い梁にそれぞれ彫られた
理解できない文字を口にする女
その四つの文字がわたしには大きな意味をもつように思えて、出来心のように反芻せず言葉にしてしまった。わたしが望んだからきみは応じた。告白したのはわたしで、きみはそれに囚われるであろうと悟りつつも、承諾し、共に誓った。わたしがわたしのためにつむぎ続けるきみとは、そういう女だ。菫がやがて枯れようとも、わたしたちに訪れる凋落をまったく恐れずに!
対の文字は多くの組み合わせで配列されるように、わたしたちにも多くの像があるのだと信じていた。欠けたものを補い、一体になれるはずだと。それゆえ透明な湖の底にある泥をかき混ぜ沼地となっても、照りつける太陽を引きずりおろし、星ひとつない闇夜となっても、わたしたちは破綻を克服し、複製のため梁に傷をつける。
終わりを告げる時計の音にざわめく群衆
女をひたすら追いかける男
カリヨンのように荘厳な合唱が鳴り響く。恐怖に取りつかれた人々は助けを求め、地上を捨て天へとのびる階段に雪崩のごとく押し寄せる。吐瀉物は汚濁した海となり、彼らを飲みこむ。荒れた海は階段と梁にぶつかり、波飛沫をあげ破壊してゆく。わたしたちの足もとはぐらりとゆれ、きみの細い足は階段のふちによろめきむかう。
カルバリで髑髏は堕ちろ、堕ちてしまえと狂ったように叫ぶ。女はちらりとこちらを見て笑い、手で顔を覆うと迷わず身を投げた。帽子は飛翔する白い鳩となり、わたしは天を強く仰ぐ。天使に付され、それより劣るわたしたちに与えられなかった翼をどうか背中に! わたしはきみを追いかけねばならない。きみにたどりつかねばならないのだ! きみはあくまでわたしの名から逃れるのだろうが、それでもわたしは鍵を放り投げ、きみに追いつく。
アポトーシスにむかう階段と梁
中空を舞う男女
はじめの天と地、海なき新しい天と地、構造の異なる世界よ。わたしはダイダロスの翼で飛ぶ。天井画の高貴な空は裂け、階段とそれをつなぐ白い梁を崩落させた。地上では死の渦巻く闇がすべてを無へと帰す。わたしは破れた空にたずねる。きみは虚構へと昇天していたのかと。そこまでしてわたしの名から逃れようと懸命に。すると、たくさんの雨が下からふる。あたたかな雨つぶはわたしに違うとこたえた。では、わたしたちは複製のため、幾十億体もの偶像を生みだすために対価として、結合における刹那の快楽と苦痛を共に分かちあい、消えてゆくのか。
雨粒が輝きはじめる。それは空の裂け目から差しこむ栄光の反映だった。わたしの翼の蝋は溶けてゆく。そう、傲慢なイカロスは海に落ちたのだ。わたしはむかってきた青紫の雲へ飛びこみ、かきわけるように進む。役割を全うした翼、まとわりつく虚飾、あらゆる記憶を脱ぎ捨て、なにもなく、なにものでもない姿で雨の源を求め続ける。ようやくわたしはこの名から解放されたのだ。雲をつき抜けた先に見えたのは光芒に照らされたきみだけだった。わたしたちはこれからもこの世という舞台で観客を前に光をあび、歌い、踊り、語り、重なり、別れ、逃れ、追いかけ、そして終幕まで演じ続ける。
さあ、きみと新しい生命を書きこむ稽古を終えよう。
男は女の手を
女は男の手を
————暗転
かの器を夢む
人と仮定された器に
失い忘れた感情を見つけよう
不確かな行為を繰り返し
傷つき ひび割れた器
絶望の縁からあふれこぼるる雫は
魂の質量を減らす泪とし
嘘で散った現の砕片
変わらぬ結末を幾百もばら撒く
無形の真実は
道化の手を取り
その身を侵しあう
つながり 関係し 交じり
息ある土塊となった
もはや真実と呼べぬほど
不純物そのもの
それでも愛されるのだろうか
わたしのはらんだ あの欲は
表裏なきテラコッタをのぞき
底に残された命の符号を探す
夢という言葉
朝という言葉
歌という言葉
光という言葉
風立つ草原で器に口づけし
腕広げ 漆黒の蝶と舞い踊り
抱けると信じていた
青空に笑いかけ
無私の手をかかげる
あおむけにふわりと倒れ
まぶた閉じ
それでも救いを求め
どこまでも打ち沈む こゝろ
なにもかもわからぬまま
深く 深く 暮夜に祈ろう
西風は数多の墓標を旅し
ヒヤシンスの香りと
眠る器たちのささめきを届けた
大地の呻きに耳をかたむける
伝わらなかった 挨拶を
聞こえなかった 返事を
日々とらわれて なぜと
どうか解き放してほしい
恩寵を知らず摧破した器たちよ
いつかひとつになるのだ
それでも残るのだろうか
わたしの生んだ あの罪は
行路
鷹は蒼空に新たな流線を思うままに引く。
たむける花束を手に歩んだ道を消す、ただひとりのわたし。
遠く、丘の上には動かすことのできないほど大きな石が見える。おそらく古代の人々が神秘の方法で削りだしたのであろう神殿。そこには捨てきれず、引き剥がせない記憶が静かに眠っている。
草原に吹きおろす冷たい風はわたしの影を波のように揺らす。しかし神殿にむかいならぶイトスギたちの時は止まっていた。わたしはまだ腐敗してゆく時間、生から死を遂げる流れの不可逆的な決め事に縛られているのだ。それゆえ頬や唇にぱちぱちとあたっては消えてゆく光の粒を感じたり、知らない花の香りが青草の甘い朝露と混じりあい、呼吸するたび鼻腔をくすぐり、至福や恋慕に近い陶酔を楽しむ無邪気な肉体に多少の愛着を覚えてしまう。すると消したはずの道が現れ、神殿は靄に覆われ、イトスギは多くの手となり、わたしにむかって伸び、絡みつく。
わたしはひとつ忘れ、代わりに免罪符をひとつ得る。そして彼らはわたしを許す。こうしてゆっくりと一歩ずつ、歩いては道を消し、消しては道を歩く。定められた手順を踏むと、やがて影の波は止んだ。
足元に赤瓦の葺いた屋根に石造りの家が建っていた。かがんで窓から中をのぞくと部屋にはドールハウスのようなミニチュア家具がならぶ。一番奥のマントルピースのそばに揺りイス、本とマグを乗せた丸いサイドテーブル、壁には古い静物画がいくつもかけられ、動物の置物やティーセットを飾る磨かれたマホガニーの飾り棚まで整然と配置されている。わたしは目を輝かせ、あちらこちらに視線を移す。胸にときめく暖炉の炎が灯りはじめ、食事の準備をすませ、家族の帰りを待つ面影を重ねる。食卓机にはレースのプレースマット、白磁の皿と銀製カトラリー、中央に立つ三灯の真鍮燭台は質素なテーブルフラワーを照らす。背後の道は再び現れ、神殿は霧に隠れ、イトスギは愛する人の形となり、わたしの首を絞めた。
わたしはまたひとつを忘れ、かわりに免罪符をひとつ得る。そして彼はわたしを許す。こうしてゆっくりと一歩ずつ、歩いては道を消し、消しては道を歩く。定められた手順を踏んだ時、家は燃えて灰となった。
天蓋つきのベッドでマネキンはひざまずいて祈る。今日の感謝と明日の平安の願いは息吹となり、天へ捧げられた。そして涙をこぼす。ネグリジェ姿のマネキンは赦しを請うている。過去の過ち、内在する罪の法則に苦悩し、みじめな自分を救ってもらうため、せめて一夜の眠りをわけ与えてもらおうと。わたしは悲嘆に暮れ、悔悛する敬虔なマネキンを慰めるために近づく。すると良心は訴え弁明しあい、善悪の天秤は呵責でかたむき、無性な不安に襲われる。ベッドの周囲は闇にのまれ、マネキンは顔をあげ、なにかに気づき振り返ると、花束を持つネグリジェ姿の少女がふるえていた。マネキンはためらうことなく少女のそばに寄り、抱きしめ、長い黒髪を耳元からうなじに優しく撫で、キスをする。呼吸のリズムはだんだんと一致し、ほどけていた魂がひとつになるよう結ばれ、安堵そして喜悦があなたからわたし、わたしからあなたへと駆け巡り、全身は心地よく満たされてゆく。朦朧としたわたしは天蓋つきのベッドで横になろうと足をむける。背後の道は再生し、神殿は霞み、イトスギはわたしの胸を締めつけた。
わたしはまたひとつを忘れ、かわりに免罪符をひとつ得る。そして彼はわたしを許す。こうしてゆっくりと一歩ずつ、歩いては道を消し、消しては道を歩く。定められた手順を踏んだ時、天蓋つきベッドと寝ているマネキンは夜に落ちていった。
くるぶしほどの高さの透明な水に足を入れたわたしを泉は責める。静寂を破り、美しく投影していた神殿を汚してしまったから。わたしの立たせた水紋はさざなみとなり、水没した街に争いを起こす。泉は膝の高さに——罵り、傷つけあう音が聞こえる——腰までくるとカラスが平和を鳴き、肩に、そして頭の先まで水に浸かると再び静かになった。水底で青草がゆらゆらと腰をふり、わたしを誘う。人が呪われた地に足をつけ歩き続けるのはなんと重労働なのだろう。胎動を起こしたあの時から、感覚に目覚めたあの時から、旅の準備をし、やがて、外界でもがきあがいて立ちあがるのだ。
「そうよ……だから」と、青草たちは言う。「楽になりなさい」
乳を授けようと母は揺籃に横たわる赤子を抱き寄せる。むかしむかし、人は善悪を知る前、神の胸元で眠る赤子だった。誰もいない地上はどこまでも穏やかで、どこまでも静かな揺り籠ように、そこで人は満足してさえいればよかった。あの時なぜ少しばかり背伸びしたのだろう。子のままでありさえすれば、わたしは今ごろ。しかし禁忌の柵をよじ登り、刹那の自由を追い求め、泣きながら、あてのない旅を始めてしまった。
「そうよ……だから」と、青草たちは言う。「楽になりなさい」
わたしは力を抜き、ふくんでいた息を泉にゆだね、肺は水で満たされてゆく。すると消したはずの道は示され、神殿はゆがみ、イトスギは一本の紐となり、わたしにむかって伸び、臍につながろうとした。
わたしはまたひとつを忘れ、かわりに免罪符をひとつ得る。そして彼はわたしを許す。こうしてゆっくりと一歩ずつ、歩いては道を消し、消しては道を歩く。定められた手順を踏んだ時、泉は干上がっていた。
大理石の階段はのぼるごとに崩れ、神殿を前にした時、背後は光でも闇でもない、遍く儚となった。わたしは入り口中央の台座に花束を供える。すると巨大な扉は音を立てずに開き、むこうでは許された鷹が蒼空で思うまま流線を描いていた。
自由の選択に揺らぐ、ただひとりのわたし。それでもみずからの意志で選び、決まった道を歩き続ける。なにも残さず、なにも叶わないと知っていても。
孤児たちは今日も天に抗い、手を伸ばす。
ゆえに残りの手順は遅々たる歩みとなるだろう。
しかしゆける。
戻れない夢へ。
これが最後なのだと。
やがて、扉は無となった。
累卵之夢
累卵之夢【るいらんのむ】は星空文庫さんにてpublic domainとなっている、あさい寝床さん(https://slib.net/a/26216/)の作品集を独自解釈し改変を加えた詩や散文です。
散りばめられた言葉の観念や反復された語句を掘り起こし、意味を付しては削りを繰り返し、時を逆転させ、作品を構築しました。
今にも崩落しそうな自己と他者の混在した思考集積また自家撞着、悶え、痛み……。これら「わたし」にとって「夢」であり、「あなた」にとって「儚」である形象は「無」ではないかと思索し、題を『累卵之夢』としました。
改変作品一覧(同順)
『確立されない詩。』,『どちらとどちら。』,『次。』,『どれでもいい。』,『増減する断片的で整合性のない物々。』,『空。』,『時間。』,『遣取。』,『逆説。』,『許。』
表紙絵『累卵之ム』