殺人鬼
俺は人を斬った。斬って斬って斬りまくった。人を斬り過ぎて刀の切れ味は鈍り、もはや斬殺と言うより撲殺に近い形で殺し続けた。やっとの事で一波を退けると一息ついた。どうやら俺は異界に連れ去らわれてしまったらしい。人殺しは慣れっこだが、こうも日夜襲われてはうんざりする。
しかしこの世界はお腹が空かない。寝なくても平気だ。疲れもしない。この世界はいつも黄昏時程度に明るいが太陽はないから具体的な日数は分からない。体感で言えば3日3晩ほどこうしているだろうか。
「どこからともなく雨後の筍の様によぉ…」
死体の山の上を踏み歩いてどこかへ向かう。自分もどこへ向かうのか知らない。ここから出られれば何でもいい。まずは村だか町だかを目指そう。こうもひっきりなしに狙われたのでは命がいくつあっても足りない。この世界の住人がお面の連中の様な狂人ばかりじゃないといいが…。
死体のお面に足の指を引っかけて転んでしまった。右手は得物を握っているし、左手で顔面を地面にぶつけない様にしたが血で滑って鼻を地面に打ち付けてしまった。
「いってぇ…折れたか?」
触ってみると痛むが鼻は無事だった。ここの連中はどういう訳か犬だか猿だか鳥だかお面をかぶっている。ご尊顔を覗いてやろうとすると消えてなくなる。一体何がどうなっているんだか。
しばらく歩いていると川が見えて来た。俺は顔を洗おうと川に近付く。すると近くの岩に腰を下ろして呑気に琵琶の様な楽器を弾いている奴がいた。武器は持っていないが他の連中と違ってお面をつけていない事が気になった。
長い髪に血色をまるで感じさせない肌。目は研いだ刃物の様に鋭く口元は僅かに笑っていた。薄気味悪く思いながら距離を開けて近くの水辺に寄る。
「一汰、殺しはそろそろ飽きたか?」
「あん?」
野太く芯のある声が俺に尋ねた。奴は構わず楽器を演奏し続けている。
「殺しは飽きたかと尋ねているんだ」
…何で俺の名前を知っているのか疑問に思った。俺はこの世界に来てから誰にも名を名乗った覚えがない。もし俺の名前を知っている可能性があるとすれば…。
「お前もこの世界に引きずり込まれた口か?」
「私か?私は自分から望んでここへ来たんだ」
「誰だお前」
「死神だ」
物狂いに違いない。せっかく珍しく話せる奴と会えたと言うのに。俺はため息をついて顔と刀を洗うと今後どこへ向かおうか考える。川を辿って行けば人の住むところぐらいは見つかるだろう。近くに山は見えないのでひとまず川の流れを辿って歩く事にした。
「それで、殺しはもう飽きたのか?」
死神を名乗る物狂いは背中を向けて歩き出す俺の背中に尋ねる。俺は無視した。後ろで彼は他違ると俺の後を追って来る。俺は抜身の刀を後ろの男に向けた。
「ついて来るな。でなきゃ斬り殺す」
「やってみるといいさ」
俺は奴の胸元に僅かに剣先を突き刺した。これにビビってどこかへ行けばいいと思った。
「ほら、あっち行け」
男は両手で刀身を握ると自分の胸に押し込めながらこちらに歩いて来る。奴は自ら胸で刀の根元まで飲み込んだ。
「う、うわあっ!何だお前!!」
思わず腰を抜かして刀を手放した。普通ではなかった。奴は腰を抜かしてる俺を見下ろし微笑むと胸部に突き刺さった刀を抜いて俺に返した。刃には血の痕が全くない。
「これで信じて貰えたかな」
「変な世界に迷い込んで変な連中に連日襲われると思ったら今度は死神かよ。何の用だよ、俺を殺しに来たのか?」
「いいや。この辺に迷子がいたみたいなんで連れ戻しに来ただけだ」
「連れ戻しにって…元来た世界に?」
「俺の質問には答えない癖に随分と問するんだな」
質問…。そう言えば聞かれていたな。殺しに飽きたかどうかだったか。
「ああ、もうすっかり懲りたよ。殺しはもううんざりだ。だから元の世界に連れてってくれよ。この世界には苦しみもねえが快楽もねえ。腹は空かねえが美味しい物も食えねえ。寝なくていいが眠れねえ。どこまで行っても荒野と地平線があるばかりだ」
「そうか。なら帰ろう一汰」
死神はそう言うと川を渡り出した。俺もその背中についてく。
「なー、本当はそう言って俺をあの世に連れて行こうとしてるんだろ?俺改心するから生かしておいてくれよ」
「まあ来世から頑張るんだな」
「げえっ、やっぱり俺をあの世に連れて行こうとしてるんじゃねえかよ!」
「どうせそんなつもりはないと言っても信じないだろうからな」
こいつは信じていいのか駄目なのか…。とはいっても他の行くアテもないしこのままこの辺りをさまよいながら殺されるまで殺し続ける日々を送るのもごめんだ。何か現世に戻れる方法を見つけ、本当にあの世に連れて行こうものならどうにか逃げて生き延びよう。
道中、俺はお面をつけた集団に襲われた。死神はその度に立ち止まって俺が連中を殺しきるのを待っている。罪が重くなって地獄行きになる気がして「これは正当防衛だ」と死神に言うが、彼は俺の行いを批判したり非難する事はなくただ眺めていた。何人もの敵を切り伏せてからようやくある事に気が付いた。
「何でこいつらはお前を襲わないんだよ」
「こいつらはお前に恨みがあるのであって俺に恨みはないからな」
「はあ?俺がこいつらに恨まれてる??俺はこの世界に足を踏み入れた瞬間からこいつらにずっと襲われっぱなしだぞ。俺がいつこいつらの恨みを買ったってんだよ」
「顔を見れば分かるだろう?」
俺は目の前で死体の顔についてるお面を剥ぎ取って見せた。しかしお面を外すと中から煙が溢れて死体ごと消えてしまう。そこら中の死体を漁っては同じ事をして見せた。
「この通りだ。どうやって素顔を知ればいいんだよ」
死神は腕を組んでしばらく俺を眺めていたが「そのうち分かる様になるさ」と言ってまた歩き出した。俺はこいつらの素顔や正体についてしつこく尋ねた。しかし死神は無視するばかりで何も答えてくれなかった。
「おい死神、道に迷ってんじゃねえか?」
俺は苛立ちながら死神に行った。まるで足が棒の様になって来た。
「疲れている様だな」
「見りゃ分かんだろ。この通りくたくただし、お腹は空いた…」
そこまで言いかけて改めて自分の身体の状態を意識した。そうだ、今まで3日3晩は戦ってきたのに疲れもしなかった。お腹も空かなかった。なのにこうして歩いているだけなのに足は疲れお腹も空きだした。
死神は振り返ると微笑む。
「少しずつ生を取り戻している証拠だ。もう少しで休める場所に着く。そこまで頑張れ」
そう言うとまた歩き出した。死神は疲れている様子は全くない。人殺しを咎めないのならせめて襲われた時ぐらい助けてくれればいいのにと思った。歩行のペースだってぐらいこちらに配慮してもらいたい物だが…。頭の中であれこれと愚痴を呟いているとやっとの事で藁ぶき屋根が見えて来た。そこそこ大きな家だ。
死神がまるで自分の家であるかの様にずかずかと中に入る。俺は刀を構えて奇襲に備えた。しかし中にはあのお面の連中はどこにもいなかった。
「あの連中、どこかに定住地があるんじゃねえのかよ」
「ない。あれはそこらで湧くものだ」
そう言うと死神は袂からお香を取り出し小さな皿の上に置いて火を点けた。いい香りが部屋に充満する。俺は床に横になった。
「死神は寝るのか?」
「寝ない。寝てる間は俺がお前を守る。安心して横になれ」
「それはありがたいな。…なあ、何か腹に入れる物を持ってないか?」
死神は袂を探る。やがて饅頭を取り出すと俺にそれをくれた。手に取ると表面がぱさぱさしている。食べても大丈夫なんだろうか。いや、今はこの耐え難い空腹を癒せればなんでもいい。俺はそれを口に放り込んで食べる。
水気はないがそれなりに甘くて美味しかった。しかし1つ食べると胃がもっとくれ、もっとくれとゴネだす。
「なあ、他にはないか?」
「死神は食事をする習慣がなくてな。お前が食べた饅頭の他には持っていない」
「食べる必要がないなら何で食べ物を持ってるんだよ」
「死神の少ない娯楽だ。ここ最近は民の信仰心も薄れお供え物も少ない。悲しい事だ」
「現世に戻ったらお供え物する様にするよ」
俺は空腹を我慢しながら死神に背を向けて眠った。しばらくすると辺りが賑やかになって来た。体を起こして周りを見るとあのお面を被った連中がこちらを覗きこんでいた。俺は刀を取り出すが死神が制止する。何故止めるのか尋ねるが答えない。
俺は辺りを見回すが不思議な事にお面の連中は襲って来なかった。ただこちらを覗いているだけで何もしてこない。
「なんでえ、やる気ならかかって来いよ!」
俺は怒鳴る。死神は「よせ」と言って俺をなだめる。不思議に思っていたがふとお香に目が留まった。
「ははん、そのお香だな。お面の連中はこのお香の匂いがあるから中には入れない。そうだろ?」
「正解だ。このお香の煙がある限り連中は襲って来ない。俺が絶えない様にしてやるから寝ていろ」
「はいよ。へへん、連中あのお面の下でどんな表情してるだろうな。きっと猿の尻みたいに顔を真っ赤にしてるに違いねえ。へっ、ざまあねえな」
死神は何も言わなかった。俺は改めて連中をじっくり見まわす。よく見ると全員男だ。お面は相変わらず犬、猿、鳥しかいないがよく見るとお面の表情は泣いたり怒ったりしている。ひょっとして俺に殺された奴の遺族とかなのかな。
俺が現世で殺した連中の遺族の怨念がああしたお面の化け物になって俺をこの世界にいざない襲い掛かっているとか。
「一汰、お前はこの世界に来る前の事を覚えているか?」
「ああ?当たり前だろ。俺は元々追い剥ぎだったんだ。人気のない所にのこのこやって来る間抜けを殺して金品を奪って生計を立てていたのさ」
「それで、そいつらの顔は覚えているか?」
……思い出せない。どいつもこいつも顔がはっきりしない。それほど大勢を殺して来たのかもしれないが1人2人ぐらいは印象に残る顔ぐらいあっただろうに1人も思い出せない。おかしい。
いや、それだけじゃない。どこで殺したとか、どんな奴を殺して来たとか、どんな方法で殺して来たのかも思い出せない。ここに来た時、俺は刀を持っていたんだ。刀で殺して来たに違いない。
「殺した奴の顔なんざいちいち覚えてねえよ」
「一汰、実を言うと俺にはお前がお面を付けて見える連中の素顔が見えている」
俺は体を起こす。
「どんな顔だ、どんな連中なんだ。元来た世界の知り合いなのか?」
「服装から何か思い出せないか?」
服装…。俺はお面の化け物共の服装を見る。あれはどこにでもいる庶民服…。あ?いや、Tシャツ?宇宙服?デニム?鎧?なんだ、意識してみると視界が揺れて服装をしっかり見る事ができない。分からない。こいつらは一体どんな服をしているんだ?
気が付けば俺の持っている刀も包丁になっている。
「…訳が分からない。頭が痛い」
「もう寝ろ。寝るんだ一汰」
俺は死神の言う通りに寝る事にした。横になって眠りに落ちるまではそうかからなかった。
目が覚めた。死神は燃えて少しずつ短くなっていくお香を眺めている。
「起きたか。もう大丈夫か?」
「ああ。出発しよう」
死神はお香の火のついた部分を手で追って残ってる方と灰を捨てた皿を袂に入れた。辺りにあのお面を付けた化け物たちはいなくなっていた。諦めたのだろうか。まあ何でもいい。俺は包丁を掴むと死神と一緒に出発する。
「リーチが随分と短くなったな。現世まで持つか…」
「問題ないだろう」
他人事の様に言う。まぁ真意が何であれこいつは俺に用があってここにいるのだ。万が一の事があればあの昨晩の様に守ってくれるのかもしれない。そう思う事にした。包丁はリーチが短くなったが代わりに刃こぼれはなくなり鋭利だ。
それからまたどこまでも続く道を歩き続けた。襲って来るあのお面の連中も持ち物がナイフになったり手鎌になったり以前より得物のリーチが短くなっている。戦い方が多少変わっても相変わらず動きが鈍いので傷を負ったりはしなかった。
家を出発して半日ほど歩き続けた頃、襲って来る輩の数が減って来た気がする。
「ひょっとしてもうすぐ現世か?」
「どうしてそう思う」
「追手が少なくなって来た」
「…まあお前の言う通りだ。現世は近い」
やはりそうか。
しばらく歩いているとやがて霧が深くなった。奇襲を警戒したが襲って来るお面の化け物は1人もいなかった。ひょっとして相手方からもこちらの位置が分からないのだろうか。なんて考えているうちに霧は晴れた。
視界が良好になると目の前に関所の様な場所が現れた。門の近くには鬼の面を被った奴がいる。今までの連中とはつけてる面が違うが…。どうせ友好的でもないだろう。俺は包丁を握り奴の方へ向かう。
「戦うのか?」
「通してくださいと言えば通してくれる様子にも見えないだろ」
近くに寄ると奴も包丁を取り出した。お互いに交わす言葉もなく刃を交える。今までの連中とは違って動きが俊敏で俺の動きを的確に読んで来る。やがてその動きについて行くのが難しくなり、体中に切り傷が増えて行く。
興奮状態にあるためか痛みはそれほど感じないものの着実に追い詰められていた。俺の疲労具合を見た鬼の面の化け物はいよいよ俺の急所を狙いだし仕留めに来た。鋭い切り上げを回避しきれず包丁で攻撃を受ける。すると刃が折れてしまった。
「クソッ!」
鬼の面の化け物は更に一歩踏み込んで喉元を狙って来る。後ろに下がって回避を試みるも口の端が切れてしまった。口内に鉄の味が染み込む。何とか一旦距離を取ろうと下がるが足がもつれて尻餅をついてしまった。
鬼の面の化け物は俺の上に馬乗りになり包丁を両手で握ると振り下ろそうとする。俺は口内の血をお面の目の所に向けて唾を飛ばすようにして吐いた。一か八かだったが見事に目に血が付いたらしく怯む。俺は大きく体を捩って相手を振り落とし、逆に馬乗りになる。包丁を掴む腕の手首を掴んで押さえつけ、反対の腕で包丁を握って無我夢中で切り刻む。
やがて動かなくなったのを確認して俺は手を止めた。
「はぁ…はぁ…、参ったかクソッタレ…」
少しずつ冷静さが戻って来ると奴のお面の紐が切れ取れかかっているのが見えた。どうせ他の連中と変わりないだろうが…。そう思いながら鬼の面を捲った。
「何だよこれ…、どういう事だ…?」
俺は目を疑った。鬼の面の下には素顔があった。そしてその顔は他でもない俺と全く同じものだったのだ。
「顔が見えたか」
俺は死神の元に向かうと肩を揺さぶって尋ねる。
「おい、どういう事だよ!何で鬼のお面の化け物の顔が俺と同じなんだ!」
「更に言えば今までお前が殺して来たお面の連中も全て同じだ。全部お前と同じ顔をしていた」
気が狂いそうだった。変な世界に迷い込んだと思えばお面の連中が襲って来て、そのお面の連中の顔が俺と同じだった??死神はお面の化け物は俺に恨みがあると言っていた。
「俺を恨んでいたのは…俺を殺してやりたいと思っていたのは…俺…?」
その時、俺の中に記憶が蘇って来た。ここに来るまでの記憶。
俺は3人兄弟のいる家に生まれた。年上の兄2人は自分とは比べ物にならないぐらい優秀で、いつも劣等感に苛まれた。親には出来損ないの烙印を押され、兄達にはいないものとして扱われた。自分はできる人間なんだと必死に努力した。同級生の流行はとても気になったけど勉強に打ち込んだ。だから友達もいなかった。クラスでいつも孤立していた。
努力のやり方が駄目だったのか、あるいは単純に生まれ持った才能の違いなのか。結局やる事為す事の何もかも実を結ばなかった。努力は目に見える形で結果を残さなければどんなに血の滲む過程を経てもが他者から評価はされない。だから俺には何も残らなかった。
そう、だから俺は…。
「自分を殺したんだったか」
この世界にいる理由も、ここの住人が俺を殺そうと襲い掛かって来る理由もわかった。手元の包丁は消え、体についた傷も消えてなくなる。目の前の自分の死体も。
「この門に入るとどうなるんだ?」
死神に尋ねる。
「元の世界に戻れる」
「本当にあの世に連れて行くために来たんじゃなかったんだな」
「お前は生きながら地獄に落ちてしまったんだよ。生者をそのまま死なせる訳にも行かないからな」
「死に損ねたのか。そのままにしてくれた方が親切だった」
「お前は充分に死んだし殺されたさ。生まれ変われよ。選択を狭めなければお前の人生まだ捨てたもんじゃない」
「死神が生者に生を説くとは、世も末だ…」
クソみたいな人生だった。今更可能性の模索をしたって無意味かもしれない。努力が徒労で終わるかもしれない。死神のせっかくの気遣いも虚しく近いうちにまた身を投げるかもしれない。
それでも、今この瞬間だけは『まだしばらく生きてみてもいいかな』って思えた。これまでは兄に負けない弟にならなくてはとか、親の期待に沿える子にならなくてはとか、全てを擲ってでも価値ある人間にならなくてはとか思い込んでた。案外生きる理由なんてそんなもんでいいのかもしれない。俺は門の向こうに向かって歩き出した。
殺人鬼