赤とんぼ
妻陽子と連れ添って、もう30年にもなる。
しっかりとした優しい性格で、面倒くさい事はいつも陽子に押し付けていたと思う。
その陽子が去年の初め頃から急に体調不良を訴えたり、日常生活において物忘れが酷くなってきた。
ちょっとした物忘れは今に始まったことではないが、買い物に行ったスーパーから自宅への帰り道を思い出せずに、近所の奥さんに伴われて帰宅することが何度か続いた。
不審に思って病院で診てもらうよう勧めたが、本人が渋って行きたがらない。
「大丈夫ですから・・・ちょっと疲れているだけですよ。」
「大丈夫なものか、僕が付いて行くから・・・」
そう言って陽子を急かすようにして病院に連れて行くと、思わぬ診断に驚いてしまい、僕は体が震えだすのが分かった。
「奥様はまだ53歳ですが、アルツハイマーだと思われます。若年性痴呆症と診断できるかと考えられます。」
「アルツハイマーって?・・・先生!妻はまだ50を過ぎたばかりで・・・」
「アルツハイマーとは元々若年性痴呆症を含むんです。何も老人だけが患うとは限らないのですよ。」
陽子の頭部断層画像を見せられながら、僕は信じられない気持ちで説明を受けていた。
「妻には何と説明を?・・・」
「奥様は気付いていらっしゃいました。ご自分で介護なさった義理のお父様が、最初はこんな症状だったと仰られて。」
5年前に他界した僕の父を、陽子は施設に預けることなく最後まで一人で看取った。
その長い介護は3年近くも続いた。
父が他界した時、僕等子供や親族は「やれやれ・・・」と言う感じで見送ったが、陽子だけは最後まですがるように悲しみを隠さなかった。
けなげに介護の苦労をいとわなかった陽子が、今度は若くして父と同じ病になってしまった。
僕はこの不条理な運命を、呪いたい気持ちだった。
病院の帰りに車の中で、陽子と話をした。
「どういう病気か気付いているんだって?医者がそう言っていたが・・・」
「ええ、そうじゃないかと思っていました。ただ、あなたに面倒掛けるのが気の毒で・・・」
余り会話は続かず、僕たち二人には絶望感さえ漂っていた。
医者は、病の進行はある程度は薬で抑えることも可能だとは言っていたが、若年性は信じられないほど進行が早い例もあるとも説明された。
(この陽子がボケる?そんなこと信じられるか・・・)
そう思いながら、悲しい表情を浮かべた陽子と帰宅した。
通院を始めた陽子だったが、ある朝、話があると言い出して、僕は彼女と向き合って茶の間でその話を聞いた。
「私が自分を忘れ、そしてあなたの事も忘れてしまった時は、どうぞ遠慮なく私を施設にでも預けてくださいな・・・」
「何を言い出すんだ、まだ呆けてしまうとは決まっていないだろう。弱気になるな!それに娘たちにも、このことを相談しないと・・・」
私たち夫婦には嫁いだ娘が2人いるが、2人ともこの家より遠くに住んでいた。
しかし嫁に出した娘たちに、面倒を掛けるのは抵抗感もあった。
それに娘たちの生活にも、それほど余裕が有りそうには思えない。
私たち夫婦も常日頃、娘たちに世話を掛けないよう話し合っていた。
「あなたに私の世話なんてさせられませんよ。それに呆けた姿をあなたに見せるのは、申し訳なくて耐えられないわ。」
そう言いながら、陽子の目には涙が光っていた。
「それからもう一つ、あなたに話して措きたいことがあるの。あなたには黙っていようと思ったんですが、今しか話せないと思うの。
今でも自分が責められる話で、あなたにとっては厭な話だとは思うけども、我慢して聞いてもらいたいの。」
「何だよ、改まって・・・」
「何も言わないで聞いてくださいな。お願いだから・・・」
陽子はそう言って話し出した。
陽子の話は、末の娘が嫁ぐ頃から始まった。
その娘の結婚式が終わると、陽子は暫く何も手に付かなかったが、これからはパートでもして自分の楽しみも作ろうと思っていた。
近所のスーパーにレジ打ちの仕事を得て、毎日張り切ってやっていたある日、駅前の交番より連絡を受けた。
「ご家族だと思われるお爺ちゃんが、迷子になられて・・・」
それを聞いた陽子は急いでその交番に駆けつけたが、『お義父さんが迷子?・・・』そんな筈はないという気持ちが強かった。
交番で事情を聴き、今朝まで異常は無かったことを説明したが、父の様子に何か違和感を感じていた。
交番から解放されて、振り返って父に聞いてみた。
「お義父さん、何の用事でここまで来たの?迷子になるようなお義父さんでもないでしょう?」
「はて?お宅はどちらさん?私は約束が有って、汽車に乗ろうと先を急いでいるのだが・・・」
それが僕の父がボケ始めた、最初の出来事だった。
陽子が自宅に連れて帰ろうとするのを、父は異常な態度で嫌がり、大きな声で陽子を叱りつけた。
仕方なしに、交番の警官に助けてもらって、無理矢理のようにタクシーに押し込めて連れ戻ったらしい。
それから父のボケは進み、陽子はパートどころではなくなった。
一日中、体は達者な父に振り回され、あるいは外へ出て行かぬように四六時中監視していなければならなくなった。
ちょうどその頃の僕は仕事の現場が遠方にあり、単身でその現場近くに泊まり込んでいた。
帰ろうにも交通の便が悪く、僕もその現場の責任者の一人だった手前、父がボケだした事も電話でやり取りするしか方法は無く、全てを陽子に任せっ放しにしていた。
電話口の陽子には父に対しての愚痴は無く、話を聞けば大変そうだったが遠く離れた僕には現実味が感じられず、日々に仕事に追われて陽子の苦労など忘れがちだったのが実情だった。
父は日ごとに様子が違っていた。
普段は陽子のことも忘れてしまっていたようだったが、その内陽子を聞き覚えのない名前で呼び始めた。
そしてすぐに、聞き覚えのない名前の主と陽子を取り違えるようになってしまった。
父は最初の学徒出陣組で、海軍少尉として青春時代を過ごした。
特攻隊に志願したが、もうその頃には練習機さえ特攻に使われる始末の軍隊では、練習飛行さえ出来なくなっていた。
やむなく父は、ベニヤ板で作られたボートに爆弾を積んだ特攻船で、敵艦に体当たりする任務を与えられた。
しかしその攻撃も有効な功をなさず、次第に行われなくなりそのまま終戦を迎えた。
そんな経歴の父だったから、僕ら兄弟は幼少期より厳格に育てられた。
だが、そんな厳格だった父がボケてしまった。
今では陽子の事を、「ヨシさん、ヨシさん」と呼びながら探し回る、昔とは違った父とは思えない別人になってしまっている。
陽子を「ヨシさん」と呼ぶ父は、恥ずかしそうな表情をして、モジモジした態度で陽子に近寄って来る。
陽子も慣れてくると、「ヨシさん」と呼ばれると、その人に成りきって返事を返すようになった。
父は時折、庭で陽子が大切に育てた花壇の花をへし折り、恥ずかしそうに陽子に渡したり、手紙のようなものを書いて寄越したりした。
その都度陽子は花のお礼を言ったり、手紙の返事を書いて父に届けたりした。
その程度の父の行動ならまだ良かったが、ある夜、陽子が入浴していると窓の外で大きな音がした。
まだその時には家に娘が残っていたので、その音に驚いて外を見回ったらしい。
その娘の陽子を呼ぶ声に、陽子も急いで風呂から飛び出し外へ出ると、そこには引っくり返った父の姿があった。
父は風呂場の窓から、陽子ならぬ「ヨシさん」を覗こうとしていたらしいのだ。
父の周りには踏み台にしようとしたのか、バケツや箱が散乱していた。
幸い父には怪我は無かったが、陽子にはボケたとはいえ父がまだ男なんだと思い知らされた出来事だった。
そんな事があって少しは父も大人しくなるかと思っていたが、これも病がなせる業なのか一向に治まる気配もなく、陽子を益々「ヨシさん」と思い込んだらしい。
台所で陽子が洗い物をしていると、後ろで物音がしたので振り返って見ると、そこには敬礼をした父が立っていた。
「ヨシ殿!只今戦場より帰還してまいりました。どれだけ会いたかったか・・・」
そう言って父は号泣した。
陽子が父からもらった「ヨシさん」宛ての恋文によると、「ヨシさん」は父が学生時代に一目惚れした女学生らしいことが判った。
父が道脇から、勤労奉仕の為に並んで歩く集団の中に、「ヨシさん」を見つける喜びが切々と書かれていた。
つまり僕の母と一緒になる前の、初恋の相手だったかも知れない。
その時代の事は僕には想像もつかないが、父はボケると時間を逆戻して失った悲しい青春時代に生きているようだった。
そんな夜、今度は陽子が部屋で寝ているとドアを叩く音で起こされて、開けてみるとそこには父が立っていた。
陽子は父に言い聞かせて部屋に戻そうと、背中を押して連れて行こうとするが、ボケていても体の丈夫な父に陽子の力は到底及ばなかった。
それから何度も夜中にそんな騒動が有り、陽子は寝れない毎日が続いた。
そうする内に、父が徘徊をしだした。
「ヨシさん」を探しているのか夜といわず昼間でも、ちょっと目を離すと外を歩き回るようになった。
ご近所にも迷惑になるし、昼夜問わずおちおち寝れない。
かと言って陽子は、急な用事で施設のDAYサービスに短時間預ける以外は、父を施設に預けようとは考えもしなかったらしい。
そんな陽子がとった対策は、父と一緒の部屋に寝る事だった。
お互いの手首を柔らかい紐で結び合わせて、布団を並べて寝るのである。
出歩かないように、そして躓かないように灯りはつけたままである。
父も隣で「ヨシさん」が寝ているものと思い込んだのか、最初は上手くいったように思えた。
しかし夜中にも関わらず、父には夜が来なかったようだ。
昼間の疲れで寝ている陽子を、
「ヨシさん起きてくれ、ヨシさん早く帰ろう・・・」
等と言っては、陽子を揺り起した。
起こされる度に陽子は「ヨシさん」に成り代わり、父に言い聞かせるが1時間も経たない内に、父は陽子の体を揺さぶった。
そんな事が日常だった頃、父が夜中に隣で寝ている陽子の布団の中に潜り込んで来た。
疲れがピークになっていた陽子は、最初は気付かなかった。
陽子は胸に息苦しさを感じて目が覚めたが、自分の体を父に抱きしめられているのに気付いた。
陽子は驚いたが、父を刺激しないように小さな声で、父に言い聞かせようとした。
「お義父さん、放してくださいよ。息が出来ないわ。」
しかし、父には陽子の声は聞こえていないようだった。
「ヨシさん、やっと一緒になれたんだね。もう放さんぞ。生きて帰った甲斐があった・・・」
と言いながら、キツク陽子を抱きしめる。
陽子は驚きと息苦しさに、気が遠くなる程だった。
(もう駄目だ!)
と陽子が思った時、父はいきなり陽子の体を解放して立ち上がり、部屋の中を何か探すようにウロウロしだした。
「そうだ、土産が有ったんだ・・・」
そう言いながら部屋のあちらこちらを引っ掻き回す。
咳き込むほどの陽子だったが、やっと落ち着いて
「探している物は何ですか?」と、父に問いかけた。
「米だよ、米。あんた知らないか?基地から出る時、皆で毛布を分けたんだ。それを旅館で米に換えたんだが・・・」
それを聞いた陽子は、父が探すのを諦めずに外へ出るのを心配して、急いで台所へ行きスーパーのレジ袋に米を入れて父に手渡した。
父は何とも嬉しそうな顔をして、
「おう、あったか!これでヨシさんが喜ぶ。早く帰らねば・・・」
そう言って陽子に敬礼をして、部屋から出て行こうとする。
「お義父さん私ですよ。・・・ヨシですよ、ヨシはここにいますよ。」
陽子は出て行こうとする父に向ってそう言いながら、何とか父を座らせようとした。
「すまないがヨシさんは家で待っておる。どこの誰だか知らんが、赤の他人に大事な米は分けられん!」
さっきまで陽子を「ヨシさん」と思い込んでいたのが嘘のように、今度は陽子を赤の他人と言い捨てた。
それでも陽子は部屋から出て行こうとする父を、何とか押し止めようと揉みあうようにしていたが、ちょっとした拍子に父が大事そうに抱えていたレジ袋が引裂け
中の米が部屋にばら撒かれてしまった。
父は激怒して、今は赤の他人に見える陽子を罵倒したが、陽子は溢れる涙を拭いながら手で米を寄せ集め拾っていた。
そんな出来事が有っても、陽子は父と毎夜お互いの手首を結び合って寝ることをやめなかった。
「もし怪我でもさせては、申し訳なくて・・・」
繰り返される毎日が、最大限に頑張る陽子の神経と体を痛めつけていったのかも知れない。
しかしそうする内に、父の体が段々と衰えを見せ始めた。
徐々に食も細くなり出し、黙ってジッとしている事が多くなった。
陽子が話しかけても何も返答しない事が多くなり、足の方も弱ってきたのかあまり外へ出て徘徊しようとする雰囲気も感じられなくなった。
そうなると陽子の負担も軽減されたように思えたが、実際には父の体調面での心配が、新たな負担になってしまったようだ。
体が弱くなってきた父に、ある変化がみられた。
今まで陽子の事を「ヨシさん」と思い込んでいたのが、今度は自分の母親と思い始めたようだった。
父の生きる時間はまた一挙に戻ってしまい、幼少の頃に生きていた。
「お母ちゃん・・・」
父は陽子をそう呼び始め、起きている時間は離れようとはせずに甘える仕草をみせた。
少しでも陽子の姿が見えないと、大声で「お母ちゃん!」と呼び、弱くなってヨロヨロとした足で探し回った。
そして夜になると、眠れぬ父が起きだして陽子の布団に潜り込み、陽子の乳房を触ったり口を付けたりしだした。
それは性的な愛撫ではなく、子供が母親のおっぱいを求めるような、極自然的なものだったと陽子は言った。
「正直言って、こうなる事は分かっていました。」
疲れ切った陽子には、何の術もこれ以上は考えられず、体力的にももう諦めしか残っていなかったのかも知れない。
これで父の気持ちが落ち着くならば、これで徘徊がとまるなら・・・
「思いっきり体を伸ばして、何も気にしない時間が欲しい。」
これがその頃の、陽子の最大の願いだった。
しかしある朝陽子は、娘の甲高い叫ぶような声で目を覚ました。
「お母さん!何をしているの!お爺ちゃんが、お爺ちゃんが・・・」
まだ眠っていた陽子の乳房に、父が口を付けているのを学校の朝練に行く娘が見てしまった。
それで年頃の娘が驚き、声を張り上げてしまった。
陽子は後で娘にこの事を話したが、多感な時期の娘には言い訳にも取ってもらえず、むしろ嫌悪感を含んだ態度を返されてしまう。
「その事をまだ気にしていると思うの。今では分かってくれているとは思うんですが、ちゃんと話し合うことが出来ずにいたから・・・」
陽子は僕と娘が話し合って、その時の弁解と誤解を解いてくれるように頼んだ。
陽子が父の体調や家庭内のの事を心配していた中、父が三日程寝込んでしまった。
そして入院させることも考えて、早めに病院へ連れて行こうとしていた矢先の日だった。
昼頃になり父に食事を用意しようと、陽子は台所に立っていた。
「お母ちゃん!」
いきなり父の声が後ろで聞こえ、驚いた陽子は父に近寄った。
「お義父さん、もう起きて大丈夫なんですか?」
すると父はまるで子供のように背筋を伸ばして元気よく、
「お母ちゃん!明日は運動会です。頑張りますから、美味しいおにぎりをお願いします。」
陽子は何よりも、久々な父の笑顔と元気そうな声に安心した。
その時はうわべだけの返事で父を納得させたが、夜になっても父は同じ事を陽子に訴えた。
陽子はひょっとして父が、明日になっても覚えているのではないかと思い始め、次の日に朝からおにぎりで簡単な弁当が作れるように用意していた。
この頃の父は昼も夜も取り違えていたが、昼前に起きるといつものように陽子を呼んだ。
「お母ちゃん!お母ちゃん。」
「おはよう!お義父さん。外は絶好の運動会日和ですよ。」
陽子は父が覚えていないだろうと思っていたが、半信半疑でそう声を掛けてみた。
するとそれを聞いた父の顔がパッと明るく輝き、
「そうだ!今日は運動会だった、早く行かないと・・・」
そう言って、だいぶ動き辛くなった体を起こして、部屋の外に出ようとする。
陽子にはボケ始めた頃の父との間には、まだそれなりに会話が成立していたが、最近の父は独り言のように呟くことが多く、陽子の言葉はほとんどが一方通行になっていた。
それが今日は久々に、父との会話が成り立った。
陽子もそれだけで嬉しくなってしまい、病院へ連れて行くのを明日に伸ばし、今日は父と一緒に外へ散歩にでも行きたい気分になった。
それだけ父は久しぶりに元気そうで、明るい表情をしていた。
陽子は父に、「さあ、運動会へ出かけましょう。」
と車椅子に乗せて、すぐ近くの河原へと向かった。
おにぎりの弁当を持って、父と陽子の二人っきりの運動会が始まった。
河原へ着くと父は車椅子から自分で降りて、走る格好をしてみせた。
「お義父さん、頑張って!」
陽子の声援が、スタートの合図になった。
父は子供に戻ったように走り出したが、2・3歩進むと膝から崩れるようにしてその場にうずくまってしまった。
「お義父さん!大丈夫ですか?どうもないですか?」
陽子は父に駆け寄り助け起こそうとしたが、父は子供のように泣き出してしまった。
「良いんですよ、お義父さん。頑張ったじゃないですか、早かったですよ・・・」
悔しそうになく父を見て、陽子にも涙が溢れた。
「さあ、お弁当にしましょうか?」
二人並んで、河原でおにぎりを頬張った。
食が細くなっていた父も、この時は別だったようだ。
「お母ちゃんのおにぎりが一番だ!」
陽子の顔をしっかりと見て、父が嬉しそうにそう言った。
陽子の顔が完全に母親の顔に見えていたのか、父の笑顔は屈託のない少年の表情をしていた。
河原での運動会の帰り道、車椅子に乗った父から呟くような声が陽子に聞こえて来た。
「どうかしたんですか?お義父さん。」
父は陽子の声など聞こえないように、まだ何かを呟き続けている。
よく聞いてみると、童謡の赤とんぼを父が歌っていたらしい。
それも一番の歌詞だけ何度も繰り返して。
そして陽子も父に合わせて、一緒に赤とんぼを口ずさみながら歩いた。
すると父の声もハッキリしてきて、二人でかなり大きな声で歌いながら帰ったと言う。
夕焼けにはまだまだ時間はあったが、陽子は遠い昔に見たキレイな夕焼けに、父と一緒に優しく照らされているような気がした。
そして父の顔が、夕焼けに照らされたように紅顔の少年のように見えていた。
その日は父も疲れたのか、早めに寝入ったようだった。
明日は父を病院に連れて行こうと思いながら、父と手首を結び合って陽子も眠りに就いた。
そして深い寝入っていた陽子は、父の声に目覚めた。
「陽子さん、今までえらくお世話になったね。陽子さんに贈り物が有るから、きっとその内に届けるよ・・・」
そう言い残し、父は笑いながら立ち去ったと僕に話した。
夢だろう?と僕は言ったが、陽子は本当に父がそう言ったのだと信じていた。
二人きりの運動会の翌日、父は布団に寝たまま息を引き取っていた。
朝に一度は目覚めたようだったがまた深い眠りに就き、いつまでも起きない父を不審に思った陽子が気付いたのは昼前だった。
安らかな顔で、眠ったまま父は逝った。
父の最期を看取れなかった陽子は、嘆き悲しんだ。
「最期に気づいてやれなかったことが、残念で申し訳ない。私が無理させたことが、お義父さんを黙って逝かせてしまった。ごめんね、ごめんなさいお義父さん。
独りで旅立せて、寂しかったでしょう・・・」
そう言って棺の中の父に泣いて謝り、いつまでも傍から離れようとはしなかった。
僕は陽子の話を、申し訳ない気持ちで聞いていた。
しかし今度は、最後まで父に付き添った陽子が父と同じ病に罹ってしまった。
仕事を理由に父の看護の全てを陽子に押し付けた事は、自分の妻と言えども辛い思いをさせたと、正直その時になって心底悪かったと思った。
父がボケたとはいえ陽子に不快な想いをさせた事も、僕の思いやりが無かった事が原因だったと責められる思いがした。
しかし僕にはまだ仕事があった。
二人の娘とも相談して、交代で家に来てもらい陽子の世話を頼んでいたが、それにも限界があった。
その内陽子は自分で望んでいるかのように、自分の世界へと行ってしまう。
症状が思ったよりも早く進行してしまった。
僕は悪いとは思いながらも、陽子に火を使う事はさせられず、付きっ切りで介護できない環境ではお互いのためにもならないと、陽子を施設に預けた。
休みには必ず陽子の元へ通った。
施設の高台には、真っ青な海の水平線が見える場所があった。
そこに散歩して、陽子と二人の時間を過ごす。
時が過ぎるにつれ、陽子の記憶から僕は消えてしまい、そして忘れられた。
そんなある日、僕たち二人はいつもの場所へと散歩した。
日差しも気持ち良く、心地よい風が海の方から吹いていた。
そうしたら草の上に座っていた陽子が、いきなり歌い始めた。
曲は赤とんぼだった。
僕も追いかけて、陽子に合わせて歌った。
何度も何度も繰り返して、お互いの手を握り合って海を見ながら歌い続けた。
その内陽子が歌うのをやめて、僕を見つめた。
「お父さん、今度はいつ来てくれる?早く来てね・・・」
陽子は屈託のない笑顔で、僕をお父さんと呼んだ。
僕を実の父親だと思っているらしく、僕の父に続いて陽子もまた子供に戻ったらしい。
その時、陽子がよく言っていたことを思い出した。
「もし願いが叶うなら、幼い時分に戻って私を手放しで可愛がってくれた父に、もう一度会いたい。もし会えたなら、思いっきり甘えてみたい・・・」
幼い時に亡くした父親を、陽子はいつまでも恋しかったのだろう。
疲れたり悲しい事があると、時折陽子はそう言って実の父親を懐かしんでいた。
はちきれんばかりの笑顔を僕に見せる陽子を見ていて、僕には有る思いが浮かび、空を仰ぎ見て亡くなった父に問いかけた。
「なあ、親父よ。陽子に贈り物とはこれだったのか?そりゃあ陽子は父親に会いたがっていたさ・・・。でも随分早すぎやしないか?
陽子がボケてしまうと知っていたのか?今度は僕に陽子の面倒を看るんだぞという事なのか?僕に陽子の父親になれっていう事なのか?」
不意に陽子が僕にしがみつき、
「お父さん、今日はおうちに陽子も連れて行ってよ。陽子はお父さんと一緒にいたい・・・」
口を尖らせるようにして、子供に戻った陽子が僕に訴えた。
「ああ、そうだね。お父さんのおうちに来るかい?ご馳走は作れないけど、それでも良いかい?良いのなら、お父さんと一緒に暮らそう。
お父さんも陽子が一緒に居てくれたなら嬉しいよ。」
陽子が元気に、「うん!そうしたい!」と頷いた。
今日で僕は、陽子を自宅に引き取り仕事も辞めようと決心した。
僕や娘たち、そして何より父に尽くしてくれた陽子に、少しでも恩返しが出来ればと思っている。
施設に戻るまでの道を、陽子の手を引きながら二人で赤とんぼを歌いながら歩いた。
終わり
赤とんぼ