周年。
高校をバックレてから一年が経ちました。
去年のこの日は火曜日で、いつもの図書館の予約席で泣きながら出会い厨を探していました。
家出を叶えますとツイートされてる方にDMをしました。
まだ焦燥もあったので、スマホの小さいキーボードで何度も誤字を直しながら、頑張って長文を打っていました。
指示通りに顔と全身の写真をトイレの姿見で撮って送りました。
容姿が悪いので断られました。仕方のないことでした。
その頃はまだ許されていなかった感情に狂ってしまいそうになりました。
その時聴いていた音楽を憶えていようと記憶したことをよく憶えています。
何があったところで締め切りが待ってくれるわけではなく、年が明けるくらいまでは毎日その図書館で作業をしていました。
まだ装えていることに安堵して、現実より涙を確実に隠せるインターネットを選ぶことにしました。
どれだけ性格が悪かろうが、インターネットは文面だけでのやり取りです。隠せました。
勿論、私がいなくても立ち行くことはわかっていましたが、それでも少しは役に立てる場所に縋っていました。
今までたくさんお世話になっていたので、時間が出来た分、恩を返せたらいいなと思っていました。最後の居場所は、たとえ捻くれていたとしても、正常なエネルギーまで私に与えてくれました。
まぁそれも五月に全部ぶっ壊してしまったわけですが、そこまでの変遷はここに含まれていません。
一周年です。
五月ですら遠い昔に感じます。
この一年は、その月に何があったか大きな出来事は覚えているのに、時系列毎の現在との距離がまちまちでどうにもおかしく感じます。
記念日には何かをしたくなってしまうもので、その欲に先走らないように、今日は予め病院に行ってもいいということにしてしまいました。
病院はもう三回目でした。これ以上は許せないとわかっていましたし、今回は今まで以上に欲望の発散の為でしかなかったので、予め決めていた範囲内で静かに終え、形式を完成させました。
医療証を貰いに行けば、こいつは病院に行きたいのだなとバレてしまうので、今回はちゃんとお金も払いました。勿論、保険証で通院記録がバレることは知っていましたが、私の与り知らない場所で知られることは構いませんでした。
先生には、働いていないから保護者に無断で定期的に通院することは難しいと、戯言で誤魔化してきました。
いづれにせよ迷惑が掛かることは変わらないのです。そう間違えずに終えられました。
勿論、薬も出ませんでした。期待は叶わなければこれ以上罪が重くなることはないのです。安心しました。
そしてこの病院の下りは実は今日の出来事ではなく、本当は明日の正確な予想なのですと、嘘を告白します。なので、もしかしたら失敗だらけになるかもしれません。
今朝は家から一番近い公園のベンチに、空が明るむ前まで座っていました。
階段を登った先から黎明を観る景色を想像しても、今まで以上に思い出が増えることはなく、それどころか、正しい記憶が押しやられていくだけです。それでも妄想が已んだ日はありませんでした。
思考の内容ははいつもの空き時間と変わりませんね。ただ、何かをする衝動を発散しに来ただけなのです。
パソコンを開いて、いくつかを書いて残していました。
写真と動画を数枚撮りました。綺麗な体も綺麗な景色も綺麗な言葉も、それらは求めないものだと決まっていましたが、最近、貰い物の葬式の動画用に、数少ない外出日には写真や動画を撮るようにしています。酷く私から外れた行為ですが、壊れているのですから構わないでしょう。
浮浪者と思われるおじさんが二人ほど、トイレを使いに公園を訪れていました。私もホームレスになったら公園のトイレにはお世話になるでしょう。他人事ではありません。
いえ、家出とはつまり、そのまま樹海に消えるということなのですから、やっぱり他人事でしたね。
マフラーまでは許せなかったので、代わりにリュックの中に手を入れて、縄を握りしめていました。それをマフラー代わりに首に巻き付けておくのは、人気が無いとは言え流石に憚られました。常識的です。
冷たい空気にざらざらした硬い縄が少し痛かったけれど、巻き付けたり爪を刺し込んだり、無意識に指遊びをしていました。
今日終えても何の解釈にも触りません。今日は終えないとわかっていました。縄を実用的に使うことはありませんでした。
それでも"記念日"という言葉の響きに惑わされ、ここまで出向き、感傷と衝動に浸ります。そういう自分に酔って構いたいのでしょう。冷笑と共に吐き捨てます。
いつも通りの今日ですね。
そして実は、これも事前の予想で、私は結局公園に行くことはありませんでした。事前の妄想で、自己陶酔の器が満たされたからなのでしょう。嫌になりますね。
これならきっと病院も失敗するだろうなと思いました。
―――ええ、その通り、その日は祝日で。
―――辿り着いてから、病院は休みだと気付いた。
年を越してしまったら誕生日があります。
四十二の詩と貰い物の葬式を、今年中に終えられる気がしません。
次は十八です。
何と言うのか、その歳になってから終えるのはとても不本意というか、年齢に関して誰かに余計な推測を植え付けてしまわないだろうかと、お前のノロさを心底非難しています。
少なくとも、遺書は書き直すべきでしょう。手書き分を最後に推敲して清書したのは九月でした。
もう丁寧に線を書ける気がしないのですが、デジタルアーカイブを欲してしまった以上、現実の遺書も必要なのです。頑張りましょう。
完成させられるのでしょうか。出来ないでしょうね。
諦めることを繰り返せば諦められるとわかっているので、今年の内に諦めておこうと思います。
半端者らしく、終えられないまま終えましょう。
周年。