地球最期の日
二〇XX年、某日。
早朝に僕を叩き起こした母親が「これを見て!」と、テレビの電源を入れながら言った。テレビでは報道番組が放送されていて、『地球滅亡までのカウントダウン』というテロップが大きく表示されていた。
「これってどういうこと?」
詳しい情報を求めて携帯端末でニュースを確認する。どこも地球滅亡の記事が話題を独占していた。
有識者による研究チームの発表によれば、地球に大きな隕石が衝突するのは今から数時間後だという。被害は甚大かつ壊滅的で、上空や地下に隠れようとしても生き残る術はないとのことだった。
そういえば、以前から地球最期の日についてのまことしやかな情報がSNSでバズっていた気がする。世界有数の大富豪たちが、地上から四百キロ上空の宇宙ステーションに逃れたという噂もあった。だけどそんな話は誰もが都市伝説だと思っていた。
テレビのチャンネルを変えても、すべてのキー局が同じ番組を放送していた。気づくと母親が姿を消していた。窓の外では道に人や車が溢れかえり、すでに大きな混乱が起きていた。
しかしこうなった以上はジタバタしても仕方がない。僕は残りの人生に悔いを残したくなくて、すぐに高校の同級生である亜湖美樹あこみきの自宅へと向かった。
「ずっと前から好きでした。だから残された時間を僕と一緒に過ごしてもらえませんか?」
呼び鈴を鳴らして彼女が玄関前に出てくると、僕は今まで秘めていた想いを思いきって告白した。
ところが亜湖さんは、「絶対にいや」と吐き捨てるように言って、突如、手にしたナイフで僕の腹を突き刺した。
「亜湖さん、どうして……」
まさか刺されるなんて思ってなかったけど、どうせあと数時間で終わる世界なら、今さら何が起きたって関係なかった。
…………。
目が覚めると病院のベッドにいた。
体には包帯が巻かれていて、腹の部分に強い痛みがあった。
身体が動かせず首だけ横を向くと、ベッドの脇で椅子に座ったまま眠っている亜湖さんの姿が見えた。
カラカラの擦れた声で「亜湖さん」と呼びかけた。すると彼女が目を覚まして、僕を見た途端に顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。
「よかった……助かって本当によかったよ」
少しずつぼんやりしていた記憶が蘇ってきた。そうか、僕は通っている高校で後輩の女子生徒に告白されて、恋人がいるからと断った途端にナイフで刺されたんだ。つまり亜湖さんに振られたのは夢の出来事。それに現実の自分はすでに両親を事故で亡くしていた。
「僕はどのくらい眠っていたの?」
医師の診察が終わって、少し落ち着きを取り戻した亜湖さんに聞いた。
「三日よ。あなたはその間、一度も目を覚まさなかったわ」
「もしかして、ずっと付き添ってくれてたの?」
「あたりまえでしょ。だって私はあなたの彼女だもの」
亜湖さんの言葉はとても嬉しかったけど、同時に彼女の貴重な時間を奪ったことで罪悪感を覚えていた。
「そういえば、僕が眠っている間に世界に変化はあった?」
「別に何も。だから心配しないで」
学校の授業で荀子の思想を学んで以来、僕は性悪説に感化されてこれまで生きてきた。だからそのうちに人々の箍(だが)が外れて暴動や混乱が起こり、自分たちもそれに巻き込まれるのではないかという心配をつね日頃からしていた。
でも世界は今も想像以上に落ち着いていて、少なくとも僕らが住む日本のインフラやサービスは、これまで通り平常運転を続けていた。
「三日ぶりにテレビでも見る?」
亜湖さんが病室のテレビをつけると、いつも通りの番組が映し出された。
「最近のテレビは本当につまんないね。だから誰も見なくなるんだわ」
「でも僕はしばらく、スマホかテレビを見る以外にやることがなさそうだ」
「大丈夫。退院するまで私がずっとここにいるよ」
「三日間も付き添ってくれただけで十分さ。だから君は家に帰って、これからはご家族と一緒に過ごして欲しいんだ」
「でも……」
彼女は両親想いの優しい子だから、本当は少しでも長く家族と一緒に過ごしたいはずだ。それに夢の中で亜湖さんをあんな風に仕立てあげてしまった僕に、彼女の限られた時間を貰う資格なんてないと思った。
亜湖さんをなだめて家に帰した後、つけっぱなしのテレビを眺めた。
『地球滅亡まであと七十五日』
『心の準備をして残された日々を穏やかに過ごしましょう』
テレビ画面に見飽きたテロップが映し出されていた。
近づく地球最期の日。不安しかなかった。果たして僕は、穏やかな心でその時を迎えることができるのだろうか。
今帰したばかりなのに亜湖さんが恋しくなった。情けないけど、やっぱりすぐに戻ってきてほしいとメールを打った。僕は再び、彼女を両親から遠ざけようとしていた。
「人間の本性は悪である」
性悪説を唱えた荀子が、自分勝手で最悪な僕に向かって囁いていた。
地球最期の日
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。