さよならと言わない人たち

覆いつくされた彼方の森は月の光を浴びて銀色に光っていた。その森の中には小動物だけでなく一人の女性が立っていた。
「なんて綺麗な月なんだろう。それにわたしは生まれて初めてこんなに月を凝視したわ。ほんとに兎さんが餅をついているみたい」瞳に月光を反射させて麻由美はひとり言をいった。それは彼女にとって新たな希望を胸に抱かせた。生命の尊厳が全身に満ちるようだった。
わたしはこれから自宅のアパートに帰る。でも網膜に月が映し出されてたぶん今日は眠れないだろう。でも、そんなことは気にしない。明日は仕事が休みなのだ。それにいつまでも此処にいたいのだけど寒さが身にしみてきたし。でもそれは心地良い寒さだ。まるで体温の低い天使に抱擁されているかのようだった。
アパートに帰ると冷蔵庫から豆乳のパックを取り出してコップに注いで飲み干した。それからクリームチーズをクラッカーにのせて食べる。今日の夜食だ。さあ、FMラジオをつけてオールディーズでも聴くことにしよう。麻由美はソファに座ってため息をついた。しかしそれは嘆息ではなく充実したため息だった。
わたしはこの頃恋をしていない。恋をしなくなってからどの位たっただろう。でもそんなことはどうでもよいのだ。わたし自身は今の生活で満足しているのだ。恋は今のところ最下位の思想だ。でも尊敬に値するものでもある。

さよならと言わない人たち

さよならと言わない人たち

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-12