ボンカレー・ハラスメント

 私がハラスメントをした話です。すいません。
 その頃、私は大学に行かず、ぶらぶらしていていました。たまたま見た情報雑誌の、はみ出し記事に前衛舞踏の冬合宿というのがありました。私は前衛舞踏とは何かも知らず。ただ思った事は、青森に行けるんだという事だけでした。
 集合場所は新宿駅西口広場。待っていると、おんぼろのバンが二台、到着しました。
 中からは、眉毛を剃っている人間が何人か現れました。これは少しまずかったかなと思いました。坊主頭の人もいます。後になって知るのですが、眉毛を剃るのが前衛舞踏団員のスタイルだそうです。
 しかし、今さら逃げる訳にはいきません。参加者は他に五人ほど。みんな私と同じ学生のような人達です。
 初めはよく分からなかったのですが、団員の中には女の人もいました。まあ、それで安心もしました。
 早朝に出発した車は夕方暗くなって到着。何か訳の分からない空き家のようなところでした。酒を飲みながら自己紹介などして、それで寝ました。
 翌日からは稽古。準備体操などを普通にやって、それから自由に踊ってみる。「猫になって踊れ」「星になれ」とかでした。最後の落ちは「人間になって踊れ」、これが一番難しいだろう、みたいな稽古を三日ほどやったのです。そして終了。
 ところで最後の午後は思いがけない事をやりました。金粉ダンスというものです。全裸で、あすこにだけは小さな三角布。全身に油で溶いた金粉を塗りたくって踊るのです。女性団員も一緒です。金粉を塗っているとはいえ、おっぱいは丸出しです。
 場所は、なんとストリップ小屋でした。観客がちゃんと居るのに驚きましたが、合宿ののりのまま気持ちよく踊ってしまいました。金に塗っているとはいえ、おっぱいを見られたのも興奮でした。
 合宿は終了しましたが、数日後に再び集合。その当時は賑わっていたゴールデン街の店で飲み会になりました。会費は只です。後になって考えてみれば、ストリップ小屋でギャラが出ていたのだと思います。
 宴もたけなわの頃、「どうだみんなで、本物の舞踏の舞台に立ってみないか」と団長に持ち掛けられました。「それは無理でしょう」と皆は言いましたが、私は例によって面白そうと思ってしまうのでした。「素人が舞台に上がった時の戸惑い、そのままの踊りがいいんだ。寧ろ上手くては困る」とも言うのです。酔いが回るにつれ、つい私は「やってみたい」と言ってしまいました。すると何故かもう一人も「やる」と言い出すのでした。
 翌日から二人で、舞踏団の住み込みになっていました。私たちが踊るのは影で、体を金粉ではなく黒く塗って、闇の中に黒い姿で自由に踊るというものでした。
 初めのうちは、それまでと同じでしたが、だんだんに弟子扱いされるようになりました。説教も多くなり、素人の踊りでいいと言ったのに熱意が足りないとか怒られました。。結局すべては団員の勧誘だったのです。
 世の中の仕組みはそんなものだと私もようやく分かってきていましたから、ここは一つ円満に抜け出したいものだと考えを巡らしました。  
 その頃、新人として少し注目されつつあった田中泯について「あんなのはインスタント舞踏だ」と批判したのを思い出しました。田中泯は個人で活動しているらしく、団長のように老舗の前衛舞踏団の出身ではないようです。前衛で老舗というのも変な話ですが、まあ老舗で苦労して修行した意識があるようです。それもあってインスタントを軽蔑しいるようです。
 そこで一計を案じました。ボンカレーを食べてやるのです。食事の時に「今日はカレーが食べたくなって」とか言って、自分で買ってきたボンカレーを食べたのです。案の定、団長は「ちゃんと自分で作って食べるべきだ」とか小言ですが、自分で買って来たんだからねという顔で食べて、他のおかずには手を出しませんでした。
 団長は酷く嫌な顔をしていました。
 舞台は無事に終了しました。まあ可もなく不可もなくというところです。そして私は「終わったから帰る」と言いました。案の定、引き留められる事はありませんでした。もう一人は、引き留められて舞踏団に残ったようです。
 それからずいぶん時が経ち、今では前衛舞踏というものも見かけなくなりました。田中泯という人は役者で成功したようで『たそがれ清兵衛』でいい役をやっていて驚きました。
 

ボンカレー・ハラスメント

ボンカレー・ハラスメント

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-07

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