千鶴と恭樂の出会い

2人が出会った頃のお話(短編)です。

1

目を覚ました時から、彼女は結界師が集う場所『琉華城(りゅうかじょう)』の主としての役目を強制された。

――琉華城。それは、彼岸界の西部にある中華風の城。
そこは彼岸界や特定の場所に外部のモノが侵入できないよう結界を張る、いわゆる『結界師』と呼ばれる者達が滞在していた。
そこのリーダー的存在が彼女、千鶴(ちづる)という一人の女性だった。
しかし、

「ドレスは重たくて身動きがとりにくい」とかで、普段はラフな格好…体のラインがハッキリとわかる、姫にしては露出度の高い卑しい格好をしていた。そして
「姫!飲みすぎですよ!」
「よいではないか。今日はとことん飲んで楽しむぞ!」

ビンを片手にゴクリゴクリと豪快にお酒を飲む、飲兵衛でもあった。

2

そんな彼女に、最初は誰もがポカンと口を開ける。そして彼も、そのうちの一人だった。
(この女が琉華城の主……)
胡坐をかき、肘掛けにもたれかかっている一人の女性。気品さも清楚さも全くない漢らしい彼女の姿勢に、彼は思わず自分の目を疑った。
「主。この方が中心本部の(おさ)が話されていた男です」
「………どうも」
隣の結界師にそう紹介され、彼は女性――千鶴に、小さく頭を下げる。
「ほう?」
千鶴は顎に手をあてまじまじと彼を見つめる。
「…………」
衣装も特に気を遣っている様子はなく、腕を出し、お腹を出し、胸元を出し、少々目のやり場に困ってしまう恰好をしていた。
タンクトップからは胸の谷間が見え、それは意外と大きく……その時、彼女とたまたま目が合い、慌てて男は視線を逸らした。
それに気付いたのかいないのか、千鶴はこれまた似つかないニヤリとした笑みを男に向ける。

「お主、名前は?」
「……名前?」
「名前がないと色々と不便じゃろう。そうだ、せっかくだから私が付けてやるぞ!」

上品に口元を隠すことなく、彼女はニカッと笑った。

3

本当ならば少年は『彼岸界の中心本部』に所属する予定だった。
しかし彼には諸事情のため、彼岸界の中心本部の長にここ、『琉華城』を紹介されて来た。


――――――あれから、ある日の午後。
恭樂(きょうらく)。前に長から、お主の腕は良いものだと聞いたぞ。どれほどのものか私に一度見せてはくれんかのう」と言われた少年――あの日恭樂という名前を与えられた少年は、千鶴の要望に応えるため一人の結界師に手合わせを願いしたところだった。
「お互い手加減はなしじゃ」と、これまた歯を見せてニカッと笑う千鶴。

「どうやらお前さん、姫さんから期待されているようだねえ」
「勝手に期待されても困るんだが……」
そう言うと恭樂は、縁側に座ってコチラを観賞していた千鶴に視線を向ける。
「恭樂ー!勝つんじゃぞー!」
大きく手を振る千鶴。
「やれやれ……さて、本気でいくぞ」
溜息混じりの結界師のその言葉を合図に、お互いが地を蹴り、握っていた刃をほぼ同時に振りおろした。

―――――

悪い気はしなかった。
自分と違って、笑っていることが多い彼女。
たまに癪に障る事もあるけれど、それでも彼女の笑顔を憎めなかった。

―――――
それから暫くして、恭樂は結界師相手に実力を披露した。得意とするスピードを活かし、次から次へと相手の斬りや突きをかわす。そして一瞬の隙を狙い、恭樂も何度も相手に刃を突き付ける。
いつの間にか千鶴以外にも、数人の結界師たちが集まり見物していた。

「は、はえぇ」
「なんか戦闘慣れしてないか…?」

周りから漏れる驚愕の声に、珍しくも真剣に見ていた千鶴は「うむ……」と、小さく唸る。
「長は勿体ないことをしたのう。こんなにも戦力になる男を本部から外すとは…………よし!」
「おい恭樂!」と、千鶴は未だ武器を取っていた二人の間に入り声をあげる。そして
「お主、今日から私の護衛に付け」
「……………は?」
思いもよらぬ千鶴の言葉に、恭樂だけでなくその場にいた結界師たちも驚いた表情を見せる。

「なんでオレが」
「お主の事が気に入ったのじゃ!」
「し、しかし千鶴様。彼はまだ琉華城(ここ)に来られて一週間も経っていない新米ですよ」
「そうですよ!そんな彼に責任重大な役をやらせるワケには……」
「たった1日で琉華城(ここ)の主という大きな役割を任された私は良くてか?……私と比べると、大した事でもなかろう」
……気のせいだろうか。一瞬、彼女の表情に怒りが混じったような気がした。

「………まあ、なんじゃ。護衛とはいっても、私も自分の身を守れるくらいの力はある。だからそこまで重く受け取らなくてよい」
「……アンタの期待にはあまり答えられないと思うぞ」
「別に期待などしておらぬ。ただ私がお主を気に入ったから、傍におく……ただ、それだけじゃ」
そう言って彼女はまた、いつものように笑った。

4

彼女は笑顔を絶やさない女性だった。
(どうしてお嬢は、そんなに笑う?)
恭樂は不思議でたまらなかった。

そんなことを考えながら部屋の戸をガラガラと開ける。

「…………………………………………………………………………………!!?!!!!??」

「おーー恭樂か。どうしたのじゃ?」

電池の切れたロボットのように固まった恭樂。
そんな彼を、千鶴は「?」と不思議そうに首を傾げる……上着を脱いだ半裸状態の千鶴。どうやら着替えの最中だったようだ。

ガタンッ!!!

「…………………」
(……いや、いやいやいやいや)
勢いよく閉めた戸に背を向けて、そのままその場に座り込む。

(………びっくりした)
バクバクと聞こえてくる心臓音に、恭樂は顔を腕に埋める。
こんなにも動揺している自分とは裏腹に、慌てることなく平然とした態度を見せた彼女に、なぜか悔しい気持ちになった。

5

どんな状況においても、笑っていることの多い彼女。

「千鶴さまはは呑気すぎるのだ」
「主としても自覚がなさすぎるというか……」
「あのような女性がここのリーダーで本当大丈夫なんかねぇ」

ある日の夜。
一仕事を終えた一部の結界師たちが酒を呑んでそんな不満を漏らしていた。
「なぜ彼女が主に選ばれたのか……」
「きっと神による嫌がらせか何かだろ。噂によると天国の住人は俺達彼岸界の住人のこと、あまり良く思っていないらしいぞ」
「厄介だなぁ……」
酒に酔った勢いなのか、彼女に対する不満の声が止むことなく、次から次へと吐き出される。

(今本人がここにいないからといい、随分と自分達の主を悪く言うんだな……)
そう思いながら、恭樂は言いたい放題の彼らに背中を向け、中庭側の廊下から暗くなった空を眺めていた。
(もしこの会話をお嬢が聞いたら……………
いや、彼女のことだ。またいつものように笑って見せるかもしれない……)

「……………あ」

誰かの視線に気付き、ふと視線をそちらに向けた恭樂は小さな声をもらす。
――――千鶴だった。
いつからそこにいたのだろうか。もしかして今の話を聞いていて……と、反射的に声をかけようとした恭樂に、しかし千鶴は人差し指を立ててそれを口元に持ってくると首を左右に振った。そして小さく笑う。しかし、その笑みは今までのとは違った。

「………」

それはどこか寂しさを含んだ、弱い微笑みだった。

6

初めて見た、彼女のあんな寂しそうな顔。
それでも無理してまで笑っているのはなぜだ?
彼らの会話を聞いていたとして、不愉快に思ったなら素直に怒ればいい。悔しいなら泣けばいい。
しかし彼女は何も言わずに、黙ってそのまま踵を返した。

――なんじゃなんじゃ。皆して、私に対してそんなに不満があったのか?

そう言って、ひょいひょいと間に入ってくるのかと思っていた。いつものようにニカッと歯を見せて笑って………

だけどそれは違った。

「……」

いつの間にか千鶴の後を追うように、恭樂は彼女の部屋の前に立っていた。
「お嬢、入るぞ」
ガラガラと戸を開ける。
ある1つの疑問に気を取られ、自分の部屋だと勘違いして開けてしまった今朝の事故を思い出す。
その時の着替え途中の千鶴は慌てるコトなく、いつもと変わらない調子で声をかけてきた
しかし、今回ばかりは違った。
「な……なんじゃ」
彼女は慌てて、戸を開けた恭樂を見る。
片手にはビンを握っていた。
「またお酒か」
「まぁ……お主も少し飲んでみるか?」
そう言って、いつものようにニッと笑顔を向ける千鶴に、少し安堵した恭樂は首を横に振った。
「いや、いい」
「なんじゃ~連れないのう……」
「そもそも、アンタはお酒が呑める年なのか?」
「死者である私たちに、それは関係のないことじゃ。飲みたいから飲む」
そう言って、お酒をゴクリゴクリと飲む。
「……どうした?じーっと見よって」
「いや、よほどお酒が好きなんだなと思って」
恭樂がそう言った時。お酒を飲んでいた千鶴の手がピタリと止まった。

「……別に、好んで飲んでいるわけじゃない」
そう、ポツリと呟いた。
それは一瞬、誰が呟いたのか分からないほどにか細く、弱々しい声だった。
「お嬢?」
「あ……いや、すまんのう。ちょっと疲れていたからか、もう酔いが回ってきたみたいじゃ……今日はもう寝る」
少し残っていた酒を飲み干すと、千鶴は静かに立ち上がった。

彼女にはまるで似合わない、どこか寂し気な背中。
こういう時、どう言葉を掛けてあげれば良いのだろう。そのままそっとしておくのも優しさというべきか。
結局その日は、何もできないまま眠りについた。

7

彼女だってただのバカじゃない。
何をされても、何を言われても全くもって平気なわけじゃない。
そんな当たり前のことを、昨夜に思い知らされた気がした。

朝起きて廊下に出ると、そこには空を見上げていた……珍しくも気品な衣装に身を包んだ千鶴の姿があった。
「おーおはよう恭樂。今日は久々に本部で集まりがあってのう。それよりもどうじゃ!思わず見惚れるじゃろう!?」
そう言って一回転して、キメ顔をする千鶴。
ニヤニヤと恭樂の反応を伺う千鶴に、しかし彼はあっさりも「そうだな」と認めてしまう。
一瞬千鶴は意表を突かれたような顔をするが、またいつものように笑うと「そこは照れ臭そうに言うもんじゃぞ~?」と言った。

「さて、お主も早く準備して本部に向かうぞ」
「オレも?」
「当たり前じゃろう。お主は私の護衛じゃ。これからは同行してもらうぞ」
「……分かった」
かなりの沈黙の後、恭樂は仕方がないと頷いた。
「……それとも嫌か?本部に行くのが」
「いや、別に」
「んーー?本当かぁ?私には嫌がってるように見えるんじゃが」
「余計な詮索はやめろ。オレは大丈夫だ……すぐに準備をしてくる」
「そうか。分かった……っと、その前に……」

ガバッ

「あが……っ!?!」
突然恭樂の口の両サイドをクイっと引っ張る千鶴。
「私に探りを入れられるのが嫌なら、気難しそうにすぐ眉間に皺を寄せるのはやめるんじゃな!」
「ひゃ、ひゃべろ!」
いきなり何なんだ!と、恭樂は千鶴を睨みつけるが、恭樂は千鶴を睨みつけるが、
「ほれ、ニコーっと!」
見慣れた笑顔の彼女に、本気で怒れる気にもなれず。そして彼女はこう言った。

「……恭樂、笑いのメカニズムって知っておるか?」
声音を変え、真剣な表情になる千鶴。しかしすぐにまたいつもの調子に戻ると、
「とにかく笑え!例え上手く笑えなかったとしても、笑うのが1番じゃ」と、歯を見せてニカっと笑った。

………

……あぁ、そうだったのか。

本当は彼女だって辛かった、悔しかった。

その時恭樂はそう感じた。
彼女がいつも笑っていたのは、辛いことを隠すため。忘れるため――
昨夜言っていた「酒は好んで飲んでいるわけではない」という発言も、今では何となく理解できた……つまり、嫌なことを少しでも忘れるために、飲酒をして誤魔化しているのだろうか。
……もしかしたら今もまだ、辛いのかもしれない。

「本部で何があったか詳しくは知らんが、今のお主には私たちが付いておるぞ!」
それにも関わらず、目の前の女性は微笑んでいる。
なんだかとても、やるせない気持ちになった。

8

いつもは陽気にニカッと笑っている琉華城の主・千鶴だが、そんな彼女も集会となれば違っていた。

「――それで、結界班。今月に入ってから張っている結界に何か異常は見られたか?」
「今のとこなしじゃ。今朝も念のために確かめては見たが、特にこれといった異常はなかった」
この集会を進行している髪の長い男――中心本部の長にそう堂々と答える千鶴。
「ただひとつ気になる事があってのう……時々結界の効果が弱まるのは仕様なのか?」
千鶴のその疑問に先に手を挙げたのは、黒髭を生やした中年男だった。
「琉華城の主よ、それは結界師としてあるまじきな質問ですぞ。結界の事はあなた方に全て任せているのだから、そこは主としてしっかり把握しておかなくては……ですよね?長」
「確かにその通りではあるが…彼女も彼岸界(ここ)に来てまだ日が浅い」
「琉華城の主を任された以上、そんなのはただの言い訳にしか過ぎませんぞ。長、もっと厳ししくしてやらなければ。大体なぜこのようなど素人の者が……」
ブツブツと文句を言い始めた黒髭の中年男に、周りからも「そうだそうだ」といったヤジが飛んでくる。
相変わらず、ただただ黙っているだけの千鶴。
恭樂の席からは丁度彼女の背中しか見えなかったが、あの時と同じように悲しみを含んだ笑顔を無理に浮かべているのではないかと心がざわつく。
そんな彼女を見てもたってもいられず、思わず反論しようと口を開きかけた恭樂だったが、この場所での発言は限られた者だけが許されていた事を思い出して、一度言葉を飲み込んだ。
今回は千鶴の命令で、恭樂はこの集会に同行している。その同行人が口を挟んでしまえば、ここを追い出されるだけでなく、彼女自身の地位や名誉にも傷が付いてしまう……
ひとまずここは、グッと堪える。

「よりによってこんな若造なんかに。どうせならもっと熟練した者を選ぶべきでは」
「選ぶ者を間違えたんだなきっと……」
「君たち口を慎みなさい。好き勝手に喋ってもいい許可を下した覚えはないぞ」
そう長が止めたことにより、この場がしんと静まり返る。

そしてここで、別の一人の青髪の男がスッと手を挙げた。
「情報屋、どうした?」
「……さっきの質問だが、24時間体制で張られている結界もタダじゃない。お前たち結界師の力で張っているもので、その日の結界師たちの体調によって消費するエネルギーも大きく変わることがある。多少効果に違いが出るのは仕方のないことだ」
「うむ……なるほど、意外にも単純な事だったんじゃな。ありがとう」
「質問に答えるのは普通だろ。なのにそこのバカが答えにもなっていない返しをしたもんだから、代わりに俺が答えてやっただけだ」
そう言って、髭を生やした中年男に視線を向ける青髪の男。
「こ……っこのクソガキ………!!」
「こんな所で喧嘩をするな。これは争うための集会じゃないんだぞ」
今にも身を乗り出しそうな男二人に、またもや長が止めに入る。
「……これは勉強不足だった私に問題があった。次の集会までには多くの知識を身につけておく……皆、すまんのう」
そう言った千鶴は困ったように笑うと頭を下げた。


―――――

集会がようやく終わり、本部を出ようとしたその時。先ほどの青髪の男を見かけ、千鶴は声をかける。
「あ、お主!……さっきはありがとな」
突然声を掛けられた事に驚きはしなかったものの、千鶴の「ありがとう」という言葉に一瞬目を丸くした青髪の男は何かと口を開く。
「改めて礼を言われるまでの事はしてないんだが。さっきも言ったが、あの男がバカだっただけだ」
「お主なかなか言うのう。えーと、情報屋の……名前は確か」
青翻(せいほん)だ」
青髪の男――青翻と名乗った男は、千鶴と恭樂の2人を交互に見る。
「お前たち二人のことは長から聞いている………特にお前」
そう言うと、青翻は視線を恭樂に向けてニヤリと笑う。
「色々ワケありのようだな。いくら聞いても長は教えてくれなかったが……本部で何があった?」
「アンタがそれを知ったところで何か得でもするのか?」
「ただ興味があるから聞いているだけだ。得するかどうかは聞いてから俺が判断する」
何がそんなに可笑しいのか。ニヤニヤと笑みを浮かべる男に、恭樂は怪訝に顔をしかめる。
「……初対面に話せるようなことじゃない」
「そうか。それなら次会う時はもう初対面じゃなくなるから、その時に話してくれるんだな」
そう言うと、青翻は不敵に笑った。
(………なんだこの男は)
バカにしているのだろうか。
「……しつこいと嫌われるぞ」
「別にお前に嫌われたところで何の痛くも痒くもない」
「なんじゃなんじゃ~?私をおいて。早速二人で喧嘩をするな」
千鶴は、火花を散らす二人の間に割って入ってきた。
「でも喧嘩するほど仲が良いとも言うからのう。きっと二人は良い友達に――」
「却下」「断る」

そんな答えが、ほぼ同時に二人から返ってきた。

9

あれから後日の夜。
たまたま深夜に目を覚ました恭樂は、暗くなった中庭を静かに歩いていた。

「……」
琉華城には、そこまで広くはないものの、資料室という場所があった。
そこから灯りが漏れているのに気が付き、こんな夜遅くに誰かと恭樂は資料室を覗く。
まず最初に目に入ったのが、机の上に積まれた何百枚……いや、それ以上あると思われる大量の紙束。
そしてその真ん中で、紙の束と睨めっこしている千鶴の姿があった。
いつからここに籠っていたのだろうか。

「お嬢」
「お、恭樂か。なんじゃこんな夜遅くに」
「アンタが言うかそれ。こんな時間に一人で何をしているんだ」
机の上に置いてある1枚の紙を見る。
≪結界について≫
それ以外にも、様々な資料がそこには散乱していた。
「勉強じゃ。私の知識不足であの時皆に迷惑をかけたからのう」
あの時とは、数日前にあった集会のことだ。
「あれに関しては、アンタだけに非があったわけじゃない」
「あの青翻とかという男といいお主といい、私の見方をする物好きがおるもんじゃのう……」
「あの男もオレも、ただそう感じたから言ってるだけだ。味方にするとかしないとかそんなのは関係ない」
恭樂のその言葉に、少し納得のいかない様子で――しかし、どこか嬉しそうにも見える小さな笑みを浮かべた千鶴。


外では、風に揺れる草木達がカサカサと、小さな音を立てている静かな夜。
「……周りが私に不満を持っているのは、実は前から知っておってのう」
彼女は静かに切り出す。
「少しでも皆の不満がなくなるように、少しずつ、少しずつ……皆の理想のリーダーに近付けられたらな良いなと思ってな。これでも色々と取り組んできたつもりなんじゃ。でも……それでも、私はまだまだ知識が足りていない。1つ物事を覚えても、また1つ、私がまだ知らない未知の壁とぶつかる………もーー!覚えることが色々と多すぎて頭がパンクしそうじゃ……」
千鶴はそう言うと、困ったように笑う。
よく見てみるとそんな笑みを浮かべた彼女の目の下に、クマができていた。もしかして自分が知らないだけで、昨夜もこうして遅くまで、一人で資料を読んでいたのだろうか……。

恭樂は何も言わずに、千鶴の正面のイスに腰を掛ける。
「?ひょっとして、恭樂も何か調べものか?」
「オレもまだ結界の事とかこのお城の事とかよく理解できていないから、この機会にオレも調べてみようかと思って」
一瞬驚いた表情を見せた数秒後、
「そうと決まれば今日は一睡もせずに頑張るぞ!恭樂!」
千鶴はそう言って嬉しそうにニカッと笑った。

――――
外がだいぶ明るくなってきた頃。
スーと寝息をたて、千鶴は散乱した資料の上で眠っていた。
あれだけ寝ないで頑張るだの、先に寝たやつは罰ゲームなだの、いきなり意味の分からないことを言い出した張本人。

また笑ったかと思えば、すぐに悲しい顔を見せ、そして悲しい顔をしたかと思えばすぐまたいつものように笑ってみせる。
でも、それらにはちゃんと理由があった。

「……オレはアンタが、裏で色々努力をしていたことを知ってる」
その分ひとりで、たくさん抱え込んできたことも。
いつも笑っているのも、彼女が前に話していた『笑いのメカニズム』ってやつを利用して、周りに"本当は弱い自分"を隠していたということも。周りが理想としている、強くて頼もしいリーダーに近付くために。一人で不安を抱え込んで―――

(でももう、アンタは一人じゃなくなった)
「少なくとも今は、アンタの隣には護衛が付いてる」

戸を開けると、既に朝を迎えていた。
外のまぶしい日差しが、資料室の中をより明るく照らす。
何人かの結界師たちが眠たそうに廊下を歩いているのが見える。

未だ机にうつ伏せで寝ている千鶴に、恭樂は一度振り返り、そのままそっと戸を閉めた。


「……………ありがとう、恭樂……」

千鶴と恭樂の出会い

千鶴と恭樂の出会い

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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