ベルリーナーヴァイセ
夏にベルリンに行くと、みんながレストランや居酒屋の外の席のパラソルの下で飲んでいる。ドイツだけに白ビールだが甘い。赤のラズベリー(Himbeereヒムベーレ)と緑のクルマバソウ(Waldmeisterヴァルトマイスターというハーブ)のシロップ入りがある。レストランや居酒屋で注文するときには「赤(Rot ロート)? 緑(Grün グリューン)?」と聞かれる。
「バイデ(両方)!!」
と聡はちゅうちょなく答えた。
なんとビールなのにストローが付いてくる。
最初に潮見が赤のベルリーナーヴァイセをストローで飲んで
「甘っ!」
と叫んだ。
聡は緑を美味しそうに飲んでいたが、潮見の赤と取っ替えて
「すっきりしておいしい」
と気に入った様子。潮見はまだ緑の方が甘さが少ない気がしたのでそのまま緑を飲んで、聡は赤をストローで嬉しそうに飲んでいた。
フライドポテト付きのカレーソーセージは、潮見の希望で辛いカレーがかかったものを注文したが、聡も甘いベルリーナーヴァイセのロートと一緒に美味しそうに食べた。典型的な日本人観光客の行動である。ただ、この二人は写真を撮ることに興味がなく、ぴったり寄り添いながら、このドイツの首都の景色に見惚れていた。
シュプレー川を延々と歩いて社会主義者のローザ・ルクセンブルクが撃たれて投げ込まれた場所の碑を見たり、せっかくだから夏のシュプレー川クルーズにベルリン大聖堂から船に乗る。クルーズは、何と言っても船に乗って景気を眺めていればいいので楽だ。博物館島、Sバーン(近郊列車)、フリードリヒ通り駅などを見る。この駅の近くにはDussmannという三省堂か今は亡き八重洲ブックセンターみたいな四階建てくらいの大型書店で、CDや映画、雑貨も売っている店がある。フリードリヒ通りをまっすぐ南下すると、チェックポイントチャーリーという歴史観光スポットに出る。
チェックポイントチャーリーは、第二次世界大戦後の冷戦期においてドイツ・ベルリンが東西に分断されていた時代に、同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所だ。検問所の跡地のすぐそばにはチェックポイントチャーリー博物館があり、自動車・飛行船・潜水艦・トンネルなどを使って壁を越え西側に逃亡しようとした人々の紹介のほか、ドイツ分断の歴史やベルリンの壁についての資料を数多く展示しており、大変見ごたえがあるのでおすすめだ。
ドイツ連邦国会議事堂は中を見学できるので、聡と潮見も後で透明のドームをクルクル昇ってみた。
クルーズは美しいボーデ博物館、テレビ塔を見て、ベルリン大聖堂に帰ってくる。ミッテ区からはどこも近所なので、また後でいろいろ回ってみようねと聡と潮見は相談する。
電車でベルリンの西の郊外、ヴァンゼー駅からバスに乗り、高級住宅が建ち並ぶ地域の瀟洒な館の前の停留所に到着する。1942年1月20日、ここに保安警察兼保安部長ラインハルト・ハイドリヒをはじめとするナチスの高官15人が集まり「ユダヤ人問題の最終解決」、すなわちヨーロッパ中のユダヤ人をどの国で何人強制収容所に送って殺害するかの相談が行われた。
「ヴァンゼー会議の館」はとても美しいピンク色の建物で、中も洒落ている。ユダヤ人抹殺の会議にまつわる展示に辟易して窓から外を眺めると、ヴァンゼー湖にキラキラと光りながらヨットが浮かんでいた。
「ヴァンゼーに行きましょう!」
潮見は昔々のラジオドイツ語講座の物語を思い出した。ヴァンゼーはベルリンの人々が遊びに行く美しい場所であると同時に、人種差別の暗い歴史も持っている。
ミッテ区の住居に戻り、聡と潮見は、アンティークなダブルベッドのヘッドボードに寝間着を着て身体をもたせかけていた。
夏の休暇シーズンに、この美しく大きなベルリンにいることが二人を感動させた。二人が共有した昼間のちょっとした風景や、散歩をしている犬、小さな女の子、街角に立つミュージシャン、クロイツベルクのベールを付けたトルコ系の人々や、その近くの店にあるたくさんの珍しいスパイスなどについて語り合った。
聡と潮見は満ち足りて、疲れて、ぴったりくっついて眠った。窓に掛かった薄いカーテンから、星空と月が見えた。周りは静かに眠りについていた。
要するに、二人は幸せだった。
ベルリーナーヴァイセ