「蛤の声」

 一冊の厚い本を胸に押しあてて
 走る人影 ひとり
 白々しい街灯の大通りを忌み
 露地のさみしい行燈の
 ほつほつと仄暗い光をゆく
 その乾燥した頬が紅くなるのは
 寒さのためか
 喜びか
 それとも…
 噛みしめた唇の白歯の傷は
 あらわになる事を厭う
 救いの無い砂漠で
 水の蜃気楼を泣いて悦ぶは愚者か
 それがために力を得たものは間抜けか
 どうせ何人も
 自然の花を生むことは成せない
 干涸びた地面に
 杜若のいとしい濃紫の羽を想っては
 焦がれて慕って恍惚する…
 それがために懊悩するは馬鹿か
 水は生命の根幹なるぞ
 たとえ涙であろうとも

「蛤の声」

「蛤の声」

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-06

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