19 - 1 - 遣取。

わたしはこの名前を忘れたかった。
きみはその名前から逃れたがった。


どこへ行ったって構造の違う世界などなかった。たとえこの目に映せないだけなのだとしても、捉えられない場所をどうやって目指せばいいのかなんてわからない。どこへ行こうとわたしたちは変わらなかった。
本当はただの命尽きるまでの暇潰しで、目指している場所も心から焦がれるものもなかった。それに、それはもう右手にしっかりと握っている。ひとり残され誰もがいなくなった場所にもきみはいて、わたしがひとりだと教えてくれる。わたしもやわく握り返し、きみはひとりなのだと教える。出逢った時にはお互い、涙を掬う手指すらないようなふたりだったから、こうして唇も手も縫い付け合ったことに対して予感はあった。
無数に欠落したわたしたちの比喩に鏡映反転は相応しくないだろうけれど。きみとわたしでふたりだ。溶け合うことなくひとりとひとりで。けれどわたしたちはふたりでいることを已めるべきだと思っていた。ひとりとひとりではなく、ただひとりで、歩く必要があった。ずっと、離れる契機を伺っている。歩き始めに出口を避けた逃避行はきっと終わることがない。
わたしもこの名前が嫌いだ。きみが嫌いだから。きみもその名前を嫌っているでしょう。わたしが嫌ったから。そうやってわたしたちは多くを触り合った。禁忌を共有して、自由を奪い合った。それが傍にいるということだった。もう手放せなかった。
名前を交換していなかったのならどうだったのだろう。これほど永く、きみを傍に縛り続けることはなかっただろうか。ひとり勝手に進むことを許していただろうか。過ぎらなかった日はない。ただの気休めだったのだ。それでもわたしにはそれが大きな意味を持つように思えてしまって、出来心のように、よく反芻することなく提案を口にしてしまっていた。わたしが望んだからきみは応じた。凋落を選んだのはわたしで、きみは、きっと最期の一瞬までをそれに囚われるだろうことを悟り、了承し、共に願ってくれた。きみはそういうひとだ。私が私のために紡ぎ続けるきみとは、そういうひとだ。

19 - 1 - 遣取。

19 - 1 - 遣取。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-05

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