幽玄性(再掲)
2020年1月11日にアップした記事を一部修正して再掲したものです。
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幽玄と口にする時、宙に浮かぶ蒼白い炎を思い浮かべるだろうか。それを手にする者がなく、事象として独り立ちしているもの。揺らめく形に照らされるくせに、背後に影が生じない。対面しながら冷えていき、心の底から魅入られる。地に縫われた両方の足から沈み込み、身体で区切られていた外界との境目が消えていく。惹かれる欲に任せて指で触れようと手を伸ばせば最後、その人のあり方が異界へと舞う。主人を失くした衣服が重なりながら、掛け軸の余白が狭くなり、ひたひたと歩く姿が背面で描かれる。名前は揃って机上に置かれ、そのうちに立ち姿を形成する。髪が早くも伸びていて、美醜の際をなぞって微笑う。言えることなどない。ただただ眺めて、飲まれてしまえばいいのだ、と。
そんな私の考えをお聞きになって、湯呑みを置かれた先生はふむふむと髭を撫でつけ、その仕草をお止めになってから間を置き、「がはは」と大笑いをなされた。未熟さを笑われた、と思いすぐさま頬を熱くした数年前を思い出す。何度も同じ場面に直面し、大笑いに満足した先生が涙目でお話になられる事から学び続けてきた私は、寧ろ何を教えてもらえるのかと身を正す。果たして、今日も大笑いに満腹した先生は湯呑みの底を覗き込み、何も残っていないことにがっかりなされ、ふう、と軽いため息を吐き終え、「なあ、」と私にお声をおかけになった。
先生の、法螺話に書き込まれる決まり文句と評する私の記憶である。
その者が最終的に行おうとしたのは実質的な殺人であり、爆発事故に見せかけた計画であった。その者と、その者が狙いを定めた相手との間に利害関係はない。人間関係もない。ただ、見た感じ気に食わないし、みんなも同じ事を思っているだろうと決め付けたその者は、自らが機械の修理業を営むことを利用し、近所の知り合いを唆して、相手が使っている湯沸かし器について嘘を吹き込んでもらった。すなわち、その湯沸かし器は根本的な欠陥があると最近メーカーから発表があった。その修繕なしに使い続けると最悪爆発事故を起こし、場合によっては命に関わる。なので、すぐにでも状態を見てもらった方がいい。幸い、腕のある修理工を知っている。値段も安く済むから、そいつに頼んだ方がいいぞ、と。
狙い通り、その相手はすぐに点検又は必要があれば修理を、と唆した知り合いを通して依頼をしてきた。その者は内心、ほくそ笑みながらその相手の自宅を訪れ、世間話で場を和ませながら、当初の計画を実行した。といっても、その行為自体は単純である。湯沸かし器の中にある部品のネジを緩め、その相手がお湯を使うとき、思わぬ量の熱湯が噴出するよう細工する。これにより、その相手はひどい火傷を負う。裁定でも日常生活に支障が出るであろうから、その様子を見て腹の底から下卑た嗤いを楽しんでやろうとしたのである。
さて、その者は自身の「仕事」に非常に満足し、折を見てその相手の様子が窺える周辺に足を伸ばし、その相手が包帯を巻いて億劫そうに動く姿が見れないか、また近所の者に声をかけ、最近何かしらの事故は起きなかったか、救急車が呼ばれたりはしなかったかを聞いて回った。興奮冷めやらない様子であったため、近所の者はかえってその者に不審を抱いたが、まあ修理業に熱心に取り組んでいるのだろうと善意で解釈をし、一様に同じ言葉をその者に返した。
「特には起きていないね。ここら辺の人たちはみんな元気だよ。」
その答えに、しかしその者はガッカリしなかった。救急車が呼ばれる程の酷い火傷を相手は負わなかったかもしれない。しかし、火傷は必ず負っているはずだと期待したからである。だからその者は相手の自宅近くを彷徨き、己の行為で相手が苦しんでいる様をその目に焼き付けるために時間をかけた。しかし、その全てが徒労に終わった。目にした相手はいつも通りに暮らしており、どこにも火傷を負っていなかったからである。
なぜ、と思いつつ、しかしその者の行動は早かった。先の知り合いに頼み込み、再び相手の自宅を訪問し、湯沸かし器のネジを更に緩めることにしたのである。つまり、その者はネジの緩め具合が弱かったのだ、オレもまだまだヒトがいい、手加減など最初から無くしてしまえばよかったのだ、と内心で当初の計画が失敗した理由をつけたのだった。
そして、再びその者の計画は失敗した。相手は何一つ怪我をしなかった。だからその者は、上記した行為を繰り返す他なかった。最終的には湯沸かし器のネジの全てを限界まで緩め、これまでの失敗を踏まえた保険として、断線が起きるよう細工もした。場合によっては漏電により、湯沸かし器の爆発なり何なり生じてしまえばいいと行った行為だった。この時点で、その者の行為は言い逃れ出来ない程に犯罪性を帯び、湯沸かし器に施した全てが違法性を証明する証拠となっている。にも関わらず、その者が行った苦労は文字通り、水の泡となって流れて消えた。「いや、お湯の泡となって、かな」と先生が意地悪そうに笑って続けるには、結局、湯沸かし器の故障を原因として、その者が狙った相手が火傷を負うことなど一度もなかった。殺してしまってもいい、と決心して行った行為の全てを無駄にしたくないその者は、もう一度先の知り合いに頼み込んで湯沸かし器の修理と称する殺人を試みようとした。そこでやっと、その者の身柄が拘束された。当初と異なり、その者の計画に乗る気をすっかり無くした先の知り合いににべもなく断られたその相手は、育て上げた鋭利な殺意をその知り合いに向けてしまい、事(こと)を起こした。その事件の取り調べの中で、その者が前記した経緯を動機として話し出した。これを受け、担当の刑事が相手方に聞き込みを行った。そしてその刑事はその者の精神鑑定を行うことを視野に入れた。理由は簡単だ。その者が狙った相手の自宅にある湯沸かし器には、何ら仕掛けがされていなかった。どこのネジも緩んでいなかったのだ。お湯は適度に暖かく、湯沸かし器から流れ出てきた。
かかる事実から、その者の計画は全てが妄想と片付けられた。しかし、先生はここで留保を示された。曰く、事の経緯からその者の計画は客観的な事実でなく、したがって他の者と共有できない。この点で、その者の供述内容は確かに妄想といえる。しかし、その妄想が現実でないかという点から見れば、現実でないとは言い切れない。なぜなら、その妄想は確かにその者が認識する世界で生じていた。その者はその妄想の中で生きていた(いや、今も生きている、と先生が訂正する)。人の認識する世界には、五官から伝わる情報を構築したものに加え、言葉で表される意味がべったりと付与される。この意味の部分で、個々人の感情的経験が色味として世界を覆う。こうして人の世界が出来上がる。その仕上がり具合は必ずしも同じではないだろうよ。あるいは、その人しか知り得ない世界があってもおかしくはないさ。意味の世界では、オリジナリティのようなものが生まれ得る。
そう言って、二番煎じの茶を湯呑みに注いだ先生は熱そうにそれをすすり飲み、「まあ、その意味の世界が客観的なものかどうかを検証できるから、多数の人で暮らし合える。だがしかしその検証も、言葉を使って行うって点でややこしいことになる」と長い呟きを溢された。それを拾った私が矯めつ眇めつした上で先生に向けて「つまり?」という顔をしていたのだろう、先生は苦味を増した笑みを浮かべて最後にこう仰られた。
「辞書みたいに、何ひとつ外に出ることなんて出来やしないってことさ。」
辞書で使われる言葉も辞書で調べることが出来る。そういうことか?とぼんやりと思い続ける私が、今もここにいる。
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その発生を促す媒介物や原因となる化学現象が定かでなく、したがって燃え続ける理由が分からない。私の中の蒼白い炎。幽玄性を備える、宙に浮かぶ世界。
したがって、と先生に教えを請うことをしなかった私は、今の時期、先生が書斎にかけられる掛け軸に描かれる雪花に対面し、確認の意味で尋ねた。
「先生の幽玄は、そこにありますか。」
私が振り向くと、眉をへの字にし、両腕を組んで真一文字に口を結ぶ先生の姿を認めた。私はその日初めて笑みを浮かべ、肯定、の表現の幅の広さに痺れた足を伸ばすのだった。
幽玄性(再掲)