東屋までの恋

東屋までの恋

 
 暑い夏の終わりには似合わない、そんな震えた笑顔であなたは笑っていた。
 始まりを思い返せばいつだったかも思い返せない。去年の冬も終わるころだった。教室の隅、カーテンに隠されたような私に声をかけてくれたこと。
「とーかさんって、本読むの?」
 色気ついた男性。大人の皮を被った高校生とでも言えばいいのだろうか。容姿だけで言うのならば20代中盤のようにも見えるが、若々しい声と苦労の少ない日々を描く笑顔がまだ高校生を模しる人だった。
「はい」私はただぶっきらぼうに語った。別に深い意味があるわけではないけれど。
「今、読んでるのは何?」
 首を傾げて、子犬のような無邪気さ。その表情を読み取りたかったわけではない。ただ、読んでいる本で私を測られてしまうのが嫌だった。だから、黙り込んだ。風のない秋みたいに、乾いて。
「…さいきん本を読みだしてさ。よかったらおススメとか教えてよ。」
 知っていた。意識にないことほど簡単に世界を壊していくこと。無意識にある言葉こそ
人を動かしやすいこと。小説の中、伝えたい文字よりも何気ない一文が胸に刺さって抜けなくなること。
「じゃあ、ね!」
 別れの言葉すら俯いたまま。何も言えない。おくびょうだ。私は臆病だ。虹なんて次見る頃には消えているのに。なのに、まだ心臓のフレームレートが下がったまま。熱を持ちすぎているみたい。
 それが私の恋路の始まりだったと思う。

     ・

 暑い夏の終わりには似合わない、そんな暖かい笑顔で君は笑っていた。ただそれだけだ。

 せっかくの土曜日。幸い、昼練だから朝は遅いのだが、昼の夏は熱い。もっと嫌味な話をすると昼練のほうが朝練よりも1時間長い。朝遅くまで寝たいのと1時間長く練習をしたくないという競り合いが高校生活2年目になっても終わらないのだ。
 だが、それも気にはしない。今日は今日とて終わりなのだ。夕刻が照らすアスファルトに情を忘れた涙も乾く。
 校舎の影も伸びきる。校門まで自転車を押し続ける。熱い、部活後の汗が体を纏っていて気持ち悪い。早く自転車に乗って風を浴びたい。それから急いで家に帰ってシャワーでも浴びたいものだ。
そんな願いに胸を震わせてようやく校門を抜け出す。淡く光る夏色の隙間。校門にたたずむ一つの影。風が靡くようで、瞼を落とした。
「夏貴くん!」
 胸に響く淡い声を辿る。ペダルも惰性だけ、ブレーキも音だけが甲高く響く。
「あのさ、一緒に帰らない?」
 解像度の高い夢でも見ているかのような青春。それと淡くにじむ汗、勇気。一冊の本がカバンからはみ出ている。そのカバンですらも自転車の籠からはみ出している。色気みたいだ。
「あ…うん。」
 胸は空を模していた。雷雲が北東に咲く。それ以外も淫らに華やかに咲き誇っている。
 
   ・
 
 車輪が回る。目まぐるしく、2つ自転車と4つの車輪が進み続ける。
「あのさ…天気がいいね。」
 進んで8m。彼女の声のほとんどが風に呑まれていた。ただ二人並ぶ下り坂。風が僕らを飲み込むのも仕方がない。
「雲がきれいだよね。特にあの雷雲。」
 声が震えていたのだろうか。なぜかうまく声が出ない。声が無駄に低くなる。緊張しているのだろうか。誰にだってこんな変な感じになったことないのに。風が言葉を盗んでいっていないか不安になる。
「そうだね…。あっ、暑いからさどっかの公園に寄って、ジュースでも飲まない?」
 一つ飛ばした、けんけんぱ。
「いいね!日影がある場所あるからさ、そこに行こうよ!」
 夏に似合わない低い声と小川沿いを走る16キロメートル毎秒の体。潺の音は風に揉み消された。聞こえるはただ鼓動と車輪の唄。
 彼女は僕になんの用があるのだろうか?なんて考えた隙に自分の心像に気が付いていたのだ。シンプルなんだよな、世の中。知ってた。今日も部活に行った理由だってシンプルだ。ただサッカーが好きなだけ。それが惰性で進んでいたって同じこと。今日部活に行きたくなかったのも、読みかけの小説を読みたかっただけだ。本屋で手に取ったベストセラーを。
「いい天気だね、ほんとっ。」
 溢れてしまった。言葉を最後に3・2と1の言葉で止まる車輪。
「ここだね。」
「うん。」
 小さな頷きと自信の揺れ。それに気が付いて僕は胸が躍る。夢が叶うみたいな。そんな気分に近いのだろうか。否、「偶然が叶う」ほうがもっともらしい。
「ちょうど、あそこの屋根があるところ。」
「自販機もちょうどあるね。」
 自販機まで転がす自転車。財布の中身を少しばかり吸い込まれたら、冷えた夏の特技が指に触れる。「冷たっ。」なんて言葉の後は屋根のほうまで歩いた。
「東屋っていうだよ。公園にあるこういう屋根しかない建物。」
 不意にあふれる言葉が自信に満ち溢れているように見えて、なぜか嬉しかった。
 二人向き合い座った。ペットボトルを挟んだ。その笑顔がただ美しいと思ったから。だけど東屋までの恋だ。夏は何処に向かうのかは知らない。だからこそ僕ら秋が分からない。

 ~終わり~

 

東屋までの恋

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  • 小説
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更新日
登録日
2023-10-01

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