思い出は時雨に呑まれて。
思い出は時雨に呑まれて。
晴天を穿った土砂降りの最中。今季の斜陽観察日記も今日で終わりだと言うのに。
「どうしたものか」太陽のように眩しかったアリオトが言った。
「晴天の終わりを呼ぶのは今日かも知れないという事、学校で習いませんでしたか」泥水よりも濁った心で、小さな声で呟いてみた。
「ベネトナシュはいつもそうだね、晴れていても曇っていても嬉しくも楽しくもなさそう。この雨を見てよ、いつぶりの雨だろうか!昔人は雨も美しいと、だが天災が怖いとも語っていた。どう思うかいベネトナシュ。とある小説には美しい終幕の為に美しい日々が必要だと書かれてあった。だが、その小説の最後では主人公が毒殺してしまうんだ。自分で毒を美しく飲んで。ベネトナシュ、僕はねいつ終わるかも分からない生活こそが美しいと思うだよ!」
「あなたは知らない。私とあなたとの違いを。」
「何も違わない同じ心だこと!」
心臓を射抜かれて、指先までもが冷えていく体。冷めていく血色が心の温度と同化している。次第に指先の震えも落ち着いて行く。それは鼓動が止まるよう。
土砂降りは結果として嵐を呼んだ。不思議な空だ事。眠りのような灰色から息吹の水色が溢れて粒となってジョーロによう降り注いで。路傍を緑青で染め上げる頃、恋に落ちて沈む太陽が斜陽と呼ばれて、茜色を殺めて。血に染まったよう西空は一線を描くナイフ。愛人の背筋を辿る青二才にキスを教えれば、また空が涙を一滴。二滴。三滴目からは数えきれない程の流星群。地球の呼吸は溜息のよう冷たく強い。
「そうね。そうだったね。一つの心だと誓ったんだったね。」
また明日になれば同じような会話が続けばいいのに。斜陽日記も何処で途絶えるのだろうか。私は不安で堪らない。
「ねえ、アリオト。私は不安なの。不安で仕方がないの。明日になれば全てを忘れているかも知れない事が。ほら、今もどんな声色であなたに話しかけているのか忘れている。否、知らないでいる。それが怖くて仕方ないの。同じような会話でも、明日になれば細部に変わり目の星が咲くことが怖くて仕方ないの。そうしていつか、流れて死んでしまう、忘れてしまう流れ星になることが怖いの。」
人差し指を交互に交わして遊ぶ。それは愛情の足らない新婚夫婦のようで。儚くも、一生を過ごした老人夫婦のようでもあった。
「怖くないさ。今日だって、ベネトナシュの皮膚は新しく生まれ変わっているだろう。ほら、僕の皮膚だって…」
夢が醒めるように声が縮んでいく。
「ああ、もう知っていたよ。また明日になればアリオトは全てを忘れて死んでしまう。前の記憶に戻るのでしょう」
まるで体温ではない温度と肌触り。その皮膚が人口的な機械に過ぎなないと彼は今日も自覚しては苦しみに悶え始める。
「嘘だ。ベネトナシュ。何で教えてくれなかったの?僕はいつから機械になった?」
振動と言うべき震えが芽生え始めていた。ああ、今日も終わってしまう。
「終わるからこそ、美しいのよね。なら、アリオト。今日のあなたも終わりだから。」
息を飲んで、みて欲しかった。声にならない感情を呼吸で誤魔化して欲しかった。
「ああ、そうか」
ああ、まただ。あの時もその表情をしていた。昨日もだ。終わりを呼び込むときはいつも同じ顔。もう歯痒くて、失速感が彷徨って正気でいられない。
「また、明日同じ夢をみよう。」
私の誓いは今日も、呪いとなって今日を終える。
「明日はまた違う僕がいるから。安心して。」
それは始めての言葉だった。
~終わり~
思い出は時雨に呑まれて。