小春日和の猫
参拝すると、心が落ち着く。そこには鳥や猫や樹々、あらゆるものが話しかけてくる。
参拝にて、出会った猫との会話
ゆるやかな日差しが降りそそぐ。さらさらとまんべんなく。空っ風が肌には冷たく、ぴたぴた張り付いてくる。そんな冬の遅い朝。着込んだ服に、太陽のシルクをまとっても、その隙間から忍び込んでくる冷たい空っ風。
鳥居をくぐったら点々と木漏れ日差す、背の高い樹木のトンネル。太陽のシルクはふっと消えて、ここは清めのひんやり具合が素晴らしい。旧正月の神社には人影は見当たらない。いつもと変わらぬ、ひっとりと厳粛にたたずむ。脇道、砂利道じゃりじゃり足音立てて、訪問の合図。
手水舎でお手を清めてお賽銭。こま犬は開けた、閉じた口のまま威風堂々と佇んでいる。鈴をゆらゆら三回ガラガラガラと。手を合わせると、なんだかいっそう静けさがつつんでくる。小鳥のさえずりも、空っ風もひっそりとしんとする。拝礼してから、ご神木にもご挨拶。ふむふむ、ありがとうございます。苔をびっしり纏いしご神木。
境内でてから、目の前の広場、さらさら日差しがいい具合。なんだかここは空っ風もおとなしい。横のブロック塀に、定位置のマダラ猫が日向ぼっこ。参拝来るたびそこにいる。老いているようでじっと丸まって、うつむいたまま。どれだけ見てきたのかな?
お邪魔致します、と近づいて、それでもぴくりとも逃げる様子もなく、顔を向けることもなくうつむいたまま、細く小さな身体に日を浴びている。そっとさわさわ撫でる、それでも嫌がるそぶりなく、じっと丸まっている。背骨が少し手にあたる。
――うん、そうですよね、暖かいですよね。今日の体調はいかがですか。
こちらは向かないけれど、やつれた毛並みも温かく、--まぁまぁだよ、最近は割といい方かな。老いたおかげで、こんなにも鈍くなりましたよ。首筋をなでながら、そんな会話。
--おいおいおい、と後ろの塀から黒猫くん。ふっくら毛並みに、さかんに呼びかけてくる。
――なんだ、なんだ、お前さんは元気がいいな、残念だけど食べ物は持ってないよ。
マダラ猫さんを撫でてる手に無理やり、鼻先をこすり付けてくる。はいはいわかったよ、この甘えん坊め。首すじ、のど元なでなですると、背筋を伸ばして手をもじもじ。やめるとまだだよ、と度々泣いてくる。日差しが暖かい。
塀向こうの一軒家。そこの扉が数回開く。甘えた黒猫くん、げんきんなものだ。そちらへ様子見。「ないよ!」と慣れ親しんでいる掛け声。何もないと、また帰ってきて、撫でることを迫ってくる。そしたら、ほいっと窓から何かか放られた。俺を見つけたその人は、魚のなんちゃらを猫にと、と少し恥ずかしげにご挨拶。
ほら食べ物。黒猫くんはすぐさま、すちゃっと着地してはぐはぐ。けれどマダラ猫さんは少し顔を向けて見つめるぐらいで、行こうとしない。その角ばった背中は、なんだかさみしげ。
――元気でなぁ。また今度も来るから。
そういって日が上に上がってる中を、チャリでのんびり風を切る。心なしか、空っ風も冷たさが和らいでいる。
小春日和の猫
やっぱり、書くのは、心が静かにならないと、その物語に入れないことを実感する。
これが小説まで潜れて昇華できていなくても。