痛い恋なのかな?
やけにはっきり見る夢
『明晰夢』(めいせきむ)
忘れたくても忘れられない
『あの日の失敗』
高校最後の夏の日。
二人は一線を越えた。
それから7~8年後、二人は……?
明晰夢。
夢だと分かって見る夢。
俺がいま見ている夢がそれだ。
思い出したくない高校三年の夏。
忘れられないあの『失敗』の夢。
最悪の夢だ。
――グラウンド。
歓声を上げる相手チーム。
泣き崩れるチームメイト。
俺は何もできず、何も言えず、ただ突っ立っていた。
後になって、これが「呆然」ということなんだと知った。
そんな中で、頭の片隅ではやけに冷静に「3秒後には泣くだろう」と自覚していた。
涙腺が限界を超える寸前、観客席にタマを見つけた。
タマも俺の方を見ていた。
心配、同情、そんな表情。
そんな顔をするなよ。
いつものようにからかってくれた方がましだった。
「ポチが負け犬になっちゃった。名前通りに!」
……とか、おまえなら笑いながら言いそうじゃないか?
兄妹同然のおまえに泣き顔なんか見られたくない。
泣けなくなっちまった。
このままでもしようがない。
どうしよう?
とりあえず、手でも振っておこうか。
でも、どんな顔をすればいいだろう。
作り笑い?
無理だ。
無表情?
変に思われる。
それに、手を振ったらなんだか泣いてしまいそうだ。
タマにだけは見られたくなかった。
俺はくるりと背を向けて歩き出した。
どうにかベンチの裏まで、タマに見られないところまで、泣き崩れないように歯を食いしばる。
たどり着いた時には奥歯の感覚がなくなっていた。
ゆっくりとあごの力を抜いたら、なんでか、涙線まで緩んじまったよ。
突然、シーンが飛んだ。
さすが夢だ。
今度はタマの家の前にいた。
そう、これはあの試合の次の日だった。
見に来てくれた礼くらいは、せめて言おうと思ったのだ。
チャイムを鳴らす。
玄関を開けたタマは、少し驚いたようだった。
驚きはすぐに消えて、いつもの笑顔になる。
――タマの部屋。
あたしの部屋、来るの久しぶりでしょ?
うん、最後に来たの、いつだっけ?
ン~、中学一年の春じゃない?
小さな頃は、ホントによく遊びに行っていた。
だけど、なんとなく気恥ずかしくなって、遊びに行かなくなった。
思春期というやつだったんだろう。
数年ぶりに入るタマの部屋は、だいぶ女の子っぽい部屋になっていた。
やけにいい匂いもする。
当たり前か。
でも、本棚は相変わらずミステリー小説で一杯で、すごくほっとした。
昔っからのミステリーマニア。
小学校一年の時、図書委員をやりながら名探偵モノを二人で読んだのがきっかけだ。
タマは大して散らかっているわけでもない部屋を片付けながら言う。
なにか飲む? あたしね~、いま、紅茶にハマってるの。
なんでもいい。
――俺は何となくそう言った。
だが、きっと、ぶっきらぼうに聞こえたのだろう。
タマは、ほんの一瞬、なにか考えるような表情を浮かべた。
でもすぐに笑いながら、
待っててね~。
――と言って、部屋を出ていった。
しばらくして戻ってきたタマの両手には、よく冷えた缶ビールがあった。
意外だった。
タマは俺の隣りにすとん座ると、缶ビールを一本、渡してきた。
そして、何も言わずに缶を開けようとする。
よく飲んでるのかな?
いや、違う。
タマは不用意に缶を開けて、ぷしゅっと吹き出した泡に慌てている。
俺はといえば、親に隠れて何度か飲んでたから、吹き出す泡に慌てることなく缶に口をつける。
泡をすすってから、ゆっくりと中身を一口。
ビールの苦みが喉につき刺さる。
いまはその苦さにもっと串刺しにされたかった。
そうすることで、心に刺さった苦さも一緒に飲み込めるように感じたから。
――後から考えると、これは自傷行為だったのかもしれない。
俺はがぶがぶとビールを飲んだ。
タマも慌ててビールを飲む。
ビールはそうして飲まないといけないと思ったのかも知れない。
タマはむせこんだ。
俺はかっこよく飲み干した。
が、途端にでっかいゲップをしてしまった。
ビールが鼻にしみて涙目になった。
タマは大笑いした。
俺も笑った。
しばらく二人で笑い続けた。
早々にアルコールの酔いが回ってくる。
タマの頬が淡く染まる。
俺の顔も、きっと同じようになっているだろう。
ひとしきり笑いがおさまった。
俺は試合に来てくれた礼を言おうとした。
だけど、なんだか照れくさくなった。
タマと目を合わせないように窓の方を向いて、さり気ないふりして言う。
試合、観に来たんだな。
……うん。
――タマは素っ気なく答えた。
変な詮索も、妙な慰めもない。
タマのその素っ気なさがありがたかった。
俺は話を続ける。
負けちまったよ。
うん。
最後の試合だったんだ。
うん。
勝ちたかった。
うん。
悔しいよ、俺のせいで……。
――自分の言葉に驚いた。
酔っていたから、口から出た言葉。
口から出せた言葉。
タマは何も言わなかった。
ただ、優しく頭を撫でてきた。
妙に心地よかった。
俺はじっと撫でられていた。
あれ?
なんでだろ。
涙が溢れてきた。
俺は涙を拭かなかった。
拭けなかった。
拭いたら、泣いていることをタマに気づかれてしまうと思った。
急に目の前が真っ暗になった。
何か、柔らかくて暖かいものが、顔に覆いかぶさってきたのだ。
なんだろう?
半ば反射的に手を回した。
どきっとした。
それはタマの細い身体だった。
俺の頭はタマの両腕に抱かれ、顔は柔らかな胸に埋もれていた。
タマの息づかいを肌で感じた。
心が和らいだ。
これが『人の温もり』というものなのだろうと思った。
タマの背中に回していた両手を、ほとんど無意識のうちにするりと下げた。
手のひらに丸みを帯びた膨らみが触れた。
その瞬間、タマがビクッと反応した。
おしりだとわかった瞬間、タマの身体が離れた。
ぶん殴られると思った。
恐る恐るタマの顔を見た。
タマは怒っていなかった。
すぐ近くにあるタマの顔には、初めて見る表情が浮かんでいた。
紅潮した頬は恥じらいと、慣れないビールのせいもあるだろう。
潤んだ瞳は、戸惑っているようにも見えた。
わずかに開いた唇からは、甘い吐息を感じた。
初めてタマを『女』だと感じた。
ここからどうすればいいんだろう?
俺もビールで酔っていたのかも知れない。
あれこれ考えるよりも先に体が動いた。
タマの身体を抱き寄せようと、両腕に力を入れた。
次の瞬間にひっぱたかれると頭に浮かんだ。
でも腕の力は抜かなかった。
タマはひっぱたかなかったし、抵抗もしなかった。
俺はタマを抱き寄せて、瞳を見つめた。
タマもまっすぐに見つめ返してくる。
まだ戸惑っているようだが、マイナスの感情、怒りや恐れや悲しみなどはないみたいだった。
顔と顔はどんどん近づき、唇と唇が触れた。
しばらく重なり合ったままだった唇は、次第に動き始める。
相手の唇を挟みこむように、くすぐるように、吸い込むように。
そして俺はもっと深く結びつきたいと感じて、舌をタマの唇の間へねじ入れた。
タマはわずかな吐息を漏らしてから、怯えるように応えてきた。
二人の舌は最初たどたどしく、そしてすぐに激しく絡み合っった。
どれくらい時間が経っただろうか。
不意に二人の唇が離れた。
あっ……
――タマの短くて甘い喘ぎが、至近距離から耳に飛び込んできた。
頭がか~っとして、耳もじんじんした。
タマを押し倒し、唇を吸い、胸を揉みしだき、荒々しく服を脱がし、激しくタマを求めた。
――その後はあまり覚えていない。
確かなことは、タマは痛みに耐えながら俺を受け入れたこと。
やけに鮮明に覚えているのは、薄暗闇の中、タマの白い肢体と長い黒髪が、しなやかに舞っていたことだ。
きれいだった。
女神、天使、妖精、神々しさを感じるくらい。
愛おしかった。
誰よりも近しい存在、かけがえのない存在、大切な存在。
全てが終わり、抱き合いながら眠り、そして俺は醒めた。
俺の中にあったのは、満ち足りた想いと、反比例するように大きく深い罪悪感。
最も大切な存在を傷つけてしまった。
愕然とした。
タマの寝顔を見つめる。
タマもゆっくりと目を覚ました。
穏やかに微笑み、俺の顔をじぃっと見つめる。
その微笑みが固まった。
俺の罪悪感が顔に出ていたのだろう。
まずい。
俺は少なからず努力して笑顔をつくり、タマの髪をそっと撫でた。
その瞬間、俺の中で罪悪感よりも愛しさが勝った。
タマにも伝播したのだろうか、安心したように目を細めた。
ほっとした。
そして痛感した。
俺はタマに相応しくないと。
最後の試合に負けた感傷、酔った勢い、幼なじみへの甘え。
そんなものでタマを傷つけ、汚してしまった。
愛情がないわけでは決してない。
でも、体を重ねる前には?
はっきりした愛情を持っていたとは言えない。
どう償えばいい?
どうすれば赦される?
否。
赦しを請うことさえ赦されない。
スタートを間違えてしまった
もう「元」には戻れない。
もう「先」にも進めない。
だけど、一緒にいたい。
……そうだ。
「今」のままでいれば、なんとかなるんじゃないか?
ただの幼なじみには戻れないし、恋人にもなれない。
でも、失敗が一度だけということを免罪符に、幼なじみ以上恋人未満の関係を保ち続ける。
死ぬまで――あるいはタマから拒絶されるまで。
自分勝手だと思う。
でも、どうか、そうさせて欲しい……。
――カーテン越しに差し込む朝日。
最悪の夢から覚めた。
さわやかな光が無性に目障りだった。
脳裏に残っているのは、タマのしなやかな肢体と深い後悔。
トラウマで心が焼きただれた。
こうも夢見が悪いと二度寝もできない。
俺は起き上った。
あれ?
ベッドじゃない?
リビングのソファーだ。
なんでここで寝てたんだ?
バスルームからはシャワーの音が聞こえる。
……ああ、そうか。
寝ぼけた頭に昨夜の記憶が戻った。
俺はキッチンへ移動した。
コーヒーを淹れるためだ。
キッチンの隣は脱衣場を兼ねた洗面室。
その奥がバスルームだ。
シャワーの音がドア越しに聞こえる。
(あら、起しちゃった?)
バスルームの中からくぐもった声がした。
「いや、大丈夫だよ」
(ポチ、ごめ~ん。もう出るからちょっと待ってて)
「急がなくていいよ、別に」
そう言って、俺は二人分のコーヒーを用意する。
俺とタマの分。
昨夜、タマが俺の部屋に泊まりに来た。
珍しいことではない。
毎週末とは言わないが、それに近い頻度で泊まっていく。
だからといって、俺たちは付き合っているわけではない。
昔と同じ、『幼なじみ』の関係のままだ。
だけど、一緒に酒を飲むことはない。
一緒に寝ることもない。
それは、あの夏の日が最初で最後だ。
タマがどういうつもりでウチへ泊まりに来るのか分からない。
いつも勝手に押しかけてくるのだ。
そのたびに俺はリビングのソファーで寝る。
あの夏の日の出来事は、もう7~8年前だ。
あの一回だけのことだし、タマはもう忘れたのか、気にしていないのかも知れない。
俺は今でも夢に見るというのに……。
女というのは、こういうところでデリカシーのない生き物かもしれない。
いや、俺が情けないだけか。
きっとそうだ。
それでも一緒にいられることが嬉しい。
幼なじみという関係のまま。
終わることのないトラウマの中で。
――痛い。
<< END >>
本作品は別作品のスピンオフです。
本編「ポチタマ事件簿」もぜひお読みください。
TOPの検索窓から「ポチタマ」ですぐ見つかります。
本編では『タマ』が活躍(?)します。
ぜひお読みください。
作者sian拝
痛い恋なのかな?