鰹と鮪
正月築地市場を賑やかした大間産鮪、一本一億数千万円の値がついたようで釣った漁師は宝くじに当たったようなものだったろう。同じ鮪でも松方弘樹がトーナメントで吊り上げた鮪はそれと比較すると随分と安く感じるから、これからは彼も大間で釣ってみてはどうかと思ってしまう。
その宝のような鮪を長い日本刀のような刃物、あそこまで行くと包丁とは言わないのかもしれないがその鮪包丁で捌き切り身にして出されたのを美味しいと食べているシーンが流された。はてさて、本当のすし職人は呆れているやら泣いているやらではないのだろうかとそれを見た。
鮪は鰹と違いうまみ成分が少ない。ゆえに熟成させ漬けにして食べる。以前漁協の知り合いから本鮪の子供「横輪」を一本頂いた、こちらではこれを単に「ヨコ」と呼ぶ。勿論刺身にして食ったがそれより旨かったのは翌日塩焼きにしたカマと腹身だった。一晩クーラーボックスで寝かしたのをヨットのキャビンのガスレンジで焼いたものだがそれは旨かった。クルージングしていた全員が「こっちが旨い」というのだから間違いないだろう。
しかし鰹はそうは行かない。全体がうまみ成分であるため、直ぐに味が変わるから、採ったら新鮮なうちに食べないとうまみは臭みに変化する。鰹は臭いといわれる所以はそこにあるのだが、それは新鮮な鰹を食べたことが無い人の言葉で、新鮮な鰹は決して臭くなく、身も黒くなく、美しいきらきら光る緋色をしているものだ。ましてやクーラーボックスで一晩置いた鰹など猫も跨いで通る。
土佐生まれ土佐育ちのうちの嫁さんも以前は「かつおの刺身は匂いが有るから好きじゃない」といっていたが新鮮な刺身を食べさすと一転、「かつおは刺身が美味しい」と言い出したほどで「こんなことならもっと早く教えて貰いたかった」と怒られたおちまで付いてきた。
付け加えるならば鮪で賑わした東京築地市場だが、ここに鮮魚はほとんど無い。なぜなら採った所からそこまで輸送するのに時間が掛かるからだ。一般的に鯖の生き腐りといわれる鯖だが、これはその寄生虫の縁ることもあるのだがこの鯖で絞めてから大体8時間くらいがもっとも美味しい時期だといわれ、それ以前だと身はコリコリ固いがうまみが少なく、長すぎると鮮度が落ちるそうだ。そうすれば関鯖であっても目が白くなってきている魚など食べようとは思わないのを分かっていただけるだろうか。その築地でせり落とされた魚がまたスーパーに並ぶのに時間が掛かる。東京近郊の人々はその魚らしきものを旨いと食べているが、地方で本当の味を知っているものはそれを見て笑うだけである。
鰹は魚自体が旨いから塩たたきといわれる、身を藁でさっと焼いて天然塩をつけて食ってもこれは旨いが、鮪でそんな食べ方しても旨くともなんとも無いばかりか食えるものではない。
魚に限らずなんでもそれに適した料理方法、また仕込みがあるのだが、人々はマスコミや店のパフォーマンスに引かれさもそれが美味しいと錯覚してしまうから面白く、またあさはかで可哀想と思ってしまう。
何事も同じ。周りに踊らされず自分が調べ本当の本物を知ることが大事なのだ。企業はどうやってでも売りたい、そのためにあらゆる手を使うのは当然で、それが本物であるかどうかなんて二の次三の次なのである。言い返せば儲けようと思えば騙くらかしてでも金を払わさないと駄目だということだ。
もう少し辛抱すれば今年もまた黒潮に乗って旨い鰹が上がってくる。朝沖を泳いでいたまださほど脂の乗っていない、それでいてあのまったりとして舌にまとわり付く鰹が一人400円、地元の美味しい炊き立てご飯と旨い味噌汁つけて630円で味わうことが出来るのは、これは喜び至福といわずしてなんというか。
地の物はそこへ出向いて、本当の味を味わうことをお勧めしたい。それも惑わされるのではなく自分が本物を知った上で。
鰹と鮪