箱庭

箱庭

 ブラウン管のテレビはもはや電波を受信することはないのだからリビングに放置されている。それで数年前に購入しただろうテレビで僕は映画を観ていた。男女がキスをして終わるハッピーエンドの映画だ。最後に生きた、元野生の猿がヒロインの女に向かって拳をあげるような残虐なシーンはない、綺麗なものだ。で、終わる。
 僕は終わった映像を消した後にビデオテープを手に取った。日に焼けて文字が薄くなっていたので僕はそれを読む気が失せてソファーに投げ捨てた。それから視線を引き違いのサッシの外に向けた。3メートルほどの高さがある直角に手入れされた樹の壁が続いている。僕は手袋とマフラー、耳あて、帽子を被って長靴を履き外に出た。真夏のような炎天下なのにとても寒かった。少しでも影の部分には雪が積もっている。家の庭だと言うのに延々と樹木の壁が他の小道に別れていた。僕は家に戻って赤くて大きな毛糸を棚から取って再び外に出た。毛糸の先っぽを玄関のノブに結んでから、五つに分裂している小道を見渡した。僕は短く息を吐いてから一番右の小道を進んだ。赤い毛糸は両手に持ち地面に垂らして歩いた。樹の壁はクネクネとしていて、進み続けると心臓の血管のように幾つも別れている。僕はその度に心底、気分が悪くなった。例えるならグラタンの裏が表になって、運ばれてくるレストランのように。そして、小道を選んだ際には樹の壁の角に青い毛糸を結んだ。晴れやかな晴天の空だと言うのにとても寒かった。ザクザクと歩く、雪は粗く、僕の体力を奪う。『今日』もそろそろ家に戻ろうと思った。そう思って振り返った。
 するとそこには薄汚れた青いツナギを着け、鹿の頭を被った男が僕の方を見ていた。距離はだいたい30メートルだろうか? 鹿の男の左手には550393820958が握りしめられていた。僕は思わず、赤い毛糸を落とした。鹿の男はその瞬間に「Ahaaaaaaaaa!!!」と叫んだ。僕は一目散に鹿の男と逆方向に走り出す。これまでに何度も庭を散策したが僕以外の生き物にはあったことはなかった。後ろからアイツが追いかけてくる音がする。僕は樹の続く壁をまっすぐに進むことは避けて適当に曲がって走り抜けた。その効果があったのだろうか? 鹿の男の気配は消えていた。僕はホッとするが、すぐにその気持ちは消えた。僕は今、どこに居るんだろうか? 不安な気持ちで自分が走って来た道を見ていると、僕とは違う足跡が複数あることに気づいた。僕は気は進まなかったが仕方がないので、その足跡たちに続いて歩いた。声が聞こえてきた。どうやら男女たちの会話の声だった。樹の角を曲って顔を出すと、20代の男女が6人突っ立っている。そのうちの1人が僕に気づいたらしく「ねえ。ちょっと見てよ。男の子よ。どうしてこんな所にいるのかしら?」と言った。その声を聞いて残りの5人が僕の方を見た。
「おいおい、まじかよ小学生のガキがこんな場所にいるっておかしくないか?」
「迷い込んだのでは?」
「そんなはずないでしょ。此処にくるには幼い子供がこれる距離じゃないわ」
「あやしいわ。何かのトラップかしら?」
「俺もそう思う」
 彼ら、彼女たちはそう言うとブツブツと何か話し合っていた。僕は困り果てた表情でその光景を見ていると1人の男が僕の方に近づいて言った。
「おい、お前は何者だ? こんな場所で歩いているなんておかしいだろ」
 それで僕は答えた。
「此処は僕の庭だよ」
「はあ? 庭?」
「うん。そうさ」
「庭だって?。そんなわけがあるか」
「本当だよ。僕はさっき家を出て、この庭を歩いていたんだ」
 僕の話を聞いて残りの5人は黙った。
「この場所に家があるなんて聞いたことはない」
 僕は再び答えた。
「家はある。僕はそこに住んでいる。それから家から仕事に出かけて帰ってこないお父さんを僕は探しているんだ」
「何言ってんの? 意味分かんない」
「僕のお父さんは重機の整備士をしているんだ。クレーンとかバックホーとか」
「庭? 家? ちょっと話が通じないわね。あのね、ボクちゃん? 此処はあなたが普通ならこれる場所じゃないのよ」
「僕が此処にいたら何がおかしいんだよ」
 僕の言葉にメガネをかけた男が答えた。
「迷路。この場所はある天才数学者が87年前の万博の会場で公開した特殊な迷路なんだ。そしてこの迷路には4つのゴールがあるとされている。4つのゴールにはそれぞれ宝がある。一つ目は、金塊の地図が記された宝。二つ目は時間をいじることができる時計の宝。三つ目は未来を知ることができる受話器の宝。四つ目は命を導く宝。それを求めて多くの人たちがこの迷路を訪れたが、ただの1人も宝を持って帰って来た奴はいない。加えて行方不明になる人間も増加した。それでこの迷路は数年前から許可がおりないと入ることはできなくなったんだ」
「だからだ、お前みたいな子供がこの場所にいるのはおかしいって話し合っていたんだ」
「そんなの知らないよ。僕はただお父さんを探しているだけだ」
「昔からのデータを見ても、此処に家があっただなんて聞いたこともないわ」
 僕はすごく嫌な気持ちになって言った。
「それじゃあ貴方たちはどうして此処に来たんだい?」
 僕の質問に対して彼らは答えた。
「俺は起業家だ。ITのね。それで純粋に金塊が欲しくてやって来たんだ。この場所には最低6名いないと入れないからな」
「オレは歴史家だ。過去の時間をさかのぼりたい」
「ワタシは記者。この迷路を取材したいの」
「アタシは物理学者。今度の論文で必要なデータが取りたいの」
「ボクはトレーダー未来を知れたら楽に勝てるだろ?」
「私は学生。どうしても必要な宝があるの」
 僕は彼らを見て言った。
「なるほどね。その話が本当なら、貴方たちは宝が欲しくて此処に来たんだね。でも、もしも、この迷路に迷ったらどうするんだい?」
「そんなことにはならない。俺たちには性能のいいGPSを持ち歩いている。歩いた場所を記録するんだ」
「だから絶対に迷わない」
 僕はその言葉を聞いて黙った。それから、さっき見た奴のことを思い出した。
「ねえ。さっきさ。男を見たんだ。もしかすると、貴方たちの仲間かい?」
「なによそれって」女は眉を潜めて言った。
「青いツナギを着けた。鹿の頭を被った奴がいたんだ」
 僕の言葉を聞くと6人はビクッと身体を震わせた。それからお互いの顔を見合わせて「ははは! 見間違えだろ!」と言った。でも僕は彼らの奥で立っているそれに指をさして言った。
「ほら、あれだよ。鹿の頭を被っているアイツだ」
 彼らは振り向いて声をあげた。鹿の頭はまだまだ遠くにいてゆっくりと近づいて来る。
「ねえ! やっぱり、此処からいったん出ましょ!」
「そんなこと、できません! こっちはどれだけの参加費用とスポンサーを付けていると思うんだね! 嫌なら1人で出て行けばいいじゃないか!」
「Ahaaaaaaa!!!」
 金切り声が響く。5人の男女は身体をビクリと振動させて、紳士淑女の仮面をゴテりと剥がす。
「アタシももう少しで宝を手に入れることができるのに、こんなふうに終わるなんて絶対に嫌よ!」
 そう言うと5人は走って逃げた。でもその中の1人の女が僕の手を引いて一緒に逃げた。
「貴方もあの人たちのように利己心にかられて逃げないの?」
 僕の手を握る女は樹を曲がってから言う。
「本当は参加したとき、7人だったの」
「7人? さっき、此処に参加する人はみんなで6人必要って?」
「それはこの迷路の門をくぐる前に変わったのよ。7人参加する必要があって7人が条件をクリアして迷路の門前に参加したの。でも実際は迷路に入ることができるのは6人だった」
「どうして?」
「それは多分、この迷路を攻略していく上での条件なのよ。それで各人が試される。そして蹴落とされ、沼にハマっていくのよ」
「それで、その1人は門に置いてきたの?」
「違う」
「じゃあ、どうして、此処にいるんだよ」
「知らない! そんなの知らないわ!」
「知らないって、そんなことあるわけ……」
「うるさい!!」
 僕は黙った。そして女は息を落ち着かせてから喋り始めた。
「彼女は死刑囚だった。でもこの迷路の情報収集の実験台としてこのメンバーに入ったわ。彼女は自分が犯した罪に対して、とても後悔していた。それで四つ目の命を導く宝を見つけるつもりでいたの」
「話が噛み合ってないよ。だからその、死刑囚だった7人目はどうしたの?」
「そんなの知らないって言ってるでしょ! 私のせいでもないわ!」
 僕は深い息を吐いた。そして鹿の頭を被った男は実は女だったことも分かった。そして、この範囲をウロついている理由がこの人たちのせいでもある事も分かった。
「でも、どうして僕を助けたんだ? 貴方も逃げたあの人のようにできただろ? さっきも聞いたけどさ」
 女は軽い口調で言った。
「私も死刑囚と同じなの」
「何が?」
「欲しい宝は」そう言って悲しそうな表情で「命を導く宝。私の大切な人を救いたいの。でもこんな事で助かっても、その人は喜んでくれない」と言った。
「なるほど」
 僕は女の顔を見て言った。
「命を導くのは何も他の人だけじゃないさ。自分の命だって大切なものだよ。それが優しい命ならより一層にね」
 僕はそう言うと女に赤い毛糸の端を渡した。
「何よこれ」
「この毛糸を追っていくんだ。そうすれば出口に出られる。でも後ろを振り向いたり、左右を見てはいけない。まっすぐだけ、ずっとまっすぐだけを見続けるんだ。彼らの声や何かの言葉が聞こえても糸を追って歩き続けるんだ」
 彼女は泣きそうな声で言った。
「貴方はなんなの?」
「命があれば、また挑戦できる。何度でも」
それから僕は繰り返して言う。「お父さんは今日もいなかった」
 女は赤い糸をたどり、走って行く。快晴の空にはどんよりとした雲がいつの間にか僕の頭上を覆っていた。僕は気配を感じて振り向く。鹿の影が青く雪の底を噛んでいた。

箱庭

箱庭

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted