京桜

京を舞台に二人の男女は....


黄色の花が一つ咲いていた。誰も気に留めないような道の端でその子はじっと見つめていた。
「これはなんの花やろ?たんぽぽやあらへんし」
ゆかりはその黄色の花が何かわからなかった。
ゆかりの背の後ろでは車や人がゆかりに目もくれず通り過ぎている。
黄色の花は時々、春の冷たい風に吹かれてゆらゆらと踊るように揺れていた。
何も無いようなところに咲くこの花がゆかりには異色に感じられた。
ゆかりはこのような花は嫌いではなかった。
人目につかないように咲く花はなんだか、自分だけが知っているような感じがして、とても心地良く感じられるのだ。
するとその時、一匹の猫がゆかりに向かって鳴き声をあげながら目の前を通り、一瞬、花を一瞥すると歩いてどこかへ行ってしまった。
花は猫にも相手にされなかった。
「随分と人間に慣れた猫やなぁ」
花は再び風に揺られていた。
「何してはるん?ゆかり」
「あ、亜樹さん」
ゆかりの後ろには短い茶色の髪の背の高い女性がいた。
「花を見とったどす」
「へえ、花」
亜樹は花を食い入るように見た。
「こら菊の花ね」
「はあ、菊の花どすか」
ゆかりはすっかり感心した様子であった。
「たんぽぽにそっくりどすな」
「せやな。私も最初たんぽぽと思っとったわ」
「似てるどすな」
その時、冷たい風が二人に吹き付けた。
「寒い寒い、春かてまだ寒いさかい。家に帰りまひょ」
「へえ」
ゆかりは亜樹と家に帰ることにした。亜樹はゆかりの七つ上の幼馴染であり、ゆかりにとって姉のような存在であった。
ゆかりの歩く速さは遅く、その上、歩幅も小さいので亜樹と差が出てしまった。
ゆかりは走って亜樹に追いつこうとした。
亜樹は足を止め、後ろを振り向いた。
「ゆかり、歩くんが随分ととろいなぁ」
「へえ、私は何でもとろいんどす。ほんまに自分が嫌になるわぁ」
「私はゆかりらしくて好きやけどな」
亜樹はゆかりの長い黒髪が風に揺られるのを見た。
「この気持ちはきっと誰にもわかりまへん」
「私でも?」
「へえ、亜樹さんでも」
ゆかりの目は釘のように鋭く亜樹を見つめていた。
「それは残念やな」
ゆかりは何も答えなかった。
「ゆかりは美人やから、悲しいことなどあらへんと思っとったわ」
「私やって女の子どす。悲しいことなんて毎日ありすぎるくらいやわ。それに....」
ゆかりはそのことを言おうか迷ったが、風に乗せるような声で小さく言った。
「それに亜樹さんの方が美人さんやからすごく幸せそうやわ」
ゆかりの言葉が亜樹の耳に届いたかはわからなかった。だが、亜樹は特に聞き返して来なかった。
二人は黙っていた。
「.......」
「ゆかり、家へ帰ろ」
亜樹がそう言うと、ゆかりは黙ったまま亜樹の隣まで行き、歩き始めた。亜樹もゆかりの速さに合わせて歩いていた。
すると、亜樹がズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
「和也から連絡があったわ。今どこにいるやて。ゆかり、ここはどこかわからはる?」
「どこどっしゃろ?」
ゆかりは淡々と言った。
「わからないなら、何もできへんなぁ....」
「写真を撮ったら和也さんもわかるやろか?」
「そうやな。ゆかり頭ええなぁ」
亜樹はスマートフォンで写真を撮り、和也にその写真を送った。
和也は亜樹の弟であり、ゆかりとは同い年で亜樹と同じ幼馴染である。
写真を送ってからしばらくすると、亜樹のスマートフォンが小さく震えた。
「和也から返信が来はった」
亜樹は読書をするように画面を見ていた。
「今、ちょうどこの辺の近くにおるそうや。ここにいろと書いてある」
「じゃあここにいた方がよろしおすな」
「そうやな」
ゆかりは亜樹に話し掛けた。
「亜樹さん。金閣寺はどこにあるんやろ?」
「さあ、ここから北山は見えへんおすからなぁ。やけど、北にあるんやないの?」
「北山やから?」
「へえ、そうや」
ゆかりは北と思われる方を向いた。
「あの山は北山どすか?」
「どうやろ?私にはようわかりまへん。かんにんしてくれどす」
ゆかりは山をじっと見つめていた。枝垂れ桜がある一帯に咲いていて、ゆかりはその景色に目を奪われた。
「姉さん、ゆかり」
ゆかりは名前を呼ばれて、桜から目を離した。
そこには和也がいた。少し長めの髪が風に吹かれていた。
「あ、和也さん。見つけてくれはったの?」
「探したんやで、感謝してくれや」
和也の言葉は刺々しかったが、ゆかりはあまり気にならなかった。
「姉さん。母さんが午後、仁和寺で花見をしよう言うてはるやけど、姉さんは午後、用事はある?」
「あらへんよ」
亜樹がそう言うと、和也は亜樹から目を離した。
「ついでやから、ゆかりも一緒に花見はどうや?」
「私?」
「そう」
「私はなぁ....」
ゆかりは一瞬考えた。
「私も行く。仁和寺の桜はとても美しいさかい。久しく見てへんかったから、また見とうなってきたわ」
和也は無言で頷き、自分が歩いてきた道を歩いてきた。
ゆかりと亜樹も和也に続いて歩いた。
「ゆかりがいると、とても嬉しおすなぁ」
「嫌やわ、亜樹さん。私なんかいてもいなくても変わりまへん」
ゆかりは自分を否定的に捉えていた。
「そないやのとあらしまへん。私はゆかりがいて嬉しおす。やからそないな悲しいこと言わんでおくへやす。私、とても悲しくなるわ」
ゆかりからは亜樹の顔は見えなかった。
「ごめんなさい。亜樹さんを悲しませる為に言ったんと違います。もう私、そないなこと言わへんからかんにんしとくれやす」
ゆかりは亜樹の表情が少しだけ見えた。
「亜樹さん。もしかして、笑てるどすか?」
亜樹はゆかりに笑顔を見せた。
「少しだけや」
「少しだけでもひどいどす。私をからかいはるなんて....」
その時、ひとひらの桜がゆかりの頭に置いてあるように乗っかっているのに気づいた。
亜樹は何も言わなかった。
「ゆかりは妹みたいなもんや。大好きやで」
「私も亜樹さんが大好きどす。もちろん和也さんも」
風が一つ強く吹いた。
「春かて寒いさかい。早く家へ帰ろ」
亜樹は先程と同じことを言った。
和也は歩くのを早めた。
三人は亜樹と和也の家に着いた。
洋風の小さい家であった。
亜樹と和也の母である寧々がリビングにいた。
五十を過ぎたと思われる顔立ちだが、亜樹によく似ていた。
「ゆかりちゃんいらっしゃい」
「お邪魔します」
「ゆっくりしはってね」
寧々はゆかりを家に入れた。
「母さん、ゆかりも花見に見に行かせたいんやけど」
「構いまへんよ。寧ろ嬉しいわ。こないな美しい子がいたら、桜も喜ぶさかい」
「そないなことあらへんどす」
ゆかりは顔を赤くした。
「私、お母さんにまだ花見のこと言うてないんどすけど」
「なら、私が電話するさかい。ゆかりちゃんは少しゆっくりしといて」
寧々は電話をした。
和也は亜樹とゆかりにお茶を出した。
「えらい美味しいお茶やな」
「へえ、姉さん。それは宇治の茶や」
「なら美味しいはずや」
「先日、母さんが買ってきたさかい」
「お母さん宇治の方へ行きはったの?」
「一ヶ月前くらいに」
ゆかりは一口茶を飲んだ。
「どうやゆかり?」
「へえ、和也さん。とても美味しいどす」
「茶では宇治の茶が俺は一番好きや」
和也は得意そうな顔をした。
「和也さんもたまには和也さんらしくないことも言いはるんやな」
「そないなことないやろ」
「いや、普段は言わへん」
「そうか?」
「そうや」
和也は納得をしたのかそれきり黙った。
そして、リビングに寧々が来た。
「ゆかりちゃん。お母さんにいれおした」
「おおきに」
ゆかりは茶を飲み干すと和也達と外へ出た。
「ゆかり、車へ」
「へえ、和也さん」
東へ入ると高貴な匂いがゆかりの鼻を刺激した。
車は四人を乗せて走り出した。
途中に東寺と桜が見えた。
「俺は東寺の桜もまた味わいがあってええと思う」
ゆかりは和也に自分の視線が知られていたことを恥じた。
京は今、桜に染まっていた。
仁和寺に着くと、ゆかりは車から降りた。
「ああ...」
駐車場からでも仁和寺の桜はよく見えた。
ゆかりは和也達についていき、仁和寺への入った。
「綺麗や、とても美しいなぁ和也さん」
「ああ、そうやな。なあ、ゆかり。仁和寺に咲いている小さな桃の花を覚えてはるか?」
「え?桃の花おすか?まあ、覚えてはるどすけど...」
ゆかりは小学校に上がる十年前程の事、和也と仁和寺で桜の影に隠れて咲く小さな桃の花を見たことを思い出した。
「あの桃の花は今もあるんやろか?」
「さあ、どうどっしゃろ?」
場所は金堂のすぐ裏にある。
仁和寺の桜は徒然草にも登場するほど有名であるが、二人は仁和寺と言うと、小さな桃の花を思い出してしまうのであった。
「気にならへん?」
「まあ....」
和也はゆかりの手を握った。
「二人で見に行かへん?」
「でも、ええの?」
「何がや?」
「亜樹さん達は....」
ゆかりはちらりと亜樹と寧々を覗き見た。
「ゆかりは見たくないんか?」
「見たいおすけど....和也さんなんでそないな事言うん?」
ゆかりは和也の握る手が強くなるのを感じた。
「どうしても見たいからや」
「........」
「それ以外にあらへん!」
「........」
「姉さん達は大丈夫や。携帯があるし」
和也はゆかりを優しく引っ張った。
「ゆかり、行こ」
和也はゆかりの歩く速さに合わせて、ゆかりを引っ張った。
「和也さんは随分と強引やなぁ」
「ゆかりみたいなのんびりした子にはこれぐらいが充分や」
ゆかりは手に和也の温かみを感じていた。
「でも、私の歩くスピードに合わせているやろ和也さん?ほんま優しいわぁ」
「気のせいや....」
金堂が近づいてきた。
金堂には観光客が多くいた。
金堂は普段は公開をしていないのだが、桜が咲いてる季節だからか、この日は特別公開となっており、人がたくさん見えた。
和也は人目も気にせず、ゆかりを金堂の裏へ引っ張った。
裏に着くと和也は止まり、ゆかりの手を離した。
「和也さん。私、手、寂しいわ」
「もう握んなくてもええやろ」
「せやけど、やっぱ寂しい....」
「........」
「手の温かみが離れると冷たく感じるんや」
和也は無言でゆかりの手を握った。
「おおきに」
「俺らはもう中三やで」
「中三やからどないしたん?」
「恥ずかしないんか?」
「誰もおへんさかい」
「俺がいるやないか」
「和也さん以外の人がや」
ゆかりは 和也の手が弱々しくなっていった気がした。
「どこにも桃の花はあらへんな」
ゆかりは和也の言葉の重みを感じた。
「そら、そうや。あない小さな花が十年も咲いているはずがないやろ」
「知っとったんか?」
「感じていたんや」
ゆかりは自分でも思っていたより軽く受け止めることができた。
「ゆかり。桃の花が見たいって嘘やろ?」
ゆかりは黙ったまま自分の髪をいじっていた。
「ゆかりは嘘ん時は髪をいじる癖があるさかい。すぐ嘘ってわかるで」
ゆかりは髪をいじるのをやめた。
「なあ和也さん。和也さんは高校はどこに行きはるの?」
「高校か?まだ春やからしっかりと決めてへんけど、東山高校が行きやすいし、ちょうどええと思うけど。ゆかりはもう決めたん?」
「ううん。私もまだ決めてへんけど。悩んでしもて....いややな....受験って色々と疲れそうで」
ゆかりは下を向き、地面の砂を見た。
「ゆかりなら俺よりも高い所行けるやろ」
「そうかもしれへんけど、私、できるなら和也さんと一緒の方が安心する....」
「子供みたいやな」
「子供やのうて....」
「........」
「恋人とか言うてほしかったわ」
和也はゆかりが顔を和也に向けないため、ゆかりの顔を見ることができなかった。
「恋人やったらよかったんか?」
「........」
「俺のことが好きやんやな?」
「....へえ、そうや。和也さんのことが好きや」
ゆかりは顔を上げ、和也とは真逆の方を向いた。
「和也さんは私のこと嫌いなん?」
「嫌いやない。ただ好きかと言われると、わからへん。好きなことは好きやんやけど、愛しているのかは俺は何も言えへん。そないな事になると俺は自分の気持ちが見えなくなるんや」
和也の声ははっきりとしていた。ゆかりの耳には現実的に聞こえた。
「和也さんは好きな人とかはおへんの?」
「おらへん....と思うんやけど....。自分の気持ちが見えへんから何も言えへんわ」
「そう。和也さんはもっと自分に正直やと思っとったわ」
「ごめん....」
「謝らんといて。和也さんは和也さんや。私の想像してた和也さんと違ってて当たり前や。どないな和也さんでも私は愛しやす」
ゆかりは和也の方を向いた。和也にはゆかりの顔が笑っているように見えた。
「和也さん。桜が美しいなぁ」
綺麗と言う言葉よりも美しいと表現が言葉として出てくる程、風に吹かれた桜は美しかった。
「俺はゆかりはずっと京都にいるんやったら俺もずっとおる。ゆかりがもし、京都におへんのやったら、俺はゆかりのことを忘れてしまうと思う。過去の人にはしたない。できるだけ愛するようにはしたいと思う。やから中学の終わりまでにはこの気持ちを明確にする。ゆかりに対する気持ちが愛していたのなら、俺と一緒にいてくれへんか?」
ゆかりは心の中で和也の存在が大きくなっていくのを感じた。
「和也さん見て、桜がとても綺麗や」
「そうやな」
しばらくして二人は亜樹達の元へ戻り、仁和寺の桜を見て回った。
時代が変わったようや光景であった。
桜は京を美しく見せてくれるのだと思った。
だが、周りの人は写真を撮っているだけで桜を直接見ず、それが風景に合ってないようで時代に合っていた。
ゆかりは自分が現代の人なのだと痛感をした。
その後、四人は和也達の家へ帰り、ゆかりは自分の家へ帰った。
和也の家とゆかりの家はそう離れてはいなかった。
だが、和也の家の周辺とゆかりの家の周辺は現代の京と古都の京に別れていた。
ゆかりの家は古い家である。母と父と祖母がゆかりと生活をしていた。
ゆかりは家の門を通り、家へ入った。
「ただいま、お母さん」
「おかえりなさいゆかり。桜はどうやった?」
「綺麗どした。あない綺麗な桜を見たのは久し振りな気がします」
母の初穂はゆかりの言葉に頷いた。
「家はこの頃、花見なんてしてへんもんな。ゆかりの受験合格をお祈りするついでにどこかの寺で花見でも行こか?」
「ううん。無理にせんでもええ。お母さん、体弱いやろ?あまり無理すると体壊してしまうどす」
ゆかりの言葉に初穂は優しい表情をゆかりに向けた。
「ゆかり、お茶でも飲む?お菓子もあるさかい」
「へえ、では頂いきます。おおきにお母さん」
ゆかりは茶の間に行き、初穂と茶を飲み休むことにした。
「お母さんもお茶をどうぞ」
「おおきに」
「テレビでも見やすか?」
「へえ」
ゆかりはリモコンを手に取りテレビをつけた。
「ゆかりは若いさかいテレビで言うてる流行りには興味はあるんか?」
「お母さん。私はあまり来ないなことは興味はありまへん」
ゆかりは手に持っていた湯呑みをテーブルに置いた。
「ゆかりがこないな感じやと、えらいかわいらしくてよゆかりのことを好いてくれる方はおるかわかりまへんな」
「お母さん、私は恋愛には興味はあるんどっせ」
「和也さんやろ?」
「........」
「ゆかりが黙っている時は本当のことをやてお母さん知っとるんやで」
初穂はゆかりの手を握った。
「和也さんはええお人や。ゆかりのことをお父さんの次にわかってくれるお人。きっと、ゆかりが好きやと伝えたらわかってくれるさかい」
「実はお母さん、和也さんに好きやと伝えたんやけど、和也さんは私のことが好きなのかそうやないのかわからん言うて」
「二人はまだ若いんや。そない急がんくてもええ。まだ子供やさかい」
「私はお母さんにとってはまだ子供に見えるんどすか?」
初穂は一つ間を置いた。
「お母さんからしたらゆかりがおばあさんになっても子供のままや」
「私、和也さんに思いを伝えるのがまだ早かったんかな?」
「どうどっしゃろ?それは二人の問題やと思いやす。ゆかりはとても綺麗なお人って和也さん、わかってるはずどす」
「........」
ゆかりは何も言わず初穂を見ていた。
「お母さんにはわかりやす」
初穂はゆかりの頭を撫でた。
「おおきに、お母さん」
ゆかりは母に身を委ねた。
「せやけどお母さん、綺麗言うのは恥ずかしいわ。かんにんえ」
「本当のことを言うただけや。ゆかりはとても綺麗や」
「お母さんもとっても綺麗や」
「そら、ゆかりの母やから。昔からよう似てると言われたもんや」
初穂は手でゆかりの体を覆った。
「亜樹さんも時々、瓜二つ言わはります。本当なんやろか?」
「瓜二つは流石に言い過ぎやと思うけど、昔の私の写真を見ると、私がゆかりによう似とるんや」
「私、お母さんの子でよかった思うてます」
「私は十五年間、ゆかりが娘でよかった思うてます」
「ほんまにお母さん?」
ゆかりは母に上目遣いをした。
「へえほんまや。お父さんもおばあちゃんもゆかりが子や孫でよかった言うて昔から。口にタコができるさかい」
ゆかりは笑った。
「おおきにお母さん。気持ちを落ち着かせることができました。茶は私が片付けやす」
「へえ、お願い致しやす」
ゆかりは湯呑みと皿を台所へ持っていき、洗った。
その間、和也のことをずっと考えていた。
和也が自分に対してどう思っているか。また自分は本当に和也のことが好きなのか。若いゆかりはまだわからないことを考えていた。
その後、部屋へ行き、本を読んでいた。
時間は早く、窓の外はもう暗くなりかけていた。
その夜、ゆかりは自分がしたことが正しかったのかを考えていた。
まだ告白をするのは早かったのだろうか。
ゆかりは終わりがないように思えてきた。
その時、ゆかりのスマートフォンの画面は明石と言う知らない名前からLINEが来ていたことを伝えてた。
「誰おすやろ?」
ゆかりは何気なくLINEを開いた。特にこれといった警戒心もなかった。
メッセージにはゆかりの本人だと確認するメッセージがあった。
ゆかりは本人であることをメッセージで送った。その直後、メッセージはすぐ来て、話があると言うメッセージがゆかりの目に写った。
ゆかりは少しの恐怖心と好奇心に駆られ、その話を聞くことにした。
そしてその話は、名前しか知らないその人がゆかりを好きでいると言うものであった。そしてまた、その人はゆかりの一つ年上で中学生の時にゆかりを知り、好意を持ったのだと言う。
ゆかりの頭には和也がいた。他人から好意を持たれることは嬉しいものの、ゆかりはその人を知らない上に和也のことを好いてるのである。
ゆかりは丁寧な文章で断りのメッセージを送った。
そして、それからその人からメッセージは何も来なくなった。ただ、ゆかりのメッセージは既読になっていた。
次の日、ゆかりは亜樹と喫茶店に行く約束をしていた。
外へ出るといつもとは違う雰囲気をゆかりは感じ取った。
それがなんだかはわからなかった。だが心持ちは良く無かった。
亜樹の家で亜樹と会い、道を歩いていても何故だか体中に緊張感が走っていた。
ゆかりは汗が少しだけかいた。
「ゆかり、どないしたん?歩けへんの?」
「いえ、平気どす。少し疲れているだけおすから」
「やったら少し休まへんと」
「いえ、もう少しで喫茶店に着くおすやろ?やったらそこまで歩くさかい」
ゆかりは歩くたびに足取りが悪くなるのを感じた。だが、喫茶店までは亜樹に心配されながらも歩いていた。
喫茶店へ入り、席に着くとゆかりは倒れ込むように座った。
「ゆかり!本当に大丈夫なん?体の具合でも悪いんか?」
「いえ、体は大丈夫やと思いやす。でもなんだかずっと気を張っていて、自分でもわからないどすけど....」
「何かあったん?」
「昨日、中学の先輩の方に告白をされまして....」
「ゆかりはその人のことをどう思ってはるん?」
「私、その人は全く知らないんどす」
「LINEか何かで?」
「へえ」
ゆかりは重い口調で答えた。
「その人、ストーカーやおへんの?」
「せやろか?」
ゆかりはそう思ってはいたが、気にしないようにしていた。
「今も気分が重いんやろ?」
「へえ」
「その人、ゆかりをずっと付けているかもしれへん」
亜樹は周りを見回したがそれらしい人物はいないように思えた。
「中学の先輩っていうのは向こうから言うてきたん?」
「へえ」
「それも嘘かもしれへん。ゆかり、今後何かあったら、私や和也に言うんや。私達も力になる。ゆかりにこないな思いはさせたくあらへん」
亜樹の言葉にゆかりは重い気分が軽くなったような気がした。
その後、ゆかりは亜樹とゆかりの家まで行き別れた。その夜、ゆかりのLINEに昨日の男からメッセージが来ていた。
「ブロックをするんやった。怖い」
ゆかりは恐る恐るメッセージを見るとそこにはゆかりのことをもっと知りたいと言うメッセージがあった。そしてこの事は誰にも言わないようにと言うメッセージもあった。
「言うてしまったらきっと何かされるやろか?亜樹さんに言うなことバレてへんやろか?」
ゆかりは「はい」とメッセージを男に送った。
次の日、和也が男の事を亜樹から聞いたらしかった。
「ゆかり、ストーカーには何もされてないんか?」
「へえ和也さん。私は大丈夫やから、もうその話は外ではせんといてくれやす。あまり人に聞かれて良いもんやないからお願いやす」
「わかった。ゆかりがそう言うんからもう外では言わへん」
和也はそうは言ったが、ゆかりがストーカーが何か言えないようにしてあると感じ取った。
その夜に和也はゆかりにLINEをした。それは口止めをされているかどうかを知る為であった。
メッセージを送り、その後、返信が来た。口止めはされていたものの、脅しのような物は受けていなかったとあった。
「まあ、でも言ったら何かされると思うやろな」
和也は窓からゆかりの家を見つけようとした。
その頃、ゆかりは和也とは別の男とLINEをしていた。
内容は友人になろうと言うメッセージであった。
ゆかりは男と友人にならなかったら家族や知り合いの身に何か起こると思い、男と友人関係を結ぶことにした。
ゆかりはこうした方が良かったとは思えなかったが、他にどうすればいいのかわからなかった。
それから毎日、男とLINEをしていた。
ゆかり自身、まだ何も男にはされていない為、安心をしていたところがあった。
そして季節は春から夏になり七月の末。夏休みで受験勉強をしていたゆかりがスマートフォンの着信に気づき、画面を見ると、そこには男が「明日会えないか」というメッセージがあった。
だがゆかりは受験のため、和也の夏期講習に行っており、男の誘いは断るしかなかった。
ゆかりは断りのメッセージを送ったが、男からは何も返信が来なかった。
翌日、ゆかりが夏期講習の為に外へ出ると、家の前に見たことのない男が立っていた。
背が高く太っていてやや長髪の男であった。
ゆかりは少し怖気付いた。
「どなたどすか?」
「明石です。山川ゆかりさんですよね?」
「え?」
明石という名はLINEの男の名であった。
「あの、今日は会えないってLINEで言うどすけど」
「僕の誘いを断りはるん?」
ゆかりの額には暑さとは違う汗が流れた。
「せやけど、私、これから夏期講習なんどす」
「サボればええんやないか?山川さんは僕の言うことが聞けないと言いはるんか?」
「いえ....」
「もし、断るんやったらどうなるかわかってるやろ?」
ゆかりは一歩後退した。
「なあ、ゆかり。どうすればええんやと思う?」
「私は明石はんの元へ行きやす」
ゆかりのか細い途切れ途切れの声を明石は笑いながら聞いていた。
明石はゆかりの手を握り、早足で歩いて行った。
「あ、あの、そない強く引っ張られると....」
「ええやないか。楽しく散歩や」
ゆかりは段々と息が上がり、意識も少しずつ無くなってきた。
明石はゆかりが歩けないとわかると足を止めた。
「こないな所で止まったら通行人の邪魔さかい。早く歩けや」
ゆかりは明石に何も言えない程、疲れており、その目からは緑色になっている桜が写っていた。
明石はゆかりを道の端まで移動させ、目の前を通る人や車を見ていた。
「今年の夏は暑いなぁ」
ゆかりの疲れが回復すると、明石はゆかりを連れて歩き出した。
ゆかりは明石が自分をどこへ連れて行くのかもわからなかった。
やがて、明石がゆかりを連れて行った場所は明石という表札がある家で、恐らく明石の家なのだろうとゆかりは思った。
「今日は親は仕事やし、俺ら二人だけや」
ゆかりは身の危険を感じて帰ろうとしたが、明石に掴まれ逃げることができなかった。
ゆかりは家に入り、明石の部屋へ連れて行かれた。
明石の手を握る力や引っ張る力は強く、ゆかりは自分が物のように扱われているような感じた。
部屋に入れられたゆかりは逃げる場所がどこにもないことを知り絶望をした。
明石は部屋に入ると気味悪く笑い始めた。
そして少しずつゆかりに近づいた。
ゆかりは後ろに壁があり逃げることができなかった。
そして明石はゆかりの口を奪った。
ゆかりは抵抗もできずに口を奪割れたことに傷つき、目から涙がこぼれた。
「明石はん、なんでこないなことするんどす?私は明石はんのことを恋人なんて思うたことないんに」
ゆかりは泣いていた。それに対して明石は笑っていた。
明石はゆかりの服に手を掛けた。
「やめてください。それだけはだめ。お願いします!」
明石は手を止めた。
「やめてほしいならやめるわ。その代わりに服を脱いで裸になってくれや」
「嫌どす。なんでそないなことするん?」
「何せえへん」
「するしないの問題ちゃいます。裸なんて、知らない人に見られたない」
「知らないんやおへんやろ。ええか、もしここで抵抗するんやったらお前の人生を壊すで」
ゆかりは立てないほど泣き崩れた。
明石はその時ゆかりの頬を叩いた。
「ええんか?」
「嫌どす」
「ならどうすればええんか、わかるやろ?」
「....」
一つの間があった。
「わかりました。明石はんの言う通りにしやす」
ゆかりは一つ一つ衣服を脱ぎ、明石の前で全裸になった。
「ええ体しとるんやな。中学生なんに」
「あなたは悪い人どす。最低や」
「せや。俺は最低や。そないやこと昔から知っとるわ」
明石は悪びれない様子で言い、そのまま全裸でいるゆかりの姿を写真に収めた。
明石の笑った顔はゆかりに恐怖を覚えさせた。
そしてゆかりは明石から帰る許可を与えられ、家に帰ることができた。
その夜、和也から夏期講習に来なかったことに問い詰められた。
ゆかりは寝坊と答えたが、和也にはそれが嘘だとわかっていた。
また、明石から脅しのメッセージが来ていた。
ゆかりは画面の中に自分の全裸が写っているを見た。
言葉が出なかった。
「この写真を人に見られたなかったら、明石はんの言うことをなんでも聞かないといけないんや....」
明石はゆかりを求めていた。
ゆかりは明石の物となり掛けていた。
十時近くの時、亜樹からゆかりに電話が入った。
「もしもし....」
「ゆかり、大丈夫?何もない⁉︎ストーカーから何かされているんと違うか?」
「亜樹さん。私は何もされてまへん。安心してください」
「せやけど、夏期講習に来なかったんやろ?和也から聞いたで」
「........」
「和也はゆかりの事を問い質せない言うから、私が電話してるんやけど....」
「へて、大丈夫やす。なんにもあらしまへん。」
ゆかりの声色に元気がないのを亜樹は感じ取った。
「亜樹さん。私、和也さんに告白をしたんどす」
「花見の時?」
「へえ、その時和也さんは私のことが好きなのかわからないって言うてました」
「そうなんや。それはとてもゆかりは辛いやろな」
「へえ、今は辛いどす。私なんかが、和也さんに好きと言ってよかったのか。和也さんにはもっとええお人がおるんやろか、迷惑なんやないやろかと考えてしまいやす」
「ゆかり....」
亜樹の声が悲しくなっているのをゆかりは感じた。
「大丈夫や。和也のこもをこんなに思ってはる人はゆかりだけや。ゆかりやて可憐で優秀やないか。そないな子に好き言われる和也が迷惑なんて思ってへん」
「ほんまやろか....」
「ほんまや」
ゆかりは急に悲しみがこみ上げてきた。
腰が抜けたような気がして、自分が宙に浮いているようだった。立ち上がるのが怖くなった。
「亜樹さん。おおきに」
「落ち着いた?」
「へえ、おかげさまで」
「ならよかったわ。また」
「へえ、また....」
ゆかりは電話を切り、立ち上がろうとした。
腰は簡単に立ち上がり、ゆかりは不思議と驚いた。
「上がるやん。私、どうかしてたんや。明石はんには....」
時計の音が耳に響いた。
「私一人でやるさかい。これは覚悟や。もうお母さんや亜樹さん。そして和也さんには心配はかけへんようにする。それが私のすべきことや」
ゆかりは自分にだけ聞こえるような声で言った。
後日、ゆかりは明石に明石の家まで呼び出された。
「どないしはりました?」
明石の家でゆかりは明石に少しばかりの高圧的な態度を取った。
「あの写真や。俺が持っとる言うことは、俺はお前の全てを握っとるんや」
「.....」
「お前は俺の奴隷や。言うてることわかるやろ?」
「へえ、私も阿保やありまへん。それくらいなら理解はできます」
「なら言うてみ?」
明石の笑った苦味のある顔をゆかりは平然と見つめていた。
「私は、明石はんの性的欲求を満たすために奴隷になるんおすやろ?」
「正解や。なら今から俺を満足させてみい。満足させることができなかったら、あの写真をばらまくで」
「ほんまに最低やな」
「やらへんのか?」
「いえ、やらさせていただきやす」
ゆかりは明石の体全部を舐めまわした。
顔から首、肩に行き腕。ゆかりはその部位に潜む明石の汚さを取り除くように丁寧に舐めた。
ゆかりに舌先から肌の汚れを感じた。それは何故だか昔、一度だけ舐めたことのある花と似ていた。なんの花なのかはゆかりは思い出せなかった。
指先まで舐め終えると、ゆかりは舌先を肌から離し、胸元を舐め始めた。
自分の正気を取り戻させないためにも、ゆかりは明石の顔を見ずに、明石を人形だと思いながら舐めた。
だが、それでも乳首を舐め回した際には、明石の声が聞こえ、ゆかりは吐き気を催した。
腹を舐め終わり、ゆかりは股間を先ほどよりも強く舐めた。
明石の声はゆかりの耳には最早、雑音のようにしか聞こえなかった。
明石の股間は大きくなっていった。
「ゆかり、ここで俺を気持ちよくさせるんや」
「へえ、わかりました」
ゆかりの舌は股間部分の先に行き、犬のように舐め、下に下がって行くにつれ、ねっとりとした舐め方に変わっていった。
「お前、これ初めてやないやろ?」
「いえ、初めてどす」
「嘘や。こないうまいやつが初めてやのうてとても信じられへん」
「本当どす。誰にもしたことなんかありまへん」
ゆかりの舌先は下まで行くとまた上に上げ、そして上まで行くと、その部分を咥えた。
ゆかりは喉が苦しくなり、口から離そうとしたが、明石がゆかりの頭を押さえ、ゆかりは苦しみながら
明石に快楽を与えた。
明石の快楽が頂きまで達し、ゆかりの口には精子が流れ込んできた。
ゆかりは明石から一旦、離れることができたが、涙と共に口から精子を床に汚した。
その後、ゆかりは太ももを舐めた。
ゆかりは明石のひどい匂いに襲われながらただ舐め続けていた。
足を舐めている時は嗚咽が漏れていた。
小指を舐め終えるとゆかりは床に倒れた。
涙と共によだれがゆかりの美しさを汚していた。
明石はゆかりの胸を触った。
「ほんまにでかい乳や」
「やめてください....」
ゆかりはそう言ったが、明石はゆかりの言葉を無視をして胸を揉みしだいた
ゆかりからは小さく喘ぐ声が聞こえた。
「ええなあ。お前の声を聞くと俺は興奮するんや」
明石は乳首を指先でいじり、その後につねり出した。
ゆかりは何もできず明石にされるがままにされていた。
明石はゆかりの乳首に吸い付き、ゆかりを叫ばせた。
ゆかりは自分の体が気持ちよくなっているのを感じてはいたが、明石に対する不快感は消えてはいなかった。
明石はゆかりの体をいじるだけで行為はやらなかった。
家に帰らせてもらえる時にゆかりはそのことを明石に聞いてみた。
「明石はん。何でしないんどす?」
「何がや?」
「その....セックスどす」
ゆかりは怯えたように言った。
「まだ年齢が若いやろ。ゴム使えばええんやろうけど。もしもの事があったら怖いさかい」
「心配性や」
ゆかりは自分が期待しているような言葉をしていること気がつき自分を恥じた。
家へ帰る途中、ゆかりは自分が変わっていくような気がした。
「嫌やわ。私が私やないみたい。早く明石はんのいないところへ逃げへんと」
ゆかりの横には菊が咲いていた。
夜、ゆかりは風呂から上がった際に鏡で自分の姿を見た。
「私が私やないみたい」
鏡越しに眼鏡をかけた自分が映っていた。
ある日、初穂がゆかりの顔色の悪さに気がついた。
「ゆかり、顔色が悪そうや。どないしたん?」
「いえ、お母さん。私は顔色は悪くないどす」
「嘘、とても顔色が悪いわ。何かあったん?お母さんに言えへんこと?」
「........」
「ゆかりは素直な子やから、お母さんが言う事が図星やったら、すぐ黙る子や。言えへんやな?」
「....はい。お母さんにも言えへん事どす」
「せやけど、お母さん。とても気になるわ。ゆかりが悩んでいる姿は美しくあらへん。とても醜く見えやす。ゆかりは笑っている方がとても美しいおす。それはゆかり以外の人もそうや。わかるやろ?」
「へえ、お母さん」
ゆかりはそう言い、茶の間を後にした。
ゆかりの目には涙があった。
夏も終わり、秋が日に日に近づいてきた。
京の町も紅葉が装飾をしていくように街並みの季節が変わっていった。
中学生のゆかりと和也は今まで以上に受験勉強に力を入れていた。
休み明けのテストでゆかりの成績が落ちていた。
下校の際、和也はゆかりが帰るのを待っていた。
下駄箱であった二人は互いに何か言いたそうにしていた。
「よお」
「久し振りどす。和也さん」
ゆかりは和也の元へ小走りをした。
「和也さん背、伸びはった?」
「ああ、この夏で五センチは伸びたと思うわ」
「いつの間にか背高くはなってもうて、少し寂しいおすな」
「男やからしょうがないやろ」
「しょうがないおすけど」
二人は校門を出た。
「和也さん。私、東山高校を受験しようと思うんやけど」
「俺もそこを受けるつもりや」
「前に聞いたわ。せやから受けるんや」
「そんなんでお前は高校を選ぶんか?」
秋風が強く吹き、ゆかりの髪をなびかせた。
「そんなんでええんや。コースもたくさんあるさかい。でも、できれば和也さんと同じコースに行きたい」
「俺は偏差値が五十ないコースに入るつもりやけど」
「私もそこへ行ってもええ?」
「ゆかりは頭ええやろ。もっと上のコース行けるで」
「最近はそうでもないんや。休み明けテストの成績も落ちはったし」
「俺よりはええんやろ?」
「それは、そうおすけど」
ゆかりは和也を上目遣いで見た。
「私は和也さんと一緒に行きたい。和也さんは嫌?」
「いや、俺も別に嫌やないけど。進路はもっと真面目に考えるもんやろ」
「....」
ゆかりは下を向いた。
「やっぱそうやろなぁ。和也さんの言う通りやわ」
和也はゆかりのペースに合わせ、のろのろと歩いた。
「和也さん和也さん」
ゆかりに呼ばれ和也はゆかりの方を向いた。
ゆかりは地面に咲いている小さな花を見ていた。
「その花はリンドウや」
「リンドウ言うんやな。とても綺麗で可愛らしいお花や」
ゆかりはリンドウを宝石のように見ていた。
「和也さん。私、お花が好きや」
「そないなことくらい知ってるさかい。昔からやないか」
「私、お花を見ていると心が暖かく感じるんや。なんか心から灯篭がつけられたような気持ちになるんや」
和也はこの時、ゆかりに何かあったのかを聞こうと思ったが、ゆかりの笑った顔を見て、ゆかりに聞いてはいけないと思い直し黙っていた。
リンドウには悲しんでいるあなたを愛すると言う花言葉があった。
和也はこの言葉を思いながら、ゆかりの後ろ姿を見つめていた。
「リンドウもええ花やろ?」
「へえ、とても素敵や」
「せやけどゆかりは桜が一番好きなんやろ?」
「へえ、吉田の枝垂れ桜がとても好きや。昔、小さい頃に一回だけ行ったことがあるんやけど、あまり記憶もしっかりしてなくて。でも、枝垂れ桜がとても美しかったんはしっかり覚えているんや。何故やろか」
ゆかりは立ち上がり、和也に笑った顔を見せた。
「なんや、そない嬉しそうな顔しはって」
「嬉しおす。私は今....」
和也はその言葉が嘘には聞こえなかった。
そして二人は一言も会話をしないまま別れた。
和也はゆかりが自分に隠していることが気になった。
「ゆかりは不思議な奴や。悲しい思ったら笑っていて、その逆もある。あいつのことを誰よりも一番わかっとるんは俺だけや」
和也は家に帰ると、自分の部屋に行き、窓から京の街を見た。
あまり良い景色は見えないが、ゆかりがこの街を好きになる理由もわかった気がした。
季節は日に日に秋になっている。
ゆかりや和也は段々と受験を意識せざるを得なくなった。
和也は塾に通うようになり、学校以外ではゆかりと会う時が少なくなっていた。
またゆかりも明石と交際を続けており、和也よりも明石の顔が目に入ることが多くなっていた。
明石の奇怪な表情はゆかりの顔を青白く、死んだように美しくしていった。
十月の秋のことであった。ゆかりが明石に付き合った帰り、ゆかりは和也の姿を見つけ声をかけた。
その後、ゆかりは和也の隣に並び立って歩いた。
「和也さんはどこ行ってはったん?」
「図書館にな」
「私も受験生やのに、全然自覚足らへんわ」
「成績は大丈夫なんか?」
「キープはしておるから大丈夫やと思うわ」
「そう....」
二人は黙っていた。山は紅葉のおかげで秋の色に染まっていた。
道を歩いていると、人が徐々に増えていくことに気づいた。
「そういえば、今の時期は時代祭やったな」
「そういやそうやな。すっかり忘れとったわ」
和也は遠くを見つめるように言った。
「私、今年は祇園祭も見てへん」
「俺もや。受験やししょうがないやろ」
和也はゆかりの頭の旋毛を見て、その綺麗な白さに驚いた。
「ゆかり、この後暇か?」
「へえ、特にやることはあらへんけど」
「少し、時代祭を見ていかへん?」
「へえ、そうしてみるどす」
和也の言葉から緊張が読み取れた。
二人は人と人の間を通り、行列が見られるところまでやってきた。
「ゆかり、見られるか?」
「へえ、なんとか」
ゆかりの言葉を聞いて、和也は間を一つ置いてゆかりに話し掛けた。
「一緒に祭りが見られるんは何年振りやろ?」
「最近はほんまに忙しいおすから。忘れはったわ」
「本当はこないやことはしたらいけないんやろうな」
和也の言葉はゆかりを考えさせた。
「そうおすな」
ゆかりは和也の方を見ずに時代祭の行列を見ながら言った。
行列はゆかりが思っていたよりも早く進み、ゆかりは昔の記憶が少し違っていたのもを面白がった。
時代祭から一ヶ月程した頃。ゆかりは明石の家で彼と性行為をした。
ゆかりは初めての経験であった。だが、不思議と嫌悪感はなく、それがゆかりに悲しみを与え涙を流させた。
それから、明石は度々ゆかりに身体を求めるようになっていた。ゆかりはその都度、明石に身体を許していた。
ある時、明石は家の外でゆかりを犯した。ゆかりは必死に拒否をしたが、人が見られていないことをいいことに明石は無理やりゆかりを押さえつけて、服を脱がした。
ゆかりは抵抗するすべもなく、明石の快楽に利用されてしまった。
彼女はいつの間にか全身が泥沼に埋もれ、空が見えなくなっていた。
その日以後もゆかりは明石に犯されら心身ともに汚されていた。
ある日の学校帰り、ゆかりの目には和也の姿があった。
「よお、ゆかり」
「なんか久し振りやな....」
ゆかりの声には可憐さがなく、ゆかりの姿も廃人のようにも見えた。
「たまには一緒に帰ろか?」
「たまにはええと思いやす」
二人は歩き始めたが会話は無かった。
和也はそれを苦としていたが、ゆかりは何も感じることはなかった。
「なあゆかり。お前、彼氏でもできたんか?」
「なんでや?」
ゆかりの顔は蒼白としていた。
「ゆかりが男といるところを見てもうた....」
ゆかりはその言葉を聞き、言葉にならない声を上げそうになりその場に倒れそうになりよろめいた。
「ゆかり⁉︎大丈夫か?」
「終わりや。和也さん、私、あの人とは付き合ってへん。私はあの人の奴隷なんや。何度も身体を重ねて....。和也さんには知られたくあらへんかった」
ゆかりのかばんから中の物が道に散らばった。
和也はゆかりの震えた体を抱きしめた。
「ゆかり。俺はどんなゆかりやてゆかりが思うような幻滅なんかはせえへん。ゆかりは悪くないやないか」
「....」
ゆかりは何も言わずにいた。
和也は自分の手をゆかりの体から離した。ゆかりの精神的な衝撃の影が和也の体に電流を浴びたように流れてきたような気がした。
「ゆかり、俺におぶらせてくれ。せめてもの罪滅ぼしや」
ゆかりはゆっくりと和也にもたれかかるように立った。
「ええの?」
「ああ、乗れ」
ゆかりは和也の背に全てを預けた。
和也はゆっくりと立ち上がり、道に落ちているゆかりのペンやキーホルダーをゆかりのかばんにしまい、カバンを持った。
「和也さん。重ない?」
「荷物のことか?」
「いや、私のことが」
「とても軽いわ」
和也は夕陽の眩しさを感じながら、旅人のように歩いた。
「和也さん。私、この事をお母さんに言ってもええんやろか?」
「俺は言わん方がええと思う。お袋さん、とてもショックを受けるやろうから。この事は俺たち以外には知られないほうがええ。その方がゆかりも気が楽やろ」
「亜樹さんにも?」
「今はその方がええんやないか?もしゆかりの心の整理がついた時に言いとったらええ」
「そう....」
雨が降り始めた。
「お天道様も泣いてはる」
「急がへんと」
「転んだら元も子もあらへん。カバンの中に折りたたみ傘があるさかい。それを私に持たせてくれやす」
和也は前持ちしているゆかりのカバンから折りたたみ傘を取り出し、それをゆかりに渡した。
「おおきに」
和也から折りたたみ傘を受け取るとゆかりは傘を空に向けて大きく広げた。
「和也さん、濡れてへん?」
「大丈夫や」
「よかった」
会話も雨の音で途切れ途切れに聞こえた。
「私、今も怖い。こないな時にあの人はどこからか私達を見ているような気がして....」
和也は少し雨に濡れた前髪に気を取られながらゆかりの言葉を聞いていた。
「その男は俺がゆかりのそばにいても怖いんか?」
雨が地面を打つ音が一瞬だけ強く聞こえた。
「わからへん。和也さんの事は頼りになる存在やけど、あの人は何をしてくるかようわからへん人や。人間やないみたいで」
和也にはゆかりの声が雨音よりもはっきりと聞こえた。
「そいつ、ほんまに人間なんか?」
「何言ってはるん?人間に決まってるさかい。それはただの比喩や」
和也は少し恥ずかしくなり、今の顔をゆかりには見られたくないと思った。
「少しいじわるしただけや。そない怒らんといてくれ」
「なんなん、ほんまにもう」
ゆかりがそう言うと和也は少し嬉しそうな顔をしていた。
その事にゆかりは気づかなかったが、和也の前髪が雨に濡れている事には気づき、和也に気づかれないように傘を和也の方へと少しだけ寄せた。
和也はゆかりと以前との関係が変わっていないことを感じた。
和也はゆかりを家まで送り、その時にこれからの事を考えた。
「あの男をゆかりから離れさすには、頭以外使うことはないやろうな」
和也はゆかりから借りた傘を見つめた。
花柄の女の子らしい傘であった。
その後、十二月のクリスマスの前の事。明石は自殺をした。
明石はゆかり以外の女の子にも手を出していた。和也は明石に直接会い、殴り合いの喧嘩をした。その喧嘩の後、明石は自分の犯したい罪の大きさを急に感じそれが雪崩の様に襲い掛かり、それに耐えきれなくなり命を絶った。
ゆかりは誰もいない場所で和也に問い詰めた。
「明石はんを死なせたんは和也さんおすか?」
ゆかりの暗く深みと芯のある声は和也の体全身を震えさせた。
「死なせるつもりはなかったんや」
「せやけど、結果的には死なせたんや」
「........」
ゆかりは涙を見せた。
「この涙は明石はんに対する涙やあらへん。明石はんの被害にあった女の子の涙や。あの人は生きて罪を償うべきやった。やのに死という逃げ道を選んだんや。私らは何もできへん事に泣いてるんや」
「ゆかり....」
和也は自分にも聞こえないくらいの声で言うと、足を曲げ地面を頭につけた。
「ごめんなさい。ああなるのは思えへんかった。俺は人殺しや。ゆかりの友人なんて言えへん!」
和也はしばらく頭を地面につけたままであった。
 ゆかりは和也を見続けた。彼のしたことはゆかりを助ける為、何故自分は彼に怒っているのだろうとゆかりは心の中で思った。明石のしたことは今でも心の傷として一生付き合っていかなければならない。それは絶対に許せるものではない。許してなどいない。それでも彼がしっかりと罪を感じながら罪を継ぐなうことで私はその傷から少しずつ解放されるはずだった。だが、彼は罪の大きさに耐えきれずに死という逃げ道を作った。自分の傷は一生に癒えないままこのまま死ぬまで変わらずに残り続けるのだ。
 和也は何も悪くないのだ。自殺という道を作るきっかけは確かに和也であった。でもそれは和也はゆかりのために行ったことである。元々は明石の行いが無ければこうはならなかった。
「和也さん、頭を上げて」
ゆかりは優しく言った。
和也が頭を上げ、ゆかりを見つめた。ゆかりの目にほんの少しの涙があった。
「和也さんは私の為にしてくれはったんやろ。私はもう和也さんに怒るのはやめたわ。自分の不甲斐なさ故や、和也さんが傷つく事はないわ。和也さんに当たってごめんなさい」
「だけど、あいつは死んじまった」
「明石はんには天罰が下ったんや。そう思うようにせえへん?」
ゆかりは和也の頭を撫でた。
「和也さんはもうこないな思いしなくてええんや」
「ゆかりはこれからも俺に感じた以上の思いを感じながら生きるんやろ?」
「私?まあ、多少は....」
和也はゆかりにしては低い声でその言葉を聞いていた。
「ゆかりがこないな思いして、俺だけしないんは俺が嫌や。お前の苦しみの半分は俺がもらう!せやからそないな顔で俺を見んでくれ」
ゆかりは心の中にある苦しみが半分無くなり、その代わりに幸せが心の中に入ってきたような気持ちになった。
「お前の苦しみ、半分だけ受け取る事にしたわ」
「....勝手に受け取らんといて」
ゆかりは嬉しそうに笑った。
その後、明石の死に関して、ゆかり達のプライバシーの為、和也はその事について何も言う事はなかった。二人はその事を深い記憶の底に沈めた。

明石が自殺をするの事。和也はゆかりの話を聞き、ゆかりを傷つけた本人である明石を復讐の為に明石を調べていくうちに彼が他の女子にも手を出していたことを知り、和也は明石が一人になる時を狙い、明石を殴り、喧嘩をした。そしてその後、和也と喧嘩をして、彼がゆかりの知り合いだと喧嘩の最中に和也から言われ、その事を知った明石はその後、その罪をしっかりと感じ、逃げるように自殺をした。
和也はその明石の自殺に和也自身の殺人という文字が和也の体全身を縛り付けていた。
その後、和也はこの苦しみをゆかりと共に抜け出した。受験も終わり、二人は自由を手に入れた感覚を感じる事ができた。
そして冬の京で雪が降っていた日。二人は東山高校の受験に受かった。
番号を見て放心状態であった和也にゆかりは笑いながら和也を見ていた。
「おめでとう。一緒やな。三年間は」
「ああ」
和也の間の抜けた声にゆかりは遂に大笑いをしてしまった。
「和也さん。最近はなんだか明るいように感じるなぁ」
「せやろか?」
「へえ」
ゆかりは嬉しそうに笑っていて、和也はゆかりのかわいらしさに恥を覚えた。
「和也さんが高校に受かるなんて、この高校そないに落ちぶれてしまったんやろか?」
「そないな訳ないやろ」
「冗句や」
そう言うとゆかりは和也の顔を見上げた。
「和也さん、大きなったな」
「ああ、おおきに」
和也は前よりもゆかりの頭が自分と離れていくように感じた。
二人はその後、喫茶店に入った。
ゆかりはこの喫茶店が前に亜樹と行った喫茶店という事に気がついた。今は気分は悪くない気分であった。
「和也さん。残るは卒業だけや」
「高校生になったら忙しいやろうな」
和也は珈琲を一口、口へと運んだ。
「今が自由や」
「どこか行きたい所である?」
和也はゆかりの言葉を聞きながらゆかりの髪を眺めていた。
「ゆかりはどうなんや?」
「私は仁和寺で桜が見たい。和也さん達と」
「ええんやないか。なあ、俺はゆかりのそないな所がとても好きや」
ゆかりは顔を真っ赤にした。
「薔薇のようやな」
その言葉にはゆかりに対する上品な花という褒め言葉と明石の件の棘があることを表した言葉であった。
「春になったら姉さんと俺とゆかりで桜を見ようや」
「へえ」
ゆかりは笑いながら言った。
和也はゆかりのその笑った顔を見て、明石の気持ちがわかってしまったような気がした。
「あかん、ダメや俺は」
小さく、ゆかりに聞こえないように呟いた。
「和也さん。今こうしてる時期は今しかないんや」
「わかっとる」
「いつかは大人になるんや」
「そうや」
「母親にだってなりやす」
「ゆかりの子はえらいかわいらしいのやろうな」
「何を言うてはるん。そないな事....」
「俺は嘘は言わん」
和也は強く言った。
「和也さん。かんにんえ....」
ゆかりは再び顔を赤くした。
「せやけど、おおきに。和也さんに言ってもらえて嬉しいわ」
ゆかりはカフェラテを口に運んだ。カフェラテの甘さと苦さが今のゆかりには良く感じられた。
「なんだか、大人になっていくのが寂しなってくるわ」
ゆかりがそう言うと、和也とゆかりは目があった。
「和也さんは寂しい?」
「わからへん。今はそういうもんやと思ってるけど、いつか認めたくない時が来るかもしれへん」
「和也さんに来おへんやろ」
「あほ、俺やって寂しがり屋や。そないな時も来るさかい」
「ほんまかいな?」
ゆかりは嬉しそうに和也に言った。
「姉さんがよく気づいたら大人になってる言う意味わかった気がするわ」
「私もなんとなくやけどわかる気がするわ」
和也はゆかりと目を合わせた。
「永遠のようやけど、永遠やないんやな」
「そらそうや。せやけど、私と和也さんには幸せな思い出として残っていくんやろ」
外では雪が降り終わり、人々が歩きにくそうに道を進んでいた。
ゆかりは雪の汚さに悲しさを覚えた。
「暖かくなったらすぐ溶けるやろか」
「桜が咲くまで白く綺麗な雪で残っていたら、それはとても美しいんやろうな」
「京都ではないやろ」
「そうかもしれへんけど。考えてくれおす。金閣に、白い雪桜。とても美しおすやろ?」
和也は張り詰めた風景を想像した。
「冬と春が合わさっておるな」
「美しいやろ。死ぬまでには一度見てみたいわ」
「ゆかり。それは百年に一度あるかないかやないか?」
ゆかりは和也の言葉に少しだけ怒った。
「わかってはります!せやけど、女の子としては憧れるんや。亜樹さんやってきっと同じはずや。和也さんは女心がわかってへん」
「俺は男やから」
「男とか女の事ちゃいます。男の方やってわかる方はいっぱいおります。私やって和也さんの男心は理解しているつもりや」
和也はゆかりを見て笑った。
「男心はとても複雑やで」
「そないな女々しいもんなんやな。せやけど、女心やってとっても複雑や」
ゆかりは和也に対して興奮していた。
「落ち着けやゆかり。雪の日にする事やあらへん」
「....すんまへん」
ゆかりは小さい声で言った。
雪は京の街を白く染めていた。
「ここまで白くなる京都も珍しいおすな」
和也はゆかりの声に雪の冷たさに似たものを感じた。
「ゆかりは雪が好きやおへんかったっけ?」
「嫌いやないけど....ここまで雪が降ると、いつもの街並みも変わって、違う場所に見えてしまうんや」
「ノスタルジックに感じないんやな」
「そういうことや」
喫茶店で流れる音楽がジャズからクラシックに変わっていた。ゆかりは何か気がついたようで、顔つきが一瞬にして変わった。
「見て和也さん。外に花が咲いてはる。あの花はなんて言うんやろか?」
和也は白い道に咲いている白く染まった花を見た。
「アネモネや」
「花言葉は何かあるんやろか?」
「花言葉は....」
和也は言葉が出せなくなった。
「和也さん?どないしはったん?」
ゆかりは心配そうに声を掛けた。
「いや、なんでもない。花言葉も忘れたわ」
「嘘やろ?和也さんはそないなことを忘れる人やおへん」
「忘れたんや。ほんまに」
和也は必死であった。和也の目の先には雪が写っていた。
「和也さん。ほんまに、忘れはったん?」
「へえ、ほんまや。勉強のし過ぎで忘れたかもしれへん」
「........」
和也はゆかりに嘘をついていた。そしてゆかりを悲しませた事に後悔をした。
「卒業式に雪は降るんやろか?」
「雪は残るんやないの?まだまだ寒いんやろうし。風邪は引かんようにせなあかん」
「へえ、そうしやす。和也さんも気をつけはって....」
「ああ、気をつけるわ」
二人は喫茶店を出た。雪は降り続いていた。
「まだ降っとるわ。どないしまひょ?」
「走るしかないさかい。雨やのうてびしょびしょにはならんと思う」
「せやけど、やっぱ冷たいのは嫌や」
和也は空を見て雪を見た。
「ゆかり、コンビニで傘買うてくるわ。ここで待っててくれ」
「へえ」
和也は雪の京を走った。ゆかりは和也の足跡を見た。
「大きな足や....」
しばらくして和也は傘を持って帰ってきた。
「ごめんなさい。雪の中走らせて」
「ええんや。雨よりはマシさかい。男は雪が好きやから楽しかったわ」
和也の言葉にゆかりは笑みがこぼれた。
「和也さん。それは嘘や」
和也は恥ずかしくなり何も言わなかった。
「和也さん。赤なっとる」
「紅白や」
和也はゆかりを守りたいと言う思いを縛られるように強く感じた。
ゆかりは和也が傘を開く様子を見ていた。和也は開いた傘の中にゆかりを入れた。
「おおきに」
ゆかりがそう言うと、和也は考え事をしたような顔つきになり、ゆかりと一緒に歩き出した。
「雪があると、道も随分と歩きづらいわ」
ゆかりはそう言いながら、和也の左肩に雪が乗っているのを見た。
「和也さん、少しはみ出てはる。もうちょっとこっちにおいで」
「大丈夫や俺は。ちっとも冷たくあらへんし」
「そないな事ないやろ。変な意地はいらん。私は大丈夫やから」
「俺が恥ずかしいんや」
和也は真っ赤であった。
「和也さん、なんだか今日はかわいらしいおすな」
「その言葉は女の子にだけ言うもんや」
「そないな事はないおす。男の子でもかわいいって言葉使いおすやろ?」
ゆかりは和也の右肩に頭をくっつけた。
「やめてくれ、恥ずかしい」
「なら、勝手に恥ずかしがっててええよ。私は気にせえへんから」
和也は諦めたのか、何も言わなかった。
二人はそのまま家へと帰った。
和也は左肩に残る雪の冷たさを感じ、右肩はゆかりの暖かさを感じていた。

卒業式。和也とゆかりは他の三年と共に中学校を卒業した。
三年だけであったが、何もないことはなく、ゆかりは涙を流していた。和也も泣いてはいなかったが、友達と別れることに悲しみを覚えていたようであった。
和也は大きな決断をしていた。
また大きな自由を感じていた。その様式から逃げられるような心持ちであった。
ゆかりは和也と目が合うと、和也の方へ寄ってきた。
「卒業式やね、これで」
「そうやな」
和也は一瞬の静寂を感じ取った。
「ゆかり、あとでチャリ置き場まで来てくれへんか?」
「え?ええけど、どないしはったん?」
「言うことがある。十二時に待ってるわ」
「へ、へえ....」
和也はそう言うと、ゆかりから背を向けた。
ゆかりは胸に釘が打たれるような気がし、呼吸をするのもできなくなりそうであった。
十二時の前にゆかりは自転車置き場に来た。
卒業式が終わり一時間程経っているので、ゆかり以外に人は見られなかった。
風が吹き、林から細波の音が声を覗かせた。
振ると足音が聞こえ、ゆかりの目に和也の姿が目に入った。
「和也さん....」
ゆかりと和也の髪は風に揺られた。
和也は顔を隠した髪を優しくはらった。
「ゆかり、俺はお前に謝らなければならへん」
「何の事....」
ゆかりは嫌な予感を感じていた。
「俺はこの一年、ゆかりと一緒にいて、ゆかりが俺の中でどれだけ大切なのかを知った。そして、俺は自分の無力さを実感したんや。俺は今のままではゆかりを守ることができへん。ゆかりを幸せにすることができへんって思った。せやから、ゆかり。理解はせんでええけどわかってほしい」
「和也さん?」
ゆかりの蚊の鳴くような声は和也の耳には届かなかった。
「俺はゆかりと一緒の高校には行かんで東京の高校にいくことにした」
和也は言葉に力を込めて言った。和也は覚悟をしていた。
ゆかりは声が出なかった。声を出そうとしても小さな声しか出ず、思うように出なかった。そうしているうちに、ゆかりの目から一粒の涙がこぼれ落ちた。
そして、次々と涙がゆかりの目から流れ出てきた。ゆかりの声も喘ぎながら少しずつ出せるようになった。
「和也さん。東京って事は....」
「ああ、しばらくは会えなくなる。俺はお前と離れて、お前のことをより大切に思いたい」
ゆかりは泣きながら叫ぶように声を張り上げた。
「和也さん。意味がわからへん。なんでそないのことをしはるん?私はお母さんや、お父さんやおばあちゃんに亜樹さん、そして和也さんがいるなら、今が楽しく生きているんや。私にとって和也さんがどないな存在かわかるやろ?和也さんがいない生活なんて嫌や!そないな日々生きたくあらへん!!和也さんなんて嫌いや」
ゆかりは泣き崩れ、地面に倒れ伏せた。
和也はゆかりを見つめ、ごめんと言いゆかりと別れようとした。
ゆかりは和也のズボンの裾を掴んだ。
「そないな訳ないんや。本当は好きや。嫌いなら泣かへん。私、和也さんのことが好きやからこない泣いているんや。なんで女の子の気持ちがわからへんねん」
和也は腰を下ろし、涙声になっていたゆかりの声を再び聞いた。
「ごめんゆかり。俺のわがままをゆかりの為とゆかりのせいにして。俺が最低なんてもうわかってはる。せやなきゃこないなことせえへんもんな。いつか戻ってくるよ。絶対」
和也がそう言うとゆかりは少し顔を上にあげた。
「私、和也さんと亜樹さんと最後に仁和寺で桜が見たいわ」
「ああ、見よか。仁和寺で桜を」
「ほんまに?」
「ほんまや。こないなことになったんも俺のせいやしな」
和也はゆかりが立ち上がるのを見て、自分も立ち上がった。
「和也さんはようわからんお人や」
「その言葉、まんまゆかりに返したる。俺からしたら、ゆかりの方がよっぽどわからんわ」
静寂の間を風が強く邪魔をした。
「そないな事、ないんやろ?」
「俺は嘘はつかんって言ったやろ」
「和也さん、かんにんえ」
その後、二人は中学校の校舎を見た。
「こう見るとえらい大きはるな」
「そうやな。ゆかり、中学はあっという間やったな」
「へえ、思い出もないように思える程、あっという間やった」
「俺はもう見ることはないやろな」
「いつかまた一緒に来まひょ?」
「ああ、そうするか」
二人は中学校を後にした。

四月、桜が咲き、仁和寺は桜に囲まれている程出あった。
ゆかりと和也は亜樹と共に仁和寺へ来ていた。
ゆかりは桜を見て一年前の事を思い出していた。
和也は桜を見ているゆかりの姿を何も言わずに見ていた。
「和也、あんたまだゆかりの告白の返事返してへんのやろ?遅すぎへん?」
「わかってはる。恥ずかしいんや」
「ゆかりはもうあんたの気持ちわかっとるさかい。早く返事を返さへんとしばらくは会えなくなるから、お互い辛くなるで」
和也は亜樹の言葉に返事をせず、ゆかりに声を掛けた。
「ゆかり」
「なんや?」
「ちょっと金堂の裏まで来てもらってええか?」
「へえ、わかりやした」
ゆかりは和也の心情をわかったかのように言った。
和也は亜樹の方を向くと、亜樹と目が合った。
その後、亜樹は一人で桜を見ていた。
金堂の裏に来ると、ゆかりは和也の顔を覗き込むように見た。
「和也さん、顔がめっちゃ赤いで。とてもかわいらしいわ」
「うるさい!」
「和也さんはなんでこないな所に私と来たんや?」
和也はゆかりに遊ばれているような気がした。
「お前、わかっとるやろ?」
「何がや?」
「変わりはったな。この一年で」
「そないな事ないやろ」
ゆかりは小さく笑った。
「いや、変わりおった。この一年で性格が悪なりおった」
「女の子にそないな事言うたらいけまへん」
ゆかりがそう言うと和也はゆかりに伝える事を決めた。
「俺は、お前のそないな所は好きやけどな」
和也はそう言うと、ゆかりの表情を探るように見ていた。
「今のは告白として受け取ってええの?」
「ああ、告白や」
「こないしょぼい告白は聞いたことありまへん。亜樹さんが聞いたらなんて言うんやろ?」
ゆかりがそう言うと、和也はゆかりに迫った。
「今の俺はこないなことしか言う勇気しかあらへん。せやけど、いつかや、いつかお前と会った時にはしっかりと告白するわ」
「わかりやした。今のは和也さんのぱっと出た独り言ということにしときやす。和也さんは勇気がある人や。きっといつか私に言いはると信じて待ってます」
ゆかりはそう言うと、桜の下に隠れた。
和也はゆかりのそばに行き、一緒に桜の下で桜に包まれた。
二人の頭に少しの細かな桜が落ちていた。
仁和寺金堂の裏は眠ったように静かであった。

京桜

京桜

  • 小説
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  • 恋愛
  • 成人向け
更新日
登録日
2023-08-29

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