Seeなど(再掲)


See




『理論』



 金属製の籠の中で番いの一方が生んだ卵を、もう一方が不思議そうに突いている。割れないぐらいに力を加減しているから、その命の、二度と戻らない大切さを認識していると推測できて、長い首を守る為に羽毛に代わって身に纏ったその、金属らしき銀色のそれらをシャランと鳴らして、突かれた卵の方からの反応を待つ様に今、動かなくなった。
 一説によると、生命の危機に陥ったかどうかに関わりなく、その番いのいずれもが自身を構成するあらゆる部分の硬度をダイヤモンド並みに高めることができるらしく、思い返せば、喜んでくれるかなと思って金属製の籠の内側に置いてみたカンチガイが午前零時を回って迎えた次の朝、真っ二つに割れていたのも、番いのいずれか一方又は双方が交互に突き若しくは同時に硬度を高めたあの嘴でひと突きにしてしまった、きっとそうだったのだろうと説明できる。
 あのカンチガイは、滅多に見ないぐらい相当に厚いものだったから、その時の嘴の硬度も相当なものだったのだろうなと想像して、悪いことをしたなぁと反省する。と同時に少し、寂しくなった。


 良かれと思って実行した、けれどそれは、番いのいずれに対してもこの理解の細い刃先を向けることすらしなかった、生温い接触を試みただけの、泥の様に眠る時のあの瞬間への陥り方と等価なものとして、あの木製の棚の上に並べられるべき根も葉もない行いだった。
 だから良くない、良くない、と鈴の音の音階をこちらに繋げて言う、そんな様子を卵を前にして動かない方の番いの一方が、また卵を産み落として身体を休めていた方の番いのもう一方が、正対すると常に菱形に見える、同じ種に生まれた運命の下にあるものでない限りその個体識別が不可能又は著しく困難に揃えられた容貌をこちらに向けるため、あの長い首をシャラン、シャランと鳴らして動かして、さきの鈴の音の、長年の研究成果に基づけば恐らく番いのいずれもが有するその身体構造では概ねの解読すら行えないだろうと言われるこちらの音階にきっと、揃えた意識を寄せている。
 集中すると発熱する所は全く同じ、ただこちらは体表面の色を虹色に変え続けたりしないというだけで、また番いの種特有の感覚器官を働かせてこちらが知り得ない知り方をきっと行なっている、こちらと同じ様に、特別なことを行っているという意識を持つ機会を永久に逸したまま。
 それ故に、どちらの感覚器官によっても受容できない在り方で存在し、そして同じ様にこちらや番いを観察している見えない第三者はこちらからも見えず、番いのどちらにも見えていない。だからこれもまた、きっと。その第三者も更なる第三者に観察されているかも知れず、かかる第三者も、と考えて世界は更に外へ、外へ、と。



 電池が切れた時の瞬間と等価に並べられる、角のあちこちに張り巡らされた、糸のようで、触れられないものの関係性から切り離されて、こちらに置かれた静音機が発する、親密で、等間隔で、伸びていて、透けていて、眩くて、愛おしくて、動けずに、産まれて動かない番いの卵をスケッチする感覚で、放置して、待っていて。
 もう、瞬きをする必要が失くなったこちらの進化が見つめる。
 その、要らなくなった番いの一方の羽根の、大きな一枚が金属製の籠の底に打つかって鳴らされた、その容貌でなく身体の多角形を発揮した驚き方を番いのもう一方が表現した。そんな風にしか見えなかった反応に思うことを、見えていることを、聴いていることを、そちらに伝えようとしているという事実を認識するこの瞬間。金切り声を上げる、独立した、トンチンカンの素敵な歩みが始まる、硬いはずの殻の、内側からその脚と、嘴をこちらに覗かせて、菱形の容貌がシャラランとバラけて、崩れた。固定された杓子定規の上を真っ直ぐに通る、脆い鉛が崩れて残した情景描写はこれでまた失われ、再び明らかになったその、不在の証。



 モザイク模様の白と黒が入れ替わって、住処の床が洗われる。金属製の籠のすぐそこで、蓄音機が震わせる、想像上のイントロダクションに合わせる足踏みをこちらは一人で、二人で、三人で。
 素肌のままで一方が、もう一方の番いを促して、促された方の番いが割れた卵の大きな欠片を啄む。それ以上細かくならない様、適切な力加減と硬度を保ちつつ、落とさない様に慎重にシャラン、シャランと飛びながら移動して、金属製の籠の縁、そこで離す大事なこと。



 投げ込まれて。
 入り込まれて、通り抜けていって、




『悲しみ』



 その場所に立っていた時、私は目的地までの道程を正確に把握するために地図を指で追う異邦人だった。
 だからその場所を三頭立ての飼い犬と一緒に訪れた彼女が私のことを、随分と昔から植えられた街路樹の様なあるいは公的に設置された道路標識の様なものに対して私が普段行っている(と私がイメージする)のと変わらない、何処までもフラットな視線を送ってくることに疑問を抱かなかった。なので、目の前に立つ彼女の意識が見て取れる、名前を知らないその感覚器官の動きに合わせて目を動かし、ピタッと止まった所で会釈をして、反応を待ち、特に何も返って来なかったので再度地図に意識を戻して、余りにも多岐に渡るルートの中から選択可能であり、かつ最も疲労が少ないか又は疲労以上に旅を楽しめるものに多く触れられる道程を絞ろうと考え出した。彼女が手綱を握る三頭立ての内、視界に入って来る二頭の浅く繰り返される息づかいは直ぐに慣れたので、集中が途切れることは無かった。
 異邦人である私が身に付ける腕時計の時刻がその場所でどれだけ通用するものなのか、肝心な事であるのに出発前に確認するのを怠ったために「ここでも妥当するもの」と決め付けて行動しなければならなかったが、かえってマイペースで旅を楽しめていた。私の為に動く、私の為の時間という所有感覚よりもっと個人的なこの充足感を、何と形容すればいいのだろうか。共存する為に数多くの事を妥協しなければならない多様性の中で、その境界面で起きない摩擦とその結果としての滑らかさが背中を押してくれる、そうして弾む心とリズム、あるいはもっと超越的な存在の影に隠れる遊び、というのはどうだろうか。頭の中に残る響きは悪くないが私の場合、思い付きを文字にすると長々として意味不明になる事が少なくないから、事後的な検証は必須だろう。だがまあ、今はいいかと納得しよう。こう留保できるのもまた、充実感の表れだろうから。
 と、百三十個目のルートを辿る指から意識を移して見てみる、腕時計の長針は文字盤の上を一周していたので地図から顔を上げる、その正面にまだ彼女が居て、三頭立ての飼い犬がその足元で眠っていた。驚きで狭くなった認識の枠が落ち着きと共に次第に戻っていく、そうして認識する彼女が行い続けているそれを私は「祈り」だと理解した、いや理解してしまった。なぜなら胸の前で両手をぎゅっと握り締めるその様子が、私の知る、幼き頃に私も習って行っていた祈りの行為と全く同じだったから、彼女の行いをそれ以外のものと理解し直すことができなかった。その様子を見つめて私が過ごす、私の腕時計の短針が回って知らせる三十分の間、微動だにしない彼女の姿からその思いの強さを推認してからは尚のこと、そうなった。



 心を奪われて「   」になった基底面で思い出すのは愛するものの最後となった、あのサイダンを、まるで「   」の様に見て回る姿を目の当たりにしたことが決定的になった、随分と昔のことだった。つまり私以外の彼や彼女はその場所を忌避しない、その振る舞いから窺える恐れの無さ、その存在を大切に思ってはいなかったのだという認識を推認させる間接事実が重い鉈の様に振るわれて、私の過ごして来たそれまでの時間と意識が綺麗に断絶された。
 勿論、感情に引っ張られることなく正しく動こうとする理性的な意識は頭の片隅でこうも叫んで、大雑把になりそうな気持ちの架橋を図ろうとしていた、「あの人たちもまた悲しみ過ぎて、その反動としてあの場所を見に行こうなんて提案をし、その場で全員が賛成したのだ」という様に。
 まるで既に振るわれた鉈の誤りを正そうとするこの一文が伝えてくる棘のような、チクチクとした感触が記憶として甦る度に傾く「心」のあちこちに打つけても尚、私が硬く手放さなかったのは大事なことを決める瞬間に訪れる、主たる部分を構成する表面をすっかり裏返す程の、あの確信で。
 言葉にすれば単純で、言葉にすれば当然に現れる。
 点としての単純さと深淵を覗かせて、
 私は、
 私は。



 私という、異邦人はこうして汗を拭う鏡となり、向かい合えるのだろう。



 地図を二つ折りにする前に、腕時計を見直してから「祈り」を終えた彼女の、恐らくは外界にあるものを捉えて認識する為に必要になる情報を取得し、行動を選択する、それ以上に、今を生きる意思を表す強き存在であることを私が認識できる、動くその感覚器官を尊重する。私のこの意思を表現する為に私が行う、関心を有する存在として、街路樹や道路標識の様な存在以上の触れ合い方が物理的に、原理的に行えないながらも幼くて偉大なるあの第三者を介在させて、その全てが成り立つ様に。
 チクタク。
 チクタク。
 三頭立ての内の一頭が目を覚まして、ひと鳴きする。その時、とその瞬間。



 悲しみは。奮い立つ。
 






 ぎこちない会話を心から楽しめる
 だから石の人たちなんだと
 あなたが静かに口を割り、
 わたしが遅れて微笑んだ。


 陶器は乳白色
 その胸に
 押し付けないよう、
 細かく砕き
 零れた砂を払う。


 水を浴びては色を増し、
 流れに任せて
 重くならないよう
 フォルム。
 石のくせに


 ガラス張りの食卓は
 わたしとあなたの手の中
 ゆっくりと手を下ろし
 繋ぎ合う。


 宵の中、
 よく、あっちこっちに打つかって
 凹ませる。
 溜まらせる。
 体温をよく奪うのが冷たさなら
 火花散らして向き合おう。
 そう口説いた
 硬い声に、
 しがみついた。


 吸い付いた。
 模様にわたし、
 布に巻かれて、浸されて。
 水道水と
 シンクが叩く
 暗がりに


 篭もる卵の新しさ。


 あくる日、
 果てたみたいに
 石みたいに、
 泣けないあなたを引っ張って。
 石みたいに
 佇む、待ち時間に下ろす、
 蟻を集める甘いこと。
 沢山、ここに積んでいき、
 目の前を塞ぐ。
 歩き出す、
 裏と足。
 

 爪先を
 揃えて向ける道すがら。


 ここには、
 閉ざされたシャッターが錆び
 空いたポリバケツが横になる
 口を硬く結ばれたゴミ袋の姿。
 飲み干された瓶を待つケース
 そこを足場にする
 もの、
 黒いカラス。


 こちらは
 ぎこちない、鼠と石の組み合わせ。
 走らせる、
 転がることで、角が取れて
 楽しくなるって
 あのシンガーソングライター。


 パン!


 立ち止まる。
 眺め合う、
 宵の深みが影を増す。
 そして、
 涙を乾かしたあなただけ
 反旗を翻す軋みを聴く。
 

 あの思い出の、
 手を重ね
 最上階で眺めたイサム・ノグチは、
 識らないことの優しさと
 風化の意味を唄ってた。


 ぎこちない、
 文節が吹かれて垂れている。
 転がる。
 そのうちに
 戻って来て、辿り着くベンチに
 元々の材質を軋ませながら座るわたし。
 あなたが浴びる月光を見ずに、考える。
 かちかちと
 削られる時間は
 冷たい。


 反転、
 命を取り戻したあなた。
 ぼろぼろと
 地肌を晒し出す。


 反面、
 話し出す。
 カッターナイフが折れた先から
 失っていった
 新調された、
 ピカピカの

 
 わたしは、優しくありたい。


 重く吐く
 わたしの未来の一端を
 離さない
 重みを残した名前のあなた、
 削られて
 ぎこちないものを正しく、失っていく。


 石と石。
 アインシュタインが疑問を提示した世界の中で見えているものから交わし合う。
 ふたりして、藍色の紐を通したスニーカーを脱いで。




「黒い色、綺麗な時間を残してる。結べない、わたしにはあの子たちの瞬きはただの点でしかない。神話の姿は思い浮かばない。」

 
「自然に隠れていた美しさに加えられる手数は少なく、しかも失敗できない。その美しさが隠れている素材を見つけてくるのにも骨が折れる。正に、原石を見つけることだ。加工という邪魔者をそこに加えることで、自然美の全てが発揮される結果となる素材としての均衡を秘めた原石。それを見極める審美眼はその人の腕そのものだ。知識と経験と感覚の凝縮。石はそうして削られる。」


「未加工を生む。それが奇跡だ。」
「そのための加工。」
「自然に目を向けさせる。自然の良さを評価可能なものにする。」
「それが自然を貶めるものになるのではないかという形而上学的な疑念の足を払うものは何だろうか。答えは造形美だ。」
「いや、直接的な単純化だ。」
「浮き彫りにする。」
「意思の見えない尊崇。」
「祈り。」


「真似はできない。その形は二度と生まれない。意思を残さない意思は、意思のある生き方にその前後を阻まれている。加工、未加工で類推すればその人の一生になるだろう。到達点だ。それらの自然は。」
「石の彫刻は。」
「だから憧れる。」
「頭上を仰ぐ。」


「輝き。」
「点。」
「ボーアと言葉、」



 蛇口を捻る。
 ざーざーと、
 流れるもので


 お皿を洗う。
 冷たい水が注がれる。
 わたしはそれを置いて
 カゴから、
 それを取り出すあなたが拭く、
 布巾の色が真っ白で
 表を撫でて、
 裏を返して
 お皿が棚に仕舞われる。
 布巾を
 あなたがわたしに渡して
 わたしがあなたに話しかける。
 ぎこちなく
 布巾の両面が洗われ、
 スムーズに
 並べる石が選ばれる。
 箸置き、
 と述べる。
 わたしの後ろを通り過ぎる、
 あなたの横姿。


 ガラス張りの食卓は
 わたしとあなたの手の中。


 かちゃかちゃと、
 手を加えない葉物を味付ける。
 わたしの殻。
 あなたのひび。


 自然と、声。
 優しく。

Seeなど(再掲)

Seeなど(再掲)

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted