オンライン~チャットで出会った貴方~

オンライン~チャットで出会った貴方~

貴方と出会ったのはあるチャットのサイトでした。

チャットは怖い事件などあったかもしれないけど

大切な人や友人も出来るんです。

本当の名前も顔も知らないのに

数々の出会いや別れもあるんです・・・。

【1】思い出

彼と別れてから早いもので3年半という時間が経過していた・・・。

彼と過ごしていた3年は私にとって、忘れたくても一生忘れることのない

思い出であると今でも思う。

ふとしたときや音楽を聴くと彼を思い出し、切なくなることもある。


私は現在30代半ばの主婦、高橋 悠希(ゆうき)と言い

優しくて子煩悩(こぼんのう)な旦那、2人の娘にも囲まれ

小さいながらも店舗付(てんぽつき)の1軒家に住んでいる。

周りからもうちら一家を(うらや)ましがられるくらい仲良し家族で有名だ。

旦那とも結婚して12年目に入るっていうのに相変わらず私のことを愛してくれている。

どこからみても幸せな家族で、何も不満なんかないはず。

でも今から7年前・・・私はチャットで知り合った1人の人と不倫関係を3年もしていた。

別に、旦那に対して何かがあったわけでもない。

ただ、旦那に持っていない彼にお互い()かれてしまったのだ。


彼にも家庭があり、私の住んでいる県より数100kmも離れた場所に住んでいたが

毎晩のチャット、毎日のメール、電話でいつも彼を近くに感じることが出来ていたのだ。


3年間という期間は、ただ幸せばかりではなかった。

もちろん沢山の葛藤(かっとう)喧嘩(けんか)もし、幾度(いくど)か別れも経験したけれども

ヨリを戻すたびに2人の絆は深まっていった。

年に3回という少ないけれども、彼と旅行に出かけお互いの愛を確かめたりもした。



でも・・・・別れは突然訪れた・・・。


最後に会ってから数ヶ月後、特に問題もなくうまく付き合っていたかのように思えたのだが

貴方は違っていたみたいですね・・・。

仕事がうまく言ってない様子で、メールをしても返事がこない日々を送っていた。

あなたの声を最後に聞いたのは、もう3ヶ月以上も前になっていた・・・。

【2】別れ・・・そして

彼からの連絡がこないまま時間だけが過ぎていった・・・。

そんなある日、彼特定の着信音が鳴り響き急いで確認すると

彼からの意味不明なメールだった。

『ごめん 疲れた。少し考えさせて・・・。」

これが何を意味しているのかさっぱりわからず、彼からは禁止されていたけれども

直接電話をかけるも、着信拒否をしているのか無常にもツーッツーッ・・・と

機械音が鳴るだけであった・・・。


すれから数ヶ月、相変わらず彼からの連絡はない。

最後の望みをと思い、彼へ今の私の気持ちをメールした。

そうでもしないと心が壊れてしまい、これから先自分を保っていけるかも

微妙だったと思う。


すると意外にも彼からの返信が早く、その内容はまるで

金槌(かなづち)で頭を思いっきり叩かれたような衝撃的な内容であった・・・。


彼の事業が上手くいってなかったのは聞いてはいたけれども

彼はとても器用な人で、そしてとても強い人でもあった。

だけど・・・・私には本心では言えなかったらしい。

辛いくせに不恰好(ぶかっこう)な姿を見せたくなかったという。

そんな時に、そばで一番支えてくれていたのは彼の奥さんだと・・・。


私だって彼の近くに住んでいたら・・・っていつも思っていた。

でも彼は、遠く離れていても私に十分支えてもらえてるって・・・

そう言っていたのに・・・・

悔しくて涙が溢れて止まらなかった・・・・。

でもそれは、奥さんに負けてしまったことへの涙ではなく

彼から一番聞きたくなかった言葉への涙であった。

それを最後に、私は彼の写真ももらったプレゼントも全て箱の中へ入れ捨てた・・・。

こうして3年の恋愛は幕を閉じ、彼と初めて出会ったサイトのIDも全て削除し

彼への通信の手段を絶った・・・。


チャットで知り合い、私達の関係を知ってる人達には「少しやりすぎ」

とか「彼を許せない」などの(はげ)ましのメールをもらったけれども

これが彼の出した答えなら受け入れなくてはいけない・・・・と自分にも言い聞かせるように

友人にも伝えたのだ。


でも一緒にいた3年は短いようであまりにも長く、毎日が辛い日々でもあった。

いつもの時間にメールを待つ自分・・・・

彼と旅行した景色がテレビで流れると彼を思い出し、目頭(めがしら)が熱くなり・・・

我慢できずにお風呂場で静かに涙を流したこともあった。


そんな姿をみてか、1人の友人がメールをくれた。

「動物には出来ず、人間だけがもっている能力・・・それが『忘れる』ことなんだよ。

 今は無理かもしてないけど、いつか時間が解決してくれる・・・・。
 
 その為には私達(友達)だっている。だから・・・

 サイトに戻っておいで・・・・。無理に忘れなくていい。忘れるには、付き合った期間の倍の

 時間が必要なんだって。 それまで、私達が楽しませてあげるから・・・・」


このメールがきっかけで、私は前を向くことに決めた。

無理に忘れなくていい。この一言がどんなに嬉しかったか・・・。

でもサイトには戻らなかった。意地を張ってとかではなく

とにかく今の状態だと、彼を思い出しては泣いての繰り返しだと思ったから。

気持ちが落ち着いたら必ず戻る・・・そう答えを出し、ネットの世界から

私は一旦、離れて行ったのであった・・・。

【3】新生活へ・・・

上の子が小学校に上がり、私の体調もくずしたこともあり

長年勤めていた職場を12月で退職し、専業主婦となった。

専業主婦なんて下の子を産んで以来久しぶりであったので

1日家事や、趣味でもある料理やお菓子作りに没頭(ぼっとう)していたので

少しずつではあるが彼を思い出す日も間隔が長くなり始めていた。


別れてからすでに2年以上が経過していた。


そんなある日、買い物に出かけていた私にメール着信音がなり、ディスプレイを確認してみると

忘れもしない彼からのアドレスが表示されていた・・・。


車を丁度駐車場に入れたばかりの私は正直動揺していた。

震える指で開封してみると、彼は体調を崩し病院へ入院していたとのことだった。

現場で倒れたときに携帯を水没してしまい、たまたま見つけた古い携帯に私のアドレスが

残っておりメールしたとのことだった。

本音はすごく嬉しく、涙が出そうだった・・・。でも反面では奥さんと上手くいってないという意味で

もあった・・・。

すぐさま返信をし、病状などを詳しく聞いたところ持病の喘息(ぜんそく)が悪化し

ICUにて集中治療し、一時期は呼吸困難にも陥り《おちい》命の危険すらあったとのこと。

不本意(ふほんい)でもあったけど、やっぱり彼からのメールが嬉しく

彼へ「声が聞きたい・・・」と気が付けば言っていたのだ。

でも彼は、「自分は悠希を捨てたから、いまさらどんな顔して電話したらいいかわからない」

と、彼も彼なりに悩んでいた様子であった。

正直、アドレスを消してしまった私は彼の電話番号はわからない。

ひたすら、彼からの返事を待つだけだった・・・。

それでもなんとか説得に応じてくれ彼から着信がなった。

久しぶりの彼の声に涙を隠すなんて出来なかった。

それに気づいた彼も「泣かないで・・・俺も切なくなる。」

数分の無言が続いた後、彼が「もし、悠希さえよければやり直さないか?この数年

俺は悠希を忘れることなんで出来なかった・・・。ひどい男だってことは重々承知している。

でも・・・・俺の気持ちは悠希にしか・・・・。」

震える声での彼からの電話・・・。嬉しくて仕方ないのに、声が上手く出ない・・・。

すると彼は付き合い始めた時のように優しい声で

「俺は悠希が好きです。勝手ばかりの俺だけどもう1度俺の彼女になってください。」

と言ってきたのだ。気が付くと私は搾り出すような声で「・・・・うん・・・。」

と答えていたのであった。

これからも彼と一緒にいられる・・・・このときは本気でそう思っていたんだ。

でも現実はそんなにうまくいくものではなかったんだ・・・・。

【4】復縁・・・そして・・・

翌日からいつものように彼とのメールや電話が始まったのだ。

何気ない会話がとても嬉しくて、自分でも舞い上がっていたと思う。


でも、そんな幸せは長くは続かなかった・・・・。


最初は1日数通のメールのやりとりが1日1通になり、前と同じく

連絡がこない日々が続くようになってきたんだ・・・。

仕事が忙しいことはいいことなんだ・・・と自分自身に言い聞かせてはいたけれど

私自身も子供の役員などを引き受けて私生活でも忙しい日々を送っていた。


気が付けば、復縁してから3ヶ月が経っていたんだ。それと同時に連絡がこないのも

同じ月日が流れていたんだ。


そのときの私は、「あの時と同じような思いはしたくない」

正直、彼への気持ちは薄れ始めていたのかもしれなかった・・・。

彼へ、メールのタイトルに『最後のメールです』

と入力し、彼への別れを告げた。

【5】最後のメール

別れを決めた私は彼へメールを打った。

今の自分の気持ち、彼と復縁したのは嬉しかったけど

昔のような愛情が薄れていたこと・・・。


これからは、お互いの家庭を大事にしていこうって・・・。


彼からもすぐメールが来た。

今までメールなんて来なかったのにこういうときだけは早かった。

開くのが怖かったけれども、勇気をふりしぼり開いてみると

「俺はもう悠希を失いたくない。考え直せないのか?」

とのメール後、彼からの着信があった。

予測はしていたけれども、一度くるってしまった歯車が

元のようには回らない。それをすごく痛感したことを言った。

彼は、その歯車を正常にするために離れていた時間を埋めていくんだろう

などと説得もされたが、今まで連絡もしてこなかった人が何を言ってるんだろう

ってつくづく思った。

彼に「私と連絡してないときにでも私のこと。。。思い出してくれていた?」

と意地悪な質問をしてみた。それに対しての返事は

「毎日って言ったら嘘になる。じゃ別れるって悠希は言うけど、俺より旦那のことを
 
 愛しているのか?それなら潔く身を引くよ。」

と言われたので、少なくとも今の彼よりは愛している旨を伝えた。

しばらくの沈黙の時間が続いたあと、少し彼は泣いたのか涙声で

「・・・わかった・・。幸せになってな」

そう言って電話を切った。


長いようで短かった3年間の恋愛の幕は降りたのでした。

【6】新天地へ

彼と別れてからはそのサイトへは行かなくなりました。

それは、彼からの私への思いをつづったコメが沢山あったから・・・。

見てると涙が溢れて止まらなかった。

自分でも未練があるのがわかっていたのであった。

でも忘れると決めたのだからサイトへログインすることを無くしたのであった。

自分で決めた道なのだからって・・・。


そんな時に、旦那より引越しの話があった。

旦那は元々は地元の人ではなく、仕事の面でもいろいろとストレスもあるし

旦那の祖母も体調があまり良くないらしく、少しでも近くに住んで

ひ孫といっぱい遊ばせたいって・・・


長年生まれ育ったこの街を離れるのはすごく淋しいし

彼の地元へ行くとなると今の土地から海を渡り、そう簡単に戻ってこれないこと

もわかっていたので、少し悩ませてもらったのだが

旦那の中ではほぼ決まりになっていたらしく、

地元の実家付近でお義父さんも私たちが住む家を探し始めている様子であった。


そうこうしているうちに、旦那の地元での家も仮契約まで済み

あとは引越しをしてくるのを待つだけって状態になった。

ここまで話が進んだのなら仕方ないと思い、

私の地元でもあり故郷『北海道』を離れる決心をした。



ママ友はすごく淋しがってくれて、旅立ちのその日まで家にきてくれたりして

残りの北海道での生活を送らせてもらいました。



それから数ヶ月経ち、上の子の修了式に北海道を離れ旦那の地元へ引越していった。



海を渡るため、荷物なども普通の引越しみたく少々時間がかかり1週間ほど

旦那の実家でお世話になったのであった。

お姑さんとの生活はお互いが気を遣いあい、休まる暇もなかったが

旦那も優しくしてくれて、新天地での生活は思っていたよりも

幸せな日々を過ごしていたのであった。

ただ、1つの問題は知らない人達に囲まれており

会話は子供達と旦那としかなく

引きこもりの生活であったとのこと・・・。

スーパーに行きたくても場所がわからないので旦那の仕事休みの日だけ。


何のためにここに来たのかわからず、淡々とした毎日を送っていたんだ・・・。



そんな生活を1年間し、下の子が小学校へ入学するのを気に

私も外へ働きにいくことにしたのであった。

【7】仕事そして闇

自宅の近所でパートの募集があり、面接を受け

子供が学校へ行ってる間だけ働きたいことを伝えると、数日後採用の通知がきた。

その間も、子供の役員を引き受けたのがきっかけで少しずつママ友も増え

家族ぐるみでお付き合いするくらいまで仲良くなった家族もいた。


しばらく、地元を離れていたということもあり、旦那の親は旦那に色々してあげたいらしく

旦那の仕事は理容師っていうことから、独立して店舗件自宅を建築っていう話も

着々と進み、今に至ったのである。

旦那のお店も順調っということもあり、

私も気ままなパート生活をしていた。


職場の人間関係は上司を除いて、同じ年代の女の子と仲良くもなりお互いを親友と思うまでには

そんなに時間はかからなかった。しかし、少しずつ上司との亀裂が生まれ

私もそれをストレスと感じてしまい、みんなに薦められたこともあり

心療内科への扉を叩いたのであった。

病名は「自律神経失調症、不眠症、仮面うつ病」との診断でした。


服薬が数種類処方され、安定するまで数日の休暇を頂き

家で数日間の療養生活を送っていた。

自分でも感情のコントロールが上手くいかず、旦那にイライラをぶつけたり

子供に対しても何もしてあげられなかったり・・・


自分が自分でいることが出来ず、もどかしさから自分の殻に閉じこもることも

少なくはありませんでした。

出口がまったく見えない闘病生活の始まりでした。


しかし、自分の仕事に対してはきちんと責任をもってやっていたのもあり

医師へ1日でも早く仕事へ復帰したい気持ちを伝え

ようやく自分にあった薬にめぐり合い、何とか仕事への復帰が可能になりました。

【8】偶然は必然

薬の力を借り、自分でも感情のコントロールが上手くいくようになり

周りからも病気が完治したと思われていたくらい自分らしさを取り戻すことができました。

一番ひどい中でもずっと私を支えてくれていた旦那・・・。

でも、逆にその優しさが辛くもありました。



そんな中、すごく久しぶりの友人からメールがありました。

その人は昔ネットで知り合った1人の男性アキでした。


アキとの出会いも、チャットでした。

旦那地元に引っ越してきたときに偶然みつけたサイトで知り合った人で

最初はアキのハンドルネーム(チャットの中での偽名 以後ハンネ)が、彼と同じハンネ

同じ出身地ということもあり、敬遠していました。アキもアキで、私のハンネがアキが昔仲良くしていた

女性が私と同じハンネでしかも出身地も同じということから話をするようにはなったのですが

もしかしたら彼が別人を装ってチャットしているのでは?という不安もあり

あまり深く付き合っていなかったのですが、話をしているうちに本名を知ることになり

彼とは別人っていうこともあり、そこからはお互いの携帯アドを交換し

仲良くなっていきました。

そのアキが、偶然にも出張先が私が住んでいる街らしく良かったら飲みでも行かないか?

とのお誘いでした。

旦那には「職場の人と飲みに行く」と嘘をつき、アキと2人だけのオフ会をしたのでした。

アキは私より13歳も年上ってこともあり、よき相談者でもありました。

その夜も職場での愚痴をいっぱい聞いてもらい、アドバイスをもらっていました。

楽しかった時間はあっという間に過ぎ、Kも翌日地元に帰るってことから

その日はお開きとなりました。

翌日、彼からの何気ないメールから私はアキを気になり始めるきっかけとなりました。

彼からきたメールは

「頑張るっていうことを世間一般的な物差で判断しないことですよ。
 
 今は無理なんだから
 
 悠希が元気だった頃とは違うからねw

 だから追い込まないこと。 ね♪悠希(^_^)」

すごく嬉しかった・・・。みんな頑張らなくていいよとは言ってくれていたけれども

こんなにすぅーっと入ってきた言葉はなかった・・・。

アキに『ありがとう^^』

というメールをし、また夜にチャットする約束をし帰路に着いた。

オンライン~チャットで出会った貴方~

オンライン~チャットで出会った貴方~

貴方と出会い人を愛することを知りました。 今までとは違う自分を知ることも出来ました。 でも・・・本当は好きになってはいけない人でした。 貴方を失ったらこれ以上の恋愛は出来ないって思っていたのに・・・。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-08

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 【1】思い出
  2. 【2】別れ・・・そして
  3. 【3】新生活へ・・・
  4. 【4】復縁・・・そして・・・
  5. 【5】最後のメール
  6. 【6】新天地へ
  7. 【7】仕事そして闇
  8. 【8】偶然は必然