紫陽花をさがして

エッセイ集『アンダンテ』より。
ペーパーウェル06 お題『散歩』
2021/6/18より頒布 改訂版

 六月のある日のこと。珍しく朝早く起きた私は雨の音で目を覚ましました。もうすっかり梅雨の季節です。窓の外を見やると、雨が結構激しく降っているのが見えました。それでも、私には外に散歩に行きたい理由がありました。

 実は、私はものすごく出不精なのです。でも、参加してみたいイベント――ペーパーウェルのテーマが『散歩』になれば話が別です。それだけたくさんの人が『散歩』がテーマの物語を待ち望んでいるってことでしょう? きっとやってみれば楽しいはずです。それに雨の中で散歩なんて乙なこと、こんな機会がないとできないじゃないですか。どうせなら、そうですね。紫陽花を探しにいく、なんてどうでしょうか。

 そういえば、私の元住んでいた家の庭には紫陽花が植えられていました。毎年毎年綺麗な花を咲かせていたのですが、あまりにも近すぎてその魅力に気がつかなかったんですね。庭のない家に引っ越して、毎年の紫陽花も見られなくなってから、その魅力に気がついたのです。

 いそいそと外出の準備をする私に母が声をかけます。
「珍しいね、こんな雨の日なのに。どこ行くの?」
「えーと、説明が難しいんだけど……お散歩、かな?」
「どうせレポートか何かでしょ。ネリが外に行くのはそれしかない」
 父が呆れたように言いました。さすがですね。バレバレでした。

 お散歩ですから、服装はTシャツに簡単に何か羽織るだけで大丈夫でしょう。最近はだいぶ暖かくなってきましたから、雨の日でもこれで平気なはずです。小花柄の傘を持って、スニーカーを履いて、外に出ると結構な量の雨が降っていました。少し怖じ気づくほどには。でもなぁ、昼には止んじゃうって天気予報で言ってたし。えぇい、行ってしまえ!

 家の敷地内から出ると、早速紫陽花を見つけました。しかも、私の隣の隣のお家じゃないですか。こんな近くに紫陽花が咲いていたなんて、びっくりです。色は、これは紫ですかね? 青いものも少し混じっています。確か、紫陽花って土の酸性・アルカリ性で色が変わるんですよね? 園芸のことはよくわかりませんが。

 ゆるい坂を下っていくと、また紫陽花を発見しました。今度はピンク色の紫陽花です。隣に青い紫陽花もありますが、うーん、あんまり綺麗な色じゃないですね。なんだかくすんだ色をしています。ガードレールの内側にひっそりと咲いているこの紫陽花は誰もきちんと管理していないのでしょうね。

 おっと。そのすぐ隣の家にも紫陽花! 今度は青い大輪の花を咲かせています。ほとんど歩かないうちに三つも紫陽花を見つけてしまいました。ここら辺の人は紫陽花を植えるのが好きなのでしょうか。そんなことを考えているうちに目の前の信号機が青になりました。ここの信号機、青の時間がとても短いんですよね。私は横断歩道を慌てて走り抜けました。

 すると大きな道に出ます。するとだんだんと雨も風が強くなってきました。うーん、こんなに風が強くなるなんて聞いてないんだけどなぁ。とりあえず、いつも歩いている川の散歩コースを目指すことにしました。

 わあ、小道がびしょびしょ! もう川みたいになっていますね。私は長靴を持っていないので仕方なくスニーカーで来たのですが……この道を歩いていたらもう靴下まで濡れてしまいます。この小道の隣には芝生が植えられていて、その向こうに川があります。今日は芝生を通ることにしましょう。

 さて、ここには紫陽花、あるかな?

 芝生というものはいいですね。コンクリートや整備されたレンガの道とは違ってやわらかくて歩きやすい。この小道には沢山の木が植えられていて、それでいてうっそうとしていないのでとても気持ちがよいです。ふと、木を見上げると雀が雨宿りをしているのが見えました。羽根をぶるぶると震わせているのがかわいらしいです。こんなに雨が降っていたら大変なのは人間だけじゃないんですね。川もいつもより随分と流れが速いですね。氾濫、というレベルではないですが、いつもの綺麗な川ではなく濁りきった水が流れています。

 うーん、ないですね、紫陽花。この川の近くには植えられてないのかもしれませんね。別のところに行ってみましょうか。とはいえ、行くところと言ったらもう家に帰るコースの大きな道しかありませんが。この大通りはお店がたくさん建ち並んでいて、私の行きつけのラーメン屋さんやケーキ屋さんがあったりします。

 レンガで舗装されているこの歩道はやはり川のようになっています。少々ジャンプしながら、あまり水たまりを踏まないようにして……あ、古いバスが止まってますね。やっぱりこの辺は田舎だな――あ! 足下からびしょり、という嫌な感触がしました。おぉう、やってしまった。水たまりに足を思いっきり右足を突っ込んでしまいました。いつかはやると思っていたけど。靴下までびしょ濡れです。よく見ると羽織っている服もびしょびしょ。思ったより風が強いですね。傘が裏返りそう。早く帰らないと。

 さて一周して戻ってきましたが、やっぱりここにしか紫陽花はありませんでした。探していたものは結構近くにある、ということなのでしょうか。もう靴も靴下も水浸しになってしまったので、お構いなしに水たまりにばしゃばしゃ入りながら、私は持っていたスマホで紫陽花を撮ってみました。うーん、相変わらず下手くそ。私は写真を撮るのも撮られるのも下手くそなのです。構図力に欠ける、とでもいうのでしょうか。まぁいいか。紫陽花を撮る、なんてなかなかないですからね。

 思い出、思い出。

「ただいま」
「おかえり、濡れたでしょ!」
「うん、びしょ濡れ!」
「何もこんな日に外に行かなくてもいいのに。早く服干して! あ! 廊下に足跡つけて! 足跡って消えないんだから!」
 父がぶつくさ言いながらタオルを持ってきてくれました。よく見るとズボンもびしょ濡れ。とりあえず服を全部洗濯機に突っ込んで着替えます。

 ふぅ、疲れた。慣れないことをすると疲れますね。さてと、パソコンを立ち上げてエッセイを書いてしまおう――ここまでが今までの流れです。

 ふと、カーテンを開けて外を見ると雨はもう上がっていました。昼まで降り続くと天気予報では言っていたのに。やっぱり天気予報は嘘つきです。今日は早めに散歩に行って正解でした。梅雨の季節とはいえ、なかなかいい感じに雨の日にお散歩をする機会に恵まれなかったんです。梅雨の季節は本当にすぐに過ぎ去って夏になってしまいますから、貴重ですよね。


 雨は止んだとはいえ、曇り空が続きそうな今日。残りの時間はゆっくりと過ごすことにしましょう。

紫陽花をさがして

紫陽花をさがして

エッセイ集『アンダンテ』収録。 『近所に咲いている紫陽花を探す小旅行記』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-21

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