風が吹く日

風が吹く日

エッセイ集『アンダンテ』より。
ペーパーウェル06 お題『散歩』
2021/6/18より頒布 改訂版

 みなさま、おはようございます。いやこんにちは、かな? それともこんばんは? 私はというと、お昼ご飯を食べ終わったところ。一番眠たい時間です。このままお昼寝タイムといきたいところですが、私はそろそろ出かけなければなりません。

 どこに、って? 病院です。ワタクシ、実は鬱病で心療内科を定期的に受診している身でございます。もう薬が手元にないので、今日は必ず病院に行かなければならないのです。でも、今日は特別な日です。今まで受診していた遠方の病院から近くの――歩いて十分ほどの病院に移動したので、そこにダイエットがてら歩いていくことにします。私の住んでいるこの家は祖母が昔住んでいた家を建て直したものなのですが、坂を下るとすぐに病院があるのです。遠方のかかりつけの先生がその病院に勤めることになったので、私もついていったのです。ついて行った先がこんなに近いなんて! 最高じゃないですか。なんてことを考えながら、父に案内してもらいながら病院まで歩いていきます。

 今日は風が強い日ですねぇ。おととい満開になった桜が全部散っちゃうかな? 結局今年は忙しくて桜の写真を撮りに行けませんでした。実は今年は、どうしても満開の桜を撮りに行きたい理由があったのですが、桜も生き物ですものね、人間の思うようになってはくれません。見上げると、もう桜は葉桜になっていました。今年は桜の開花が早かったですから、散るのも早いな――としみじみ思います。
 家から歩いて十分程度のこの病院は十年以上前に一度かかったきりです。大きい病院です。さらに昨今のコロナの影響で封鎖されている部分もあるのです。これは……父についてきてもらってよかった! 方向音痴な私は、きっと診察室まで一人でたどり着けなかったでしょう。薬を貰って、会計をして、ふぅ――終わった!

 今度は薬局まで薬を歩いて取りに行きます。病院が変わったので、薬局も新しい場所に変わったのです。どんな薬局かな……? とても気になります。というのも、私は薬学部を卒業して、国家資格をとった薬剤師なのです。今は先の鬱病で職場を離れていますが、前は薬局で働いていた身です。
その薬局が……とっても環境が悪かったのです。少なくとも、私との相性が最悪だったため、私は今こんなことになっているのですが。

 新しい薬局は小さな薬局でした。私が勤務していた薬局よりもこじんまりとしています。とても丁寧な薬剤師さんでした。私の不安も吹き飛ぶくらいには。

 薬局を出て、今度は夕食を買い物にいきます。もちろん、このまま歩いていきます。私は歩きながら、さきほどの薬局のことを考えていました。あの薬局はきっと、私が行った大病院と提携しているはずです。なのに、そんなに忙しそうではなかった。きちんと薬の数を目の前で確認して、薬の効能まで説明してくださるのです。

 私がいた薬局はそんな暇がなかった。薬を袋から一度出して説明しようものなら患者から、
「遅い! 早くして!」
 とクレームが入ります。新卒だった私はそれにビビり、手がガタガタと震えました。しかし、交代してくれる先輩もいません。これではただの袋詰めです。私は何のために六年も七年も勉強したんだろう? 薬剤師ってなんなんだろう? そんなことを回想していると、歩きながら涙が出てくるのです。今度就職するなら、あぁいう薬局に就職したいな。でも、自分なんかにできるだろうか? こんなにブランクがあるのに、やっていけるかしら? 病気が再発したりしないだろうか? でも、もうお金がありません。稼がなければ趣味の本作りも、食べていくこともできません。

 はぁ。私は歩きながら父にバレないように大きくため息をつきました。なんとなく食欲がわきません。夕食は、うどんか何かにしようかな。あ、ちゃんぽんがある。食べるのは久しぶりですね。これにしようかな。夕食を選んでいる私に父が話しかけてきます。
「ねぇ、アイス食べない?」
「……食べる」

 帰り道、父と二人でモナカアイスを半分分けして食べました。いつも通り、チョコもモナカもパリパリしてとても美味しいです。アイスのおかげで私は少し元気になりました。そのとき、風が強く吹きました。桜並木の桜が舞い上がり、どんどん、どんどん散っていきます。
 あぁ――『あの話』の結末もあんな感じだったのかな。私は散り続ける桜を見ながらそんなことを考えていました。実は私は今年の冬に、冬から春にかけての物語を書きました。その物語は私にとって挑戦でした。とっても難しかったし、いろんな人の手を借りて書いたものです。書いている最中は冬まっただ中だったため、最後の結末のシーンを書くときは『今は春、桜が満開で暖かい』と自分に言い聞かせて書いていたものです。私にとって、その物語はとても大切な物になりましたし、傑作となりました。今年、どうしても桜を撮りにいきたかった理由はそれです。しかし、忙しくて結局、満開の桜の時期は逃してしまった。

 それでもいいのです。何故か風に吹かれる桜を見ながらそんな風に思いました。
カメラのレンズ越しの桜も素敵だけど、肉眼で見る葉桜もなかなか趣があってよいのではないでしょうか。それに、また来年春はやってきます。

 その頃の私はどんな生活を送っているでしょうか。どんな気持ちで桜を見るのでしょうか。少なくとも今より幸せな年になりますように。そう願いながら、私たちは家路への道を急ぎました。

風が吹く日

風が吹く日

エッセイ集『アンダンテ』収録。 『今年もまた桜が散っていく。それは風が強い日のことでした』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-21

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